酉年の人 土門拳
時の流れは、平等です。
どんなに偉い人でも、そうでない人でも、
今年、またひとつ齢を重ねます。
でも大事なのは、そんなことじゃない。
ある写真家の言葉が、それを思い出させてくれます。
気力は眼に出る。
生活は顔色に出る。
年齢は肩に出る。
教養は声に出る。
この言葉を残した土門拳さんは、
1909年生まれ。酉年の人でした。
今年は、自分の価値を高める1年にしよう。
酉年の人 土門拳
時の流れは、平等です。
どんなに偉い人でも、そうでない人でも、
今年、またひとつ齢を重ねます。
でも大事なのは、そんなことじゃない。
ある写真家の言葉が、それを思い出させてくれます。
気力は眼に出る。
生活は顔色に出る。
年齢は肩に出る。
教養は声に出る。
この言葉を残した土門拳さんは、
1909年生まれ。酉年の人でした。
今年は、自分の価値を高める1年にしよう。
酉年の人 ピーター・ドラッカー
お正月でも、つい仕事のことを考えてしまう。というあなた。
具体的な仕事の中身よりも、
その在り方やメカニズムを整理してみると、
いずれ役に立つかもしれません。
せっかくのお正月。未来を設計しましょう。
ある経営学者の言葉がヒントになります。
私の観察によれば、成果をあげる者は
仕事からスタートしない。
時間からスタートする。
計画からもスタートしない。
何に時間が取られているかを明らかにすることからスタートする。
この言葉を残したピーター・ドラッカーさんは、
1909年生まれ。酉年の人でした。
今年は、自分をマネジメントする1年にしませんか。
البصراوي
酉年の人 盛田昭夫
お正月は、自分を見つめ直す貴重なひととき。
生き方について、今の気持ちについて、
あらためて考えることができますよね。
そんなとき参考になるのが、ある経営者の言葉です。
「私はどういうことができるんだ」
「どういうことが、人よりうまいんだ」
「どういうことをしたら、人を追い抜けるか」
ということを知らないと、競争には勝てない。
この言葉を残したソニー創業者、盛田昭夫さんは、
1921年生まれ。酉年の人でした。
今年は、自分をプロデュースする1年にしませんか。
tensaibuta
酉年の人 まど・みちお
お正月、ふと考えてしまうこと。
今年はどんな一年になるだろう。
今年は、あんなことがしてみたい。
なんだか目先のことばかりだな、と思ったら聞いてください。
ある詩人の言葉です。
太陽
月
星
そして
雨
風
虹
やまびこ
ああ 一ばん ふるいものばかりが
どうして いつも こんなに
一ばん あたらしいのだろう
この詩をかいた、まど・みちおさんは、
1909年生まれ。酉年の人でした。
また、あたらしい一年が、はじまります。
RVWithTito
酉年の人/淀川長治
映画評論家、淀川長治さんは、
1909年の酉年生まれでした。
酉年の人らしく、凝り性で几帳面。
4歳のころから貪るように映画を見て、
気に入った作品は必ず誰かに紹介したそうです。
そんな淀川さんの言葉がありました。
映画とは、国と国の垣根をなくすことね。
映画とは、世界の言葉を持っていることね。
映画とは、みんなが見るものね。
映画とは、人間を知ることね。
これほど人間について教えてくれるものはないのね。
年の初めに、何をしようか迷ったら、
映画館に行きましょう。
それではよいお正月を。
さよなら。さよなら。さよなら。
妻 幸田文
幸田露伴の次女、幸田文は
酒問屋の息子と結婚した。
慶応ボーイでアメリカ帰りの優しい夫は
天にも昇るほどの幸福な結婚生活をもたらした。
しかし、やがて家業が傾いて財産を失ったとき
汗して働く術を知らない夫は
文の手枷足枷となっていった。
幸田文とその娘玉の作品の中に
その姿は理想の夫として
まただらしなく甘える情けない夫として
描かれている。
今日12月3日は、妻の日。
グータラ亭主はネタにされます。
妻 田村俊子
明治生まれの小説家、田村俊子は
倹約という言葉を知らぬ妻だった。
小説で稼いだお金は湯水のように使い、
有り金がギャンブルで消えると
見境なくお金を借りた。
金遣いの荒さは生涯変わらなかったそうだ。
今日12月3日は、妻の日。
良妻か悪妻か、お金の使い方でわかる。
妻 若山喜志子
詩人、若山牧水の妻、喜志子は
夫が大酒飲みということを知らずに結婚したそうだ。
ほとんど外出しており、
帰ってきても酒ばかり飲んでいる亭主に、
妻として、ひたすら耐えた。
だが、牧水が若くして亡くなると、歌づくりに専念する。
もともと歌人を目指していた喜志子は、水を得た魚のように80歳まで生きた。
今日12月3日は、妻の日。
か弱き妻ほど、たくましい。
妻 大塚楠緒子
夏目漱石が恋した人、大塚楠緒子。
彼女の結婚相手は、漱石の友人だった。
妻としての生活は自由この上なく、
夫が留学している間に英語やピアノを習い、
小説まで書いて人気作家の仲間入りを果たした。
ふたりは良きライバル関係にあったが、
楠緒子はわずか35歳でこの世を去る。
漱石はこんな句を捧げた。
あるほどの 菊投げ入れよ 棺の中
今日12月3日は、妻の日。
それは、恋した人を想う日。
妻 北原菊子
詩人、北原白秋には、3人の妻がいた。
その3番目の配偶者、菊子は
「大きな赤ん坊」と言われるほどの男を献身的に支え、
波乱万丈な白秋の結婚歴に終止符をうつ。
夫の目が悪くなれば、手となり足となり、
創作活動はふたりの仕事になった。
今日12月3日は、妻の日。
不良の夫を更生させたのは、海のような広い心。
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