武市富子
幕末の志士、武市瑞山は、
尊王攘夷への弾圧で捕らわれの身となった。
妻、富子は夫が投獄されると、
一日二食の弁当を毎日欠かさず差し入れ、
必要ならば筆や書物、四季折々の草花までも
手紙に添えて送った。
そして夫の不自由な暮らしに合わせようと、
自らも固い板の間で寝て、
冬は布団も使わなかった。
瑞山に切腹の命が下ったときでさえ、
かねてから用意していた揃いの衣装一式を届けたという。
今日11月5日は、縁結びの日。
それは、大切な人を思いやる日なのかもしれません。
武市富子
幕末の志士、武市瑞山は、
尊王攘夷への弾圧で捕らわれの身となった。
妻、富子は夫が投獄されると、
一日二食の弁当を毎日欠かさず差し入れ、
必要ならば筆や書物、四季折々の草花までも
手紙に添えて送った。
そして夫の不自由な暮らしに合わせようと、
自らも固い板の間で寝て、
冬は布団も使わなかった。
瑞山に切腹の命が下ったときでさえ、
かねてから用意していた揃いの衣装一式を届けたという。
今日11月5日は、縁結びの日。
それは、大切な人を思いやる日なのかもしれません。
五郎八姫
伊達政宗の娘、五郎八姫は、
徳川家康の六男、松平忠輝と結婚した。
しかし忠輝は、致命的な大失態を重ねる。
大坂夏の陣に遅参し、
さらに側近が兄・秀忠の家臣を殺害してしまう。
悪いことは続くもので、
五郎八姫とふたりでキリスト教に改宗したことも禁教令に反し、
忠輝は流刑に。そのまま離縁となる。
純粋に忠輝を思い続けたのか、キリシタンの教えなのか、
五郎八姫は生涯独身を通したという。
今日11月5日は、縁結びの日。
運命に負けない縁を、手に入れてください。
唐人お吉
下田一の売れっ子芸者、お吉は
幼馴染の鶴松という男と結ばれていた。
しかし時代の気まぐれが、運命の歯車を狂わせる。
時は幕末。アメリカ総領事館ハリスは、
自分の面倒を見る看護師を要求した。
その真意を図りかねた幕府は、
世話役として、お吉に白羽の矢を立てる。
支度金は二十五両と高給。
嫉妬した人々は「偉人の妾」と口汚く罵った。
その後、お吉は酒に溺れ、下田や三島を転々とし
物乞いをして歩くほど落ちぶれた。
もしも、ほんの少しタイミングがずれていたら、
鶴松と幸せな一生を過ごしたかもしれないのに。
今日11月5日は、縁結びの日。
時代は、人の縁を簡単にもてあそぶ。
大田垣蓮月
江戸時代後期に生まれた太田垣蓮月は、
家族運に恵まれない女流歌人だった。
十八歳のときに結婚。
子どもは次々に亡くなったうえ、
放蕩者の夫とは離別する羽目に。
その五年後、温厚な人柄の男と再婚したが、
今度は、わずか三年で死別。
人の世の無常を悟った彼女は、
陶芸と和歌諷詠に打ち込むが、
美人であったため言い寄る男も多かった。
すると一本一本歯を抜き、自らをわざと醜くして
男たちを追い払ったそうだ。
幕末の志士とも親交が深く、
西郷隆盛に江戸無血開城を決意させたのも
彼女の歌がきっかけだったとも言われている。
今日11月5日は、縁結びの日。
成就しない縁を受け入れるのも、また人生。
滝沢路
江戸後期の読本作者、曲亭馬琴。
彼の息子に嫁いだのは、滝沢路という医者の娘だった。
舅は気難しく、姑はヒステリック。
虚弱体質な夫は、路が三十歳のときに病死する。
このころ馬琴は失明をしており、
助手を勤めていた夫のかわりに
路がその役を一手に引き受けることになる。
もちろん読み書きが得意なわけではない。
馬琴が口述し、路がそれを必死に書き写す。
そんな暮らしが八ヶ月も続き、
南総里見八犬伝を完成させた。
今日11月5日は、縁結びの日。
意外な縁が、歴史をつくる。
The Sven Hedin Foundation
冒険家たち スヴェン・ヘディン
1899年。スウェーデンの地理学者スヴェン・ヘディンは、
中央アジア探検の旅に出た。
ウイグル語で「生きては戻れぬ死の砂漠」を意味するタクラマカンや、
底なしの流砂地帯など、その旅は壮絶を極めたという。
そして翌年、ヘディンは偉大な発見をする。
かつてシルクロードのオアシスとして繁栄した都市、楼蘭だ。
そのときの彼の言葉が残されている。
私は魔法使いから呪いをかけられた
魔法の森の王子様のように
この場に立ち尽くした。
それは、夢を追う者だけが見ることのできる特別な世界。
冒険家たち ラインホルト・メスナー
イタリアの登山家、ラインホルト・メスナー。
人類史上初、無酸素による
8000メートル峰 全14座完全登頂という偉業を成し遂げた男だ。
彼の冒険は、輝かしい実績にあふれている。
数々の登頂記録だけではなく、
グリーンランド、南極大陸の走破。
ゴビ砂漠、タクラマカン砂漠も横断している。
そんなメスナーの言葉がある。
死の地帯を経験すると、
自分が新しく生まれ変わったような、
精神の高揚を感じる。
登山を修行のひとつと考えるメスナーは、今年で72歳。
修行の旅は、いつまで続くのか。
AllSafeAllWell
冒険家たち アーネスト・シャクルトン
ようやく人類が南極点に到達した時代の話だ。
1914年、イギリスの探検家アーネスト・シャクルトンは
南極大陸横断を目指した。
その隊員は一般公募となり、
ロンドンの新聞広告にこんな見出しが並んだという。
求む男子。至難の旅。わずかな報酬。
極寒。暗黒の長い日々。絶えざる危険。
生還の保証なし。
成功の暁には名誉と賞賛を得る。
残業手当も、社会保険も、福利厚生もない。
それにもかかわらず、5千人以上が参加し、
56人が隊員に選ばれている。
今の時代に足りないものは、
こんな「ロマン」なのかもしれない。
冒険家たち メイナード・オーウェン・ウィリアムズ
1931年。ナショナル・ジオグラフィック誌の特派員、
メイナード・オーウェン・ウィリアムズは、
陸路によるアジア横断プロジェクトに参加した。
レバノンから、シリア、アフガニスタンを抜け
北京をゴールとする行程には、常に危険が伴った。
また冬のゴビ砂漠は、あらゆるものを凍らせる。
あるとき、宿には凍死した15人の遺体が置かれていた。
逃げるように外で寝るか、このまま彼らと添い寝するか、
決断が迫られた。
ウィリアムズは、迷わずこう言ったという。
今晩、15人の死体と一緒に寝たほうが
明日、16人目になるよりマシだ。
精神もタフでないと生き残れない。
Paul-W
冒険家たち ハインツ・シュトゥッケ
ドイツの自転車冒険家、ハインツ・シュトゥッケ。
と言っても、22歳で自転車の旅に出てから、
39年間一度も祖国ドイツには帰らなかったという。
2010年の時点で、
地球上のほぼすべての国と地域を走破し、
走行距離は59万キロ。地球14周を超えている。
ある記者が彼の冒険について質問をすると、
こんな言葉が返ってきたそうだ。
そう、これこそが私の人生だ。
自転車は、最初に旅立ったときの一台を
何度も修理し、乗り続けている。
冒険は道具ではない。
心ひとつあればいい。
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