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佐藤延夫 16年11月5日放送

161105-01

武市富子

幕末の志士、武市瑞山は、
尊王攘夷への弾圧で捕らわれの身となった。
妻、富子は夫が投獄されると、
一日二食の弁当を毎日欠かさず差し入れ、
必要ならば筆や書物、四季折々の草花までも
手紙に添えて送った。
そして夫の不自由な暮らしに合わせようと、
自らも固い板の間で寝て、
冬は布団も使わなかった。
瑞山に切腹の命が下ったときでさえ、
かねてから用意していた揃いの衣装一式を届けたという。

今日11月5日は、縁結びの日。
それは、大切な人を思いやる日なのかもしれません。

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佐藤延夫 16年11月5日放送

161105-02

五郎八姫

伊達政宗の娘、五郎八姫は、
徳川家康の六男、松平忠輝と結婚した。
しかし忠輝は、致命的な大失態を重ねる。
大坂夏の陣に遅参し、
さらに側近が兄・秀忠の家臣を殺害してしまう。
悪いことは続くもので、
五郎八姫とふたりでキリスト教に改宗したことも禁教令に反し、
忠輝は流刑に。そのまま離縁となる。
純粋に忠輝を思い続けたのか、キリシタンの教えなのか、
五郎八姫は生涯独身を通したという。

今日11月5日は、縁結びの日。
運命に負けない縁を、手に入れてください。

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佐藤延夫 16年11月5日放送

161105-03

唐人お吉

下田一の売れっ子芸者、お吉は
幼馴染の鶴松という男と結ばれていた。
しかし時代の気まぐれが、運命の歯車を狂わせる。
時は幕末。アメリカ総領事館ハリスは、
自分の面倒を見る看護師を要求した。
その真意を図りかねた幕府は、
世話役として、お吉に白羽の矢を立てる。
支度金は二十五両と高給。
嫉妬した人々は「偉人の妾」と口汚く罵った。
その後、お吉は酒に溺れ、下田や三島を転々とし
物乞いをして歩くほど落ちぶれた。
もしも、ほんの少しタイミングがずれていたら、
鶴松と幸せな一生を過ごしたかもしれないのに。

今日11月5日は、縁結びの日。
時代は、人の縁を簡単にもてあそぶ。

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佐藤延夫 16年11月5日放送

161105-04

大田垣蓮月

江戸時代後期に生まれた太田垣蓮月は、
家族運に恵まれない女流歌人だった。
十八歳のときに結婚。
子どもは次々に亡くなったうえ、
放蕩者の夫とは離別する羽目に。
その五年後、温厚な人柄の男と再婚したが、
今度は、わずか三年で死別。
人の世の無常を悟った彼女は、
陶芸と和歌諷詠に打ち込むが、
美人であったため言い寄る男も多かった。
すると一本一本歯を抜き、自らをわざと醜くして
男たちを追い払ったそうだ。
幕末の志士とも親交が深く、
西郷隆盛に江戸無血開城を決意させたのも
彼女の歌がきっかけだったとも言われている。

今日11月5日は、縁結びの日。
成就しない縁を受け入れるのも、また人生。

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佐藤延夫 16年11月5日放送

161105-05

滝沢路

江戸後期の読本作者、曲亭馬琴。
彼の息子に嫁いだのは、滝沢路という医者の娘だった。
舅は気難しく、姑はヒステリック。
虚弱体質な夫は、路が三十歳のときに病死する。
このころ馬琴は失明をしており、
助手を勤めていた夫のかわりに
路がその役を一手に引き受けることになる。
もちろん読み書きが得意なわけではない。
馬琴が口述し、路がそれを必死に書き写す。
そんな暮らしが八ヶ月も続き、
南総里見八犬伝を完成させた。

今日11月5日は、縁結びの日。
意外な縁が、歴史をつくる。

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佐藤延夫 16年10月1日放送

161001-01
The Sven Hedin Foundation
冒険家たち スヴェン・ヘディン

1899年。スウェーデンの地理学者スヴェン・ヘディンは、
中央アジア探検の旅に出た。
ウイグル語で「生きては戻れぬ死の砂漠」を意味するタクラマカンや、
底なしの流砂地帯など、その旅は壮絶を極めたという。
そして翌年、ヘディンは偉大な発見をする。
かつてシルクロードのオアシスとして繁栄した都市、楼蘭だ。
そのときの彼の言葉が残されている。

 私は魔法使いから呪いをかけられた
 魔法の森の王子様のように
 この場に立ち尽くした。

それは、夢を追う者だけが見ることのできる特別な世界。

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佐藤延夫 16年10月1日放送

161001-02

冒険家たち ラインホルト・メスナー

イタリアの登山家、ラインホルト・メスナー。
人類史上初、無酸素による
8000メートル峰 全14座完全登頂という偉業を成し遂げた男だ。
彼の冒険は、輝かしい実績にあふれている。
数々の登頂記録だけではなく、
グリーンランド、南極大陸の走破。
ゴビ砂漠、タクラマカン砂漠も横断している。
そんなメスナーの言葉がある。

 死の地帯を経験すると、
 自分が新しく生まれ変わったような、
 精神の高揚を感じる。

登山を修行のひとつと考えるメスナーは、今年で72歳。
修行の旅は、いつまで続くのか。

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佐藤延夫 16年10月1日放送

161001-03
AllSafeAllWell
冒険家たち アーネスト・シャクルトン

ようやく人類が南極点に到達した時代の話だ。
1914年、イギリスの探検家アーネスト・シャクルトンは
南極大陸横断を目指した。
その隊員は一般公募となり、
ロンドンの新聞広告にこんな見出しが並んだという。

 求む男子。至難の旅。わずかな報酬。
 極寒。暗黒の長い日々。絶えざる危険。
 生還の保証なし。
 成功の暁には名誉と賞賛を得る。

残業手当も、社会保険も、福利厚生もない。
それにもかかわらず、5千人以上が参加し、
56人が隊員に選ばれている。
今の時代に足りないものは、
こんな「ロマン」なのかもしれない。

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佐藤延夫 16年10月1日放送

161001-04

冒険家たち メイナード・オーウェン・ウィリアムズ

1931年。ナショナル・ジオグラフィック誌の特派員、
メイナード・オーウェン・ウィリアムズは、
陸路によるアジア横断プロジェクトに参加した。

レバノンから、シリア、アフガニスタンを抜け
北京をゴールとする行程には、常に危険が伴った。
また冬のゴビ砂漠は、あらゆるものを凍らせる。
あるとき、宿には凍死した15人の遺体が置かれていた。
逃げるように外で寝るか、このまま彼らと添い寝するか、
決断が迫られた。
ウィリアムズは、迷わずこう言ったという。

 今晩、15人の死体と一緒に寝たほうが
 明日、16人目になるよりマシだ。

精神もタフでないと生き残れない。

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佐藤延夫 16年10月1日放送

161001-05
Paul-W
冒険家たち ハインツ・シュトゥッケ

ドイツの自転車冒険家、ハインツ・シュトゥッケ。
と言っても、22歳で自転車の旅に出てから、
39年間一度も祖国ドイツには帰らなかったという。
2010年の時点で、
地球上のほぼすべての国と地域を走破し、
走行距離は59万キロ。地球14周を超えている。
ある記者が彼の冒険について質問をすると、
こんな言葉が返ってきたそうだ。

 そう、これこそが私の人生だ。

自転車は、最初に旅立ったときの一台を
何度も修理し、乗り続けている。
冒険は道具ではない。
心ひとつあればいい。

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