‘佐藤延夫’ タグのついている投稿

佐藤延夫 16年7月2日放送

160702-02
RV1864
追悼モハメド・アリ

モハメド・アリは、ボクシングを始めた12歳のときから
美しく闘いたいと思っていた。
相手のパンチを貰わずに勝つ方法を考え、
誰よりも速いフットワークを手に入れた。
醜いガードで顔を覆いたくないから、
両方の腕はダラリと下げたまま。
世界で最も華麗なボクサーは、
こんな言葉を残した。

「チャンピオンは、ジムで作られるものじゃない。
 彼らの奥深くにある〝何か〟で作られるんだ。
 たとえば、願望、夢、ビジョン。」

モハメド・アリをつくったもの。
それは、白人に屈してきた黒人たちの歴史かもしれない。

topへ

佐藤延夫 16年7月2日放送

160702-03
cliff1066™
追悼モハメド・アリ

モハメド・アリが、まだカシアス・クレイと名乗っていたころ。
対戦相手を挑発し、罵り、KOまで予告するので、
ホラ吹きクレイと呼ばれていた。
もちろん、大口を叩くのにも理由があった。
多くの人が注目し、
野次が飛ぶほど人気も上がるからだ。
もちろん、自分の言葉が生んだプレッシャーを力に変える。
それだけの実力は持ち合わせていた。
モハメド・アリは言う。

「リスクを選ぶ勇気がない者は、人生において何も達成することができない」

耳が痛いほど、人生に当てはまる。

topへ

佐藤延夫 16年7月2日放送

160702-04
RV1864
追悼モハメド・アリ

男は、栄光を捨てる。
ローマ・オリンピックで手にいれた金メダルは、
レストランで人種差別を受けたあと、オハイオ川に放り投げた。
そんな逸話が残っている。

ベトナム戦争で徴兵を拒んだときには、
世界ヘビー級のタイトルだけでなく、
ボクサーとしてのライセンスも捨てる羽目になった。
それまで得た信用も、収入源も失った。
しかし、彼には信仰があった。信念があった。

反戦集会でマイクを握り、
戦争の愚かさと人間の平等を学生たちに説いてまわった。
捨てた栄光の代わりに、違うものを見つけた。

「想像力のない奴に、翼は持てない。」

彼の言葉が、心に刺さる。

topへ

佐藤延夫 16年7月2日放送

160702-05
jeso.carneiro
追悼モハメド・アリ

もしもボクサーに1年のブランクがあったら、
7割ほどしか実力が戻らないという。
世界最強の男と言われたモハメド・アリさえも
政治的な理由でタイトルを失ったあと、
永遠にも思える空白期間を送った。

3年7ヶ月ぶりのリング。
カムバック戦の会場は、黒人のファンで埋め尽くされた。
そして、白人の選手を簡単に倒した。

「不可能とは、誰かに決めつけられることではない。
 不可能とは、可能性だ。
 不可能とは、通過点だ。
 不可能なんて、ありえない。」

モハメド・アリは、強い。その言葉も。

topへ

佐藤延夫 16年6月4日放送

160604-01
Confetta
大恋愛の果てに ルー・ザロメ

存在するだけで、男の人生を変えてしまう女がいる。
ロシア生まれの女流作家ルー・ザロメは、そのひとりだろう。
哲学者ニーチェでさえも
彼女にすっかりのぼせあがり、
何度も恋文を送り続けた。
叶わぬ恋に苦しみながらも、
ニーチェは「ツァラトゥストラはかく語りき」を完成させる。
もう一人、ザロメに惚れ込んだニーチェの友人、
パウル・レーは、彼女と別れた4年後に
スイスの山中で謎の死を遂げている。
大恋愛は、名作と悲劇を生んだ。

topへ

佐藤延夫 16年6月4日放送

160604-02

大恋愛の果てに ピエール・キュリー

フランスの物理学者ピエール・キュリーは、
知人のアパートで、魅力的な女性と遭遇する。
彼女の名は、マリー・スクロドフスカといった。
ピエールは何度もモーションをかけるが、
マリーは研究が終わると祖国ポーランドへ帰ってしまう。
そこで考えたのは、ただ口説くのではなく
「研究のパートナーになってほしい」という誘い文句だった。
やがて結婚した二人は、放射線の研究で
ノーベル物理学賞を受賞する。
キュリー夫人。
すっかり妻のほうが有名になってしまったが、
きっとピエールは満足しているだろう。

topへ

佐藤延夫 16年6月4日放送

160604-03

大恋愛の果てに イサベル女王

中世ヨーロッパ、カスティーリアの王室に、
イサベルという娘がいた。
まだ子どもだったイサベルだが、
四十過ぎの貴族と結婚させられそうになったり、
そうかと思えばポルトガル王の後妻に推されたりと、
政略の道具となっていた。
しかしイサベルは、その申し出を断固として拒否した。
それは、隣国アラゴン王国のフェルナンドと恋仲だったからだ。
ふたりはひそかに城を抜け出し、
強引に結婚式を挙げてしまう。
そしてふたつの国も手を組み、
今のスペイン、イスパニア王国を誕生させる。
恋愛が、国家をつくることもある。

topへ

佐藤延夫 16年6月4日放送

160604-04

大恋愛の果てに ポンパドゥール夫人

18世紀のパリ。
ジャンヌ・アントワネット・ポワソンは、
平民の子でありながら、上流階級の教育を受けて育った。
身分の高くない貴族、デティオールと結婚したが、
そのあとにサロンで出会ったのは、ルイ十五世だった。
皇太子に見初められた彼女は、
皇室からの圧力を味方にして夫と別れ、新たな爵位を手にした。
ポンパドゥール公爵夫人と名前を変えると、
持ち前の美貌と聡明さで、政界までも牛耳っていく。
ファッションセンスは抜群、
芸術への造詣も深く、
慧眼の持ち主でもあった彼女だが、
43歳の若さでこの世を去った。
人生の転機は、いつやってくるかわからない。
人生の終わりも、いつやってくるかわからない。
今日を、明日を、大切に。

topへ

佐藤延夫 16年6月4日放送

160604-05

大恋愛の果てに エリザベート

19世紀半ばのこと。
オーストリアの皇帝ヨーゼフ1世が恋したのは
16歳の美少女、エリザベートだった。
結婚式ではすべての国民に祝福されたが、幸せは続かない。
お妃教育が始まり、口やかましい姑の監視の目が光る。
23歳になったエリザベートは、療養の旅に出た。
大西洋のマデイラ諸島、地中海、ギリシャ。
そして大好きなハンガリーへ。
ときどき思い出したようにウィーンに帰る。
こんな暮らしを30年余りも続けたという。
6月の花嫁の皆さん。決して真似してはいけません。

topへ

佐藤延夫 16年5月1日放送


Mariordo
ダンディズムとは アルフレッド・ドルセー伯爵

19世紀の中頃、イギリスとパリの社交界を賑わせたのは、
アルフレッド・ドルセー伯爵だ。
文才があり、絵画も彫刻も得意だが、
なにより彼は、美しく端正な顔立ちだった。
生き様もファッションも、
華やかで甘く優美。ゴージャスでスキャンダラス。
それがドルセー流のダンディズム。
のちに、各界の著名人が集まるサロンを経営するが、
結局は破産してしまう。
いつの世も、ダンディズムの維持費は高い。

topへ


login