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佐藤延夫 16年5月1日放送

160501-02

ダンディズムとは エドワード・ブルワー・リットン

19世紀半ばのイギリス。
エドワード・ブルワー・リットン男爵は、
自分流のダンディズムを小説で表現した。
主人公のペラムは、
フォーマルなイブニングウェアとして、
黒い上着に黒のベスト、全身黒一色のシックな装いで
社交界を渡り歩く。そんな物語だ。
この本が当時、ダンディの教科書ともてはやされた。
現在では常識となった黒の正装だが、
ルーツを遡ると、リットン男爵にたどり着くかもしれない。

ちなみに日本史でおなじみのリットン調査団を率いたリットンは、
彼の孫なのである。

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佐藤延夫 16年5月1日放送

160501-03

ダンディズムとは ジョージ・ブライアン・ブランメル

ダンディズムの定義とは、難しい。
ハードボイルドで寡黙な男なのか。
バーカウンターで葉巻をくゆらす洒落者なのか。

ダンディズムの元祖と言われるのは、
19世紀イギリスにおけるファッションの権威、
ジョージ・ブライアン・ブランメルだ。

これまで主流だった派手な装飾のスーツをやめ、
かわりに最高品質の素材を用いる。
かつ、体のラインにフィットするように仕立てる。
清潔さを徹底させる。ブーツはシャンパーニュで靴底まで磨き上げる。
ネッククロスの結び方は完璧に。
それでいて、さりげなく。もし誰かが振り返るようなら、それは失敗である。

さらに自身のキャラクターも武器にした。
ポーカーフェイスで毒舌、人を見下すような態度を貫き、
それはやがて多くの人に、憧れと畏れの感情を抱かせた。

ナポレオンになるより、ブランメルになりたい。

そう言われるほどのダンディズム。

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佐藤延夫 16年5月1日放送

160501-04

ダンディズムとは ベンジャミン・ディズレイリ

のちにイギリスの首相となるベンジャミン・ディズレイリは、
若かりしころ、自己流のダンディズムで社交界を席巻した。
「ヴィヴィアン・グレイ」という小説で
上流階級のリアルな情景を描き一世を風靡すると、
自分自身もあえて奇抜な服をまとい注目を集めた。
カナリア色のベストを羽織り、
シャツの袖はレースがひらひらと舞う。
ズボンはグリーンのベルベット。
銀のバックルのついた靴を履き、
長い巻き毛を揺らせた。

小説の言葉を借りると、
「友には微笑みを。世間には嘲笑を。」
これが彼自身のダンディズムだ。

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佐藤延夫 16年5月1日放送

160501-05

ダンディズムとは オスカー・ワイルド

有名でなければ、悪名として名をあげたい。
そう考えていたのは、オックスフォードを卒業したばかりの
オスカー・ワイルドだった。
社交界でもその奇抜なファッションで視線を集めた。
ベルベットの上着、膝丈のズボン、サテン地のタイは鮮やかなグリーン。
それは黒に画一化されたフォーマルなファッションへのあてつけであり、
彼らしい反逆のダンディズムと言える。
詩人であり作家でもあったオスカー・ワイルドは、たくさんの言葉を残している。

「自分らしくあれ。他の人の席はすでに埋まっているのだから。」

「流行とは見るに堪えないほど醜いので、半年ごとに変えなければならない。」

19世紀イギリス最後のダンディズムは、
寡黙ではない。雄弁すぎるほど、言葉を刻む。

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佐藤延夫 16年5月1日放送

160501-06

ダンディズムとは エドワード7世

ヴィクトリア女王の息子、エドワード7世は、
60歳まで皇太子だった。
それはつまり、王位継承の準備期間が
永遠のように長かった、ということ。
身分、経済力、時間。そのすべてを持つ男は、
ファッションリーダーとして注目を集め、
エドワーディアンスタイルとまで呼ばれるようになった。
遊び呆ける息子に母は怒り、
公務につくことは一切できなかったが、
大使としての外遊は許された。
パリでひいきにしていたカルティエを
今のように世界的に有名にしたのは、
エドワード7世の功績とも言われている。

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佐藤延夫 16年5月1日放送

160501-07

ダンディズムとは ノエル・カワード

20世紀のイギリスで、
ダンディズムのカリスマとなったのは、ノエル・カワードだ。
自分は世界一セクシーな男。
桁外れな才能に恵まれた男。
そう自負するだけのことはあり、
俳優、作家、作曲家としても成功を収めている。
ファッション界にも大きな影響を与えた。
ドレッシングガウン、タートルネックのセーターは
彼のトレードマークになっている。
驕慢なポーズもセリフも、演技のひとつ。
そのダンディズムには、野心という言葉が似合わない。

「人生はうわべだけのパーティーだ。」

彼の言葉が、すべてを物語る。

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佐藤延夫 16年5月1日放送

160501-08

ダンディズムとは イアン・フレミング

イギリスの作家、イアン・フレミングは
この世で最も有名なダンディズムをつくった。
たまたま見かけた本の表紙から名前を拝借し、
自分の髪型や身長、瞳の色を投影すると、
ジェイムズ・ボンドが生まれた。
紳士的で、破天荒。
美女と戯れ、冷酷に任務を遂行する。
窮地に陥っても、小粋なジョークを忘れない。
007シリーズはブランドになり、
結末がわかっていても、人々は劇場に足を運ぶ。
男はみんな、ダンディズムの世界に浸りたいのだ。

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佐藤延夫 16年4月2日放送

160402-01
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和菓子の源流 大福とお玉

塩大福、豆大福、いちご大福など
さまざまなバリエーションのある大福餅。
そのルーツは江戸時代にさかのぼる。
考案したのは、小石川に住む、お玉という女性と言われている。
それは、ある冬のこと。生活に困っていたお玉さんは、
餅の中に餡を入れて売り出すことを思いつく。
火鉢に焼き鍋を置き、熱々にして売り歩いたお餅は
やがて評判となった。
ちなみに当時の名前は、大きなお腹と書いて大腹餅。
もちろんお腹いっぱいになるからだ。

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佐藤延夫 16年4月2日放送

160402-02
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和菓子の源流 鶯餅と秀吉

春を呼ぶ和菓子、鶯餅。
求肥などで餡をくるみ、青大豆のきな粉をかけたものが一般的だが、
誕生したのは今から400年以上前のことになる。
現在の奈良県、郡山城の城主だった豊臣秀長は、
兄、秀吉を茶会に招く際、珍しい菓子をつくるように命じた。
御用菓子司(ごようかしつかさ)であった菊屋治兵衛(きくやじへい)は、
粒餡を餅で包み、きな粉をまぶした餅菓子を考案する。
その味に感銘を受けた秀吉公は、
鶯餅という名前を与えたそうだ。

秀吉も認めた銘菓は、春の風物詩になっている。

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佐藤延夫 16年4月2日放送

160402-03
HAMACHI!
和菓子の源流/桜餅と新六

関東では長命寺。関西は道明寺。
この季節の和菓子と言えば、桜餅だ。
長命寺の桜餅が生まれたのは江戸時代。
8代将軍 徳川吉宗のころ、隅田川沿いにある長命寺の門番、
山本新六が考案したと言われている。
土手に咲く桜の葉っぱを塩漬けにし
餅を包んだところ、花見客に大いに喜ばれたという。
小麦粉の生地を焼いたのが長明寺、
一方、道明寺はまったく別で
京都の和菓子がルーツとなる。
使われている粉は、道明寺粉といって
水に浸し、蒸したもち米を干したあと荒く挽いたもの。

関東の人か関西の人か、桜餅の姿を聞けばすぐわかる。

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