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佐藤延夫 15年12月5日放送

151205-04

指揮者の哲学 アルトゥーロ・トスカニーニ

イタリアの指揮者、アルトゥーロ・トスカニーニ。
徹底的な楽譜至上主義で、正確なテンポを刻んだ。
だがそれは、ただ忠実に演奏することではない。
オーケストラそのものが生きる楽譜となり、
音と同化することを求めた。
リハーサルでは指揮棒を折り、スコアを破り、
あらゆるものを床に投げつける。
そんな魂のやりとりで生まれた曲が、人を感動させない理由がない。
だが、本人は淡々とこんなことを言っている。

  私は偉大でもなんでもない。
  ただ他人の作品を指揮していただけだ。

トスカニーニは、極度の近眼のため、楽譜を読まずに暗記していた。
合奏曲は250曲、オペラは100曲以上記憶していたという。
だが1954年に行われた演奏会の途中、
記憶障害で指揮を止めてしまう。
彼がタクトを置いたのは、その直後のことだった。

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佐藤延夫 15年12月5日放送

151205-05

指揮者の哲学 ヴィルヘルム・フルトヴェングラー

ドイツの指揮者、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー。
彼の演奏の特徴は、緩急自在なテンポ、そして豊かな表現力。
だが、エモーショナルに過ぎることもあり、
ライバルのトスカニーニから「天才的素人」という微妙な言われ方もしている。
ライヴで本領を発揮し、レコーディングを嫌っていたフルトヴェングラー。
そんな彼らしい言葉が残っている。

  どのような作品であっても、どんな響きが出てくるかは
  その瞬間でなければわからない。

ナルシシズムとも評されるフルトヴェングラーの演奏スタイルだが、
音楽は生き物だ、という視点に立つと、彼のやり方は間違いなく正しい。

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佐藤延夫 15年11月1日放送

151101-01

よくわかっていない 南光坊天海

徳川三代に仕えた僧侶、南光坊天海。
関ヶ原の戦いで参謀役を務め、
家康が江戸に幕府を開いたのは
天海の助言があったから、とも言われている。

しかしその経歴には謎が多い。
陸奥の国に生まれたという説、
足利将軍のご落胤という説、
そして有名な明智光秀説。
さらには光秀の従弟、明智秀満という説もある。

よくわかっていない。
この言葉が似合う男は、ロマンに溢れている。

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佐藤延夫 15年11月1日放送

151101-02

よくわかっていない 平田篤胤

江戸時代後期の国学者、平田篤胤。
すでにこの世にいなかった本居宣長と
夢の中で師弟関係を結んだ、と語っている。
当時は禁書とされていたキリスト教をはじめ、
さまざまな宗教を研究し、独自の神学を打ち立てたが
次第に、死後の世界や魂の救済に興味を持つようになる。

そのひとつが、天狗小僧と呼ばれた少年、寅吉との出会いだった。
異世界へ行ったという話を本にまとめるだけでなく、
寅吉を養子にして足掛け9年も世話をした。
須弥山の場所や、地獄と極楽の存在について。
また、超能力のような呪術も目にしたという。

こればかりは本当なのかどうか、誰も証明することはできない。

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佐藤延夫 15年11月1日放送

151101-03

よくわかっていない 高島嘉右衛門

幕末のころの実業家、高島嘉右衛門。
本業の商売よりも、占い師、つまり易断家としての業績のほうが
有名だったようだ。
若くして父親の材木屋を継いだこの男、
横浜で外国人相手に伊万里焼を売っていたところ、
交換レートが違法だったことから牢に入れられてしまう。
そこで出会ったのが、易経だった。
5年後に出獄すると、嘉右衛門という名前に変え
横浜で本格的に材木商を始める。
外国公使館や外国人を受け入れる旅館の建設、
さらには鉄道事業への参加で巨万の富を得て
政府要人とのコネクションを手に入れる。
嘉右衛門の長女は伊藤博文の長男に嫁いだというから
その蜜月な関係が窺える。
そして彼が手がけたほとんどの事業は、
占いに従いながら成功を収めたと言われている。
当時の政治家たちも、有名な新聞も
彼の占いを頼りにしたという。
的中率が抜群だったという高島嘉右衛門の占い。
どうしてそこまで当たるのか。本当に当たったのか。
それはよくわかっていない。

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佐藤延夫 15年11月1日放送

151101-04

よくわかっていない 河上彦斎

幕末の四大人斬りの一人とされる、河上彦斎。
身長は5尺前後というから150センチほど。
小柄で色白。
一見、女性を思わせる容姿だったという。
ただし殺気が尋常ではない。
あの勝海舟でさえ、彦斎と会ったときの様子を
怯えるような言い方で伝え残している。
佐久間象山を暗殺したこと以外、
彼の犯行はわかっていない。
ただ、語るのも恐ろしくなるほどの逸話の数々が、
彼の存在を、伝説に変えている。

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佐藤延夫 15年11月1日放送

151101-05

よくわかっていない 木村荘平

幕末から明治に活躍した実業家、木村荘平。
牛鍋屋「いろは」で一世を風靡したことから、
またの名を、いろは大王という。
身長170センチ、体重90キロ。
当時としては大王のような巨漢の持ち主でもある。
14歳で家出し、相撲部屋に入門。
その後すぐに連れ戻され、
青物問屋、お茶の貿易商などを始めるも、どれも失敗。
たまたま開いた羊肉屋すらうまくいかなかったが、
羊から牛に変えてみたら、これが大当たりだった。
そして牛鍋屋「いろは」日本初のチェーン展開が始まった。
第一いろは、第二いろは、と店が増えるごとに番号をふっていったが、
店長を任せたのは、自分の愛人だった。
つまり女の数だけ支店が増えていく。
しかも愛人の両親が健在なら、番頭や女中として雇っている。
支店は最大で22店舗にもなったというが、
木村荘平亡きあと、養子が後を継ぐとわずか数年で没落してしまう。
その理由は、よくわかっていない。

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佐藤延夫 15年11月1日放送

151101-06

よくわかっていない/末松謙澄

明治から大正時代のジャーナリスト、末松謙澄。
九州から16歳で上京すると、
高橋是清と知り合い英語を教わり、
大学中退を経て、東京日日新聞の記者となる。
彼の社説が伊藤博文の目に留まり、
官僚として西南戦争に従軍。
その後、外交官になりイギリス留学を果たし、
世界初の英語版「源氏物語」を出版。ついに文学者になる。
以後、衆議院議員、内務大臣なども歴任・・・。
こんな美しすぎる経歴の彼にも、ひとつ謎の業績があった。
源義経とジンギスカンは同一人物だ、という説を
イギリスで広く流布したのは、彼の執筆によるものである。
日本を広くPRすることが目的だったようだが、
なぜこのテーマを選んだのか、それはよくわかっていない。

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佐藤延夫 15年11月1日放送

151101-07

よくわかっていない 岡倉天心

治から大正の美術運動家、岡倉天心。
生糸の貿易商だった父の影響から、
幼いころから英語に親しんでいた。
大学では英語力を買われ、
美術品を収集するときの通訳を務めるが、
卒業論文のテーマは、美術とは全く関係のない「国家論」。
ところが、学生結婚をしていた彼は、
夫婦喧嘩のはずみで、この卒業論文を燃やされてしまう。
困りはてた末に、急遽書き上げたのが「美術論」だった。
やがて彼は27歳の若さで
東京美術学校の校長に就任し、
人生の多くを美術に捧げることになるから不思議なものだ。
しかし、あのときの夫婦喧嘩のきっかけは、
未だによくわかっていない。

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佐藤延夫 15年11月1日放送

151101-08

よくわかっていない 明石元二郎

日露戦争で伝説の諜報員と言われる、明石元二郎。
彼の役割は、こうだ。
今の金額で何十億、何百億円という工作資金で、
反ロシア勢力に武器と資金を供給。
ロシア革命を内部から支援すること。
その結果、
レーニンとの会談。
内務大臣の暗殺。
血の日曜日事件。
戦艦ポチョムキンの反乱など、
彼の功績は陸軍10個師団に相当する、とまで評された。
だが、実際には
レーニンと会った事実はなく、
大半の工作は失敗に終わった、という説もある。
真実なのか、都合よく利用されただけなのか、
本当のことは、よくわかっていない。

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