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佐藤延夫 15年10月03日放送

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Alpsdake
井上井月と伊那谷

時は幕末。
信州の山深い伊那谷にぶらりとやってきた男がいた。
家を持たず、妻も子もない。
知り合った人の家に泊めてもらうか
お寺の境内で夜露をしのぎ、
30年という歳月を過ごした。
漂泊の俳人、井上井月は
行く先々で句を読み、その対価として
食べ物や酒をわけてもらい暮らした。
この地に辿り着くまで、彼が何をしていたのか
はっきりわかっていない。
ただ残されているのは、
あちこちの家の蔵に眠っていた1800以上の俳句だった。

  誰やらが 身を泣きしとや 秋の月

井月の秋は、静かに暮れていく。

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佐藤延夫 15年9月5日放送

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画像提供:東京国立博物館
浮世絵の男たち 鈴木春信

江戸の浮世絵師、鈴木春信は
可憐で華奢な美人画で人気を博した。
柳屋見立三美人という作品では、
当時の「ミス江戸」とおぼしき三人を描いている。
谷中は笠森稲荷の茶屋娘、お仙。
浅草の楊枝屋 本柳屋の看板娘、お藤。
そして中央にたたずむ美人は
歌舞伎役者の、二代目瀬川菊之丞だった。
美人画家になったあと、役者の絵はほとんど描かなかったものの
美貌の女形は別格だったようだ。
また、絵暦と呼ばれる当時のカレンダーにも
数々の美人を登場させた。
江戸のグラビアアイドルに、男性たちはさぞ夢中になっただろう。

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佐藤延夫 15年9月5日放送

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画像提供:東京国立博物館   
浮世絵の男たち 喜多川歌麿

江戸の寛政年間は、
浮世絵の黄金期と言える。
多色摺の新しい技法により斬新な表現が可能になると
あまたの絵師がしのぎを削った。
中でも喜多川歌麿は、
美人画の最高峰として君臨した。
どのような人物なのか不明な点は多いが、
彼はいくつかの作品の中で
自画像を残している。
たとえば、遊女に囲まれて杯を手にする美男子。
羽織には「歌」そして「麿」という字が記されている。
今や世界的にも有名な歌麿だが、
きっと遊び心に溢れた人物だったのだろう。

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佐藤延夫 15年9月5日放送

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浮世絵の男たち 葛飾北斎

生涯で3万を超える作品を世に出したと言われる
江戸の代表的な浮世絵師、葛飾北斎。
「富嶽三十六景」は世界的にも有名だが、
彼の表現力や大胆さは、
当時の絵師の中でも群を抜いていた。
名古屋に滞在したときには、
寺院の庭に百二十畳もの大きさの達磨を
たった半日で、しかも即興で描いたという。
さらに、将軍の前でも動じることはなく、
かかとに朱肉をつけた鶏を紙の上に放ち、
足跡を美しい紅葉に見立てた。
生涯で93回も引越しをしたという北斎。
活動のジャンルにおいても、一ヶ所に安住することはなかった。
たしかにその絵を見比べてみると、
北斎の本当の魅力と凄みが伝わってくる。

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佐藤延夫 15年9月5日放送

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浮世絵の男たち 蔦屋重三郎

江戸は吉原大門の前に書店を開いた、蔦屋重三郎。
最初こそ遊郭の案内書などを販売したが、
浮世絵師との交流が盛んになると
新規事業を展開し始める。
喜多川歌麿と組み美人画で大成功を収め、
東洲斎写楽の作品は全て、独占販売とした。
しかし時代の波には逆らえない。
寛政の改革が始まると
風紀を乱すものとして摘発され、
財産の半分が没収となる。

商売の才能に優れ、面倒見がよかったという蔦屋重三郎。
どんな時代にも名プロデューサーはいるものだ。

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佐藤延夫 15年8月1日放送

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夏の風物詩 鍵屋

その昔、大和の国は篠原村に、弥兵衛という男がいた。
子どものころから火薬についての素養があったそうだ。
志を立て、故郷に別れを告げるときも
携えていたのは花火の筒。
江戸に向かう道すがら、花火を披露しては旅費を稼いでいたという。
やがて日本橋横山町に小さな店を構えると、
弥兵衛の確かな細工の花火は飛ぶように売れた。
弥兵衛の名前は、鍵屋として代々受け継がれていくことになる。

花火は夏の風物詩。
今年も日本中の夜空に、
大輪の花が咲くことでしょう。

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佐藤延夫 15年8月1日放送

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夏の風物詩 玉屋

江戸の花火屋の代表格、鍵屋の七代目には
腕のいい番頭、清吉がいた。
暖簾分けとなり玉屋を名乗ると、
鍵屋をしのぐほど人々の支持を集める。
両国の川開き花火では、鍵屋よりも上流を受け持った。
その技術の高さと人気を表す歌が残っている。

  橋の上 玉や玉やの声ばかり なぜに鍵やといわぬ情けなし

しかし人気絶頂の玉屋は火事が原因で、
一代限りで江戸おかまいとなる。
初代玉屋は、花火のように燃え尽きてしまった。

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佐藤延夫 15年8月1日放送

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夏の風物詩 鍵屋のその後

江戸時代はオレンジ色しか出なかったという花火も、
明治以降になると材料、技術ともに目覚しい進歩を遂げる。
鍵屋の十代目弥兵衛は、
現在のように、まん丸く開く花火を開発した。
十一代目弥兵衛は塩素酸カリウムなどの新しい薬剤を用いて、
赤、青、緑の発色に成功したそうだ。
江戸時代から血縁を連綿と守り続けた鍵屋だが、
昭和40年、同業者に伝統と暖簾を託し
現在は十五代目に引き継がれている。

一瞬で消える花火にも、花火師たちの血の歴史が宿っている。

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佐藤延夫 15年8月1日放送

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Kropsoq
夏の風物詩 嘉瀬誠次

大正11年生まれの嘉瀬誠次さんは、
祖父の代から3代続く、新潟・長岡の花火師だ。
戦後初の三尺玉の打ち上げに成功し、
ナイアガラ、ミラクルスターマインなど
数々の花火を生み出した。
長岡の名物は、正三尺玉。
直径90センチ、重さ300キロの大玉で、
花火の直径は650メートルにもなる。
天才画家、山下清が描いた花火も、
嘉瀬さんの打ち上げたものだという。

今年もたくさんの花火が夜空を彩る、
長岡まつり大花火大会は、明日と明後日の2日間。

嘉瀬さんは、第一線を退いたあとも
花火に、平和な世の中への祈りを捧げている。

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佐藤延夫 15年7月4日放送

150704-01
Ian Norman (Lonely Speck)
わたしの宇宙 ウィレム・ド・ジッター

20世紀初頭、アインシュタインの宇宙方程式は、
世界中の学者に影響を与えた。
そのひとりが、オランダの天文学者、
ウィレム・ド・ジッター。
彼の提唱する「ド・ジッター宇宙」とは、
理論的に言えば、密度と圧力がともにゼロで
宇宙項が正の値をとる宇宙。
常に加速しながら膨張し続け、始まりも終わりもない。
時をさかのぼればどんどん小さくなっていくが、
大きさがゼロになることはないという。

もうすぐ七夕。
あなたの頭上には、どんな宇宙が見えますか。

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