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佐藤延夫 14年11月1日放送

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あの人の妻/コジマ・ワーグナー

ドイツの作曲家ワーグナーの妻コジマは、
幼いころから彼の作品に心酔していた。
そして、夫がいる立場でありながら、
24歳も年上の天才作曲家に惹かれていく。
コジマは三角関係の果てに、ワーグナーと再婚する。

彼女の才能が花開いたのは、
神のように崇めていた夫、ワーグナーが亡くなったあとだった。
音楽や舞台演劇の知識が並外れており、
夫の成功させた音楽祭を
自らの手で見事に引き継いでみせた。
それはコジマの父親が、
ワーグナーと同じ時代の作曲家、フランツ・リストだったことが
影響しているのかもしれない。
才能が、才能を呼ぶ。

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佐藤延夫 14年11月1日放送

141101-03

あの人の妻/ミレヴァ・アインシュタイン

アルバート・アインシュタインの妻は、
スイス工科大学の同級生だった。
名前を、ミレヴァ・マリッチという。
学生時代と同様に、結婚してからも
ミレヴァは献身的に夫を支えた。
しかしアインシュタインは、別の女性に夢中になってしまう。
ふたりは離婚し、ミレヴァは子どもの親権と
毎年決まった額の養育費を得た。
アインシュタインがノーベル賞を受賞すると、
険悪だった関係は少しずつ改善されたという。

彼が晩年に残した言葉。

「結婚は、想像力を欠いたブタによって発明されたものだ」

これはアインシュタインの本音なのか、皮肉なのか、照れ隠しなのか。

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佐藤延夫 14年11月1日放送

141101-04

あの人の妻/コンスタンツェ・モーツァルト

偉大な作曲家モーツァルトの妻、コンスタンツェは
悪妻であったと伝えられる。
その手がかりは、
ふたりがやりとりした手紙から分析された。
コンスタンツェは、
軽率なうえに浮ついており、
放蕩で、遊び癖や浪費癖がある・・・。
そうは言っても、モーツァルト自身も
いつも心ここにあらずで
扱いにくいパートナーであったことは窺い知れる。
悪妻という評判が一人歩きを始めたのは、
モーツァルトの死があまりにも早く、
彼女が長生きをしたせいかもしれない。

コンスタンツェは、夫の借金を遺産と相殺しながら
違う男と再婚して、80歳まで生きた。
たくましいことだけは、間違いない。

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佐藤延夫 14年10月4日放送

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mhaithaca
作家たちの隠れ家/マーク・トウェイン

アメリカ、ニューヨーク州の南部、
エルマイラという小さな街。
その中心部から3キロほど離れた、
丘のてっぺんにたたずむ八角堂が
小説家、マーク・トウェインの書斎だった。
ここで「トム・ソーヤの冒険」をはじめ、数々の名作が生まれた。

石炭のストーブがあり、
大きな窓が6つ、小さい窓がひとつ。
そして幅の広いドア。
朝の10時から、ランチをとらず午後5時まで籠もり、
天気がいいと、丘の頂上に立って夕焼けを眺めたそうだ。

マーク・トウェインは、その光景をこんな言葉で喩えた。
「日没の最後の奇跡」。

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佐藤延夫 14年10月4日放送

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作家たちの隠れ家/チャールズ・ディケンズ

ロンドンから、東におよそ50キロ。
イギリス南東部ケント州ロチェスターという町に、
小説家、チャールズ・ディケンズの屋敷があった。

道路を挟んで反対側の森には、
彼が書斎として使った建物。
スイス風に装飾されたこの山小屋で、黙々と執筆を重ねた。
二階には6つの窓と、
等身大の鏡が据えられている。
窓の外には麦畑が広がり、さらに遠くには、テムズ川。
ディケンズは、机の脇に双眼鏡を置き、
ときどき外を眺めていたそうだ。

隠れ家からの風景は、きっと格別だったに違いない。

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佐藤延夫 14年10月4日放送

141004-03

作家たちの隠れ家/ロバート・ルイス・スティーヴンソン

南太平洋の小さな島、サモア。
イギリスの小説家、ロバート・ルイス・スティーヴンソンは、
この牧歌的な国で生涯を終えた。
代表作「宝島」と同様に、
彼の生き方は、まさに冒険そのものだった。
一目惚れした女性を追いかけ大西洋をめぐり、
そのままアメリカ大陸まで渡ってしまうのだから。

44歳という短い生涯のうち、最後の4年間を過ごしたサモア島。
山の麓に屋敷を構え、しばしば山頂に登っては
あたりを見渡し、いつか葬られる場所を探したそうだ。

彼は地球の中で、最も幸せな隠れ家を見つけていた。

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佐藤延夫 14年10月4日放送

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作家たちの隠れ家/アーネスト・ヘミングウェイ

ノーベル賞作家、アーネスト・ヘミングウェイ。
彼の仕事場は、作品が仕上がるたび、女との関係が終わるたび、変わった。

最初の書斎は、パリのホテルの最上階にある小さな部屋。
つましい生活を支えたのは、年上の妻、ハドリーだった。

二番目の妻、ポーリーンのころの仕事場は、
フロリダ州の最南端、キーウエスト。
「武器よさらば」がここで生まれた。

そしてキューバにわたり、
三番目の妻、マーサと暮らしたのは
ハバナ郊外、フィンカ・ビヒアの大邸宅だった。

しかし彼が最も愛した場所は、海の上。
「ピラー」と名付けられたフィッシングクルーザーが、
本当の隠れ家だったのかもしれない。
そこは仕事からも妻からも逃げられる、たったひとつの聖域。

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佐藤延夫 14年9月6日放送

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Kaiser Acore
ウォーレン・バフェットの教え1

アメリカの投資家、ウォーレン・バフェット。

証券会社を営んでいた父の影響か、
投資への才能は、小さなころから芽生えていた。
6歳のときには、コーラ6本を25セントで仕入れ、
1本5セントで売った。
中学生になると、新聞配達を始める。
といっても、汗水流して走り回るわけではない。
50人の子供を集め、時給50セントで雇い、事業として経営した。
そして高校を卒業するころには、1万ドルの資金ができた。

その少年はやがて、経営する投資会社の株価を
45年で82万%も上昇させ、天才と呼ばれるようになった。
ウォーレン・バフェットは言う。

 ゲームに勝つには、とにかく先手を取ることだ。

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佐藤延夫 14年9月6日放送

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chuckp
ウォーレン・バフェットの教え2

アメリカの投資家、ウォーレン・バフェット。

彼は偉大な投資家だが、倹約家でもある。
それなりの資産を手に入れたのに、
結婚してしばらく暮らしたのは、借家だった。
家族ができると一戸建てを購入したが、価格は3万1500ドル。
決して高い金額ではない。
しかしバフェットは考える。
この金額を複利で運用した場合、
10年後、20年後にはいくらになるか、ということを。
彼の、こんな言葉がある。

  「本当に私はこの散髪に30万ドルを費やしたいだろうか」

せいぜい300ドルの散髪代だって、
運用すればいつか、30万ドルになる可能性だってある。

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佐藤延夫 14年9月6日放送

140906-03
Boa-sorte&Careca
ウォーレン・バフェットの教え3

アメリカの投資家、ウォーレン・バフェット。

彼が投資の世界で成功できたのは、
幅広い業種の中で、
自分が理解できる分野とそうでない分野を
はっきり区別したからだ、と言われる。
たとえ人気のある銘柄でも、
自分の考えが及ばない分野であれば
一切、手を出さなかった。それは、
「よその連中のほうに有利なゲームではプレイしたくない」
という哲学。
彼の、こんな言葉がある。

  「ポーカーをやり始めて20分たっても、
   まだ誰がカモかわからない人は、自分がカモなのだ」

ただ世間を眺めていても、それは1ドルにもならない。

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