‘佐藤延夫’ タグのついている投稿

佐藤延夫 14年9月6日放送

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Collinulness
ウォーレン・バフェットの教え4

アメリカの投資家、ウォーレン・バフェット。

彼が長年暮らすのは、ウォール街ではなく
生まれ故郷の、ネブラスカ州オマハという地方都市だ。
投資を生業にする人間が、ニューヨーク以外に住むのは
本来、あり得ないこと。
しかしバフェットは、変化をリスクと捉えた。
ウォール街は熱狂を生み、
ときにそれは、人から冷静な判断力を奪うと考えた。

情報や人の動きが少ない街で暮らす。
おかげで1日に8時間も10時間も本を読み、
思索にふけることができた。

「投資の世界では、好きな球が来るまでいつまでも待つことができる。
 そして野手が眠ってしまったのを見計らってから球を打つことができる」

これが彼の哲学だ。

Oracle of Omaha〜オマハの賢人と言われる理由が、よくわかる。

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佐藤延夫 14年8月2日放送

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izunavi
勉強入門 ニュートン

夏は受験の天王山、というけれど、
夏休みは、自分なりの勉強法を探す貴重な時間なのかもしれない。

イギリスの科学者、アイザック・ニュートンの三大業績といえば
万有引力、光のスペクトル、微積分。
ニュートンはそのほとんどを、学生時代の長い休暇中に思いついたそうだ。
どうやって大発見を成し遂げたのか。
それは、彼の言葉が教えてくれる。

  「問題をいつも自分の前におき、暁の一筋の光が射し込み
   それから少しずつ明るくなり、本当にはっきりしてくるまで
   じっと待っているのです」

考えて、考えて、考え抜いて、答えを見つける。
ニュートンの勉強法は、頭が疲れそうだ。

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佐藤延夫 14年8月2日放送

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cjohnlang
勉強入門 ダーウィン

幼いころからの趣味嗜好が、
いつしか、将来の仕事になっている。
それはとても幸せなことかもしれない。
イギリスの自然科学者、チャールズ・ダーウィンの場合、
ものを集める収集癖が、その後の人生を決めたと言っていい。

少年時代は、貝殻や封筒のシール、石ころをかき集め、
ケンブリッジ大学に入ると、カブトムシに異常な愛情を示した。
そして、観察する力が鍛えられた。

  「容易に見逃されてしまう物事に気付き、
   それらを注意深く観察することにかけては、
   世間並みの人たちより優れていると思う」

ダーウィンは、自分でも認めているように、
「大きくなりすぎた子ども」なのである。

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佐藤延夫 14年8月2日放送

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勉強入門 チャーチル

たとえ成績が悪くても、
ひとつでも大好きな科目があれば、救いになる。
イギリスの政治家、ウィンストン・チャーチルは、
自分の得意な分野で能力を開花させた。

少年時代のチャーチルは、
6歳離れた弟と、いつも、おもちゃの兵隊で遊んでいたという。
その影響か、元々できの悪い生徒だったが
陸軍士官学校に入ると、戦術などの分野で輝かしい成績を収めた。

卒業すると、砲弾の飛び交うキューバに赴き、
また、従軍記者という肩書きながら、
インドの奥地で白兵戦を体験する。
南アフリカのボーア戦争では、捕虜となってしまうが
収容所から脱出し生還した。

そして落第生は、イギリスの首相になった。

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佐藤延夫 14年8月2日放送

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勉強入門 ナポレオン

夏休み、1日10時間の勉強を目標にする受験生も多い。
そのために睡眠時間を削ることもあるだろう。
かのナポレオンは、1日3時間しか寝なかったと言われているが、
実際のところは、7時間の睡眠に昼寝付きだったようだ。

そうは言っても、決してナポレオンが不真面目なわけではなく、
本屋の本を食いつぶすほどの読書家だったのは本当の話。
専門の戦術書、歴史、地理、文学・・・。
セント・ヘレナ島に向かう船では数学の問題を解き、
さらに、ゲーテに会ったときには「若きウェルテルの悩みを7回読んだ」と自慢した。

驚くべきことに、彼は読書ノートを付けていたそうだ。
本を読み、要点を書き記す。
これぞ、ナポレオンの勉強法。

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佐藤延夫 14年7月5日放送

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ふたつめの人生 新村出(しんむらいずる)

明治生まれの言語学者、新村出は
広辞苑を編纂した人物として知られている。

東京帝国大学助教授を経て
そののち、京都帝国大学の教授となる。
言語学講座を28年にわたり担当した。

そして第二の人生では、さまざまな肩書きを並べる。
日本言語学会会長、
大東亜学術協会会長、
全国図書館大会名誉会長、などなど。

しかし当の本人は、平凡な人生を強く望んでいた。
こんな一句が残っている。

  小器われ 晩成もせず 永らえて 凡器を抱き 安らかに生く

自分が思うよりも、偉くなりすぎてしまった人。

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佐藤延夫 14年7月5日放送

140705-02

ふたつめの人生 間宮林蔵

むかし、社会の授業で習った。
サハリンとユーラシア大陸の間にあるのは、
間宮海峡だ。

1808年、幕府の命令で樺太に渡った間宮林蔵らは、
この土地が半島ではなく、島であることを確認。
のちにシーボルトが、間宮海峡と名付けた。
思いもよらず、世界地図に自分の名を残したのが最初の人生。

その後は幕府の隠密となり、
各地で行われていた密貿易を摘発している。

ちなみに間宮林蔵は変装の名人で、
粗末な格好をさせたら誰も本人だとわからなかったそうだ。

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佐藤延夫 14年7月5日放送

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ふたつめの人生 佐藤義清(のりきよ)

平安時代の武士、佐藤義清は
鳥羽上皇のとき「北面の武士」に任命された。

北面の武士とは、御所の警護役ではあるが
容姿端麗、武術にすぐれ、詩文や和歌の心得も必要という、
いわゆるエリート集団だった。

そんな佐藤義清だが、わずか3年後、
23歳の若さで出家してしまう。
第二の人生での名前は、西行。
新古今和歌集で94首が選ばれるほどの歌人になった。

佐藤義清が出家した理由。
それは、恐れ多いほどの人と
不倫関係にあった、という説もある。

不意に人生を変えるのは、いつの時代も、恋なのか。

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佐藤延夫 14年7月5日放送

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ふたつめの人生  平賀源内

江戸時代の発明家、といえば
まず思い浮かぶのは、平賀源内だ。

13歳のころから本草学や儒教を学び、
25歳で長崎に遊学し、珍しい舶来品を目の当たりにした。
そして有名なエレキテルの発明、
土用の丑の日に鰻を食べる、という
広告プランナーのようなことまでやってのけた。

ここまでが、華やかな最初の人生だとすると、
第二の人生は、決して幸せではなかったようだ。

秩父で金山を採掘するも失敗。
炭焼き事業、焼き物、毛織物事業なども、ことごとく外れ、
晩年は殺人容疑で投獄されたうえ、一年後に病死してしまう。
亡くなる数年前に、こんな句を残した。

  功ならず 名ばかり逐いて 年暮れぬ

器用な人ほど、人生は難しそうだ。

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佐藤延夫 14年6月1日放送

140601-01
dave~
ある偉大な発見 ガラス

専門家に言わせると、ガラスとは
「液体のような性質を持った固体のようなもの」だそうだ。
その材料は、砂の中に存在する二酸化ケイ素。

およそ1700℃にならないと溶けない二酸化ケイ素が
どのようにして、紀元前3000年のヨーロッパで生まれたか。
それは、ある偉大なフェニキア人に聞いてみないとわからないが、
おそらく偶然と、幸運と、探究心が見守ってくれたのだろう。

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