俵万智さんの記念日6
歌人、俵万智さんの「サラダ記念日」が
出版されたのは、1987年のこと。
五・七・五・七・七
学生時代から書き溜めてきたという
愛のかたちや心の模様が、31文字の中で踊った。
あれから26年。
俵万智さんは、140文字のつぶやきも
毎日のように更新している。
俵万智さんの記念日6
歌人、俵万智さんの「サラダ記念日」が
出版されたのは、1987年のこと。
五・七・五・七・七
学生時代から書き溜めてきたという
愛のかたちや心の模様が、31文字の中で踊った。
あれから26年。
俵万智さんは、140文字のつぶやきも
毎日のように更新している。
shok
俵万智さんの記念日7
歌人、俵万智さんが、お母さんから教わったこと。
たとえば、料理。
もやしのひげ根は必ずとる。
カレーライスのタマネギは、甘みが出るまでゆっくり炒める。
お茶は最後のしずくがエッセンス。
見えないところの手間が大切。
台所に立つ母と娘は、いろんな話をした。
他愛のないうわさ、お父さんの愚痴、ちょっとした相談事。
湯気の立つお鍋の前だと、不思議に会話が弾んだそうだ。
みんなが忙しい毎日を送り、
コミュニケーションが不発に終わりがち。
そんな状況に手を差し伸べてくれるのが手料理であり、
家族みんなで囲む食卓なのかもしれない。
それもお母さんから教わったこと。
肉じゃがの匂い満ちればこの部屋に誰かの帰りを待ちいるごとし
写真の日/福沢諭吉
一万円札を見ると必ずそこにいるのは、福沢諭吉。
この肖像画は、56歳のときの写真を元に描かれた。
和服姿で一点を見つめる諭吉さんは、
真面目で、煩悩の欠片もなさそうに見える。
しかし、彼の若かりしころの写真が、
福沢諭吉という人物の真実を教えてくれる。
西洋風の机に頬杖をつき、けだるい顔でうつっているのは
オランダへ留学したときの写真。
アメリカ留学中には、
美しい少女とツーショット写真を撮っていた。
今日は、写真の日。
あなたらしい一枚を、残してください。
写真の日/プルースト
フランスの作家、マルセル・プルースト。
裕福な家庭に生まれた彼は、
華やかな社交界に出入りしながら
作家活動を続けていた。
美食家で、浪費家で、繊細な心の持ち主。
そんなプルーストが夢中になったのは、
当時、世の中に普及しはじめた写真だった。
いつしか熱狂的なコレクターになり、
自分の軍服姿の写真が欲しくて、志願兵として1年だけ軍隊に入ったという。
今日は、写真の日。
たまにはカメラをぶらさげて、出かけてみませんか。
写真の日/ニコライ二世
帝政ロシア最後の皇帝、ニコライ二世。
彼がまだ皇太子だった1891年、
日本に訪れた際、巡査に斬りつけられている。
大津事件の被害者として、
歴史の教科書でもおなじみの人物だ。
髭をたくわえ、冗談の通じなそうなニコライ二世だが、
こんなチャーミングな写真が残っていた。
パイプをくわえ、友人の背中に乗り
まるで飛行機のように両手を広げている。
今日は、写真の日。
カメラの前では、少々おどけたほうがいい。
写真の日/南方熊楠
博物学者、生物学者、民俗学者。
南方熊楠には、肩書きが多い。
それもそのはず、彼は、いわゆる天才で
本を読むだけで中身がすべて覚えられた。
この特殊な能力を、写真記憶というそうだ。
熊楠さん、実際の写真のほうもお好きだったようで、
たくさんの紙焼きを残していた。
アメリカ留学の前に撮影した一枚は、
ちょっと気取ってコートを羽織り、
フロリダの写真館では、紋付袴でカメラの前に立った。
日本に帰国してからも、故郷で、旅先で、
家族や仲間と、たくさんの写真を撮っていた。
写真記憶という頭の中の画像とは違い、
思い出の写真なら、いつまでもみんなの心に残り続ける。
今日は写真の日。
たまには昔のアルバムでも、めくってみませんか。
写真の日/田中光儀
日本人を撮影した最も古い写真は、
ペリーによって、もたらされた。
黒船に乗っていた写真家、
エレファレット・ブラウン・ジュニアがうつしたのは、
田中光儀(たなかみつよし)という男。
浦賀奉行所の与力で、ペリーとの交渉にあたっていた人物だ。
被写体となった田中さんは、緊張した様子で
浮かない顔をしているように見える。
もしかしたら、魂を抜かれるのでは、
と心配していたのかもしれない。
今日は、写真の日。
カメラの前では、なるべく、笑ってください。
写真の日/上野俊之丞
長崎の御用商人、上野俊之丞(うえのしゅんのじょう)は、
オランダから献上されたカメラで、一枚の写真を撮った。
モデルは、薩摩藩の第11代藩主、島津斉彬。
1841年の6月1日。この日が、
初めて日本人が銀板写真の撮影に成功した日として、
写真の日に制定された。
残念ながらその後、
日付が間違いであったことが判明した。
それでも写真の日は、6月1日のまま続いている。
野心家なのか。
臆病者か。
策略家なのか。
それともただの優柔不断か。
江戸幕府、最後の将軍、徳川慶喜。
彼ほど評価の分かれる人物もなかなかお目にかかれない。
戊辰戦争で敗れ、新政府軍が実権を握ると、
慶喜公は、今の静岡県、駿府に移った。
そして彼は、趣味に生きた。
そのひとつが、写真だった。
清水の波止場、農民の姿、のんびり座る猫、鉄橋を走る列車。
舶来物の写真機を手に入れ、
自由気ままに被写体を探したという。
ただ時代が許してくれなかっただけで、
もしかしたらこれが、彼の望んでいた生き方だったのかもしれない。
今日は写真の日。
ファインダーの向こうに、何が見えますか?
みどりの日/レイチェル・カーソン
アメリカの生物学者、レイチェル・カーソンは言った。
自然界の保全について、我々が慎重を欠いていたことを
未来の世代は、決して許さぬだろう。
1962年に出版された「沈黙の春」。
この中で彼女は、世界中の人々に環境問題が存在することを訴え、
「環境保護の女神」と呼ばれるようになった。
そして、こんな言葉を残した。
「知ること」は、「感じること」の半分も重要ではない。
今日は、みどりの日。
あなたの周りにある自然を、感じてください。
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