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佐藤延夫 13年5月4日放送



みどりの日/カール・フォン・リンネ

18世紀に生まれたスウェーデンの生物学者、
カール・フォン・リンネ。

動物、植物、鉱物を分類し、
二名法(にめいほう)と呼ばれる独自の手法で、
生き物たちの戸籍をつくった。
そして、およそ7700種類の植物と、
4400種類の動物の名付け親になった。

 自然は跳躍せず。

これは、彼が残した短い言葉。
自然も人間も、ある日突然、進化することはない。

今日は、みどりの日。
それはのんびり生きることを、思い出す日。

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佐藤延夫 13年5月4日放送



みどりの日/ビアトリクス・ポター

ピーターラビットを生んだ絵本作家、ビアトリクス・ポター。

同じ年齢の子どもたちとは距離を置き、
小動物の観察やスケッチに没頭するような少女だった、と回想している。

 私は子どものころ、半信半疑ながらも、もっぱら妖精と遊んでいたのを覚えている。
 幼少期の精神世界を持ち続け、知識と常識を加えてバランスをとり、
 夜の恐怖をもはや恐れず、それでも命の物語を少し、
 ほんの少し理解することができたら、そんな天国はほかにないでしょう。

晩年には、イギリスの湖水地方の緑豊かな土地を買い、
自然保護活動に力を注いだ。
ピーターラビットの森を、彼女は守り続けた。

今日は、みどりの日。
あなたの愛する自然は、どこにありますか?

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佐藤延夫 13年5月4日放送



みどりの日/ワーズワース

イギリスの詩人、ウィリアム・ワーズワース。
彼は、湖水地方の自然を愛し、そこで数多くの作品をつくった。
まるで、運命で決められていたかのように。

 かつて牧場と 森と 小川と 大地と
 あらゆる周囲の風景が
 わたしにとって天上の光に包まれて見えたときがあった

これは、ワーズワースが、自らの幼少期を回想した詩の一節。
自然への深い敬意は、最愛の妹への手紙にも残されていた。

 緑の森の中での感動は
 人間や道徳的な善悪について
 どんな賢者からよりも
 多くのことを教えられる

ワーズワースが眠る、湖水地方のグラスミア湖畔。
緑まばゆい丘からは、きらきら輝く水面と、美しい山々を臨むことができる。

今日はみどりの日。
それは、美しい自然をゆっくりと見つめなおす日。

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佐藤延夫 13年5月4日放送



みどりの日/ベートーヴェン

ドイツの作曲家、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン。

20代後半から聴覚障害に悩まされ、
保養地での療養生活を定期的に行っていたという。
ウィーン郊外の温泉保養地バーデンには、
彼の愛した自然が残されている。
人間関係の煩わしさから逃れ、ゆるやかな時を過ごしたそうだ。

 田園にいれば私の不幸な聴覚も私をいじめない。
 そこではひとつひとつの樹々が私に向かって、
 ハインリッヒ、ハインリッヒと語りかけるようではないか。
 森の中の恍惚!誰がこれら全てのことを表現しようか。

今日は、みどりの日。
音楽と自然に、身を委ねる日。

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佐藤延夫 13年5月4日放送



みどりの日/南方熊楠

日本の博物学者、南方熊楠。
十数カ国語を操り、数多くの研究論文を残した。

類い希な記憶力、破天荒なエピソードばかり注目されがちだが、
地元、和歌山の自然を愛し、山林の保護を訴え続けた。
熊楠は、エコロジーという言葉を
日本で初めて使った人物とされている。

今日は、みどりの日。
それは故郷の自然を、もう一度愛する日。

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佐藤延夫 13年5月4日放送



みどりの日/アラン・アレクサンダー・ミルン

イギリスの児童文学作家、
アラン・アレクサンダー・ミルン。
「クマのプーさん」の作者として広く知られている。

もともと彼の一人息子のために書かれた物語であり、
その舞台は、イースト・グリーンステッドという街の郊外にある森、
アッシュダウン・フォレストだ。
そこは、作者のミルンが幼いときに訪れた場所だった。

彼は、3日間にわたるハイキングで70キロ以上歩き、
森の中で木の実を食べて過ごしたそうだ。
そのときの体験と記憶が、
のちに、世界中で親しまれる物語をつくった。
そして彼は、こんな言葉を残している。

 一人になったときに、
 ふと考えることがある。
 それは、これまでどれほど稼いだかでなければ、
 どれほど有名になれたかでもない。
 何か社会に役立つことをしているか、ということである。

今日はみどりの日。
自然の中で、物思いに耽ってみるのも、悪くない。

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佐藤延夫 13年4月6日放送


カノープス
前衛芸術家、草間彌生1

スミレの花が、人間の顔になり話しかける。
犬が人の言葉で吠えてくる。
そうかと思えば、自分の声が犬の声になっている。
目に見えるもの全てが水玉になり、
あらゆる場所を覆い尽くす。

前衛芸術家、草間彌生は、幼いときから幻覚をみていた。

10歳で描いた母の肖像画は、
水玉で埋め尽くされていたそうだ。

「芸術を作りつづけることだけが、
 私をその病から回復させる手段だった」

そう語る彼女の芸術は、
頭に巡る幻覚をキャンバスにうつすことから始まった。

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佐藤延夫 13年4月6日放送


HerrWick
前衛芸術家、草間彌生2

解体と集積。
増殖と分離。
粒子的消滅感と見えざる宇宙からの音響。

この難しい言葉は、草間彌生が考える芸術の基本的な概念だ。
水玉模様に、無数の網目。
それはやがて、彼女を象徴するモチーフになっていく。

「永遠の時の無限と、空間の絶対の中に自分も、
 あらゆる物質も回帰し、還元されてしまう」

水玉のひとつが、網目のひとつが、
草間彌生の命そのもの。

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佐藤延夫 13年4月6日放送


荷大包
前衛芸術家、草間彌生3

水玉模様に、無数の網目。
前衛芸術家、草間彌生がその次に選んだのは、鏡だった。

「反復と増殖」という彼女が一貫して表現してきたスタイルで、
鏡は格好の素材になった。
さらに電球の光を組み合わせ、立体的な無限をつくりあげた。

「かつて私が具体的に実感した、
 魂のひきこまれていく生と死の境めを彷徨う恍惚の境地を実現したのだ」

鏡を覗くと、奥へ奥へ、無限に世界が広がっていく。
魂の在処が、そのどこかにあるのだろうか。

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佐藤延夫 13年4月6日放送



前衛芸術家、草間彌生4

1929年。
前衛芸術家、草間彌生は、長野県松本市で生まれた。
生家は事業を営み、裕福ではあったが
両親は不仲で諍いが絶えなかったという。
放蕩を重ねる父。
絵描きという職業を見下す母。
そんな環境で、娘は、ひたすらに絵を描き続けた。
憎むべき現実を消滅させる手段として。
彼女はそのときの思いを、こう表現する。

「思春期における救いようのない暗黒との心の傷痕よりおびきよせられた、
 精神と神経の病巣からくるもの。
 それこそが私が芸術を作りつづける根本的な原因なのである」

一見、恵まれた環境に見えても
そこには自分を拒絶する人間がいて、
閉鎖された環境があった。
目に映るのは、しがらみと古びた因習、そして偏見という悪魔。

その全てを拭い去るために、草間彌生は、アメリカに向かった。

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