4月1日の言葉/マーク・トウェイン
音の速さは、およそ秒速340m。
でも、私たちの発する言葉は、
ときにそのスピードを追い抜くようだ。
それがたとえば、興味深いうわさ話だった場合。
アメリカの作家、マーク・トウェインは、
こんな言葉を残している。
真実が靴を履こうとしているとき、
嘘は既に世界の半分に広まっている。
今日はエイプリルフール。
どうか平和な嘘をついてください。
4月1日の言葉/フリードリヒ・ニーチェ
もしも人間を、
正直者と嘘つきの2種類に分けるとするならば、
どちらのほうが、心豊かに楽しい人生を送れるだろうか。
ドイツの哲学者ニーチェは、
こんな言葉を残している。
日常生活で、人々がおおむね正直なことを言うのはなぜか。
それは第一に、嘘をつかないほうが気楽だからである。
今日はエイプリルフール。
どうか優しい嘘をついてください。
4月1日の言葉/オスカー・ワイルド
たとえば、
朝から曇り空で、
雨が降るわけでもなく
昼にはいつものランチを普通に食べ、
仕事でトラブルも起きず、
いつも通りに家路に就く。
そんな平凡な一日を過ごしたとして、
あなたは愛する人に、
今日という日をどのように報告するだろう。
何もなかったよ、と正直に言うか。
架空の出来事を語り始めるか。
詩人、オスカー・ワイルドは
こんな言葉を残している。
嘘つきの目標は、単に喜ばすことであり、
悦びを与えることである。
今日はエイプリルフール。
どうか幸せな嘘をついてください。
4月1日の言葉/ジャン=ジャック・ルソー
一度、嘘で痛い目に遭った人なら、
すぐにわかるだろう。
何気ない気持ちで発した小さな一言が、
知らない場所で一人歩きし、
ごてごてした尾ひれまで付けて、
その結果、どうなることか。
哲学者ルソーは、
こんな言葉を残している。
嘘は雪玉のようなもので、
長い間転がせば転がすほど大きくなる。
今日はエイプリルフール。
どうか幸せな嘘をついてください。
4月1日の言葉/ドストエフスキー
人は何かを守ろうと思う。
自分の立場や
思い描いた将来のために、
平気な顔で嘘をつき
あらぬ噂を流したりする。
その結果、誰かを傷つけたとしても、
気づかないふりをしてやり過ごし、
大切な何かを守り続ける。
自分の心を偽ってまで。
でもそれが、人間なのかもしれない。
ロシアの作家、ドストエフスキーは、
こんな言葉を残している。
人生において何よりも難しいことは、嘘をつかずに生きることだ。
そして、自分自身の嘘を信じないことである。
今日はエイプリルフール。
どうか幸せな嘘をついてください。
4月1日の言葉/ジョージ・ゴードン・バイロン
ある噂話を目の前にすると、
人はまず、真実なのか、嘘なのかを確かめようとする。
シロか、クロか。
どちらかに振り分けないと気が済まなくなる。
でも、案外、その差は小さなものなのかもしれない。
イギリスの詩人バイロンは、
こんな言葉を残している。
嘘とは何か。それは変装した真実にすぎない。
今日はエイプリルフール。
どうか優しい嘘をついてください。
4月1日の言葉/バーナード・ショー
この社会の多くは、信頼関係で成り立っている。
ところが、その頑丈に築かれた城壁は
あるきっかけで、見るも無惨に崩れ去ってしまう。
そして救いようのない後遺症を残す。
アイルランドの作家、バーナード・ショーは、
こう語る。
嘘つきの受ける罰は、
人が信じてくれないというだけのことではなく、
ほかの誰も信じられなくなる、ということである。
今日はエイプリルフール。
どうか罪のない嘘をついてください。
4月1日の言葉/芥川龍之介
真実は、正直だが、重たい。
そしてときに残酷だ。
だから人は、過酷な真実に遭遇すると、
オブラートに包むことを考える。
小説家、芥川龍之介は、
こんな言葉を残した。
わたしは不幸にも知っている。
ときには、嘘によるほかは語られぬ真実もあることを。
今日はエイプリルフール。
どうか幸せな嘘をついてください。