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佐藤延夫 19年12月1日放送


Dick Thomas Johnson
映画の日 シネマスクエアとうきゅう

新宿、歌舞伎町。
その赤茶色のビルは、
歌舞伎町のシンボルのようだった。
ビルの壁面には、
居酒屋の看板。
ボウリングのピン。
そして上映中の映画のポスターが並ぶ。
そのシアターは、シネマスクエアとうきゅう。
場所は雑然としているが、映画の質はすこぶる良い。
ボウリングにするか映画にするか迷ったら
映画にするのが正解だった。
3階に上がると、昭和っぽいロビーが待ち受ける。
縦長の劇場で、シートは座りやすい。
「仕立て屋の恋」。
「青いパパイヤの香り」。
数々の名作を送り出し、
新宿ミラノ座などとともに、
2014年に閉館した。

今日12月1日は、映画の日。
あの日。
あの人と。
あのシアターで見た映画は、
思い出の中から消えることはない。永遠に。

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佐藤延夫 19年12月1日放送



映画の日 銀座テアトルシネマ

銀座の華やかなビルを背に、
京橋本面へ歩く。
すると重厚なコンクリートに囲まれた映画館が見えてくる。
銀座テアトルシネマ。
渋谷や新宿のような、
熱量のある若者向けではなく、
おしゃれな大人が
洗練された2時間のために集まるような
特別な空間だった。
上映される映画も、観客のマナーも、どことなく品がある。
そんな映画ファンの秘密の場所は、
2013年に閉館した。

今日12月1日は、映画の日。
あの日。
あの人と。
あのシアターで見た映画は、
思い出の中から消えることはない。永遠に。

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佐藤延夫 19年12月1日放送


Dick Thomas Johnson
映画の日 シネセゾン渋谷

渋谷ハチ公口から徒歩5分ほど。
速く歩けば3分で着く。
109の隣にあるビルの6階に、
その映画館はあった。
シネセゾン渋谷。
開演時間ぎりぎりに到着すると、
エレベーターが来なくてやきもきする。
客席は多めで、スクリーンも見やすい。
そう言えばレイトショーも多かった。
同じフロアにあった渋谷ピカデリーは、2009年に。
そしてシネセゾン渋谷も、2011年に閉館した。

今日12月1日は、映画の日。
あの日。
あの人と。
あのシアターで見た映画は、
思い出の中から消えることはない。永遠に。

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佐藤延夫 19年12月1日放送


とみたや
映画の日 銀座シネパトス

その映画館は銀座にあるのに、
なぜか地方都市に来ているような錯覚に陥った。
銀座シネパトス。
昭和の香りを残すシアターは、
上映中に電車の音が響いてくる。
日比谷線の東銀座駅がすぐそばにあるからだ。
ロビーは狭く、椅子の座り心地もイマイチ。
スクリーンも見やすいとは言えない。
席は空席が目立ち、
仕事をサボっているサラリーマンが
2席分を占拠して昼寝をしていたりする。
そのゆるいスタイルが好きだった人も
少なくなかっただろう。
大味だけど愛おしいシアターは、
2013年に閉館した。

今日12月1日は、映画の日。
あの日。
あの人と。
あのシアターで見た映画は、
思い出の中から消えることはない。永遠に。

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佐藤延夫 19年12月1日放送


Tyoron2
映画の日 上野セントラル

上野駅前に、賑やかなデパートがあった。
大衆レストランがあり、
囲碁センターがあり、
少し怪しい店があり。
その外観は、昭和そのもの。
東北から出稼ぎでやってきた人たちが、
そこかしこで酒をあおっているような。
戦後の東京という空気をまとった上野松竹デパートの中に、
下町の映画館、上野セントラルがあった。
洋画よりも邦画が似合う。
お正月は寅さんで決まり。
いつでも昭和にタイムスリップできるシアターは、
2006年に閉館した。

今日12月1日は、映画の日。
あの日。
あの人と。
あのシアターで見た映画は、
思い出の中から消えることはない。永遠に。

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佐藤延夫 19年12月1日放送



映画の日 シネ・ヴィヴァン・六本木

六本木ヒルズが建つよりも前、
その場所には、前衛的な映画館があった。
シネ・ヴィヴァン・六本木。
六本木交差点から麻布警察を過ぎ、
WAVEの個性的なビルにある
地下に向かう階段へ。
薄暗いステップを降りていくと、
そこには、ゴダールやタルコフスキーが待っていた。
青春の象徴みたいな映画館は、
惜しまれながら1999年に閉館した。

今日12月1日は、映画の日。
あの日。
あの人と。
あのシアターで見た映画は、
思い出の中から消えることはない。永遠に。

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佐藤延夫 19年11月2日放送



書道の日  空海の書

平安時代の三筆のひとり、
空海の書いた文字は、
神経質なほどに精密、技巧的だと評される。

彼の傑作とされる書状、「風信帖」では、
中国の書体とは違う、奇怪な書きぶりを確認できる。
手紙ではまだ漢文が用いられていた時代。
擬似中国という立ち位置から、
日本という自我が目覚め始める。
うねりをまとった空海の文字は、
やがて平仮名のスタイルにつながったという説もある。

今日11月2日は、書道の日。
書は、生きている。

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佐藤延夫 19年11月2日放送



書道の日  小野道風の書

平安時代後期。
三蹟のひとり、小野道風は
30歳を過ぎたころから能書家になった。
醍醐天皇に命じられ、
唐に渡すための行書などをいくつも担当している。
こんな逸話がある。
小野道風は、空海の文字を見て、
「福」という字の「田」が大きすぎる。
「朱」は、まるで「米」のように見える。
そう批判したため、
罰があたって手が震えるようになったという。

今日11月2日は、書道の日。
書は、真実を語る。

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佐藤延夫 19年11月2日放送



書道の日  最澄の書

平安時代の僧侶、最澄。
空海に宛てた書状「久隔帖」が、
彼の代表作と言われている。
実に淡々とした書きぶりで、
さっぱりしている。
だが、空海と比較すると、
書に対するテクニックや
演出的な要素が薄いとも言える。
最澄は、書に対して
自分なりの理想を描いてはいなかったそうだ。
表現よりも、伝えること。
そこに重きを置いた最澄は、
スケールの大きい書家なのかもしれない。

今日11月2日は、書道の日。
書が、教えてくれること。

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佐藤延夫 19年11月2日放送



書道の日  円珍の書

平安時代の僧侶、円珍。
彼の書状を眺めると、
一瞬、パニックに陥る。
それほどダイレクトに、壮絶に、
文字が脳に飛び込んでくる。
「枯れ枝のよう」と評されるほど文字は細い。
そして単調に書き散らされている。
しかし仔細に眺めると、
基本を崩したものだとわかる。秩序を感じる。
一点一画の書きぶりに味わいがあり、
だんだん魅力的に見えてくるから不思議だ。

万葉仮名から女手へ。
つまり平仮名に近づきつつあるのが
円珍の書。

今日11月2日は、書道の日。
少しだけ、筆をとってみませんか。

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