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佐藤理人 18年9月22日放送

180922-01

フロンティアーズ 「フランクリンと瓶」

瓶は世界で最も航海上手な物体だ。

1775 年、郵政長官だったベンジャミン・フランクリンは、
アメリカの郵便船がイギリスの船より
遥かに速く大西洋を横断することを不思議に思った。

船員たちの噂ではアメリカの船長の方が
潮の流れを熟知しているとのことだった。

果たして大西洋の潮の流れはどうなっているのか。
見つけた人は知らせて欲しいという手紙を入れ、
彼はたくさんの瓶をメキシコ湾に投げ込んだ。

拾った人の報告を元に彼が作った潮流図は、
今日でも使用されている。

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佐藤理人 18年9月22日放送

180922-02

フロンティアーズ 「マッケンジーとネイティブアメリカン」

1793年、白人として初めて北米大陸横断に成功した
スコットランドの冒険家アレックス・マッケンジー。

その行程には常に2つの危険がつきまとった。
道のりの険しさと原住民の襲撃である。

しかし彼は矢の雨を浴びせかけられようと決して反撃しなかった。
ビーズなどの贈り物を持って丁寧に接する彼に、
ネイティブアメリカンたちも詳細な道案内で応えた。

1人の死者も出すことなくマッケンジーは横断に成功。
到着の記念に彼が岩棚に書いたサインは今もその偉業を伝えている。

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佐藤理人 18年9月22日放送

180922-03

フロンティアーズ 「リビングストンと暗黒大陸」

1840年、デヴィッド・リビングストンは
27歳でアフリカにやってきた。

当時、アフリカは欧米人にとって未開の地。
疫病と猛獣がはびこる暗黒大陸だった。

彼はカヌーや牛の背中に乗り、
キリスト教の伝導と医療活動に精を出した。

行く先々で目にしたもの。
それはアラブやポルトガルの商人たちの奴隷売買だった。

奴隷たちの悲惨な実情にショックを受けた彼は、
生々しい報告でヨーロッパの世論を沸き立たせ、
奴隷廃止運動に火をつけた。

彼の武器は強い信仰心と薬箱、そして偏見のない態度だった。

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佐藤理人 18年9月22日放送

180922-04

フロンティアーズ 「モンタギューと自動車」

1908年2月12日、6台の車がニューヨークを出発した。

自動車の誕生から18年。
欧米のメーカーが合同で企画した世界一周レースだった。

アメリカを横断し、船でアラスカへ。ベーリング海の氷上を走り、
シベリアから東欧を超え、パリでゴール。

悪路だらけのコースの中でも、最大の難所は五大湖の豪雪だった。
アメリカのトーマスフライアー号のレーサー、
モンタギュー・ロバーツは大金を払って除雪作業を依頼。
最大のライバル、ドイツのプロトス号に大差をつけた。

7月30日、彼はトップでパリへ到着。
169日で2万1468km を走りきった。

そのゴールは自動車時代の高らかなスタートを告げた。

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佐藤理人 18年9月22日放送

180922-05

フロンティアーズ 「シャクルトンと橇」

1916年5月19日、
イギリスの南極調査隊隊長アーネスト・シャクルトンは、
闇と霧に閉ざされた山頂で震えていた。

麓まで行けば助けを求められる。
しかし歩いて降りるには時間がかかり、
夜明けを待つと凍死してしまう。

助けを待つ部下たちのためにもここで死ぬ訳にはいかない。
彼は巻いたロープを凍らせて作った即席の橇で、
真っ暗な急斜面を時速100kmで滑り降りた。

命を救われた仲間は後に言った。

 優秀なリーダーは他にもいる
 だが絶体絶命になったらシャクルトンに祈れ

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佐藤理人 18年8月18日放送

180818-01
Raico Rosenberg.com
海のむこう 「暗黒の海」

大西洋が荒れ狂うアフリカ西海岸ボハドル岬。
海水が間欠泉のように吹き上げる凄まじさに、
かつてそこから先は

 亡霊や怪物が棲む暗黒の海

と恐れられていた。

14世紀、ポルトガルの船乗りジル・ヤネシュが、
真偽の程を確かめてみることにした。

暗黒の海の向こうで目にしたもの。
それは鰯の群れが水中にひらめく銀の海と、
平和そのもののような海岸線だけだった。

彼は王様に献上するために、
砂浜に咲く美しい花を一輪積んで帰った。

その花は今日、

 ローズマリー

と呼ばれている。

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佐藤理人 18年8月18日放送

180818-02

海のむこう 「イギリスを見つけた男」

紀元前300年頃ギリシャの探検家ビュテアスは、
著書「大洋」の中でイギリスについてこう述べた。

 イギリス人はまれに見るほど親切で礼儀正しく
 現代人のようにずるいところがない

 ワインは飲まず大麦から作った発酵酒を飲む
 彼らはこの酒をクルミと読んでいる

ビュテアスはイギリスのさらに北にある
アイスランドやノルウェーにまで行き、
流氷や白夜の存在を克明に記した。

しかし地中海の温かさしか知らない当時のギリシャ人たちは、
彼の話をでっち上げだとまるで信じなかった。

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佐藤理人 18年8月18日放送

180818-03

海のむこう 「新大陸」

1492年、新大陸を発見したコロンブスは、
スペインに莫大な富をもたらし英雄になった。

しかし彼は発見した国の統治権と財宝の10%を要求。
図々しさと傲慢さをイザベラ女王に嫌われ、失脚。
1506年5月20日、世間にも忘れ去られ、
関節炎に苦しみながら、失意と落胆のうちにこの世を去った。

1年後、彼が発見した大陸は友人のイタリア商人、
アメリゴ・ベスプッチの名をとって

 アメリカ

と名付けられた。

コロンブスは死ぬまで自分が発見したのは
アジア大陸東岸沖の島々だと固く信じていた。

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佐藤理人 18年8月18日放送

180818-04

海のむこう 「フビライとマルコ」

1275年、中国に着いたマルコ・ポーロは、
その壮麗さに強く魅せられた。

皇帝フビライ・ハンもこの20歳の若者を気に入り、
象に乗って狩りに行ったり、
豪華な宮殿へ自由に出入りすることを許した。

金色に輝く彫刻や家臣たちの優雅な生活など、
皇帝に仕えた17年間で目にした驚くべき光景を、
彼は片っ端からノートに書き留めた。

25年ぶりに故郷ベネチアに帰った3年後。
ジェノバとの戦争で捕虜になると、
彼は囚人仲間に記憶を元に思い出話を書き取らせた。

それがアジアについて書かれた初の旅行記、

 東方見聞録

1324年、息を引き取る床で彼は言った。

 わたしはまだ見たことの半分しか話していない

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佐藤理人 18年8月18日放送

180818-05

海のむこう 「漂流実験」

人間はどのくらい長く漂流できるのか。
自分の肉体を使って実験した男がいた。

1953年10月19日、フランスの医者アラン・ボンバールは、
食料も水ももたずゴムボートで大西洋に漕ぎ出した。

彼は毎日0.7Lの海水に魚から搾り取った水を加えて飲んだ。
さらに壊血病にならないようプランクトンでビタミンを補給した。

出発から65日後のクリスマスイブ。
5000km以上の旅の果てに彼は西インド諸島のバルバドスに到着。
体重は25kgも減ったが、極めて健康だった。

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