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保持壮太郎 10年02月27日放送

01-miyamoto

宮本武蔵

天下無双の剣豪、
宮本武蔵。

勝利を追求しつづけた人生が
そこにはあった。

そんな彼によれば
恋愛にも
必勝法があるという。

師曰く、

恋をせば 文ばしやるな 歌よむな。
一文なりと銭をたしなめ。

恋をしたならば、
ラブレターなんて書くな。
歌なんぞ詠むな。
とにかく一円でも多く
お金をためなさい。

どうやら恋愛も、
勝利のためには、
手段を選んではいられないらしい。

02-mandera

ネルソン・マンデラ

期待をしない。
希望をもたない。
そんな人生も悪くない。

けれども
ネルソン・マンデラの人生は違った。
牢獄の中で27年間。
彼は自らの希望のために闘いつづけた。
そして国を動かした。

のちに彼は、
南アフリカ大統領の就任スピーチでこう語った。

 わたしたちが怖れているもの。
 それは自分が無力だということではない。
 わたしたちが最も怖れているもの。
 それは自分には計り知れない力があるということだ。

そこには不安がある。
失望への恐怖がある。
そんな人生のなんと素晴らしいことよ。

03-lee

リー・ストラスバーグ

リー・ストラスバーグの
名前は知らなくとも
彼の教え子の名前なら
あなたも知っているはずだ。

アル・パチーノ
ロバート・デニーロ
ジェームス・ディーン
ダスティン・ホフマン
ジャック・ニコルソン

数々の名優たちが
ストラスバーグの主催する
アクターズ・スタジオで
その演技を磨いた。

 主役なんてものは存在しない。
 人生には主役なんてない。
 誰もが登場人物にすぎないんだ。

そんな彼の教えは、
幾人もの魅力的な主役を
スクリーンへと送り出していった

04-halle

ハル・ベリー

女優、ハル・ベリー。

2001年、
アフリカ系アメリカ人女性として
初めてアカデミー主演女優賞を受賞。

けれども僕たちが
彼女の本当の偉大さを知ったのは
それから2年後のことだ。

その年、
不幸なことに
彼女の主演作が
最低な作品に贈られる映画賞
ゴールデンラズベリーアワードを
受賞することになった。

なかば冗談として行われたラズベリー賞の授賞式。

なんとそこには、
ハル・ベリー本人の姿があった。

そればかりか彼女は、
左手にオスカー像、
右手にラズベリー像を握りしめて
スピーチをし、
あげく涙まで流してみせた。

偉大なる女優の
すばらしい演技に
観客たちは万雷の拍手でこたえた。

05-itami

伊丹十三

男は、
51歳にして
映画監督になった。

彼は映画監督である前に、
俳優だった。
エッセイストだった。
雑誌編集者だった。
デザイナーであり
イラストレーターであり
CMプランナーでもあった。
ドキュメンタリー作家と
呼ばれたりもしていた。

だからだろうか。
伊丹十三が撮る映画は、
いつも
あちこち
普通じゃなくて
なんだかとても
おもしろかった。

06-yanagi

柳宗理

柳宗理のつくるやかんは、
やかんらしいカタチをしている。
けれどもそれはとても美しい。
やかんが美しいなんて
思ったこともなかった。
そんなことに気づかされるくらいに。

彼は言う。

 本当の美は、生まれるもので、つくり出すものではない。

柳宗理のつくるやかんは、
やかんらしいカタチをしている。
だからこそそれは
とてもとても美しい。

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保持壮太郎 10年01月09日放送

01-hokusai

「葛飾北斎」

葛飾北斎の偉大さを
僕たちは知っている。

かのゴッホにも影響を与えた偉大なる画家。

アメリカの雑誌「LIFE」の特集
“この1000年で最も重要な功績を残した世界の人物100人”に
日本人としてただ一人選ばれた男。

では、
本人の自己評価は
どうだろう。

この世を去る間際に、彼は言った。

あと5年あれば、本物の画家になれるのに。

葛飾北斎、享年90歳。

願わくば95歳の彼が描く
真の大作を見てみたかったものだ。

02-gaikotsu

「宮武外骨」

明治の時代、
宮武外骨という名の
ジャーナリストがいた。

権力の不正と矛盾を
風刺する記事を書きつづけ、
処分をうけること29回。
投獄されること4回。

けれども彼はひるまない。
自叙伝のタイトルには

 “予は危険人物ナリ”

とつけた。

宮武外骨。

“名は体を現す”の言葉どおり、
生涯彼はユーモアと反骨心を
忘れることはなかった。

宮武外骨。
ちなみに本名である。

03-marc

「マーク・ジェイコブス」

誰もが認めるものほど
タイクツなものはない。

その意味で
ルイ・ヴィトンの
アート・ディレクター、
マーク・ジェイコブスの
生みだすものは、
いつもおもしろい。

落書きだらけのバッグ。
穴だらけのモノグラム。

彼のデザインには、
もれなく賛否両論がつきまとう。

でも、
“落書きのバッグなんて悪趣味だ!”
なんて批判は
マークにとって
褒め言葉にしかならない。

彼はこう言う。

 醜悪さも、極めればクールだよ。

04-mukou

「向田邦子」

“男性鑑賞法”

かつて女性誌に
連載されていた
生々しいタイトルの
この随筆。

著者は、かの向田邦子である。

政治家、歌手、役者、料理人・・・。

毎回、
第一線で活躍する男たちを
取り上げては、
彼女ならではの鋭い観察眼で
分析を加えていた。

そんな向田邦子にも
夢中になった相手がいる。
その存在について、彼女はこう語った。

 偏食・好色・内弁慶・小心・テレ屋・甘ったれ・
 新しもの好き・体裁屋・嘘つき・凝り性・怠け者・
 ・・・(中略)・・・きりがないからやめますが
 貴方はまことに男の中の男であります。
 私はそこに惚れているのです。 

意中の相手の名はマハシャイ・マミオ。
バンコク育ちのオス猫だった。

05-Rotten

「ジョニー・ロットン」

シド・ヴィシャスのように
死ぬということが
パンクだとすれば、
ジョニー・ロットンのように
生きるということもまた
ひとつのパンクだろう。

かつて、
セックス・ピストルズの
ボーカルとして
世間を騒がせた男は、
今世紀に入って
テレビのバラエティ番組に
「一流コメディアン」として突如登場し、
再び世界を驚かせている

そういえば
ピストルズのラストライブで
彼は言っていた。

 アハハ、騙された気分はどうだい?

06-goz

「中島春雄」

俳優、中島春雄。

彼が初めての
主演映画の撮影を目前にして
むかった場所。
それは動物園だった。

中島は言う。

 猿は参考にならなかったが、
 象や熊の動きは非常に参考になった。

そんな彼の演じた
“ゴジラ”という役は
その後おおいに当たり、
日本のみならず、
世界中を熱狂させることになる。

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保持壮太郎 09年10月31日放送

1030_1

河井寛次郎

河井寛次郎は
仕事に生きた人だった。


 暮らしは仕事。仕事は暮らし。

そう言いながら彼は
日々土をこね
木を削り
真鍮を磨き
あるいは筆をとり
そして
たくさんの作品をのこした。

ワークライフバランスなんて
言葉を握り締めて
月曜日の憂鬱と
金曜日の恍惚を
繰り返しながら生きる
僕たちに向けて、彼は言う。

 新しい自分が見たいのだ。
 ―――――――仕事する。

1030_2

カイル・マクドナルド

わらしべ長者は、
本当に可能か。
という問いには
すでに答えが出ている。

米国モントリオールに暮らす
カイル・マクドナルド。

彼はたった1個のペーパークリップから
14回の物々交換をへて
2階建ての一軒家を手いれた。

ペーパークリップなら
あなたのデスクにも
山ほどあるだろう。
可能性とはつまり
そういった類のもので。

さっそく明日から
億万長者を
めざしてみるのも悪くない。

1030_3

甲本ヒロト

はじめてパンクロックを
聞いたのは
14歳のときだった。
そのときの感想を
甲本ヒロトはこう語る。


 こんなの新しくもなんともねえ。

やがて彼は、
マイクを握り
ステージに立った。


 ♪
 僕が言ってやる
 でっかい声で言ってやる
 ガンバレって言ってやる
 聞こえるかい ガンバレ!

とてつもなく
新しいパンクが、
そこにはあった。

1030_4

タヴィ・ジェヴィンソン

ファッションウィークの
見ものはランウェイの
上だけではない。
フロントロウに陣取る
セレブリティの顔ぶれにも
毎年注目があつまる。

2009年
マークジェイコブスのコレクションで
フロントロウに腰をおろしたのは
まだ13歳のタヴィ・ジェヴィンソン。

彼女は、
女優でも、歌手でも、
スポーツ選手でもない。

ただ、数年前に彼女が始めた
ファッションブログが評判を呼び
フロントロウへと招かれた。

VOGUEの名物編集長
アナ・ウインターの横に座る
13歳のブロガー。

その鮮やかすぎるコントラストは、
ことしのコレクションの
一番のニュースとなった。

ハイ・ファッションとメディア。

寄り添いながら歩んできた
二つの権威は、今、変わりつつある。

1030_5

カール・ユング

僕らは
完璧な人間ではないから
たくさんの
コンプレックスと共に
生きていくことになる。

たとえば
完璧な人間がいたとしても
彼は彼で、
完璧であるという
コンプレックスを抱えている。

つまり僕らはもう
カール・ユングという人の言葉を
信じて生きるしかない。


 コンプレックス
 それは偉大な努力を刺激するものであり、
 そしてたぶん、新しい仕事を遂行する
 可能性の糸口でもあるのだ。


1030_6

ウォーレン・バフェット

世界で
もっとも成功した
投資家のひとり、
ウォーレン・バフェット。

彼を
世界一の金持ちへと導いた
投資のルールは
驚くほどにシンプルだ。


 ルール1:絶対に損をするな。
 ルール2:絶対にルール1を忘れるな。

簡単なルールほど実践するのはむずかしい。

1030_7

宮本茂

かつて
ポール・マッカートニーが
来日したとき。
まっさきにディナーに誘い
サインをねだった
一人のサラリーマンがいる。

宮本茂。

ドンキーコング
スーパーマリオブラザーズ
ゼルダの伝説
これらは
彼の仕事の
ほんの一部だ。

宮本は言う。


 アイデアとは、複数の問題を一気に解決するものだ。

最近彼が手がけた
Wii Fitというツールは、
体重計に乗ることを
ゲームにした。

なるほど
彼のアイデアは
わたしたちの健康問題まで
解決してくれている。

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保持壮太郎 09年9月26日放送

カーネル・サンダース


カーネル・サンダース

彼の人生は
波乱に富んでいた。

消防士、車掌、タイヤのセールスマン。
さまざまな職についたが失敗。
29歳で事業を興したものの倒産。

3度目の倒産で
一文無しになった彼が思いついたのが、
フライドチキンの
フランチャイズビジネスだった。

彼は65歳になっていた。
けれども彼は働きつづけた。

 人間は働きすぎてだめになるより、
 休みすぎてサビつくほうがずっと多い。

 カーネル・サンダース

いまだに彼は、
雨の日も、風の日も
街角で微笑みつづけている。

西村真琴


西村真琴

ROBOTという言葉の語源は
チェコ語で“労働”を意味する。

ロボットというものには、
もともと“人間の労働を肩代わりするもの”
という発想が少なからず含まれていた。

1928年、大阪。
東洋で初めてのロボットが発表された。

けれども、
そのロボットができたことは
ただ
“ほほえむ”
ことだった。

開発を担当した西村真琴は、植物学者。

“労働”という意味から
解き放たれたロボットは、
その後この国で、
独自の進化を歩むことになる。

ウィンストン・チャーチル


ウィンストン・チャーチル

偉大なる政治家、
ウィンストン・チャーチル。

第二次世界大戦下では
首相兼国防相をつとめ
戦後、ミズーリで行った
「鉄のカーテン」演説では
東西冷戦の到来を予言。

文才にも秀で、
ノーベル文学賞も受賞した。

ただ、
彼のもっとも偉大なる業績については、
wikipediaには乗っていない。

彼は、こう語った。

 私の功績の中でもっとも輝かしいことは、
 妻を説得して私との結婚に同意させたことである。

ガガーリン


ユーリ・ガガーリン

地球にキャッチコピーを
つけるとしたら
あなたはどんな言葉を選ぶだろう。

人類初の
宇宙飛行を体験した
ユーリ・ガガーリンは、こう言った。

 地球の色は、優しく光る淡い水色で、
 暗黒空間へとつづく境目は、
 とてもなめらかな曲線で美しい。
 地球の影からでたとき、
 地平線はまた違ったようにみえた。
 地平線には、明るくオレンジ色にひかる帯があり、
 その色は、再び、淡い水色に、そして濃厚な黒色に変わった。

その表現は、
あまりに綿密だったので
誰かが勝手にこう略した。

 地球は、青かった。

あれから半世紀。
これ以上のキャッチコピーを
わたしたちは知らない。

ヤンソン


トーベ・ヤンソン

心覚えていますか。
生まれたときのことを。

覚えていますか。
泣くこと、食べること、歩くことを
ひとつひとつ
身につけていった日々を。

覚えていますか。
そのあと起きた
もしかしたら人生で
一番すばらしい出来事を。

フィンランドの作家、
トーベ・ヤンソンは、
彼の腐朽の名作のひとつ
「ムーミンパパの冒険」に
こう書いています。

 わたしは、ひとりめの友だちを見つけたのでした。
 つまり、わたしは、ほんとうの意味で生きることをはじめたのでした。

そう。
僕たちは、
あしたも誰かと
生きている。

ヘンドリックス


ジミ・ヘンドリックス

ロックの歴史は、
僕らの中で、
少なくとも2度変わった。

一度目は
ジミ・ヘンドリックスが登場したとき。

そして二度目は
ジミ・ヘンドリックスがこの世を去ったときだ。

たった4年間のきらめきが、
あまりにもまぶしすぎて。

僕らは
彼に“史上最高のギタリスト”なんて
チープな呼び名をつけて
なんとか前にすすむことにした。

モハメド


モハメド・アリ

たらればの話をしよう。

もしもあなたが
ボクシングの
世界チャンピオンになったら、
という話だ。

ファイトマネーで、
豪邸を買うのもいい。
知名度を活かして、
政治家になるのも悪くないだろう。

カシアス・クレイという青年がいた。
彼はそんなたらればに、こう答えた。

 チャンピオンになったら、
 古いズボンを穿き、
 汚い帽子をかぶって
 髭をはやすんだ。

 そして僕であるということだけを
 愛してくれそうな素敵な
 オンナノコをみつけるまで
 道を歩きつづけることにするよ。

そして彼は、
偉大なるチャンピオン
モハメド・アリとなる。

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保持壮太郎+小野麻利江 09年8月23日放送

コンラート・ローレンツ


コンラート・ローレンツ

– 保持壮太郎 –

夏。
あちこちの玄関先に、
アサガオの鉢植えが並ぶ。

いままで
どれだけの小学生が
自由研究と称して
アサガオ観察をしたことだろう。
もはや研究され尽くしたと
言ってもいいはずなのに。
また、この夏も。

でも動物行動学者の
コンラート・ローレンツの
言葉を聞いてちょっと納得する。

誰もが見ていながら、
誰も気づかなかったことに気づく、
研究とはそういうものだ。

ことしも
新しい研究成果に
期待しよう。

ロバート・ソロー


ロバート・ソロー

– 保持壮太郎 –

天才たちの生きる世界を、
しばしば僕たちは想像する。

ゴッホの目から見た風景は、
きっと鮮やかな色彩に満ちている。
フェルマーだったら、
世界にいくつもの数式を見るだろう。
ラフマニノフならば、
そこに美しいメロディを感じるはずだ。

経済学者はどうだろう。
マクロ経済学の巨匠、
ロバート・ソローはこう答えた。

私は何を見てもセックスのことを連想してしまう。
極力、私の論文からはそのことを排除するようにしているが。

なるほど。

オスカー・ハマースタイン2世


オスカー・ハマースタイン2世

– 小野麻利江 –

ミュージカル「サウンド・オブ・ミュージック」の中で、
主人公のマリア先生が
雷を怖がる子供たちのために歌う、
「My Favorite Things」。

子猫のひげや、銅の光るケトルなんかのことが歌われる
風変わりな歌詞だけど、
わたしが、オスカー・ハマースタイン2世の代わりに
歌詞を付けたとしたら、
「お気に入り」たちに、何を選ぶだろう。

柴犬のしっぽ。
良く冷えた牛乳瓶のふち。
ぎょうざの羽のパリパリ。
水たまりに浮いた虹色の油。
飛行機から見る雲。
東京タワーの明かりが、消える瞬間。

挙げるときりが無いから、もうやめておくけど、
これだけは歌詞のとおりだ、ってことが、
いま、はっきりとわかった。

 悲しい気持ちになるときは、
 私はただ 自分のお気に入りを思い出す
 そうすれば、そんなにつらい気分じゃなくなる。

ディック・ブルーナ


ディック・ブルーナ

– 小野麻利江 –

いつも正面を向いている白いウサギ、ミッフィー。
自転車に乗るときも
自転車は右に向かって進んでいるのに
ミッフィーは顔をこちらに向けている。

前を向いて歩きなさい!
お母さんにいつも叱られていた小さな女の子は
ミッフィーが不思議だった。
ウサギさんはよそ見をしてもいいの?

そんなミッフィーの生みの親は、
ディック・ブルーナ。

キャラクターはいつも、
本と向き合っている、あなたのことを見ている

歩くとき、いつもこちらを見ているミッフィーには、
そんな深い愛情のこもった意味が、あるのだという。

小さな女の子もオトナになったら
絵本作家の愛情が、きっとわかります。

メイナード・ファーガソン


メイナード・ファーガソン

– 小野麻利江 –

トランペットを手にした少年や少女が
まずぶち当たる困難な壁、
それは高い音をいかに正確に出すかということだ。

唇はやわらかく
息を早く吹き込み
横隔膜でしっかり支える。

理屈ではわかっていても肩や喉にチカラが入る。
演奏会の3週間前になってもまだ出ない音がある….

そんな悩みを経験した人にとって
メイナード・ファーガソンの高音は
この世の自由を謳歌しているように聞こえる。

どんな理屈もテクニックも
彼の高音の前に平伏する。
空気を切り裂くハイノート、ダブルC.

3年前の今日
天才トランペッター、メイナード・ファーガソンの死とともに
空へ駆け上がるあの高音が失われてしまったのが
惜しまれてならない。

キース・ムーン


キース・ムーン

– 保持壮太郎 –

楽器を壊しながら演奏する
それが、ロックバンド「ザ・フー」のスタイルだった。
なかでも過激だったのが
ドラマーのキース・ムーン。

キースの破壊力はステージだけにとどまらず
ホテルの窓からテレビを放り投げたこともあるし
プールにクルマを沈めたという噂もあった。

しかし彼のドラムは天才的で
音と音の隙間に極限まで装飾音を詰め込んだ
アドリブだらけの演奏はコピー不可能といわれた。
計算なんてどこにもなかった。

32歳という若さでキースが亡くなって
いま、「ザ・フー」のドラマーは
リンゴ・スターの息子、ザック・スターキー。

ザックは自分の父ではなく
キース・ムーンにドラムを教わっている。

アドルフ・ロース


アドルフ・ロース

– 保持壮太郎 –

装飾がないということは、
精神的な強さのしるしだ。
と、かつて
建築家アドルフ・ロースは言った。

装飾は罪であり、
装飾の多さは文化水準の低さをあらわすと主張した。

この言葉はさまざまな誤解を生んでいるけれど
本人の著書からその解釈を見出すことができる。

我々が森の中を歩いていて、
ピラミッドの形に土が盛られたものに出会ったとする。
それは我々の心の中に語りかけてくる。
「ここに誰か人が葬られている」と。
これが建築なのだ。

彼は、建築を見る人が自分の気持ちを入れることのできる
余白をつくったのだ。

クリフォード・ギアツ


クリフォード・ギアツ

– 小野麻利江 –

文化人類学者、クリフォード・ギアツは、
インドネシア・ジャワ島の文化や習慣を書き記していく中で、
ひとつの強い確信に、たどりつく。

われわれは誰かから目配せをされても、
文脈がわからなければ、
それがどういう意味か理解できない。
愛情のしるしなのかもしれないし、
密かに伝えたいことがあるのかもしれない。
あなたの話がわかったというしるしなのかもしれない。
文脈が変われば、目配せの意味も変わる。

でも、幸せな片思いをする人は言うだろう。
「あなたの文脈」を、「わたしの文脈」に勝手に置き換える。
そんなカンチガイがなかったら
恋もはじまらない。

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保持壮太郎 09年7月26日放送

Xaver_Mozart


フランツ・クサーヴァー・モーツァルト   

きょう7月26日は、
モーツァルトが生まれた日。

ただし、
わたしたちがよく知る
モーツァルトではなく、
彼の息子、
フランツ・クサーヴァー・モーツァルトの。

偉大なる父と同じ道を歩み
モーツァルト2世を名乗るハメになった
作曲家の苦悩は想像に難くない。

ただ、彼の墓石にはこうある。

 彼の父の名をここに記す。
 父への尊敬は、
 彼の人生そのものだったから。


chips


カアラン・ケイ   

新着メールはありません。

ありません。

ありません。

ありません。

いつまでたっても
鳴らないケータイの画面を
ぼんやりと見つめながら
僕はなぜだか
計算機科学者の
アラン・ケイの言葉を
思い出していた。

 テクノロジーというのは
 あなたが生まれたときに
 存在しなかった全てのものだ。

つまり
土曜日の夜の
この孤独も、
たぶん、
ひとつのテクノロジーで。

新着メールはありません。

Emperor_Norton


ジョシュア・ノートン 

1859年、
サンフランシスコの新聞紙面で、
ジョシュア・ノートンという名の男が
こう宣言した。

 大多数の合衆国市民の要望に応え
 朕ジョシュア・ノートンは、
 この合衆国の皇帝たることを自ら宣言し布告す。

そしてノートン皇帝による
アメリカ統治がはじまった。

 通りに街灯をつけるべし。
 広場にクリスマスツリーを。
 オークランドとの間に橋を建設せよ。

新聞紙面上で発せられる勅命の数々。

サンフランシスコ市民は突然現れた
このふうがわりな皇帝を
なぜか愛してやまなかった。

20年後、彼の葬儀には
3万人が参列したという。
当時の新聞記事にはこうある。

 彼は誰も殺さず、誰からも奪わず、誰をも追放しなかった。
 彼と同じ称号をもつ者で、この点において彼以上の者はいなかった。

donki


ジョルジュ・デュアメル 

自らを伝説の騎士だと勘違いし
できそこないの兜で、
ロバに打ちまたがり旅にでた男。

やがて彼は
ラ・マンチャの丘に立つ風車を
獰猛な巨人と思い込み、
槍をかまえて突進してゆく。

小説ドン・キホーテに描かれた
主人公のエキセントリックな行動を、
フランスの作家、
ジョルジュ・デュアメルはこう評している。

ドン・キホーテは、自らの狂気をはっきり知っていた。

だとすれば、
僕たちの世界の滑稽さにも説明がつく。

その大量消費がめざすものは?
そのマネーゲームがめざすものは?
その戦争がめざすものは?

すべては、ある種の狂気をはらんでいる。

ドン・キホーテの物語は、今もまだつづいている。

money


カール・マルクス 

世界を語ろうとするとき、
自らの足もとのことは
おざなりになるもので。

ゆえに恋愛小説家は
ときに幸せな恋愛を
あきらめなければいけないし、
医師たちは人類の健康増進のために、
自らの健康を犠牲にする。

「資本論」を記した
経済学者カール・マルクスもまた、
その例に漏れない。

学生時分の彼が
一年で浪費した
700ターラーという金は、
当時、ベルリンの市会議員の年収に
匹敵する額だったし。

叔父から3,000マルクもの
遺産を相続したときも
翌月には、たった40マルクの金を
借りるべく友人に泣きついている。

そして
マルクス経済学は、
彼自身の経済的な問題に
明確な答えを与えぬまま、
いまも世界の経済を語りつづけている。

nasa


スタンリー・キューブリック 

人類が月に行ったなんて嘘だ。
月面着陸のあの映像は、
NASAがスタンリー・キューブリックに頼んで
スタジオで撮ったものなんだよ。

そんな話を
どこかで聞いた。

もしも、
その話が本当だとしても。

完璧主義者の
キューブリックのことだから
NASAがつくった
スタジオセットの完成度なんかに
満足できるはずもなく。

結局、
月面で撮影することに
なったんじゃないかな。

そうに違いない。

concert


ミック・ジャガー 

ひとつを選ぶということは、
いくつもの可能性を
捨てることでもあるから。
人生はときどき悩ましい。

一人の青年がいた。
もっか彼の悩みは就職だった。

国税局に入るか。
それとも、
プロのミュージシャンになるか。

彼が、
後者を選んでくれたことを、
僕たちは感謝せずにはいられない。

Happy Birthday Sir Michael Philip “Mick” Jagger.

きょうは彼の
66回目の誕生日。

Stendhal


スタンダール

作家や詩人として
生きることの不幸は、
死ぬときにあるのでは
ないだろうか。

なにしろ“辞世の句”である。

最期に何を言いのこしたか。
その読後感だけで、
人生すべてが
語られたりするのだから。
おいそれとは死ねない。

フランスの小説家
スタンダール。
彼ももれなく
そんな苦悩をかかえていた。

おかげで彼は
59歳で死ぬまでに
毎年遺言を書き直す
はめになったという。

そんな彼の墓石には
こう刻まれている。

 生きた。書いた。恋した。

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保持壮太郎 09年6月20日放送

06_20_1

ジョルジュ・ルメートル

ジョルジュ・ルメートル。

彼は、
宇宙物理学者だった。

同時に
カトリックの司祭でもあった。

科学と宗教。

かねてより干渉や対立を
くりかえしてきた
ふたつの原理が
彼の中には同居していた。
そんなルメートルがとなえた
ひとつの仮説がある。

この宇宙は、
たったひとつの“原始的原子”が
爆発することで生まれた。

のちに“ビックバン理論”と呼ばれる
この科学的かつ神話的な宇宙論は、
ジョルジュ・ルメートルだからこそ、
たどりつけた宇宙に思えてならない。


音楽=ツネオムービープロジェクトhttp://tsuneo.cart.fc2.com/

06_20_2

クリスチャン・ネステル・ボヴィー

最近のセカイは
くりかえしている。
何もかもが
何かの焼き直しみたいで。

カエルの子はカエル。
セレブの子はセレブ。
僕の感じる孤独は、
たぶん父さんの感じた孤独で。
僕が誰かを軽蔑するときの目は、
母さんが僕を見るときの目に似ている。

アメリカの作家、
クリスチャン・ネステル・ボヴィーは

すべてが失われようとも、まだ未来が残ってる。

といったけれど。
もはや僕らは
すべてを失わないことには
あたらしい未来には
出会えない気がする。

まあ、
こんな不安もきっと、
昨日の誰かのくりかえし。

06_20_3

エリック・ドルフィー

音楽は、
いちど聴き終わってしまえば
空中へと消えてしまうもの。
二度とそれを
掴み取ることはできない。

ジャズにおける
即興演奏の可能性を切りひらいた
エリック・ドルフィーの
そんな言葉を耳にするたび、
僕たちは、
苦笑をかみ殺さずにはいられない。

だって僕たちは、
その消えてしまったはずの
音楽ってやつに
いまさら手を伸ばして、
デジタルでマッピングして、
バカ高いアンプとスピーカーで鳴らして、
必死に掴み取ろうとしているのだから。

ほら、こうして。

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清水義範(しみずよしのり)

人間のクリエーティビティが
無限だとするならば、
それを有限の世界に
定着させるためにあるのが
“締め切り”の存在だ。

小説家、デザイナー、
エッセイスト、コピーライター・・・。
彼らは、“締め切り”という名のカミソリで、
自らの創作意欲と、可能性と、
未練と、根拠のない自信を切断し、
ひとつの作品としてカタチにする。

小説家、
清水義範が書いた
「深夜の弁明」という短編がある。

それは、締め切りを守れない作家が、
編集者に言い訳とお詫びの文章を書くうちに、
いつしかその弁明が、
小説の予定枚数に達してしまったというもの。

なるほどそうゆう方法もあるのかと、
締め切りから10日遅れで、
このラジオの原稿を書いている深夜の私。

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チャールズ・R・ダグラス

1953年、
ラジオ技術者の
チャールズ・R・ダグラスが
ひとつの画期的な発明をした。

Canned Laughter
(SE:Canned Laughter)

“缶詰の笑い”
と呼ばれたその道具は、
ボタンひとつで
人工的な笑い声を
発生させることができた。

その後Canned laughterは
またたくまに世の中へと広がり
笑い声が、笑うべきものの存在を
強化し、強制し、捏造するという
シュールなコメディがはじまった。

戦争。
(SE:Canned Laughter)

貧困。
(SE:Canned Laughter)

そして世界の笑えない現実は
何一つ変わらないまま。
(SE:Canned Laughter)

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サルバトール・ダリ

天才と聞いて
あなたが思い浮かべる
イメージのいくつかは、
おそらくサルバトール・ダリ
その人のものだ。

不自然なほどに見開いた目、
ピンと跳ね上げて固めたひげ。
フランスパンを頭にのせてリーゼントヘアと称し、
ソルボンヌ大学での特別講演会には
カリフラワーを満載した
真っ白いロールスロイスで乗り付けた。

混乱が一番。偶然は創造性を生み、秩序は退屈だ。

と語る彼にとって
“天才であること”もまた
彼の芸術の一部なのかもしれない。

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種田山頭火

小学校のころ
担任だった樫村先生は、
たぶん先生には
むいていない人で。

俳句をおしえるときだって、
5・7・5の話も
季語の説明もせずに、
松尾芭蕉や、
小林一茶なんかのページも
すっとばして、
教科書の隅っこに、
ぽつん、と載っていた一句を、
だいじそうに
黒板の真ん中に書いた。

山から風が風鈴へ、生きてゐたいとおもふ
種田山頭火

騒々しかった教室が、
そのときなぜだか、
しん、と静まりかえったのを覚えてる。

みなさん、これが俳句です。

と言って笑った樫村先生。

おかげで僕らは、
学年テストで赤点をとり、
俳句がちょっと好きになった。

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保持壮太郎 09年5月10日放送



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ロナルド・レーガン




ロナルド・レーガンのように
生きていけたら、と、思う。

でも、それは、
大統領になってみたいとか
講演先のホテルの前で
暗殺されかけたいとかいう話では、
もちろんなくて。

ただ、
心臓をかすめた
22口径の弾丸が
まだ胸の中にあるようなときでも
手術を執刀する医師たちにむかって

 キミたちがみんな、共和党員であることを願うよ

なんて言って笑った
あの日のロナルド・レーガンのように。
やさしく、つよく、生きていけたら、と、思う。

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イマヌエル・カント




平凡な男がいて、
平凡な日常があった。

5時起床。
紅茶を2杯飲み、
タバコを吸う。
7時から9時まで仕事。
昼まで執筆。
午後1時から
3時間の昼食。
食事はこの1度きり。
そして、散歩へ。
グレーのマントに
籐のステッキで、
菩提樹の並木道を4往復。
帰宅後は読書と執筆。
そのまま10時に就寝。
いつもどおりの寝間着で、
いつもどおりの鼻呼吸で、
いつもどおりの室温14度で。

哲学者、
イマヌエル・カントの日常は
そんな毎日のくり返しだった。

非凡な発想は、
平凡な日々の中で生まれた。

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ジェイムズ・ボズウェル




ユーモアはタダだ。
ユーモアはCO2を出さない。
人類が、ユーモアという素敵な装置を
発明したおかげで、
世界は以前より幾分か平和になった。

1755年。
世界ではじめての英語辞典に、
サミュエル・ジョンソンは
こんな記述をした。

 カラスムギ:
 穀物の一種であり、
 イングランドでは馬のエサ。
 スコットランドでは人の主食となる

彼は根っからのスコットランド人嫌いだった。

これを見た
ジョンソンの弟子、
スコットランド人のジェイムズ・ボズウェルは
すかさず反論した。

 カラスムギ:
 穀物の一種であり、
 イングランドでは馬のエサ。
 スコットランドでは人の主食となる。
 ゆえに、イングランドは馬が優秀で、
 スコットランドは人が優れている

ユーモアに勝る武器は、ない。きっと。

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鳥山明

“娯楽”という
言葉の意味を問われたら、
鳥山明の言葉を返そう。

彼は、
ドラゴンボールという
作品について
こう語った。

 何かがピューッて、
 もの凄いスピードで走って来て、
 何かに当たってパーンとはじけ飛ぶ、といった動きね。
 そして、次はいったいどうなるんだろうか、って、
 どんどんページをめくっていって、読み終わったら、
 ワッハッハって、元気に外へ遊びに
 飛び出して行けるような作品をね、
 ぼくたちも作ってみたいなあと考えたんです

That’s entertainment.



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フレッド・アステア

物語はいつも
想像の、
少し外側から
やってくる。

110年前の今日、
ネブラスカ州に生まれた
ひとりのダンサー。

彼は33才のときに、
ハリウッドのスタジオで
オーディションを受けた。
けれども、結果はさんざんで。
ディレクターのメモには、
こう書かれていたという。

 唄はダメ。演技もダメ。髪は薄く、ダンスはまあまあ

そんなダンサーが
まさか20世紀を代表する
映画スターになるなんてこと、
そのときは誰も、想像していなかっただろう。
おそらくは、本人も。

偉大なる名優、
フレッド・アステアの物語は、
こうしてはじまった。

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濱田庄司




ひょい、ひょい
と、こきみよく
大皿の上でひしゃくが踊り
釉薬が生き生きとした
流れを描きだしてゆく。

ほんの15秒ほどで
またひとつ、
あらたな名作が生まれた。

陶芸家、濱田庄司の
そんな仕事ぶりを見て
ひとは言う。

 ひとつの作品に、
 たった15秒しか
 かけないなんて
 物足りなくないのか

と。
けれども彼は、
首をふった。

 15秒ではなく、
 15秒と60年ですよ

そしてひとは、
極めることの
意味と、尊さを知る。

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シド・ヴィシャス




英雄と呼ぶには、
粗暴で。

カリスマと呼ぶには
不安定過ぎて。

結局、
彼を上手に褒める言葉を
見つけられないまま
サヨナラを言うハメに
なった僕たちだけど。

生きていれば
今日、52歳になるはずだった
シド・ヴィシャスの歌う“My Way“は、
あいかわらずヘタクソで、
あいかわらずイカしている。

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パーシヴァル・ローウェル

1895年。
宇宙にちょっとした
事件がおこった。

パーシヴァル・ローウェルという名の
アマチュア天文学者が出版した一冊の本。
その中で彼は、
火星には無数の運河があること。
その運河は知的生命の存在を
裏付けるものだという説を発表した。

赤茶けたその惑星は、
いちやく“スター”になった。

その後100年かけて
人類は、
火星に運河なんてないこと、
火星人なんていないことを
一つひとつ
おお真面目に証明していったけれど。

いまだに火星は、
木星や金星や
何なら太陽なんかも押しのけて。
僕たちの宇宙の真ん中で
キラキラと輝いている。



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保持壮太郎 09年4月5日放送

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カート・コバーン


10代でギターを握ったかつての少年たちにとって
ロックか、ロックじゃないかは、
ほとんど唯一と言ってもいい価値基準だった。

たとえば信長はロックだけど
家康はロックじゃない。
リンカーンはロックだけど
ベンツはロックじゃない。
みたいなことを、
本気で語りあったりしていた。


そんな1994年の4月5日。

グランジロックのカリスマ、
カート・コバーンが自ら命を絶った。
ニール・ヤングの歌詞を引用した
短い遺書をのこして。


じわじわ消えていくより、ぱっと燃え尽きたほうがましさ。


あの悲しみが、
ロックだったのか、
ロックじゃなかったのか。

あのころの少年たちは
もう結論を出しただろうか。

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正岡子規



彼のポジションは、
キャッチャーだった。


彼は、
遠く米国からやってきた
そのベースボールという
風変わりなスポーツに
心底熱中していた。


彼は、
そのスポーツを深く愛するあまり
自らの名を、“野球”と書いて
“のぼーる”と称することにした。
のちに“野球”は、
ベースボールをさす日本語となった。


九つの人九つの場をしめてベースボールの始まらんとす


正岡のぼーること、正岡子規。

彼の愛したベースボールが、
ことしも海の向こうで開幕する。

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リチャード・P・ファインマン


悲しみはいつも、ふとしたもので。


ノーベル賞物理学者
リチャード・P・ファインマンは、
若き日に、最愛の妻アーリーンを亡くした。


でも彼は、
わざわざ感傷にひたるなんてことはせずに、

アーリーンは死んだよ。ところで例のプロジェクトはどうなった?

そう言うと、
あとは仕事に没頭していた。


ただ、ある晴れた日に
オークリッジの街を歩いていて、
ショーウインドウの
うつくしいドレスにふと目をとめたとき

ああ、アーリーンの好きそうな服だな。

と思った。


たったそれだけのことだったけれど、
彼の涙をあふれさせるには充分だった。


気づくことは、ときに悲しい。




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ジョン・レノン


事実。
世界はとても不平等で。
そこには、持つものと、
持たざるものがいる。
たくさんのまずしさが、
誰かのたるんだ身体を
支えているなんてことも
さしてめずらしい話ではない。


けれども、
かつてジョン・レノンは言った。
英国王室主催のステージ、
女王陛下の目の前で。


貧乏な人は拍手をしてください、
お金持ちの人は宝石をジャラジャラさてください、
それでは次の曲『Twist And Shout』です。


そのとき、
たしかに世界は平等だった。

衛星のような

アルベルト・アインシュタイン


ものごとの真理を
見つめるという意味において。
物理学者のまなざしは、
ときに、文学者のそれに似ている。


アルベルト・アインシュタイン。

彼は、
相対性理論の “相対性”とはいったい何ですか?
と、たずねられたとき、こう答えた。


熱いストーブの上に
1分間手を乗せてみてください。
まるで1時間くらいに感じられることでしょう。
ところが可愛い女性のとなりに
1時間座っていても、
それは1分くらいにしか感じられない。
それが、相対性というものです。


そんなアインシュタインの妻、エルザは
同じ問いかけに、こう答えている。


相対性?相対性のことは、よくわからないけれど、
アインシュタインのことなら、何でもわかっていますよ。


なるほど、と
みんなが思った。





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長嶋茂雄


科学的で、論理的で、現実的な世の中で
人はいつでも奇跡に飢えている。
おこるはずのないことを期待している。


1958年4月5日 後楽園球場

偉大なる例外が、この日はじまった。


4打席連続空振り三振。
長島茂雄、鮮烈なプロデビュー。

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アンドリュー・ワイルズ


春ともなれば、
教室には、
数学を学ぶハメになった
子供たちのしかめっツラが並び、
そのうちの一人が、
決まって質問をする。


それは、いったい何の役に立つんですか。


かのフェルマーの最終定理が、
ついに証明されたときも
新聞記者の口をついてでたのは
やはりそんな質問だった。


フェルマーの定理は、いったい何の役に立つんですか。


すると、偉業をとげたばかりの
若き数学者アンドリュー・ワイルズは、胸をはって言った。


この定理は、はるか将来にも何の役にも立たないだろう。
でもそれでいい。私の数学が応用の奴隷に成り下がるなんて、
私には耐えられないことだから。


ワイルズらしい、美しく明快な解答だった。

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マイルス・デイビス


純粋なものはつよい。
純粋であることは
とてもとてもむづかしいことだけど。


モダン・ジャズの帝王マイルス・デイビスが、
かつて白人ピアニスト ビル・エヴァンスと組んだとき、
一部のリスナーはこんな批判した。


なんで白人なんかとツルむんだ。失望したぜ。


でも、マイルスの答えはとてもシンプルだった。


イカした演奏をするヤツなら、肌が緑色だって俺は雇うぜ。


そして彼の最高傑作のひとつ、
「カインド・オブ・ブルー」は生まれた。




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保持壮太郎





三陽商会ラジオCM

出演:大川泰樹&坂東工

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