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八木田杏子 09年6月27日放送

1

マイケル・ジャクソンの才能

その歌声を聞いた誰もが、自分の耳を疑った。

大人には出せない、澄みきった声。
子供には持てない、確かな音程とリズム。

不可能を可能にしたのは、
わずか5歳のマイケル・ジャクソン。

歌うことが、好きで好きで、たまらない

その思いを抑えきれず、
はじけるような笑顔で、ステップを踏む。

少年の濁りのない声は、
大人の濁った心も、澄み渡らせていく。

5歳のマイケル・ジャクソン。

天使の歌声をもつ少年は、天使ではいられなくなる。



2

マイケル・ジャクソンの出現

楽しいから歌うのは、アマチュア。
辛くても歌うのが、プロフェッショナル。

11歳のマイケル・ジャクソンは、
もう、プロの顔になっていた。

ジャクソン5の一員としてメジャーデビューした途端、
全米ヒットチャートのNO1に躍り出た。

いちばん小さな少年が、リードボーカルだった。

11歳の少年のパフォーマンスに全米が沸いた。
いちばん真剣に歌っていた。
無心の笑顔で。

11歳のマイケル・ジャクソン。

それはもう、プロの顔だった。

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マイケル・ジャクソンの独立

人形のように愛らしい少年も、
人間の生々しさをもつ青年になる。

声変わりをしたマイケル・ジャクソンは、もう少年ではない。

音楽プロデューサーの
クインシー・ジョーンズと出会ったとき。

マイケルは尋ねた。

誰か僕に合うプロデューサーはいないかな

すると、クインシーはこう答えた。

私じゃ駄目かな

クインシーの手ほどきで、
マイケルは作詞・作曲を手がける。

20歳のマイケル・ジャクソン。

大物プロデューサーは、人形を人間に変えていく。

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マイケル・ジャクソンの拡大

見える壁は壊すことが出来るけれど
差別という見えない壁は、壊し方すらわからない。

当時、MTVでは黒人の作品は放送されなかった。
その壁に風穴をあけたのは、マイケル・ジャクソン。

1983年1月。

「Billie Jean」が、
MTVで繰り返し流される。

輝くようなマイケルがそこにいた。

そのときは批判的だった一部の人間も、
12月に「Thriller(スリラー)」が公開されると、口を閉ざした。

25歳のマイケル・ジャクソン。

彼はそのまま、頂点までのぼり詰めた。

どんな壁も、マイケルの音楽を閉じ込めておくことは出来なかった。

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マイケル・ジャクソンの白と黒

「白人も黒人も関係ない」
と、マイケル・ジャクソンは歌う。

白人と黒人の関係に、
誰よりも苦しんでいたから。

1991年に発売された「Black or White」。
違いを乗り越えようとする歌は、世界を動かした。

世界20カ国以上でナンバーワン。
全米チャートで、7週連続ナンバーワン。

それでも、マイケルは満たされない。
お金も地位も名誉も、すべてを手に入れたのに。

33歳のマイケル・ジャクソン。

白い肌になりたくて、なりたくて。
生まれたときとは違う姿に、なっていく。


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マイケル・ジャクソンの夢

天使の歌声を、お金に換えていく。
そんな大人たちに囲まれていたマイケル・ジャクソン。

期待に応える少年を演じながら、心の中に壁をつくった。
本当の自分を守るために。

カリフォルニア州サンタバーバラの「ネバーランド」。
そこは、マイケルの「砦」だった。

そこに素顔のマイケルがいた。
動物たちと戯れ、子供たちと遊ぶ。

マイケルの心の中は、「大人立ち入り禁止」だった。

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マイケル・ジャクソンの最期

天才といわれたエンターテイナーは、
自分の人生のラストを創りこめなかった。

ロンドンでのファイナル公演は、もうすぐだった。
マイケル・ジャクソンの人生の幕は、突然おろされた。

同時代を生きたマドンナはこう追悼した。

世界は偉大な人を失ったが、彼の音楽は永遠に生き続けます

映画監督のスティーブン・スピルバーグもこう語る。

マイケル・ジャクソンに匹敵する人はもう2度と現れないだろう。
彼の才能、驚き、ミステリーがマイケルを伝説にする

そして、最愛の音楽プロデューサー、
クインシー・ジョーンズはこうコメントした。

私は今日、弟をなくした。
私の心の一部も、彼と一緒になくなった


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八木田杏子 09年5月23日放送

13

スコット・フィッツジェラルド

ヘミングウェイに比べたら、
自分はテクニックを心得ただけの
文学的娼婦にすぎない。

スコット・フィッツジェラルドは、
生涯、そのコンプレックスにつきまとわれていた。

妻の浮気を放っておいてまで、
執筆にのめりこんだ「グレート・ギャッツビー」。

フィッツジェラルドの死後、
それは文学史に残る傑作となり、
ヘミングウェイよりも高く評価された。

死ぬまでぬぐえなかったコンプレックスは、
そもそも存在しないものだった。






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ガリレオ・ガリレイ

世の中をひっくりかえすような真実は、
こっそりと伝えなくてはならない。

ガリレオは、身をもってそれを知っていた。
それでも地球は動いている。
その言葉を、回りくどく、ときには誤魔化しながら、伝えた。

ふたたび裁判にかけられたとき、彼はあっさり地動説を捨てる。
死刑をまぬがれた彼は、74歳まで執筆と発明をつづけた。

小さなプライドを捨てられる人だけが、
大きな真実を追究できる。

3

ジョン・F・ケネディ

不況が続くと、人は足元ばかり見るようになる。
ちょっとでも躓きそうになると、立ち止まるようになる。

うつむいている国民にむかって、
ケネディ大統領は、ある発表をした。

10年以内に、月に人類を送り、月の石を持ち帰る。

誰もが、思わず、顔を上げた。
見慣れたはずの月なのに、石ころまで輝いて見えた。

1969年7月20日。
月面、静かの海に人類は降り立つ。
ケネディの話が現実になったとき、
もう、うつむいている人はいなかった。

たとえ足元の石につまずいても。
月の石を目指していたから、前に進んで行けたのだ。

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古田組・八木田杏子

020504




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