マイケル・ジャクソンの才能
その歌声を聞いた誰もが、自分の耳を疑った。
大人には出せない、澄みきった声。
子供には持てない、確かな音程とリズム。
不可能を可能にしたのは、
わずか5歳のマイケル・ジャクソン。
歌うことが、好きで好きで、たまらない
その思いを抑えきれず、
はじけるような笑顔で、ステップを踏む。
少年の濁りのない声は、
大人の濁った心も、澄み渡らせていく。
5歳のマイケル・ジャクソン。
天使の歌声をもつ少年は、天使ではいられなくなる。
マイケル・ジャクソンの出現
楽しいから歌うのは、アマチュア。
辛くても歌うのが、プロフェッショナル。
11歳のマイケル・ジャクソンは、
もう、プロの顔になっていた。
ジャクソン5の一員としてメジャーデビューした途端、
全米ヒットチャートのNO1に躍り出た。
いちばん小さな少年が、リードボーカルだった。
11歳の少年のパフォーマンスに全米が沸いた。
いちばん真剣に歌っていた。
無心の笑顔で。
11歳のマイケル・ジャクソン。
それはもう、プロの顔だった。
マイケル・ジャクソンの独立
人形のように愛らしい少年も、
人間の生々しさをもつ青年になる。
声変わりをしたマイケル・ジャクソンは、もう少年ではない。
音楽プロデューサーの
クインシー・ジョーンズと出会ったとき。
マイケルは尋ねた。
誰か僕に合うプロデューサーはいないかな
すると、クインシーはこう答えた。
私じゃ駄目かな
クインシーの手ほどきで、
マイケルは作詞・作曲を手がける。
20歳のマイケル・ジャクソン。
大物プロデューサーは、人形を人間に変えていく。
マイケル・ジャクソンの拡大
見える壁は壊すことが出来るけれど
差別という見えない壁は、壊し方すらわからない。
当時、MTVでは黒人の作品は放送されなかった。
その壁に風穴をあけたのは、マイケル・ジャクソン。
1983年1月。
「Billie Jean」が、
MTVで繰り返し流される。
輝くようなマイケルがそこにいた。
そのときは批判的だった一部の人間も、
12月に「Thriller(スリラー)」が公開されると、口を閉ざした。
25歳のマイケル・ジャクソン。
彼はそのまま、頂点までのぼり詰めた。
どんな壁も、マイケルの音楽を閉じ込めておくことは出来なかった。
マイケル・ジャクソンの白と黒
「白人も黒人も関係ない」
と、マイケル・ジャクソンは歌う。
白人と黒人の関係に、
誰よりも苦しんでいたから。
1991年に発売された「Black or White」。
違いを乗り越えようとする歌は、世界を動かした。
世界20カ国以上でナンバーワン。
全米チャートで、7週連続ナンバーワン。
それでも、マイケルは満たされない。
お金も地位も名誉も、すべてを手に入れたのに。
33歳のマイケル・ジャクソン。
白い肌になりたくて、なりたくて。
生まれたときとは違う姿に、なっていく。
マイケル・ジャクソンの夢
天使の歌声を、お金に換えていく。
そんな大人たちに囲まれていたマイケル・ジャクソン。
期待に応える少年を演じながら、心の中に壁をつくった。
本当の自分を守るために。
カリフォルニア州サンタバーバラの「ネバーランド」。
そこは、マイケルの「砦」だった。
そこに素顔のマイケルがいた。
動物たちと戯れ、子供たちと遊ぶ。
マイケルの心の中は、「大人立ち入り禁止」だった。
マイケル・ジャクソンの最期
天才といわれたエンターテイナーは、
自分の人生のラストを創りこめなかった。
ロンドンでのファイナル公演は、もうすぐだった。
マイケル・ジャクソンの人生の幕は、突然おろされた。
同時代を生きたマドンナはこう追悼した。
世界は偉大な人を失ったが、彼の音楽は永遠に生き続けます
映画監督のスティーブン・スピルバーグもこう語る。
マイケル・ジャクソンに匹敵する人はもう2度と現れないだろう。
彼の才能、驚き、ミステリーがマイケルを伝説にする
そして、最愛の音楽プロデューサー、
クインシー・ジョーンズはこうコメントした。
私は今日、弟をなくした。
私の心の一部も、彼と一緒になくなった