雨の詩集 ④八木重吉
雨の詩集。
八木重吉の『雨』。
雨のおとがきこえる
雨がふってゐたのだ
あのおとのように
そっと世のためにはたらいてゐよう
雨があがるように
しづかに死んでゆこう
そして、若い詩人は、
詩集を一冊だけ出して、
ほんとうに静かに死んでいった。
雨の詩集 ④八木重吉
雨の詩集。
八木重吉の『雨』。
雨のおとがきこえる
雨がふってゐたのだ
あのおとのように
そっと世のためにはたらいてゐよう
雨があがるように
しづかに死んでゆこう
そして、若い詩人は、
詩集を一冊だけ出して、
ほんとうに静かに死んでいった。
雨の詩集 ⑤リチャード・ブローティガン
雨の詩集。
リチャード・ブローティガンの、
『カフカの帽子』。
雨が降っている
屋根の上に
外科手術的に降っている
ぼくは
カフカの帽子のような
アイスクリームを食べた
横たわって
じっと天井を見ている
患者をのせた手術台のような
味のアイスクリームだった
ブローティガンは、
テンガロンハットをかぶって
写真に写っていることが多い。
帽子が好きなひとは、
他人の帽子も気になるのだろうか。
20世紀初頭のプラハの街角を
歩くとき、カフカはどんな帽子を
かぶっていたのだろう。
ブローティガンの言葉を通して、
見たことのないカフカの帽子を
わたしたちは想像する。
groovysisters
雨の詩集 ⑥種田山頭火
雨の詩集。
種田山頭火の俳句。
夕立が洗つていつた茄子をもぐ
40歳を過ぎて山頭火は旅に出る。
ほぼ無一文。托鉢僧の姿で物乞いし、
見ず知らずの家で、ひとつまみの米を
わけてもらったりした。
こんやの寝床はある若葉あかるい雨
五七五の形式からも、
この社会の決まり事からも、
はみ出していった、山頭火の句。
何も持たないひとの、
一種ふしぎな明るさに、
わたしたちは救われる。
雨だれの音も年とつた
雨の詩集 ⑦マザーグース
雨の詩集。
『マザーグース』より、『Rain』
Rain on the green grass,
And rain on the tree,
Rain on the house-top,
But not on me…
雨よふれ
草の上に 樹の上に
屋根の上にも
雨よふれ
ぼくだけよけてね
英国の、遠い昔の子どもたちの、
かわいい自分勝手。
jamesgrayking
雨の詩集 ⑧アーサー・フリード
雨の詩集。
アーサー・フリードの
『Singin’in the Rain』
♬〜
僕は雨の中で歌ってる
ずぶぬれで歌ってる
なんてすばらしい気分
幸せいっぱい
雲にも笑いかけて
空は真っ暗だけど
心のなかにお日様がいる
恋は準備万端
〜
そう歌いながら、
雨の中でジーン・ケリーが踊る、
ミュージカル映画『雨に唄えば』。
踊り出す直前の場面で、
彼は恋する女性を抱きしめキスをする。
恋に浮かれた男には、雨さえも、
祝福のしるしに見えるのだ。
maneki-neko
円空と木喰 1
江戸時代、作仏聖(さぶつひじり)と
呼ばれる僧侶がいた。寺に定住せず、
日本各地を転々と旅して廻り、
行く先々で請われて仏像をつくり、
寺に残して去っていった。
災害や疫病、天候不順による不作。
苦しみも悲しみも、生も死も、
運命として受け入れるほかなかった
当時の庶民。ただ黙してひたすら
祈る人々のそばに、木彫りの仏像はあった。
円空と木喰。
後世にその名を最も知られた
ふたりの作仏聖。彼らが残した仏像の多くは、
いまも各地の寺にある、現役の仏像だ。
円空と木喰 2
円空は、
生涯に12万体の仏像をつくった、
という記録が残っている。
現在、円空作と確認されているのは、
そのうち、約5000体にすぎない。
一本の鉈で樹を伐り出し、
何種類かの鑿で大胆に削っていく。
削ったまま、刃物の荒々しい痕跡を
残したままのその仏像は、
悟りと言うには激しく強烈な個性を
主張している。
仏像は、さいしょから木の中にいる。
円空は鉈をふるって、木の中にいる仏を
取り出しているだけ。
円空がつくった円空仏を見ていると、
そんな気さえしてくる。
円空と木喰 3
自由奔放で荒々しい
木彫りの仏像を数多く残した僧、円空。
1632年、美濃国に生まれた円空は、
19歳とき、長良川の氾濫で母を亡くす。
23歳のとき美濃を出て、
隣国近江国の伊吹山太平寺に入る。
険しい山の上にある修験道の寺で
厳しい修行を積んだ。
諸国へ旅に出たのは、30歳を過ぎたころ。
旅先で木彫りの仏像を残した。
円空が彫った仏像は、一木造の丸彫り。
本体から台座まですべて一本の木だけで彫って、
彩色もしなければ漆や金箔も張らない。
節も曲がりも生かし、もとの木が宿していた
表情に逆らわなかった。
栃木県清龍寺にある不動明王像。
一本の木の下に仏の姿を彫り、
上の方はほとんど手を加えず、
荒々しい木肌を不動明王の背負う炎に
見立てている。
路傍で立ち枯れた木を伐ったり、
どこにでも落ちているような木の切れ端を
無造作に拾っては鉈や鑿をふるい、
ごく短時間のあいだに何体も仕上げていった。
円空が彫った仏像、円空仏。
木の切れ端でつくったから木っ端仏、
と呼ばれることもある。
円空と木喰 4
諸国を旅して廻り、
訪れる先々で木彫りの仏像を残した
作仏聖、木喰。
1718年、甲斐国古関村の
名主の家に生まれたが、14歳のとき家出。
22歳のとき、相模国の大山不動尊で出家。
古くから真言密教の修験道場として栄え、
江戸の庶民から「大山詣り」の
信仰をあつめてきた寺。
20年、修行に努め、「木喰」を名乗る。
諸国修行の旅に出るのは、それからまた
10年の歳月を経た、56歳のとき。
このときまで、木喰は、
仏像など彫ったこともなかった。
円空と木喰 5
修験道の修行のひとつに、
「穀断ち」という行がある。
穀物を食べることを禁じる行で、
米・麦・粟・稗・豆など五穀と呼ばれる
作物は人間の穢れにまみれた
俗世のものと見なし、それを断つことで
身を清廉にしようとした。
穀物を食べずに木の実や草の根のみを
食べたので、穀断ちの行は
別名「木喰戒」とも呼ばれた。
文字どおり、「木を喰らう」。
木彫りの仏像で知られる「木喰」も
この行を積み、その名も木喰とした。
木喰は、1778年、諸国修行で廻った
蝦夷国の松前で円空が残した円空仏に出会う。
それがきっかけで仏像をつくりはじめた、
と唱える研究者がいる。
真偽のほどは定かではないが、
木喰が60歳を過ぎてから仏像造りを
はじめたのは事実だ。
円空仏が直線的で荒々しいとすれば、
木喰仏は曲線的で丸みを帯び、おだやか。
そして、木喰仏は、笑っている。
円空仏も微かに神秘的に微笑んでいるが、
木喰仏は、破顔一笑、天真爛漫に
大笑いしている。
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