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古田彰一 09年8月1日放送

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ジョン・ワナメーカー
  

アメリカのデパート王、
ジョン・ワナメーカーが、
広告について語ったことがある。

 「広告費の半分は無駄だということがわかっている。
 しかしどっちの半分が無駄なのかがわからないんだ。」

ネット広告の時代になって、
広告は科学的になったと言われるけれど。

狙い通りに人の心が動かせるほど、
ニンゲンはシンプルじゃない。

少なくとも「この広告は必ず効きます」
なんて語るクリエイターのプレゼンは、
話半分に聞いておいた方がいいようだ。

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イアン・ソープ

泳ぐスピードが一直線に速かったことから
「魚雷」ともあだ名された、イアン・ソープ。

シドニーオリンピックで金メダルを連発したあと、
彼はこう語った。

 「金メダルは僕のゴールではありません。
 金メダルを取ったあとの10年を意識していました。」

プールの壁で止まるのが、ふつうのスイマー。
壁の向こう側までたどり着こうとするのが、金メダリスト。

もしもいま、あなたが何かに迷っているとしたら。
ゴールをあえて遠くに置いてみるといい。

気づいたときには、「魚雷」のように
はじめのゴールは突き抜けている。

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モートン・フェルドマン

モートン・フェルドマンの曲は、退屈だ。

たとえば「フィリップ・ガストンの為に」は4時間。
「弦楽四重奏曲第二番」は6時間。
その間、ひたすらに抑揚のない演奏がつづく。

もちろんCD一枚には収まらない。
演奏会は腰痛持ちの人には気が遠くなる長さだ。

しかしそんなフェルドマンには、
意外にも日本人のファンが多いという。

枯山水の庭に水の流れる音を聴き、
蛙が飛び込む古池に無限の静寂を感じる日本人。

一見退屈なフェルドマンの音楽は、
音と音の間の空白に耳をすますことができれば、
永遠に飽きの来ない宇宙のメロディとなる。

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イングリッド・バーグマン

美人を見慣れているはずのハリウッドでも、
イングリッド・バーグマンの美貌は群を抜いていた。

数々の作品で知的な美しさをふりまき、
生涯で三度ものオスカーを獲得。

苦労を知らないエリート女優のイメージがあるが、
実際のイングリッド・バーグマンはまったく逆だった。

 「私は、できなかったことは後悔しない。
 やらなかったことだけを後悔する。」

一流の監督たちが音を上げるほどのチャレンジ魂。
美人でガッツがある女性は、素敵というより無敵です。

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チャールズ・ダーウィン

 最後に生き残るのは、
 強い生き物ではない。
 賢い生き物でもない。
 変化できる生き物だ。

この言葉は、進化論で有名なダーウィンが
「種の起源」の中で語ったとされる。

しかしどこを探しても、
そのような記述は見つからない。

きっと、ダーウィンならそんなことを言ったはずだ、
いや、言っているに違いない、
というか、言っていて欲しい。

変化の激しいこの時代を生きていく勇気が欲しいから。
人々の思いが集まり、進化して、創り出された言葉だった。

 最後に生き残るのは、
 強い生き物ではない。
 賢い生き物でもない。
 変化できる生き物だ。

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野村克也

楽天イーグルスの監督、野村克也は
人を育てる天才と言われる。

人を育てるにはとにかく褒めることだ、と言われるが
野村監督は3分の1しか人を褒めない。

まず、まったく話にならない段階では「無視」する。
少し、見込みが出てきたら「褒める」。
そして中心人物に成長したら、「非難する」のである。

だから褒めるのは全体の3分の1。
この育て方で、江夏が、池山が、古田が、
スーパースターに成長した。

さて、若きヒーロー、マーくんにはどんな声を掛けるか。
野村監督のセリフは、試合よりも楽しい。

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タイガー・ウッズ

生タイガー・ウッズに憧れて、
プロゴルファーを目指す若者は、世界中に数多い。

彼のプレイを徹底的に研究し、
肉体とメンタルを鍛える。
いつかタイガーに追いつく日を夢見て。

しかしそんな次世代の卵たちに、
タイガーはあっさりと言う。

 「次のタイガー・ウッズになろうとしちゃダメだ。
 自分のベストを目指すべきだ。」

その人を目標にする限り、
その人を超えることは出来ない。

本当に憧れるべき相手は、
まだ見ぬ未来の自分なのかもしれない。

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古田彰一 09年5月24日放送

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スティーブン・スピルバーグ

母子家庭で育ったスティーブン・スピルバーグは、
映画「E.T.」を境にして、大人になった。

映画では、母子家庭で育つエリオット少年の前に、
父親の不在を埋めるかのようにE.T.が現れる。

それから実にラスト近くまで、
映画には母親以外の大人の顔が写らない。

エリオットがE.T.との別れを覚悟したとき、
はじめて大人たちの顔が見え始めるのだ。

それは少年が大人への一歩を踏み出す物語であり、
スピルバーグ自身が社会を受け入れるステップでもあった。

スピルバーグは、映画を撮ることで成長した。
彼にとって父親とは、彼自身の映画そのものだった。






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バッハ

近代音楽の父、といえばバッハを指す。

バッハ以前の音楽には、主旋律と伴奏の区別がなかった。
あらゆる音が、同等に、入り交じって鳴っていた。

バッハが主旋律という概念を発明しなければ、
エルヴィスが恋を歌うことも、
ストーンズが反抗を叫ぶことも、
ジョンが平和を訴えることも、なかった。

すべての音楽を壊して、
すべての音楽を作ったバッハ。

彼は音楽史上、最大のロックン・ローラーだった。

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シャルル・ボードレール

フランスの詩人、シャルル・ボードレールは、
意外とカジュアルな一行も残している。

「女と猫は呼ばないときにやってくる。」

さて、どう取るか。
1. 女に失礼である
2. 猫に失礼である
3. どちらもその身勝手さが好きである
4. どちらも呼んでも来ないし呼ばなくても来ない

たった一行でその人なりの人生観まで
呼び起こされてしまうところが、
なるほどくやしいがボードレール。

ちなみにボードレール本人は
女性に不自由しなかったダンディ詩人。
そこがまたくやしい。

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アラン・ケイ

パーソナル・コンピュータという概念を考え出したのは、
科学者アラン・ケイである。

マウスによる操作方法、
ノートパソコンの誕生、
インターネットの発展。

なぜ60年代の昔に、
すべての予想をズバリ的中させることが出来たのか?

「未来を予測したければ、
未来をつくればいい。」

そこにはタネも仕掛けもなかった。
アランは、今日も未来を作り続けている。

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アラン・スミシー

アラン・スミシーという映画監督がいる。
だが、アラン・スミシーという映画監督は実在しない。

彼が現れるのは、ハリウッドの映画会社と
監督とのあいだにトラブルが発生したとき。

つまり監督が降りてしまったときに
やむなくクレジットされる、架空の監督なのだ。

ハリウッドはこの事実を隠し続けたが、
人の噂は止められない。
とうとう2000年にアラン・スミシーの
存在を認めて、引退させた。

でも、アランは一人だけだったのか。
あなたが好きなあの映画監督も、
本当はこの世にいないのかもしれませんよ。

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阿久悠

言葉は相手のためにある。

作詞家、阿久悠の歌詞には、
いつも行間が空けられていた。

聞いている人の気持ちが入るスキマが必要だ、
それが歌謡曲のコツなんだと、阿久悠は語った。

だが時代の流れは
歌謡曲から J-POPへと移ろう。

「歌謡曲は、みんなで思いを共有できる映画だ。
J-POPは、作り手の思いを吐き出すブログだ。」

晩年にそう語った彼は、少し寂しそうだった。

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アーサー・C・クラーク

「じゅうぶんに進歩した科学は、魔法と見分けがつかない。」

「2001年宇宙の旅」で有名なSF作家、
アーサー・C・クラークはそう語った。

たしかに、100年前の人間がやってきて
いまのくらしを見たら。
私たちは魔法使いのように見えるだろう。

しかし進歩したのは便利さだけ。
人生の過ごし方や幸せの作り方なんかは
ちっとも進歩していない。

「人類は、まだまだ幼いのだ。」

クラークが語るように、人類は次のステージに行けるのか。
残念なことに、2001年をとうに過ぎているのに、
木星までの宇宙の旅すら、まだ実現していない。






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アイルトン・セナ

その人の名を聞くと、その時代を思い出す。

F1ドライバー、アイルトン・セナは
日本のバブルに呼応するかのように現れた。

レースで勝利を重ねるセナに、若者たちは熱狂。
日本経済がそうであるように、
サーキットの宴も永遠に続くと思われた。

熱病のような興奮は、
ブラウン管に映し出されたたった一行の速報で凍り付く。

イタリア・イモラサーキット、午後6時40分。
高速タンブレロコーナーで、
アイルトン・セナはすべての走りを終えた。

ブラウン管の前で、若者たちは泣いた。
音を立てて、時代の底が抜け落ちたのがわかった。

それからほどなくして、日本のバブルもはじけてとんだ。

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古田彰一 09年4月19日放送

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エド・ウッド




エド・ウッドは史上最低の映画監督として名高い。
生前はもちろん、この世を去ってからも
「もっとも映画作りが下手な監督」と酷評された。


そんな彼に憧れて映画監督になった人たちがいる。
ティム・バートン、デヴィッド・リンチ、
サム・ライミ、クエンティン・タランティーノ。


エド・ウッドの破天荒な作品を見て、
そこに映画づくりの新しい可能性を見出したのだ。


エドは、映画監督としては二流だったが、
一流の映画監督をつくりだす天才だった。












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ロバート・ジョンソン




生きているうちに評価される人と、
その人生を閉じてから評価される人がいる。


ミシシッピー・デルタブルースの創始者、
ロバート・ジョンソンがそうだった。


彼の悪魔的なギターテクニックは、
文字通り、悪魔と契約して手に入れたと言われる。


みずからの魂と引き替えにした
その人生は、果たして短かった。


ロバート・ジョンソン、27歳の夏。
わずか29曲を残してこの世を去る。


ローリングストーン誌が、もっとも偉大なギタリスト
5人にロバートを選んだのは、21世紀になってからのことである。





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オスカー・ワイルド




男はいつも最初の男になりたがる。
女はいつも最後の女になりたがる。


イギリスの劇作家、オスカー・ワイルドは言った。


男と女の本質をこんなにも鮮やかに看破できたのは、
オスカーが同性愛者だったから、という説もある。


それはともかく、
最初の男として、最後の女として
出会いたいという男女の関係は、
なるほど最初から難しく仕組まれている。












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ヘンリー・フォード




自動車の大量生産システムを発明した
ヘンリー・フォード。


彼は自動車を
大衆の手の届くものにしたかった。


だがしかし、決して
大衆の意見を聞こうとはしなかった。


 お客にどんな乗り物が欲しいかと聞いたら、
 速い馬という答えしか返ってこなかっただろう



ヘンリー・フォードの時代に、
マーケティングという考え方は存在しなかった。
だからこそ、彼は馬車を大量生産しなくてすんだのだ。





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イチロー




2004年10月、
メジャーリーグの年間最多安打記録が
84年ぶりに塗り替えられた。


イチローがその偉大な記録を打ち立てたとき、
インタビューに答えて言った。


 小さな一歩の積み重ねが、
 とんでもないところへ行けるただひとつの道だと思う。



うまくやるコツや、成功の秘訣や、人生の裏技。
そんなものに期待してはいけない、とイチローは教えてくれる。


そして2009年4月
あらたな山の頂に達したイチローは語った。


 張本さんにしか見えていなかった景色を
 僕も見ることができました



天才は、努力の足し算でできている。





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スティーブン・ジョブス




アップルコンピュータの創始者、
スティーブ・ジョブズは
相手を口説き落とす大天才。


なかでも有名なのが、ペプシコーラのCEO、
ジョン・スカリーをヘッドハンティングしたときの台詞。


 砂糖水を売って一生を終えたいのか、
 それとも世界を変えたいのか



この殺し文句はナイフよりも深くスカリーの心に突き刺さった。
プライドを揺さぶってからプライドをくすぐる、
巧みな台詞だった。


その後、スティーブ・ジョブズは、スカリーとのいざこざで
自分の会社であるアップルをクビになってしまうのだが、
それはまた別のお話。





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植村直己




冒険とは、生きて帰ること。


冒険家、植村直己はいつもこう語っていた。
だが、彼の姿はマッキンリーの氷雪の中に消える。


冒険とは、生きて帰ることって言っていたのに、
ちょっとだらしないじゃない。だらしないじゃないの…


冒険家の妻、植村公子は
悲しみをこらえながら、帰らぬ夫をしかった。


度重なる捜索にも関わらず、
ついに植村直己の姿が発見されることはなかった。
きっと、彼の冒険はまだ続いているに違いない。

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伊福部昭




作曲家の伊福部昭(いふくべあきら)は
映画音楽にはイクタスが必要だ、
と語っていた。


イクタス。


音の張りや音域の広がりといった
意味の専門用語。


しかし伊福部は、
「あなたの音楽には、
いま聴いている音楽以上の何かがあるか」
という意味合いでその言葉を用いた。


伊福部昭といえば、あのゴジラのテーマ曲。
当時、ゲテモノ映画と言われたゴジラが、
いまなお愛され続けているのは、
そこに映画以上の何かである「イクタス」が
与えられたからに違いない。


ガオー!





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古田彰一

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古田彰一の仕事
http://www.otsuka.co.jp/ulos/cm/


古田彰一のラジオ
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