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名雪祐平 15年2月28日放送

150228-02
KYR
わび 前衛 利休

完全は不完全である。
不完全は完全である。

千利休は息子の少庵が
茶室につづく露地を掃除するのを見ていた。

掃除を終えたとき、利休は
「まだきれいになっていない」と
何度もやり直させた。

「父上、これ以上は無理です。
 小枝一本、木の葉一枚も地面にはありません」

利休はたしなめた。
「露地の掃除はそのようにするものではない」

利休は一本の木に手をかけて揺すりはじめた。

すると、はらはらと紅葉が舞い、
露地に散った。

そこには人工の完全な美しさではなく、
自然な不完全な美しさがあった。

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名雪祐平 15年2月28日放送

150228-03

わび 前衛 利休

千利休が竹で作った花入の傑作。
『圓城寺の筒』

ある茶会でのこと。
利休がこの花入に花を生け、床の間に掛けた。

竹の表面には大きなひび割れがあったため、
水がしたたり落ち、畳を濡らしてしまう。

客たちが、これはどうしたものでしょうと
たずねると、利休は答えた。

 この水が洩れるところこそ、命なのです。

花入から流れゆく水のしずく。

そこには既成概念を逆転する美があった。
現代美術にも通じる「破格の美」だった。

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名雪祐平 15年2月28日放送

150228-04
Christian Kaden
わび 前衛 利休

秀吉の
好きな色は、派手な赤。
嫌いな色は、陰気な黒。

それを知りながら、
千利休は平然と黒樂茶碗に茶をたて
秀吉に出した。

利休いわく
黒は古き心なり。

強烈な美意識の対決。

目の前に出された黒が
秀吉の茶の権威を試しているようだった。

同じ年、さまざまな理由があったと言われるが、
秀吉は利休に切腹を命じた。

秀吉の好きな色は、赤。
赤は黒に混じると黒になる。

2月28日、利休命日。
黒は古き心なり。

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名雪祐平 14年11月29日放送

141129-01
Lynda Giddens
アーサー・アッシュ

2014年、全米オープンテニス
男子シングルス決勝。

アジア人として初めて錦織圭が立った
決勝の地には、偉大な黒人プレイヤーの名が
刻まれている。

「アーサー・アッシュ・スタジアム」

アッシュは幼い頃から人種差別を受け、
ジュニアのトーナメントへの出場さえ
かなわなかった。

しかしテニスと学業に真摯な態度で取り組み、
やがて正確なテクニックと冷静なゲームメイクの実力を
身につけていった。

時代と共に試合出場の機会も増えていく。

1968年、全米オープンテニス
男子シングルス決勝。

優勝、アーサー・アッシュ。
黒人プレイヤー初の快挙だった。

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名雪祐平 14年11月29日放送

141129-02

ジョン・マッケンロー

1981年、ウインブルドンテニス
男子シングルス1回戦。

紳士の国の、紳士のスポーツのコートに
ちっとも紳士らしくない若者が立った。

ジョン・マッケンロー、22歳。

マッケンローの鋭いショットがライン際で弾んだ。

アウト!

そうジャッジした審判に怒り狂うマッケンロー。
会場中に響き渡る大声で罵った。

 You cannot be serious!!
 ふざけるな!

観客の拍手とブーイングの中、猛抗議はつづく。

 おまえは世界の悪だ!

「悪童」とアダ名されたマッケンローから
悪呼ばわりされるとは審判も思いもしなかっただろう。

一球への、ものすごい執念。

この大会で、
マッケンローはウインブルドン初優勝を遂げた。

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名雪祐平 14年11月29日放送

141129-03
Guillaume P. Boppe
アッシュとマッケンロー

1981年、デビス・カップ
男子テニス決勝。

アメリカチームの監督はアーサー・アッシュ。
勤勉な態度で尊敬される紳士。

チームのエースは悪童ジョン・マッケンロー。
わがまま放題の天才プレイヤー。

予想通り、二人は激しく対立した。

決勝戦で、審判や相手プレイヤーを侮辱し
国の代表としての誇りを汚すマッケンローに
アッシュは厳しく告げた。

つぎも同じことをやったら
わがアメリカチームは棄権する、と。

マッケンローは冷静になりゲームに勝ち、
アメリカを優勝に導いた。

アッシュは感じたことがあった。

 自分のなかにもマッケンローと
 同じような性格がある。

 
 私には抑えることしかできない感情を
 彼が形に表してくれている。

そう気づいたとき、マッケンローへの怒りは消え、
あたたかい敬愛に変わっていた。

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名雪祐平 14年11月29日放送

141129-04

チャンと錦織

1989年、全仏オープンテニス
男子シングルス4回戦。

まだ17歳のマイケル・チャンが
当時の世界No.1、イワン・レンドルと
死闘を繰り広げていた。

チャンの足には痙攣が走り、
体力は限界。

そのとき、チャンは相手を馬鹿にするような、
アンダーサーブを打つ。

まさか。

意表を突かれたレンドルはペースを乱され、
この試合を敗退。

チャンは決勝まで進み、
史上最年少の四大大会チャンピオンになった。

2014年から、チャンは錦織圭のコーチに就任。

男子テニスのスーパースター、フェデラーの
ポスターを部屋に飾っていると話した錦織に
チャンは告げた。

 コートに入る時は
 相手に対するリスペクトは捨てろ。

2014年、錦織は
世界ランキング17位から5位に躍進した。

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名雪祐平 14年10月25日放送

141025-01
Uwe Gille
陸という乗物 アルフレート・ヴェーゲナー 1

標高8488m

このエベレストの標高が
つねに変化しているという。

エベレストが聳えるヒマラヤ山脈は
インド・オーストラリアプレートと、
ユーラシアプレートの
2つの大陸同士が衝突して盛り上がった。

今も移動を続けているプレートの影響を、
ヒマラヤ山脈も受けているという。

この『大陸移動説』を初めて唱えたのは
ドイツ人の気象学者アルフレート・ヴェーゲナー。

ヴェーゲナーには、気球を使った高層気象観測の
パイオニアであるなど旺盛な冒険心があった。

その冒険心によって、
常識の壁を気球のように飛び越え、
大陸は移動する、
という大発見をものにしたのだ。

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名雪祐平 14年10月25日放送

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陸という乗物 アルフレート・ヴェーゲナー 2

ドイツ人の気象学者
アルフレート・ヴェーゲナーが
世界地図をひろげていた時、目を見張る。

大西洋をはさんで
はるか離れた南米大陸と、
アフリカ大陸の海外線の凸凹が
極めて似ていたのだ。

地球の大陸は動いている!

99年前、ヴェーゲナーはその著書で
地球の大陸は、もともと1つの超大陸が分裂し、
漂流して現在の姿になったという
『大陸移動説』を提唱。

しかし、世間は嘲笑った。

『大陸移動説』はまったく評価されないまま
約50年間、眠りにつく。

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名雪祐平 14年10月25日放送

141025-03

陸という乗物 アルフレート・ヴェーゲナー 3

99年前、
ドイツ人の気象学者アルフレート・ヴェーゲナーが
『大陸移動説』を発表した時、
猛烈な反発があった。

当時、古典的な化石や地層の研究が主流だった
地質学者たちは、大陸が移動するというスケールの大きさに、

そんな馬鹿な。
専門外の気象学者が何を言うか。

とまったく認めようとしなかった。

ヴェーゲナーは科学的に立証しようと、
零下54℃のグリーンランドを探索中、遭難してしまう。

50歳の誕生日に、猛吹雪にその姿は消え、
次の年、氷河の中で凍った死体が発見された。

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