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大友美有紀 20年6月7日放送


Σ64
いつかは陶芸旅  笠間焼(かさまやき)

茨城県のほぼ中央に位置する笠間。
ここには江戸時代から続く笠間焼が受け継がれています。

御影石、花崗岩の産地でもあり、
笠間の粘土はこの花崗岩が風化してできたもの。
粘りが強く、成形がしやすく、
また、鉄分を含んでいるので焼き上げたあと、
色づくのが特徴です。

笠間工芸の丘では、
ろくろ体験、手びねり体験、絵付け体験など、
さまざまな陶芸体験ができます。

秋葉原から高速バスで2時間弱。
日帰り陶芸旅に、いかがですか。

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大友美有紀 20年6月7日放送



いつかは陶芸旅  津軽金山焼(つがるかなやまやき)

青森県五所川原駅から車で15分。
津軽金山焼の窯元があります。
金山の大溜池に堆積した粘土でつくる陶器。
釉薬を使用せず、登窯で地元の赤松の薪を焚き、
1350度の高温で焼きあげ固める、
「焼き締め」の手法で作ります。
素朴で深みのある独特な風合いの焼き物が
出来上がるのです。

気軽には行けない場所。
でも行ってみたくなる陶芸の里です。

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大友美有紀 20年5月3日放送



赤羽末吉 生誕110周年

5月3日は絵本作家・赤羽末吉(あかばすえきち)さんの誕生日。
赤羽さんの名前を知らなくても、
「スーホの白い馬」なら、知っていますよね。
教科書に載っていたこともあります。
あの絵を描いたのが、赤羽さんです。

赤羽さんは1910年5月3日に生まれました。
そう、だからこの2020年は、
赤羽さんが生まれて110年目の年でもあるのです。
赤羽さんの生涯を綴ったエッセイ本が出版されます。
展覧会も、計画に上がっています。
赤羽さんを、知ってみませんか。

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大友美有紀 20年5月3日放送



赤羽末吉 50歳

5月3日は絵本作家・赤羽末吉さんの誕生日。
「スーホの白い馬」の画家、今年は生誕110周年です。
赤羽さんは、47歳の時、
茂田井武(もたいたけし)が描く「セロひきのゴーシュ」に出会います。
その絵の美しさに感動した赤羽さんは、
自分も絵本を描くのだ、と決意し
その本の出版社の松居直(まついただし)さんを訪ねます。
松居さんは赤羽さんに何を描きたいのか聞きました。
こたえは「雪」。
そうして、1961年「こどものとも」58号
『かさじぞう』が生まれます。
赤羽さんが50歳の時。
白地に墨で雪景色を描き、
場面ごとに雪の質感、降りかたを
描き分けたといいます。
遅いデビュー。
けれども赤羽さんにしかできない表現でした。

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大友美有紀 20年5月3日放送



赤羽末吉 スーホの白い馬

5月3日は絵本作家・赤羽末吉さんの誕生日。
「スーホの白い馬」の作者です。

「スーホの白い馬」はモンゴルの楽器、
馬頭琴誕生の由来を伝える物語と言われています。
最初に絵本になったのは、福音館書店の子ども向け雑誌、
「こどものとも」でした。1967年のことです。
けれども判型が小さく、モンゴルの雄大さが表現しきれていないと、
後年、大判の絵本として、描き直されました。
横長の見開きに、モンゴル草原の地平線がすうっとひかれ、
馬に乗ったスーホたちはとても小さく描かれています。
この1枚だけで、モンゴルの果てしなさが伝わってきます。
とのさまとの場面では、
椅子に座ったとのさまが、手前に大きくしっかりと描かれ、
スーホは白い馬とともに、小さくシンプルな線と色で表されていて、
奥行きを感じるとともに、スーホの不安な気持ちも伝わってきます。

大人の目で、もう一度読み返すと、
赤羽さんが絵に込めた思いを、より深く感じとれます。

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大友美有紀 20年5月3日放送



赤羽末吉 満州へ

絵本作家・赤羽末吉さんは、1910年5月3日、
東京・神田に生まれました。
少年時代は、紙芝居に夢中になったり、
芝居や映画にもよく連れて行ってもらっていたそうです。

22歳の時、赤羽さんは満州に渡ります。
最初の仕事は運送会社。
仕事はつらく、馴染めません。
そんな時、「コドモノクニ」という絵雑誌に出会います。
表紙の絵は初山滋。
からだに灯がともったような思いがして、
その絵を壁に貼り、独学で絵を描きはじめたのです。

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大友美有紀 20年5月3日放送



赤羽末吉 満州国美術賞

5月3日は、絵本作家・赤羽末吉さんの誕生日。
「スーホの白い馬」を描いた作家です。

赤羽さんは22歳の時に満州に渡り、
運送会社で働くも、仕事になじめず、
電信電話会社に転職。
新京、今の長春に移りました。
そして、そこの建物、お祭り、市場、自然。
大陸の風土や文化に心を奪われます。
日本とは違う、大陸の景色、文化を研究し、
赤羽さんは、挿絵入りのエッセイを
新聞に発表しました。
満州国美術展にも出品し、
3回も特選賞を受賞するのです。

それが、赤羽さんを
モンゴルの地へと招くことになります。

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大友美有紀 20年5月3日放送



赤羽末吉 チンギス・ハーン廟

5月3日は、絵本画家・赤羽末吉さんの誕生日。
戦時中、満州で画家として活動していた赤羽さんは、
あるとき「チンギス・ハーン廟」の壁画を依頼されます。
取材のために内蒙古を訪れ、
草原に立って、360°見渡すと
一方では暗雲、一方では晴天、もう一方は雨。
雄大なスケールのモンゴルに感激したといいます。
その時に、スケッチとともに何枚もの写真を撮っています。
終戦後、膨大なスケッチと写真は
荷物のあちこちに隠し、持ち帰りました。
引き揚げ当時、それは禁じられていた行為です。
見つかったら日本に帰してもらえなくなる。
そんな危険を冒してでも、
手元に置いておきたかったのでしょう。

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大友美有紀 20年5月3日放送



赤羽末吉 モンゴルを描きたい

5月3日は、絵本作家・赤羽末吉さんの誕生日。
50歳の時に「かさじぞう」で絵本作家デビューした赤羽さんは、
編集長の松居直さんに
「次は何を描きたい?」と聞かれると
モンゴルのことを描きたいと答えたそうです。
引き上げの時に、必死の思いで持ち帰った
スケッチや写真をもとに何かを描きたい、
その思いがあったのでしょう。
そして後日、中国民話を再話した
「スーホの白い馬」を
描いて欲しいと依頼が来たのです。

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大友美有紀 20年5月3日放送



赤羽末吉 国際アンデルセン賞

5月3日は、「スーホの白い馬」の絵本作家・
赤羽末吉さんの誕生日。
1980年、「国際アンデルセン賞」を受賞。
その時70歳。
受賞式のスピーチでは、
今ようやく調子が出てきました、
80歳、90歳にかけていい仕事ができるのではないか、
と語っています。
けれど、その10年後亡くなってしまいます。
赤羽さんの「いい仕事」には、
今でもたくさん出会えます。

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