‘大友美有紀’ タグのついている投稿

大友美有紀 20年1月5日放送



シャンデリア 芝居小屋のシャンデリア

熊本の芝居小屋にシャンデリアがある。
明治43年建築の「八千代座」だ。
廻り舞台、花道、桟敷席、升席。
江戸時代の歌舞伎小屋の様式で建築された。
天井には広告画、真鍮のシャンデリアがあった。
しかし昭和40年代に入ると芝居人気が下火になり、閉鎖状態に。
戦時中の金属供出で、シャンデリアもなくなっていた。
それを惜しんだ老人会が「八千代座」復活の運動を始める。
若者たちもそれに続いた。
昭和63年、国の重要文化財に指定。
シャンデリアも復元された。

洋館やコンサートホールのシャンデリアもいいけれど。
芝居小屋のシャンデリアも趣がある。

topへ

大友美有紀 20年1月5日放送


Getty Images|Patrick McMullan Sean Zanni
シャンデリア METガラ

毎年5月の第1月曜日に、
ニューヨークのメトロポリタン美術館で開催される
「METガラ」。
メトロポリタン美術館のコスチューム・インスティテュートの
ファッションの展覧会のオープニング・イベントだ。
数多くのセレブが、工夫を凝らした衣装で登場し、
広くメディアにとりあげられる。
2019年のテーマは、
「不自然なもの、人工的で誇張されたものを愛好する感性、美学」。
アーティストのケイティ・ペリーは、
シャンデリアの帽子とスカートで登場した。
テーマの解釈にあっていない、
ただキッチュなだけ、という評価もあった。

けれども、シャンデリア好きは、
きっと真似したくなるだろう。

topへ

大友美有紀 20年1月5日放送


CMCbells
シャンデリア アクション

シャンデリアは、華やかな、
光り輝くだけの存在ではない。
時にアクションの道具になる。
シャンデリアにつかまり、
敵からの攻撃をかわす。
華奢で壊れそうなデザインの
シャンデリアにつかまるのだからハラハラする。
昨年公開された映画「ダンスウイズミー」でも、
そんなシーンがあった。
主人公が、シャンデリアにぶら下がって
気持ちよく歌い上げている。

最後に、シャンデリアが落ちてきて壊れる、
というオチつき。

やはりシャンデリアは非日常を演出する。

topへ

大友美有紀 20年1月5日放送


Yohei Yamashita
シャンデリア 世界最大級

景気が良くなると、シャンデリアが売れる、という。
今、恵比寿ガーデンプレイスでは、
バカラ社の、世界最大級のシャンデリアが展示されている。
高さ5メートル、幅3メートル。
クリスタルのパーツは、8500。
その華麗な輝きは1月13日まで見ることができる。

2020年の今年、はたして景気が良くなるのか。
シャンデリアを眺めて、ひととき贅沢な気分だけでも
味わってみたい。

topへ

大友美有紀 19年12月7日放送



与謝野晶子 いとはん

今日、12月7日は与謝野晶子の誕生日。
晶子の本名は「志よう」だが
「日」が3つの漢字、水晶の晶の漢字をあて、
晶子というペンネームが生まれた。

与謝野晶子、といえば、
情熱に身を任せた奔放な女流歌人、
自分の意思を貫くスーパーウーマン。
そんなイメージがある。

もともとは堺の和菓子屋のお嬢様だった。
誰かと一緒でなければ外出も許されない。箱入り娘。
その箱がきゅうくつで「志よう」は、
晶子になったのかもしれない。

topへ

大友美有紀 19年12月7日放送



与謝野晶子 みだれ髪

今日は、与謝野晶子の誕生日。
明治34年に出版した第一歌集「みだれ髪」は、
世に衝撃を与えた。
やわ肌、唇、乳ぶさという言葉の数々。
恋心を、情愛をほとばしるように歌う女性など、
この時代にはいなかった。

歌集を出す前から、
晶子は「みだれ髪の君」の愛称で呼ばれていた。
油をつけて髪を結うのを嫌い、いつもほつれ髪が、
2、3本、額にかかっていたからだった。
与謝野鉄幹はその「みだれ髪」を愛おしく思い
歌をおくっていたという

topへ

大友美有紀 19年12月7日放送



与謝野晶子 君死にたもうことなかれ

今日は、与謝野晶子が生まれた日。
与謝野晶子といえば、「みだれ髪」であり
「君死にたもうことなかれ」だ。
日露戦争に出征した弟を思い、
明治34年に発表した詩だった。
その内容から、世を害する思想、
国賊だと弾劾された。
批判に対し、晶子は、弟を命を思う、
まことの心を歌ったと主張した。
実は、この詩は、歌集「恋衣」に収録され、
当時一般の人の目に触れることは少なかった。

反戦の歌として広く知られるようになったのは、
第2次世界大戦後のことだ。
「まことの心」は時を超えても人の胸を打つ。

topへ

大友美有紀 19年12月7日放送



与謝野晶子 明るみへ

今日は与謝野晶子の誕生日。
第1歌集「みだれ髪」で世に衝撃を与え、
その後も次々と作品を送り出した。
晶子の評判が上がるにつれ、
夫であり、師でもある与謝野鉄幹の作は、
古いと評されるようになった。
主催していた「明星」は廃刊。
女性関係も激しくなった。
離縁してもおかしくない夫婦の危機に、
晶子は夫を家から追い出す代わりに、
外遊に出すことにした。
しかし、資金がない。
晶子は金屏風に自らの歌を百首書いて
売り出すことを考えた。
そうして渡航費用を貯め、
鉄幹はヨーロッパに旅立っていった。
やっとの事で送り出した後、
晶子はさみしくなるのである。
こんなはずではなかった。
「明るみへ」という小説に、
その心情が綴られている。
その後、晶子もヨーロッパに渡るのだ

topへ

大友美有紀 19年12月7日放送



与謝野晶子 つまらない話が嫌い

今日は、与謝野晶子の誕生日。
晶子と鉄幹の間には11人の子がいる。
鉄幹は、金に無頓着。
常に借金があり貧しかったが、
それを感じさせることはなかった。
次男の秀(しげる)は、
母はつまらない話が嫌いだったという。
女中への愚痴や人の噂話ではなく、
面白い話、美しいもの、豪華なもの、
おいしいもの話が好きだった。
その人生は決して穏やかでなかったはず。
だからこそ、明るく美しいほうへ
心を向けていたのだろう。

topへ

大友美有紀 19年11月3日放送



「ゴジラの日」  1954年11月3日

1954年11月3日、「ゴジラ」が封切られた。

ゴジラを演じた俳優、中島春雄は
封切りの日に、渋谷東宝劇場に行った。
駅から道玄坂の途中にある映画館まで
長い行列が伸びていた。
中島は、満員の劇場の一番前で
スクリーンではなく、観客席を見ていた。
映画が始まっても観客はザワザワしている。
そこへゴジラが登場する。
あの鳴き声が響き渡る。
客席は静まり返ったという。
まさしくゴジラが産声を上げた瞬間だった。

今日はゴジラの日。

topへ


login