小山 優子 青森の青いりんごジャム
りんごといえば赤い。
そんな常識が覆されてしまいそうな
りんごジャムが、青森県にある。
「青い森の天然青色りんごジャム」。
そう、青いジャム。
空よりも深いその色は、
白神山地の青池を思わせる。
青色は、天然由来。
インドのハーブ「アンチャン」で
染められている。
「この美しい青で、頑張っている女性を癒したい」
青森で英会話教室の先生をしていた
小山優子さんが生みの親。
味は青森らしいりんご味。
透き通る宝石のようなジャムである。
小山 優子 青森の青いりんごジャム
りんごといえば赤い。
そんな常識が覆されてしまいそうな
りんごジャムが、青森県にある。
「青い森の天然青色りんごジャム」。
そう、青いジャム。
空よりも深いその色は、
白神山地の青池を思わせる。
青色は、天然由来。
インドのハーブ「アンチャン」で
染められている。
「この美しい青で、頑張っている女性を癒したい」
青森で英会話教室の先生をしていた
小山優子さんが生みの親。
味は青森らしいりんご味。
透き通る宝石のようなジャムである。
愛する人への贈り物
好きな人の気をひくために贈り物をする。
そんな経験が誰にでもあるのではないだろうか。
童話の王様、アンデルセン。
『人魚姫』『みにくいあひるの子』『マッチ売りの少女』など、
多くの童話を残している。
そんなアンデルセンが愛する女性へ贈ったもの。
それは、彼の自伝。
生い立ちから過去の失恋話まで赤裸々に語られていたという。
その書き出しは、
「目に見えない愛の手が私を導いていることを、身にしみて感じる」
詩人としても名高いアンデルセン。
どんなに美しい文章を持ってしも、
意中の女性の心を射止めることはできなかった。
贈り物を選ぶときは、
相手の気持ちが何よりも大切なのだろう。
70歳で亡くなった彼は、
生涯独身だった。
妻への贈り物
ありがとうと、口にするのは時に恥ずかしい。
長年連れ添った夫婦ともなれば、なおさらだ。
日本植物学の父、牧野富太郎(まきのとみたろう)。
彼が命名した植物は2500種以上、
残した植物標本は50万点。
その素晴らしい功績の裏で、
日々の生活は楽ではなかった。
それを献身的に支えたのが、妻の壽衛(すえ)だった。
彼女が亡くなった翌年。
牧野博士は、自身が発見した新種の笹に、
妻への感謝の気持ちを込めて名前をつけた。
その名は、スエコザサ。
彼は、こんな歌も読んでいる。
「家守りし 妻の恵みや わが学び
世の中の あらん限りや スエコザサ」
ニーチェ 膨大な時間
173年前の今日は、
哲学者ニーチェが生まれた日。
彼は、
活発に遊びまわるよりも、
家の中で静かに一人で過ごすことを好んだ。
今風に言えば「引きこもり
だったそうだ。
スマホもネットもない時代。
彼は膨大な時間を
考えること、そして書くことに費やした。
彼はこんな言葉を残している。
「高く昇ろうと思うなら、自分の足を使う。
高いところへは、他人に運ばれてはならない。」
24歳という異例の若さでバーゼル大学の
古典文献学の教授に抜擢。
生涯で多くの本を出版したニーチェ。
自らの努力を信じていたのだろう。
ニーチェ 病気について
173年前の今日は、
哲学者ニーチェが生まれた日。
彼は病気がちだった。
赤痢や、ジフテリア。
大学を辞職したのも、
持病の悪化があったからだと言われる。
彼は病を患っている人について、
こう考えていた。
重い病気に苦しむ人は、
体力こそ十分ではないが、
とても冷静な眼差しで
物事を見つめることができる人だ、と。
ニーチェは晩年、
その魂を削るようなハイペースで
執筆活動を行なった。
彼はこう残している。
「自分を破壊する一歩手前の負荷が、自分を強くしてくれる。」
ハワイの白亜の豪邸
南国の眩しい青空。
その下に立つ、白亜の豪邸。
ハワイ、ホノルルの街の一角にあるワシントン・プレイス。
ここはハワイ王朝最後の女王、リリウオカラニの邸宅。
100年以上前からある建物ゆえに、不思議な噂もちらほらと。
例えば、ガラスケースに納められたジュエリー。
時々、その向きが変わっているのだとか。
ガラスケースには厳重な鍵がかかっていて、
誰も手を触れることはできないはずなのに。
今でもリリウオカラニ女王が
ジュエリーを眺めているのだろうか。
Teemu008
ハワイの白いムームー
日本の幽霊といえば白い着物。
ハワイの幽霊も白いムームーを着ているらしい。
白いムームーを着た幽霊の噂があるのは、
ハワイ王朝栄華の象徴「イオラニ宮殿」。
アメリカ唯一の宮殿だ。
ここで働く守衛が
白いムームーを着たリリウオカラニ女王の幽霊をみたというのだ。
リリウオカラニ女王はハワイ王朝最後の女王。
100年以上の時がたっても、
彼女は愛した祖国を見に現世に現れるのだろうか。
それにしても、
なぜ幽霊は白い服を身にまとっているのだろう。
幽霊の世界にもルールがあるのかもしれない。
五月雨あつめて
五月雨を あつめて早し 最上川
松尾芭蕉、奥の細道の中でも有名なこの俳句。
元々は
五月雨を あつめて涼し 最上川
だったという。
初夏、最上川からの涼しい風が心地よい。
そんな優美な俳句が一変、
水流の激しさを歌うようになったのは、
芭蕉が最上川で、川下りを体験したからだという。
百聞は一見にしかず。
そして、見るよりも体験は強い。
体を使って学んだことは、
何事にも変えがたいのだ。
この夏、あなたは何を体験しに行きますか。
雨が降れば
柿本人麻呂歌集にこんな歌がある。
鳴る神の 少し響(とよ)みて さし曇り
雨も降らぬか 君を留(とど)めむ
意味は、
雷が鳴って、曇って、雨が降ってくれたらいいのに。
もう少しあなたと一緒にいたいから。
愛しい人と離れたくない。
そんな気持ちがよく伝わる愛の歌。
この歌への返事も、また美しい。
鳴る神の 少し響(とよ)みて 降らずとも
我(わ)は留まらむ 妹(いも)し留(とど)めば
意味は、
雷が鳴らなくても、雨が降らなくても、
あなたが一緒にいたいというなら、
私は帰りませんよ。
お互いへの愛が
恥ずかしいほどに伝わって来る。
雨の降る日。
あなたは誰と一緒にいたいですか。
物理学者の少年時代
今日はクラーク博士が
「ボーイズ ビー アンビシャス」
の言葉を残した日。
その少年は、子どものころ勉強が大嫌いだった。
4歳になっても、話すことが苦手だった。
学校では、空想ばかりしている問題児だと思われていた。
だが彼は、後に相対性理論を発表する。
そう。
その少年の名前は、アルベルト・アインシュタイン。
天才物理学者だ。
彼の有名な言葉にこんなものがある。
「天才とは努力する
凡才のことである。」
常識にとらわれず、考え続けた人が
ひとつ飛び出た存在になる。
過去の知識は、検索でなんでも手に入る時代。
未来を作る人は、考える努力を続けられる人なのだろう。
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