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宮田知明 11年7月23日放送



闘うひと~江頭2:50

お前はいつだって全力だと言えるか?オレは言える。

番組に登場する短い時間の中で、江頭2:50ほど
自分と格闘している芸人はいない。

外国で逮捕されたり、番組で全裸になって
出入り禁止にされるような破壊的な芸風に対し、
彼が被災地にボランティアに行ったという話は意外性があり、
大きな話題になった。

でも、本人は特別なことをしたと思っていないらしい。
彼曰く、

おれはお金ないからさ。
体で払ってきただけなんだよ。

確かに、お笑いもボランティアも、
誰かのために体を張るという点では同じ。
全力で生きている、ただそれだけ。



闘うひと~フリードリヒ・シラー

ベートーベンの交響曲第九番
その四楽章の合唱部分の歌詞は、
ドイツ古典主義の代表者である
フリードリヒ・シラーの詩「歓喜に寄せて」を、
その愛読者でもあるベートーベンが歌詞として引用したもの。

詩の内容は、困窮を極めた放浪生活の末、
彼を助けてくれた友人たちに対する
感謝の気持ちを詩にしたものだと言われている。

多くの賛同者を得ながらも、
医学書以外の著作を禁じられ、
幽閉生活、そして亡命。
そんな不遇な経験をした彼だからこそ、
書きあげられた詩だった。

シラーは言う。

人は幸運の時は偉大に見えるかもしれない。
 でも、真に向上するのは、不運の時である。

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宮田知明 11年01月29日放送


オノ・ヨーコ

人の何倍もの、困難な経験をしながらも、
強い女性として生きてきた人、オノヨーコ。

気丈に見える彼女だが、
本人が自分自身を分析しているとおり、
人には想像もつかないような弱いところがある。

その一端を垣間見せた、
近年のジョンレノン スーパーライブでの、
大勢の人の前で泣きながら語った、彼女の言葉。

彼は私にたくさんアイラブユーを言ってくれた。
私ももっとたくさん言えばよかった。

そこには、アーティストでも、シンガーでも、
フェミニストでもない、
1人の男性を愛する、だた1人の女性がいた。

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宮田知明 10年12月18日放送


日本人宇宙飛行士1 毛利衛

日本人宇宙人飛行士の応募条件の中に、
「美しい日本語」という項目がある。

人類を代表して宇宙に行く以上、
ミッションを達成するのはもちろん、
その稀有な宇宙飛行体験を伝えることも大事な役割。

宇宙飛行士、毛利衛は言う。

僕は2回、宇宙へ行かせてもらった。
その経験を広く伝える役割を担っていると思うんです。
僕自身の言葉を発することで、
より多くの人たちにメッセージを届けることができますから。

そんな毛利が宇宙から帰ってきて、最初のインタビューで伝えた言葉。

「地球には、国境線はありませんでした。」

その言葉の、何と美しいことか。

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宮田知明 10年12月18日放送


日本人宇宙飛行士 3 土井隆雄

宇宙飛行士試験に受かっても、
誰もがすぐに宇宙に行けるわけではない。

毛利衛、向井千秋と一緒に、
最初の日本人宇宙飛行士試験に合格した人、土井隆雄。

毛利や向井が宇宙へ行くのを、土井は地上でサポート。
そして向井のサポート中に、
後輩である若田光一が先に宇宙へ旅立ち、
土井に初フライトのチャンスがめぐってきたのは
試験に合格してから12年めのことだった。

土井が宇宙から帰還したときのインタビューの言葉。

わたしは、すでに宇宙ステーションを恋しく思っている。
明日にでも宇宙に戻りたい。

地上にいても
土井が宇宙を愛する気持は誰よりも強い。

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宮田知明 10年12月18日放送


日本人宇宙飛行士5 野口聡一

宇宙飛行士、野口聡一。
宇宙への初フライトまで29日に迫ったその日、
彼の耳に飛び込んできたのは、衝撃的なニュースだった。

2003年2月1日、7名の搭乗員を乗せたスペースシャトル、
コロンビア号が宇宙から帰還する途中、
テキサス上空で空中分解、
乗員全員が死亡するという大事故だった。

NASA全体が、ショックに覆われた。
その後のシャトル計画に「待った」がかかり、
野口のフライトも白紙になった。

本当に自分は宇宙に行けるのか。
そんな不安を抱えながら、
普通の人が100時間かける訓練を、
彼は400時間行い、その時を待った。
それは訓練時間の新記録だった。

野口聡一は言う。

長い間がんばって、しっかりと能力を高めて、
あきらめずに食らいついて、あとは運を信じる。
書いてしまうとあっけないことですが、それだけのことです。

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宮田知明 10年12月18日放送


日本人宇宙飛行士7 星出彰彦

星出彰彦は宇宙飛行士になるまで、
3度も宇宙飛行士試験を受けた。

1回目は学生時代のこと。実務経験が必要という、
条件を満たしていないことを承知での応募。
彼曰く、「意欲を見せるためだった」。

2回目の試験は最終選考まで行った。
でも受かったのは野口聡一、ただ一人。
3回目の試験でようやく採用され、
2007年3月23日、ついに彼は宇宙へ旅立った。

星出には、こんなエピソードもある。
「宇宙飛行士になりたい」と、
小学4年生の時に書いた文集のタイトルは、「きぼう」。
宇宙ステーションの、日本が保有する実験棟の名前も、「きぼう」。

それはきっと、偶然の一致。
でもなぜか、運命のように思わせる、
合格した時を振り返っての、彼の言葉。

たとえこのとき落ちても、 
また次に応募しようと思っていました。

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宮田知明 10年07月25日放送



たとえばこんな映画監督~黒澤明

日本映画界の巨匠、黒澤明が
アカデミー名誉賞を受賞したときのスピーチがある。


 私は、まだ映画のことがよくわかっていません。

そのとき、黒澤監督は80歳。
会場の誰もがその言葉をジョークだと思った。
けれども、黒澤はさらに言葉を重ねた。


 これからも映画という素晴らしいものを
 つかむために努力するつもりです。
 それこそがこの賞に報いる
 唯一の方法だと思うからです。

映画を知り尽くした人の言葉は重い。
世界の黒澤にここまで言わせる映画の素晴らしさを
誰もが再認識するとともに
黒澤が映画にどれほどの愛情をかたむけていたのかを
理解したのだった。



たとえばこんな映画監督~北野武

お笑いタレント、司会者、俳優、作家、歌手、映画監督と、
マルチに才能を発揮している人、北野武。

それだけ多方面に活動できる理由は、
彼のこんな言葉に集約されているのかもしれない。


 鳥のように自由に空を飛びたいなんていうのは勝手だけど、
 鳥が飛ぶためには何万回翼を動かしているか、
 よくみてごらん。

空を飛ぶというたったひとつの行動でさえ、
途方もない労力がいる。

マルチな才能を発揮する人は
マルチに努力をする人だ。



たとえばこんな映画監督~行定勲

「世界の中心で愛を叫ぶ」、「春の雪」、
日本の純愛映画の旗手と言っても過言ではない人、
行定勲。

しかし、彼の恋愛観は、意外と現実的だ。
「運命の出会いとは何か?」と問われた時の言葉。


 出会い頭の瞬間に「運命の出会い」があるわけじゃなく、
 何年、何十年という時間を共に過ごした結果、
 「この人との出会いは必然だった!」
 と思うことなんじゃないかな。

出会いがない!と思ってるあなたも。
運命の人に出会っている可能性は、かなり高いです。



たとえばこんな映画監督~円谷英二

映画は、一見華やかな世界。
でも、映画監督にいちばん大事なことは、
普通の人が必要とされる能力かもしれない。

ウルトラマンやゴジラなど、日本の特撮の礎を築いた
円谷英二は、こんなことを言っている。


 他人から「できますか?」と聞かれたら、
 とりあえず「できます」と答えちゃうんだよ。
 そのあとで頭が痛くなるくらい考え抜けば、
 たいていのことはできてしまうものだ。

もしも、円谷英二がサラリーマンだったとしても。
素晴らしい仕事をしたことだろう。

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宮田知明 10年05月22日放送


アーサー・コナン・ドイル

シャーロックホームズの産みの親、
アーサー・コナン・ドイル。

彼は推理小説を書く傍ら、
ロンドンで眼科専門医として診療所を開いていた。

その難しいかけもちを可能にできたワケ。
それはコナンドイル自身ではなく、
ホームズが語っていた。

 ワトソン君。君はただ眼で見るだけで、
 観察ということをしない。
 見るのと観察するのでは大違いなんだぜ。

なるほど、探偵と医者には、そんな共通点が。
彼は、現実社会においても、その観察眼を駆使して、
二人の被疑者の冤罪を晴らすことに貢献した。

今日は、ホームズの父、コナンドイルの誕生日です。


小峰元

小峰元「アルキメデスは手を汚さない」
青春推理小説という、ミステリーの新しいジャンルは、
この本から始まったと言っても過言ではない。

ただの謎解きではない、青春推理小説。
若いっていいな、そんな言葉では表せない、
青春という時代のもつ魅力は、
登場人物のこんな言葉に集約されている。

 いいかい?いまの日本で、知能指数が一番高いのは、
 われわれ高校二年生なんだぜ。
 ノーベル物理学賞の受賞者だって、万葉集を読ませれば
 君たちほどの学力があるかどうか怪しいものさ。

高校生のみなさん、人生でいちばん知能指数の高い今を、
大事に使っていますか?


宮部みゆき

ミステリー作家、宮部みゆきは、
もともとは速記者だった。

対談や講演などの発言内容を、
早く正確に記号で筆者して、
元のきちんとした言葉にする仕事。

彼女はそこで文章を伝わるように書く、
ということを覚えた。
そして好きなミステリーを読んでるうちに、
ちょっと書いてみたくなった、
というのがきっかけ。

どんな仕事も、何か別の
すごい仕事の入り口になっていることがある。
そう、きっと、あなたの仕事も。


東野圭吾

東野圭吾の「新参者」
そのストーリーは、
そのまま彼の歩いた道でもある。

人形町を舞台にすることは決めていた。
ただ、何を書くかは決めていなかった。

その日、人形町は暑かった。
喫茶店で、街を行き交うサラリーマンを眺めながら、
第一話、煎餅屋の娘の話が作られていった。

 ひとりの人間を描こうとすると
 そばにいる人々の姿も描かざるを得なくなった。
 そうしてドラマが繋がっていった。

東野圭吾がこの小説について語っていることを要約すると
シャーロック・ホームズの言葉に限りなく近づく。

 ワトソン君、ただ見ることと観察することは大違いだぜ


湊かなえ

才能。
英語に訳すと、GIFT。
つまり「天からの贈り物」

2009年の本屋大賞をデビュー作「告白」で受賞し、
その才能でミステリー界に彗星のように現れた、湊かなえ。

でも彼女に言わせると・・・

 才能とは、天からの贈り物ではなく、
 期間限定で貸し出されるものだ。

はた目にすごい才能を持ってる人ほど、
陰で努力をしてるのは、言うまでもないこと。
彼女も天からの贈り物を返却する前に、
とことん使い尽くすだろう。


西村京太郎

「それだけは勘弁してください。」

国家公務員として11年働き、
上司から係長にしてやると言われたときの
西村京太郎の言葉。

権威的な官僚生活に嫌気がさし、
そこから数年間は、私立探偵やトラックの運転手、
警備員などの仕事をしながら小説家を目指した。

トラベルミステリーの第一人者、西村京太郎は言う。

 「人間、なんとかなるサって開き直ることがないとね」


名探偵コナン

体は子ども、頭脳は大人。
コナン・ドイルとエドガー・アラン・ポーの名前から生まれた
漫画の主人公、名探偵コナン。
彼は平成のシャーロック・ホームズをめざして
日々、事件と取り組んでいる。

名探偵コナンシリーズの魅力のひとつは
セリフらしい。
名言集をコレクションしている人までいる。
そのいくつかを抜き出してみよう。

 人が人を助けるのに論理的思考は存在しねえだろ。

 真実はいつもたったひとつしかねーんだからな

 逃げるなよ、自分の運命から

 Fear of death is worse than death itself

 世の中には謎のままにしておいた方がいいこともある。

そして、漫画の第一巻ではこんなことを宣言している。
 なりたいんだ! 平成のシャーロック・ホームズにな!

がんばれ、コナン。

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宮田知明 10年04月24日放送

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チャールズ・リンドバーグと春

飛行機の窓から見える景色は、
80年前は、まだ当たり前ではなかった。

チャールズ・リンドバーグが、
人類史上初めて大西洋単独無着陸飛行を達成したのは、
1927年の春のこと。

スピリッツオブセントルイス号に乗って
青空に浮かんでいるとき
リンドバーグの脳裏に浮かんだのは
こんな言葉だった。

「何事が起ころうと、この瞬間、生きているだけで充分だ!」

いろんなことに行き詰まったとき。
窓を開けて、ちょっと青空を見上げてみませんか。

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宮田知明 10年04月24日放送

07-phone

城山三郎と春

「そんな人は、うちにはおりません。」
作家・城山三郎に春を告げたのは、
妻のそんな声だった。

城山はそのとき風呂に入っており
玄関では妻が文学界新人賞受賞の電報を届けにきた配達員を
追い返そうとしていた。
妻は夫が城山三郎というペンネームで
小説を書いていることを知らなかった。

城山三郎が「輸出」という小説で
第四回文学界新人賞を受賞したのは1957年の春。
駆け出し作家の貧乏生活を支える妻は
夫のペンネームを知る余裕はなかったのだ。

けれど、その次の年。
直木賞発表の夜、妻はお風呂を湧かして知らせを待っていた。
新人賞のときは城山が入浴中に受賞の電報が来たので
縁起をかついだらしかった。
待っていた電報は来なかったけれど
近所の八百屋の電話が鳴って、直木賞受賞を知らせた。

そんな妻が亡くなって
城山三郎は一冊の本を書いた。
「そうか、もう君はいないのか」

それはスター作家城山三郎ではなく
本名杉浦英一の妻だった女性に宛てた恋文だった。

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