pcurtner
雨が降る季節には タクシードライバー
映画「タクシードライバー」冒頭のシーン。
ロバートデニーロ演じるタクシー運転手が
夜のニューヨークを流すシーン。
雨上がりの濡れたアスファルトに光る
ネオンサインが、彼の孤独を映し出す。
雨が降ればそれだけで
街は一つの映画になる。
彼の台詞がまた、素晴らしい。
「人間は醜悪だ。
奴らを根こそぎ洗い流す雨はいつ降るんだ」
pcurtner
雨が降る季節には タクシードライバー
映画「タクシードライバー」冒頭のシーン。
ロバートデニーロ演じるタクシー運転手が
夜のニューヨークを流すシーン。
雨上がりの濡れたアスファルトに光る
ネオンサインが、彼の孤独を映し出す。
雨が降ればそれだけで
街は一つの映画になる。
彼の台詞がまた、素晴らしい。
「人間は醜悪だ。
奴らを根こそぎ洗い流す雨はいつ降るんだ」
AlexRK
雨が降る季節には アリストテレスとベアとトーマス
雨の匂いをかぐと
なぜか懐かしい気分になるのは
なぜかでもなんでもなく
科学的に証明されている。
1964年。
オーストラリアの科学者、ベアとトーマスが
ペトリコールとゲオスミンの2つの物質が
雨の匂いの正体であることを発見した。
それは濡れた地面からたちのぼる匂いだった。
その昔、哲学者アリストテレスは
雨の匂いは虹の匂いだといったらしい。
人間の想像力と科学の発達を横目でみながら
1000年前と変わらず雨は降り続ける。
kansaikate
雨が降る季節には 金原亭馬生
上方落語に「茗荷宿」という話がある。
大金を持って宿にやってきた客に茗荷を大量に食べさせて
お金を置き忘れさせようと企む宿屋の妻。
しかし自分自身も茗荷を食べ過ぎて、結局、
宿賃をもらい忘れる、という話。
この話をときどき高座にかけていた
10代目金原亭馬生も
よく登場人物の名前を忘れていたらしい。
もっとも彼の場合は茗荷ではなく
お酒のせいだったらしいですが。
dtpancio
雨が降る季節には 川上弘美
「うまい蝦蛄食いにいきましょうと
メザキさんに言われて、ついていった」
そんな一文から始まる、
川上弘美の「さやさや」というお話。
よっぱらって電車がなくなって
暗い夜道をふらふらと二人で歩き続ける。
ただそれだけの話なのに
その暗闇に飲み込まれて戻れなくなる気がするのは、
川上さんの筆力であることは言うまでもないが、
半分は食べていたのがあのグロテスクな蝦蛄(シャコ)だからじゃないかと思う。
川上さんの書く話はとにかくお腹が空く。
「センセイの鞄」で、センセイとわたしが居酒屋で頼む、
まぐろ納豆、蓮根のきんぴら、塩らっきょう。
「蛇を踏む」で、蛇が晩ごはんに並べるのが
つくね団子に、いんげんを煮たもの、おからに刺身。
雨ばかりのこの季節、食欲がないあなたには、
川上弘美の小説を、ぜひ。
雨が降る季節には アントン・チェーホフ
アントン・チェーホフ。
言わずとしれた歴史上もっとも
すぐれた短編作家の一人。
よい文章を書く秘訣を問われた彼が
いった言葉がこちら。
「雨が降ったら、雨が降ったと書け」
なるほど。
簡潔でわかりやすい。
さすが、世界一の短編作家。
ちなみに彼の最後の言葉も
「私は死ぬ」
だったとか。
むさし野
雨が降る季節には 高野文子
25年前の1968年6月6日木曜日に
奥村さんが茄子を食べたかどうか。
そんな荒唐無稽なやりとりから始まる
漫画「奥村さんのお茄子」。
作者である高野文子はとても寡作な人で
30年以上活動しているのに
出した本はたったの6冊。
時間をかけて磨かれたものにしかない
宝物のようなきらめきがそこにはある。
たまには、ゆっくりいきてみよう。
茄子でも食べながら。
Guillaume Brialon
雨が降る季節には 向田邦子
雨が降るこの季節になると、
甘くみずみずしく実るのがメロンだが。
向田邦子の短編「かわうそ」の中に登場する
メロンは不気味な存在感を持っている。
日常の不幸をどこか楽しんでしまう妻と
そんな妻を持った夫の寂寥を描いたこの小説。
そのクライマックスで、いただきもののメロンを
妻が夫にすすめるシーンがある。
「メロンねぇ、銀行からのと、マキノからのと、
どっちにします」
1つではなくて、2つのメロンのいただきもの。
そこに八方美人な妻の酷薄さが見える。
それにしても向田邦子は、
食べ物に名脇役を演じさせる天才だ。
彼女には台詞すら唱える食べ物の姿が
見えていたのかもしれない。
スープのはなし 辰巳芳子
料理研究家の辰巳芳子さん。
彼女のつくるスープは
いのちのスープと呼ばれている。
きっかけは入院した父のために
毎日病室に届けた手作りのスープ。
病院のごはんは食べられなくても
スープだけは口にする父を見て思った。
「スープは、命の瀬戸際で
こっちを向かせるためのもの」
人は、冬眠することも
光合成することもできない。
食べなければ、生きられない。
そんな当たり前のことを
辰巳さんのスープは
やさしく思い出させてくれる。
こんな寒い日には、スープの話でも。
スープのはなし 太宰治
「朝、食堂でスウプを一さじ、
すっと吸ってお母さまが、
『あ』
と幽かな叫び声をお挙げになった。」
太宰治の「斜陽」、冒頭シーン。
滅びゆく没落貴族の哀しみへ
たった一文で読者を誘う太宰の文章力は見事だ。
破天荒な私生活ばかりに目がいくが
実は彼のすごさはその技術にある。
”いつも「おいしい料理」を読者に提供しようと
気配りを忘れない作家だった”
とは、かの吉本隆明の言葉。
なるほど。
スープのはなし 石井好子
1950年。
戦後まもない日本から
身ひとつでパリにわたった
シャンソン歌手、石井好子。
彼女は一日も休むことなく
ステージに立ち続けた。
夜中の2時。
ようやく劇場を出ると
パリの夜風が頬を刺す。
そんな時、石井さんはいつも
仲間の歌い手たちとカフェにかけこみ
「グラティネ」を頼んだ。
グラティネとは、
オニオングラタンスープのこと。
ぐつぐつと音を立てて
テーブルに運ばれてくるグラティネを
ふうふう言いながら口に運ぶ。
その瞬間、異国に一人立ち向かう彼女は
どれだけあたためられたことだろう。
今日は玉葱を飴色になるまで
いためてみようか。
スープのはなし ゴッドファーザー
映画「ゴッドファーザー」で
襲われたドンの仕返しに
ファミリーが家に集まる場面。
腹心のクレメンザが
ドンの息子マイケルに
料理を教える。
ニンニク、オリーブオイル、トマトソース、
ミートボール、ソーセージ、赤ワイン。
「いつか20人分の飯を
お前が作ることになるかもしれん」
それはファミリーに入ることを覚悟させ、
明日死ぬかもしれない闘いの日々を覚悟させるスープ。
そういえばトマトソースは
血の色に似ている。
スープのはなし メルヴィル
アメリカの冬は寒い。
あたたかいスープ、とりわけ
熱々のクラムチャウダーが欠かせない。
「小型だが多肉質のふとったハマグリに、
くだいた堅パンと、塩豚の薄切りをまぜ、
バターをたっぷりとかしこんでこくをつけ、
塩と胡椒をしっかりきかせた逸品だった。」
アメリカ文学の巨匠メルヴィルが「白鯨」の中で書いた
主人公たちがクラムチャウダーをほおばるシーンだ。
言葉と食欲は
思ったよりもずっと近い。
おかげで今、小説の舞台となった街には
クラムチャウダーを食べに観光客が押し寄せている。
スープのはなし アンディ・ウォーホル
天才の答えは
いつでも単純。
キャンベルスープの缶を
完璧なアートに仕立て上げた
アンディ・ウォーホール。
数あるモチーフの中で
なぜスープを選んだのか、
彼はこう答えた。
「僕は自分が美しいと思うものを、
いつも描いているだけだ。
なぜスープをデザインしたかって?
それは僕がスープを好きだからさ」
ほらね。
天才の答えは
いつでも単純。
スープのはなし スナフキンとトーベ・ヤンソン
ムーミン谷に住むさすらいの自由人、
スナフキン。
彼はいつもあり合わせのものを煮込んだ
粗末なスープを食べている。
「人間はものに執着しないことだ」
それはそのまま作者、
トーベ・ヤンソンの生き方だった。
無人島で恋人とたった二人で
暮らしていたヤンソン。
毎日の食事はそこでとれる最小限のもの。
今日はキャベツのスープ、明日は豆のスープ。
彼女にとってムーミン谷は
絵本の中の桃源郷ではない。
「長い旅行に必要なのは
大きなカバンじゃなく
口ずさめる一つの歌さ」
内田百閒 貼り紙
「百鬼園随筆」や「阿房列車」など
軽妙な文章と独特の世界観で
昭和の文壇に一陣の風を起こした作家。
内田百閒。
あるとき弟子が自宅を訪ねると
門の前に「面会謝絶」という
貼り紙がしてある。
ご病気ですかと弟子が
色をなして上がり込むと
そこには涼しい顔の百閒。
「近頃はいい具合に
人がこなくなって
ありがたい。」
彼は天才的な随筆家であるとともに
天才的に偏屈なおじさんでもあった。
内田百閒 鉄道
天才的な随筆家であり
天才的に偏屈なおじさん
内田百閒。
鉄道マニアの先駆けでもあった彼は
ついに念願かなって
東京駅の一日駅長に任命される。
しかし一筋縄では
いかないのが百閒。
箱根行きの特急列車を見送るために
ホームで敬礼していた彼は
発車のベルが鳴り終わる寸前、
見送るべきその列車に
ひょいと乗りこんでしまう。
呆然とする駅員たちに向かって
展望車のデッキから手を振る百閒。
そのまま箱根まで
鉄道の旅を満喫。
それ以来、
百閒に駅長の話は
来なくなった。
内田百閒 VS漱石
作家、内田百閒は図太い。
尊敬する夏目漱石に作品を送ったところ
「まじめだけどおもしろくない」
というありがたくない手紙をもらう。
普通の人なら絶望して
筆を折ってしまうところ。
百閒はちがった。
漱石の家を訪ねた百閒は
わたし芸ができるんです、と
いきなり両耳を動かし始める。
困惑する漱石。
無言で両耳をひくひくさせ続ける百閒。
根負けした漱石は
弟子入りを許可する。
しかし百閒先生、
もう少しマシな芸は
なかったんですかね。
内田百閒 借金
作家、内田百閒は
借金をする。
貧しいからではない。
たいていが贅沢のために借金をする。
晩酌に珍味を並べたくて借金。
二等車に乗れば帰れるところ
わざわざ一等車に乗りたくて借金。
しかも金を借りに行くのに
ハイヤーを呼んで、また借金。
「お金のありがたみは
借金しなければわからない」
ここまで来れば
借金も哲学だ。
青年 内田百閒
憧れや、焦燥や、孤独や、絶望や。
文学を志す青年なら
誰しも持つそんな青さ。
18歳の内田百閒には
残念ながら微塵もない。
造り酒屋のひとりっ子で
存分に甘やかされて育った百閒。
東京の大学に行けることになっても
実家からちっとも出たくない。
二等車に乗るお金を
もらった手前しぶしぶ上京。
しかしごはんが合わないという理由で
3日で下宿を引っ越し。
あげくちょっと風邪を引いたからと
すぐに実家に帰る。
それでも
32歳でちゃんとデビューし
死ぬまで現役で活躍した。
人生80年。
焦るなんて、あぁ、ばかばかしい。
内田百閒 美食
天才的な随筆家であり
天才的に偏屈なおじさん、
内田百閒。
彼は食にもかなりの
こだわりがあった。
朝と昼はほとんど食べない。
すべては晩酌を思う存分味わうため。
先付けから香の物まで
その日に食べたいお品書きを
毎日、奥さんに書いて渡す。
時には「昨日の残りのポークカツレツ」
なんていう細かい指示まで。
偏屈な美食家の妻も
楽じゃない。
内田百閒 猫について
新聞広告の歴史上
おそらく最初で最後だろう。
尋ね猫の広告が出た。
広告主は作家、
内田百閒。
飼っていた猫が失踪し
そのショックから仕事も手につかず
夜も眠れなくなった百閒。
3度にわたり新聞広告を出し
外国人向けに英字広告までつくった。
それでも猫は戻らない。
手がかりに一喜一憂し
毎日泣いて暮らした。
普段はまわりの人をさんざんふりまわしている
内田百閒がこの猫にだけはふりまわされている姿は
気の毒だけど、ちょっとかわいい。
内田百閒 偏屈
偏屈というのは
決して褒め言葉ではないが
作家、内田百閒に限っていうと
つい嬉しくてそう呼んでしまう。
百閒が76歳の時の話。
一本の電話が
芸術院会員の内定を知らせる。
文学の世界でこれ以上ない名誉。
しかもかなりの年金も約束される。
しかし百閒は
あっさりと辞退。
気色ばむ選考委員に
こう答えた。
「イヤだからイヤだ。」
天才的な随筆家であり
愛すべき偏屈なおじさん、
内田百閒。
こんな暑い夜は
毒の効いた彼の文章が
読みたくなる。
エディ・タウンゼント1
昭和の日本ボクシング界に
伝説のトレーナーがいた。
彼の名前は
エディ・タウンゼント。
40才を過ぎてから日本にやって来た彼は
片言の日本語で世界チャンピオンを
幾人も育てあげる。
彼はあっけないほどあっさりと
タオルを投げ入れることで
有名だった。
まだ闘えたのに、と詰め寄る
報道陣たちにエディはこう諭す。
「ボクシング辞めた後の方が長いの。
誰がそのボクサーの面倒を見てくれるの?
無事に家に帰してあげるのも私の仕事。」
一瞬の未練が
一生の後悔になる。
エディは人生を
よく知っている。
エディ・タウンゼント2
殴って強い方が勝つ。
ボクシングほど
シンプルで残酷なスポーツはない。
世界チャンピオンを幾人も育て上げた
伝説のトレーナー、エディ・タウンゼント。
彼は言う。
「勝った時には友達おおぜい出来るから
私はいなくてもいいの。
誰が負けたボクサー励ますの?
私は負けたボクサーの味方。」
ボクシングほど
シンプルで残酷なスポーツはない。
そして
愛のあるスポーツもない。
エディ・タウンゼント3
日本ボクシング界における
伝説のトレーナー、
エディ・タウンゼント。
初めて育てた世界チャンピオン、
藤猛との出会いは、ちょっとした奇跡だ。
職もなくお金もなくただ
家でごろごろしていた藤。
そんな藤が
たまたまテレビのボクシング中継で
声を枯らす白人のセコンドを見かける。
それは紛れもなく
近所でよく遊んでくれた
エディおじさんだった。
藤はすぐに
エディのもとを訪れ
弟子入りする。
たまには
暇も大事ということ。
エディ・タウンゼント4
日本ボクシング界における
伝説のトレーナー、
エディ・タウンゼント。
彼が育てた選手の中に
カシアス内藤というボクサーがいる。
「今まで見た選手の中で一番素質がある。
でも、最後に打つ勇気がない。」
そうエディが語るように
内藤はあまりある才能を持ちながら
最後のところで非情になりきれず
世界タイトルを逃し続けた。
しかし、いや、だからこそ
みんなに愛された。
彼は小説の主人公となり、映画のモデルとなり
歌謡曲にも歌われ、その歌は大ヒットする。
完璧じゃないから
余計にかわいい。
それはエディも同じだったようで
弟子の中でも内藤だけは我が子のように
「ジュン」とファーストネームで呼んでいた。
エディ・タウンゼント5
日本のボクシング界に
世界チャンピオンを幾人ももたらした
伝説のトレーナー、
エディ・タウンゼント。
彼の指導法はそれまでの
根性論一色だった
ボクシング界の常識を
くつがえす。
エディは決して手をあげない。
ほめてのばす。
「試合で殴られるのに
どうしてジムに帰ってきてまで
殴られなくちゃならないの」
常識をくつがえした
エディの方が
よほど常識的だった。
日本のボクシング界
伝説のトレーナー、
エディ・タウンゼント。
彼に育てられたボクサーの一人、
田辺清がエディと初めてジムで会ったときの話。
エディは入ってくるなり
田辺の肩をポンとはたく。
「ゴミがついてるよ」
見るとゴミなんてついていない。
田辺ははっとした。
それだけ自分のことを
注意深く見ていると
エディは言いたかったのだ。
信じられるかどうかは
出会った瞬間に決まる。
エディ・タウンゼント7
日本のボクシング界に
世界チャンピオンを幾人ももたらした
伝説のトレーナー、
エディ・タウンゼント。
彼の最後の
弟子だった井岡弘樹の
初防衛戦。
エディは癌におかされた体をおして
会場まで出向き、
エールを送った直後に昏睡。
井岡の勝利を知った5時間後に
息を引き取る。
出来すぎた話だ。
しかしその出来すぎた話に
人は心を動かす。
亡くなってから20年以上たった今。
井岡はこう言っている。
「生まれ変わっても
エディさんに教わりたい」
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