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小山佳奈 10年03月13日放送

01-yukio

三島由紀夫の酒

当代の流行作家が
新宿や浅草の居酒屋で
文学談義に花を咲かせていた頃。

そんな連中には見向きもせず
銀座の高級ホテルやクラブのバーで
グラスを傾けていた作家がいる。

三島由紀夫。

彼のお酒は
その生き様のように
一分の隙もない。

飲みにいく時はもちろん正装。
決して酔いつぶれることはなく
12時には執筆のために家へ帰る。

三島の美学は
酒をも支配する。

02-kusanoshinpei

草野心平の酒

蛙の詩人、草野心平。

ゲコゲコと鳴くカエルとは対称的に
本人は下戸どころかお酒が大好き。
ついには自ら居酒屋を開いた。

ただ、そこは詩人。
お品書きも一味違う。

ほうれん草のおひたしは「黒と緑」。
豚のにこごりは「冬」。
特級酒はてっぺんの「天」。
二級酒は「火の車」。

心平さんにかかれば
言葉だって酒の肴。

「じゃぁ今日は
黒と緑と火の車。」

ほら、
もう詩ができちゃいました。

03-hoshi

星新一の酒

SF作家、星新一。

彼はひとたびお酒を飲むと
その上品な佇まいからは想像もできないほど
ブラックな冗談を矢継ぎ早にくり出す。

小松左京はあまりに笑い過ぎて
いつもお腹が筋肉痛だった。

しかし次の日。
あれほど腹を抱えて笑った毒舌を
一緒にいた人間は誰も覚えていない。
きれいさっぱり忘れている。

なるほど。

アルコールは
「消毒」ですから。

04-nakajo

中上健次の酒

新宿ゴールデン街。
作家仲間が一杯やっていると
ガラリとドアが開いて
どすのきいた声が響き渡る。

「おまえのこの間の原稿、
 なんだあれ。」

大きな体から放たれた気は
小さな店を一瞬にして埋めつくす。

文学界の異端児、
中上健次。

誰かれかまわず議論をふっかける。
他人の新聞小説には勝手に赤字を入れる。

それでもみんな
中上のことが大好きで
なじられるのを承知で
足を運んでしまう。

ガラリ。

今でも夜のゴールデン街には
中上の威勢のいい声が
聞こえてきそうな気がする。

05-akatsuka

赤塚不二夫の酒

赤塚不二夫といえば、お酒。
お酒といえば、赤塚不二夫。

生来の酒飲みかと思いきや
お酒を飲み始めたのは
漫画家になって8年も経った頃。

トキワ荘時代は
酒を飲むより映画を見る
人一倍まじめな青年だった。

まじめにギャグ漫画を描き
まじめに酒を飲んだ。

そうしたら
ギャグ漫画は超一流の芸術になり
下戸は超一流のよっぱらいになった。

赤塚先生。

今ごろ天国では
少し早い花見酒でしょうか。

06-ozu

小津安二郎の酒

映画監督、小津安二郎。

彼は脚本家とともに
別荘にこもっては
映画の構想を練った。

かたわらには
蓼科の銘酒、
「ダイヤ菊」。

一升瓶100本で
映画を一本。

どうりで。
小津映画には
おいしそうに徳利を傾ける
シーンの多いこと。

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小山佳奈 10年02月13日放送

01-kobayashi

小林秀雄

この世でいちばん難しいのは
人を励ます、ということだ。

入院中の坂口安吾を
見舞った小林秀雄。

ヒロポンの過剰摂取で
病院にかつぎこまれた安吾に向かって
「大馬鹿野郎、大馬鹿野郎」と
何十回も浴びせかけた。

そのとき安吾は
見たこともないほど
ニコニコと笑っていたという。

人を励ますということは
本当に難しい。

02-mo

アインシュタイン

「死とは、
 モーツァルトを
 聴けなくなることだ。」
 
かのアインシュタインが
のこした有名な言葉。

しかしこれ、
実は従兄弟の音楽家、
アルフレート・アインシュタインが
言ったという説もある。

相対性理論とモーツァルト。

この組み合わせの方が
たしかに神秘的でかっこいい。

名言とは
残された者たちの
感傷がつくりだす
のかもしれない。

03-nero

ネロ

希代の暴君、
ローマ皇帝ネロ。

彼はわざわざ
アルプスから万年雪を
奴隷に運ばせて
はちみつを混ぜて
デザートをつくらせた。

「ドルチェ・ビータ」

それが、
アイスクリームの起源。

苦い歴史でできあがった
甘い禁断。

いまの季節、
こたつに入って食べると
特にいけない味がする。

04-bonheur

アラン

フランスの偉大な哲学者、
アラン。

「幸福論」で有名な彼が
初めて結婚したのは77歳の時。

思いをよせつづけた女性と
運命の再会を果たしプロポーズ。
人生の終わりに訪れた
最高の最大の幸福であったはず。

しかし、
あらゆる幸福についての記述がある「幸福論」には
彼自身の幸福については一切書かれていない。

どんな哲学者だって
ほんとうの幸福は
胸にしまっておきたいもの。

05-rest

エスコフィエ

フランス料理の神様、
オーギュスト・エスコフィエ。

彼がいまだに神様と
いわれる理由は
いくつもある。

多くの文化人をうならせ
時には皇帝さえもひざまづかせる腕。
つくったレシピは5000以上。
貧しい人には無償で料理をふるまった。

でも何より賞賛されるべきは
コース料理という概念を
つくりだしたこと。

おかげで一流レストランでも
限られた予算で
食事ができるようになった。

お会計にびくびくしたくないのは
今も昔も同じ。

06-yunta

宮良長包

「沖縄よいとこ 一度はおいで
 さぁユイユイ」

二月の憂鬱に負けそうになったら
沖縄民謡「安里屋ユンタ」を聴こう。

作者の宮良長包は言う。

「音楽は栄養です。」

三線の音はたしかに体にしみこんで
心に春を呼んでくれる。

そういえば沖縄では
すでに桜は満開。

「春夏秋冬 花見て暮らす
 さぁユイユイ」

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小山佳奈 10年01月23日放送

01-simon

サイモン&ガーファンクル

二人は怒っていた。

自分たちの曲を
プロデューサーが無断で
ロック調にアレンジして
発売してしまったのだ。

一人は大学に戻り、
一人は母国に戻る。

その曲があっという間に
全米ナンバーワン・ヒットに。

サイモン&ガーファンクル、
「サウンド・オブ・サイレンス」。

そういえばいまだに
彼らはライブでこの曲を
アコースティックバージョンで
歌うことの方が多いとか。

その人間臭さもまた魅力。

02-yoshiyuki

吉行淳之介

作家、吉行淳之介は、
女性の気持ちがよくわかっている。

女優、宮城まり子の部屋に
初めてやってきたときに
本棚を見てつぶやく。

「僕の持っている本と似ているね」

その一言で、37年間、
彼女は彼から離れられなくなる。

男が女を口説くとき、
大仰な愛の言葉は必要ない。

03-minagawa

皆川明

色と線を無限に組み合わせ
一枚の布に物語をつむぐ。

テキスタイルデザイナー、
皆川明はこう言う。

「短期間で魅力がなくなるのは
 デザインの力が弱いからだと思うのです。」

そんな彼のブランド「mina」は
必要があれば、
何年前のコレクションの服でも
修繕を引き受ける。

「100年後にも愛される服。」

彼の辞書に、
ファストファッションなんて
文字はない。

04-joe

ジョー・ストラマー

パンクというものが、
労働者階級の特権だとしたら、
彼はパンクではないかもしれない。

ザ・クラッシュのボーカル、
ジョー・ストラマー。

彼は中産階級の出身だったし、
父親は外交官だった。

ただやみくもな怒りの暴走では
世界は何も変えられない。
音楽にできることは何か。

ライブ中にウイスキーの空ボトルを投げつけられた彼は、
笑ってこう言った。

「こんなことぐらいしかできないのか。」

そして、
降り注ぐウイスキーのボトルにも、
彼は笑って歌うことをやめなかった。

05-yoshimoto

林正之助

吉本興業二代目社長、
林正之助は商いの天才だ。

1959年。
新しい舞台を始める際、
作家の原稿料に悩む
社員を叱りつけた。

「書いたことある人間に
 書かせるから高いんや。
 うちの社員なら金がいらんやろ。
 おまえが書け。」

その舞台はじわじわと評判になり、
50年たった今でも、
大阪の土曜のお茶の間を沸かせる
「吉本新喜劇」となる。

無茶もあるいは
商才のひとつ。

06-yasai

西健一郎

色割烹「京味」の亭主、西健一郎は
初物好きのお客をこう諭す。

「早ければいいってものじゃない。
 美味しいものと、
 変わったものは違います。」

素材の一番美味しい時期を知って、
料理を作る。すなわち、

「味を迎えに行く。」

脂のよくのったブリ大根、
ぷりぷりのカキと味噌の土手鍋。

さぁ今日は、
どんな冬を迎えに行こう。

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小山佳奈 09年12月12日放送

01-takata

高田渡 息子

もしも子どもができたとしたら
何をしてあげよう。

フォーク史上最高のシンガーであり、
最高の酔っぱらい、高田渡。

彼は息子に歌を贈った。

 「見えるものはみんな人のものだよ
 見えないものはぼくらのものだよ」

いま、息子の高田漣は
父と同じくギターを弾いている。

見えなくてかけがえのないものを
たしかに奏でている。

02-takada02

高田渡 反骨

本当の反骨精神とは何だろう。

フォーク史上最高のシンガーであり、
最高の酔っぱらい、高田渡。

反体制をこれみよがしに
カメラの前で叫ぶ人々を横目に
高田は歌った。

 「自衛隊に入ろう
 自衛隊に入れば この世は天国
 男の中の男はみんな
 自衛隊に入って 花と散る」

一級の皮肉は
何よりも雄弁だ。

03-takada03

「高田渡 寂しさ」

フォーク史上最高のシンガーであり、
最高の酔っぱらい、高田渡。

寂しがりやの彼は
ツアーに出ても落ち着かず。
吉祥寺に帰ってきては
朝まで仲間とくだを巻く。

そのお酒が彼の体をむしばんで
ついにはどうにもならなくなっても
彼はやっぱり仲間を誘いつづけた。

そんな高田渡の歌は
やさしくて、
やっぱり少し寂しい。

 「歩き疲れては 夜空と陸との
 隙間にもぐり込んで
 草に埋もれては 寝たのです
 所かまわず 寝たのです」

04-janis

「ジャニス・ジョプリン」

ロックの女王、
ジャニス・ジョプリン。

彼女は27年の短い人生にたくさんの恋をした。
しかし本当に愛したのは最後の恋人だけ。

世界を放浪する恋人に何通も手紙を書く。
しかしその手紙はいつも国境ですれちがい
彼が受け取ることはなかった。

雑誌でジャニスの死を知った彼は
レコード屋で彼女の最後の新曲を聴き
さめざめと泣いた。

 「Cry baby, cry baby, cry baby,
 Honey, welcome back home.」

帰ってきて。

たったそれだけの言葉が
届かなかった。

それが、
女王という称号への代償だとしたら、
世界は悲しすぎる。

05-love

「コートニー・ラブ」

ラブという名前を持ちながら、
愛で人を救えなかった女性。

コートニー・ラブ。

夫のカート・コバーンは
カリスマの重圧に耐えきれず
ドラッグに溺れ自ら命を絶った。

コートニーは歌う。

 「もしあなたが私と一緒に
 この世界を生きてくれるというのなら
 あなたのために死んであげる。」

その覚悟は
たしかに本物だったはずなのに。

神様は人間に、
どれほどの愛を要求すればいいんだ。

06-17

「ジャニス・イアン」

ジャニス・イアン、
「at seventeen」。

「美人でもなく醜い私は
 他の人へのうらやましさで一杯になりながら、
 たった1人だけで愛の語らいをつぶやく、
 そんな17歳でした。」

自分のすべてが足りなくて
自分のすべてが腹立たしくて。

年を重ね、
たいていのものは
受け入れてしまえるようになった今、
ときどきあの頃に戻ってみたいと思う。

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小山佳奈 09年11月21日放送

Kurosawaakira1

「黒澤明 ノート」

天才に努力されたら
凡人はふて寝するしかない。

だが決まって天才は
努力家だったりする。

映画監督、黒澤明は
膨大な量の本を読み
片端からノートに取る。


 創造とは記憶です。
 自分の経験や記憶が
 足がかりになるんであって
 無から創造できるはずがない。

おっしゃる通り。

やっぱり凡人は
ふて寝するしかない。

kurosawaakira2

「黒澤明 ビフテキ」


 ビフテキの上にバターを塗り
 その上に蒲焼きをのせたような映画

1953年。
映画監督、黒澤明が
誰も見たことのない日本映画をつくろうと
頭に描いたイメージはこれだった。

ビフテキが時代劇。
バターがアクション
蒲焼きが人間ドラマ。

そう。

日本映画史上最高傑作、
「七人の侍」は
構想の時点ですでに
誰もが満腹になる
準備はできていた。

kurosawaakira3

「黒澤明 主人公」


 主役だけが主人公ではない。
 どんな人間だって
 ある角度から見れば、
 そいつは主人公なんでね。

黒澤明は言う。

だから彼の映画には
どんな端役の百姓にも
名前と年齢がある。

だから存在感のある役者を
キャスティングする。

人生に端役なんてない。

kurosawaakira4

「黒澤明 出会い」

映画監督にとって
つくることだけが才能ではない。
出会うことも才能。


 鎖につながれた猛獣がいる。

黒澤明は通りすがりのオーディションで
異様なものを見つけた。

「笑ってみて」と言われて
「おかしくないので笑えません」。
憮然と答えるその猛獣の名は、
三船敏郎。

一度はオーディションに落ちた三船を
黒澤が拾い上げた。

その瞬間、
黒澤映画の半分は
出来上がった。

kurosawaakira5

「黒澤明 三船」

時には狂った獣のように。
時には無邪気な子犬のように。

黒澤映画に出てくる三船は
縦横無尽に跳ねる、駆ける、笑う。
時にはカメラも追いつけない。

その予測不能の動きが
黒澤映画に命を吹きこむ。

黒澤はこう言っている。


 映画は時間の芸術であり、
 時間とは“動き”である。
 “動き”がなければ映画は成立しない。


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「黒澤明 スピーチ」

1990年、
映画監督、黒澤明は
史上3人目となるアカデミー特別名誉賞を受賞した。

映画人生62年目を迎えた80歳の黒澤は、
その壇上でこう言った。


 ぼくはまだ、映画がよく分かっていない。

ひとついえることは
黒澤は映画に関していえば
世界一、強欲で貪欲な監督である。

そしていまでも
黒澤の大きすぎる背中を
世界中の若者が追いかけている。

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小山佳奈 09年10月10日放送

1010_1

司馬さんとみどりさん 「原稿用紙」

作家、司馬遼太郎と、妻みどりさん。
二人は職場恋愛だった。

同じ新聞社の同じ部で
向かい合わせに座る二人。
かぎつけるのが仕事の記者たちの中で
ひそひそと恋を育んだ。

連絡はいつも机の隙間からするりとすべり込む
原稿用紙の切れ端。


 サントス亭で待ってます。

原稿用紙から始まる作家の恋なんて
順当すぎてつまらないけど、
司馬さんとみどりさんには
ことのほか似合っている。

1010_2

司馬さんとみどりさん 「四天王寺」

作家、司馬遼太郎と、
妻みどりさんがまだ恋人だった頃。

四天王寺をそぞろ歩きながら
司馬さんはこんなことを言った。


 僕たちは弱点で結ばれたんだから、
 壊れることはないよ。

そうして37年。
たしかに二人は歩き続ける。
一瞬も一片も壊れることなく。


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司馬さんとみどりさん 「ピーマンの皮」

作家、司馬遼太郎と、妻みどりさん。
みどりさんは料理がさっぱりできない。

晩ご飯にバナナを一房だけ買ってくる。
ピーマンの皮をむいたら
中に何も入ってないと騒ぎ出す。

そんなみどりさんに司馬さんはプロポーズする。
「そんなことはどうでもいい」。

そういえば
司馬さんの小説に出てくる女性たちも
みんな男まさりでおてんば。

司馬さんの好みは
一貫している。


1010_4

司馬さんとみどりさん 「風邪」

作家、司馬遼太郎と、妻みどりさん。
司馬さんは風邪をこの世で一番怖がった。
みどりさんは、夫が風邪を引くことを
この世で一番怖がった。

たった36度5分で
司馬さんは暴君のようになった。

そばにいれば「あっちへ行け」
あっちにいると「何してるんだ」
あげくお医者さんには
「大した風邪でもないのに
うちの家内が騒ぐもので」。

やれやれ。
新型インフルエンザなんて聞いたら
司馬さんの前にみどりさんが卒倒する。


1010_5

司馬さんとみどりさん 「結婚記念日」

作家、司馬遼太郎と、妻みどりさん。
二人は晴れがましいことが大の苦手。

結婚式は本当に内輪で済ませたし
結婚記念日なんて祝うどころか
思い出すことすらしなかった。

ただ一度、何十回目かのその前の日、
ソファに寝転がりながら司馬さんが呟いた。


そうか、明日は俺たちの日なんだ。

たった一言が
何十年分の愛。

司馬さんは、ずるい。

1010_6

司馬さんとみどりさん 「21世紀」

1996年。
夫の司馬遼太郎が亡くなっても
妻のみどりさんは泣かなかった。

蔵書を整理し記念館をつくり財団を立ち上げ、
息つく間もなく迎えた2001年のお正月。

21世紀に酔う街並を見て
みどりさんは唐突に司馬さんを思った。

この瞬間、いっしょにいたかった。
司馬さんが、愛し、憂えたこの国の21世紀を、
二人で見たかった。

みどりさんはその日、
司馬さんが亡くなってから
初めて泣いた。


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司馬さんとみどりさん 「呼び方」

作家、司馬遼太郎の妻みどりさんは、
一度も夫を「主人」と呼ばなかった。

「司馬さん」。
それがみどりさんの呼び方。

ただ司馬さんが亡くなってから
ごく近い人にごくたまに
ちがう呼び方をしてみる。

「あのひと」。

そう呼ぶと少しだけ甘い気分になれるから。
そう呼ぶと少しだけあの日に帰れる気がするから。

「あのひと」。

そう呼んだ日は
少しだけ泣きたくなる。

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小山佳奈 09年9月12日放送

Tsiolkovsky

ツィオルコフスキー

宇宙には音がない。
あるのはどこまでも続く静寂。

ロケットが宇宙に行けることを
世界で初めて証明した
ツィオルコフスキー。

9歳で聴覚を失い
中学校にも入れなかった彼は、
ほぼ独学で宇宙と向き合い、
宇宙を手にした。

耳の聞こえない彼にとって
宇宙は誰よりも公平だと
彼は思ったのかもしれない。


von_Braun

フォン・ブラウン

ただ月に近づきたかった。
ただ月をその手につかみたかった。

宇宙を夢見るフォン・ブラウン少年は
ヒトラー率いるドイツ陸軍の下、
ひたすらロケットを作り続ける。

大戦後、
NASAにスカウトされ、
アポロ11号を月へと導いたブラウンは、
ナチスに協力した過去を問われた時、
こう答えた。


私は宇宙へ人間を飛ばす目的のためならば、
悪魔と手を握っても働き続けたいと思った。

夢は大きければ大きいほど
その分の覚悟を要求してくる。

3

糸川英夫

「太平洋を20分で横断するロケットをつくる」と宣言した時も。
23センチのペンシルロケットを打ち上げた時も。
周りの大人たちは失笑し、あるいは嘲笑した。

糸川英夫はそんな大人たちに目もくれず
せっせと宇宙に近づいた。

しかしその膨張するやっかみは
彼をすっぽりのみ込んで
憧れ続けた宇宙を彼から奪った。

いま太陽系には
イトカワという名前の小惑星がある。

糸川が死んだ後、大人たちがつけた。
その功績をたたえて。

今ごろ糸川は地球を見下ろし
何が功績だと笑っているに違いない。


4

ジョン・グレン

77歳で宇宙飛行士となったジョン・グレン。
彼は記者会見でこんな質問を投げかけられた。


無重力を老人に試す実験なら
上院議員のあなたではなく
66歳で現役飛行士の
ジョン・ヤングが行くべきでは。

彼はニヤリと笑って
こう答えた。


He is too young.

やはり彼は
宇宙にふさわしい。


5

ジョン・ヤング

宇宙飛行士ジョン・ヤングはかねてより
チューブの味気ない宇宙食に耐えかねていた。

彼は特注のターキー・サンドウィッチを
ロケット内に持ち込むことを目論んだ。
もちろんそれは見つかって
こっぴどく叱られたけれど。

そういえば
「2001年宇宙の旅」にも
ハムやチキンのサンドイッチを
飛行士たちがほおばるシーンがある。

少なくとも人間の食欲は
無重力にも負けない。

食欲の秋。
大いにけっこうじゃないですか。

6

ニール・アームストロング

人類で初めて月に降り立った
ニール・アームストロング。

彼は月へと向かうアポロ11号の中で
サミュエル・J・ホフマンの
「月からの音楽」をよく聴いた。

この曲にはテルミンが使われている。
奇妙にあたたかいその電子音は、
宇宙と自分とつなぐ糸だったかもしれない。

彼は地球上のどの詩人よりも
ロマンチストであった。


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毛利衛

空の美しい街に生まれた少年は
空を見上げて育った。

毎日毎日空を見上げているうちに、
少年は宇宙飛行士になっていた。

17年前の今日、
空を見上げて育った少年、毛利衛は
颯爽と宇宙へ飛び立った。

宇宙。
たったその2文字に
どれだけの時間と才能が
費やされたことだろう。

人間はそれでもまだ引きつけられる。
宇宙はやはりブラックホールだ。

今日は宇宙の日。

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小山佳奈 09年8月16日放送

アンリ・デグランジュ


8月16日に亡くなった人 ~ アンリ・デグランジュ

歴史の始まりはたいてい
腰が抜けるほど単純なものだ。

 「自転車レースの日は新聞がよく売れる。
 だったらレースの方をつくろう。」

スポーツ紙ロトの編集者、
アンリ・デグランジュが
売上げアップのために始めたレース。

それが今では世界一有名な自転車レース
「ツール・ド・フランス」となった。

動機はあくまで
単純な方がいい。

今日、8月16日は、
アンリ・デグランジュの亡くなった日。

震洋特攻隊


8月16日に亡くなった人 ~ 震洋特攻隊

ベニヤ板を接着剤で貼り合わせただけの
おもちゃのようなモーターボートを集めて
どこかの見知らぬ大人たちが「特攻隊」と呼んだ。
乗組員は人間ひとりと、爆薬250キロ。

1945年8月16日。
戦争が終わったはずの翌日に、
初めて出撃の命令が下る。

準備中、一つの船が爆発して、
111人の若者が、こっぱみじんになった。

震洋特別攻撃隊、手結基地。
東京から遠く離れた高知の海辺の小さな村で、
誰も戦争が終わったなんて教えてくれなかった。

 「国のために死ぬ覚悟はできていた。
 しかし犬死をする覚悟なんて持っているわけがない。」

生き残った男の目には今もはっきりと
真っ赤に染まる海が見える。

人間が始めた戦争なのに
人間はそれをうまく終わらせることができない。

なのにまた世界のどこかで
今にも始めようとしたりしてる。

どうして人間はそんなにも。
どうして人間はこんなにも。

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8月16日に亡くなった人 ~ エルヴィス・プレスリー

メンフィスの小さなレコーディングスタジオに
ふらりとやって来た白人の若者。
高校を卒業しトラックの運転手をしているという18歳は、
聞けば母親の誕生日に歌を贈りたいという。

黒人初の大統領が生まれるたった50年前のアメリカでは、
人種の壁ははるかに高く、
それは音楽ですら例外ではない。
黒人はブルース。
白人はカントリー。

オーナーのサム・フィリップスが
どんな歌を歌えるのかとたずねるとこう答えた。

 「僕は何でも歌えます。
僕は誰にも似ていません。」

彼の名は、
エルヴィス・プレスリー。

何かに例えようとする時点で、
それはもうロックではない。

そもそもロックなんてジャンル自体、
ロックの神様には失礼な話。

今日、8月16日は、
エルヴィス・プレスリーの
亡くなった日。

佐伯祐三


8月16日に亡くなった人 ~ 佐伯祐三

1923年。
西洋画の聖地、
パリに渡った佐伯祐三は、
狂ったように絵を描いた。

その狂気は、
画壇を鮮やかに彩るかわりに、
彼自身の心と体を黒く黒く塗りつぶしていく。

 「きっと俺はやりぬく 
 やりぬかねばおくものか
 死-病-仕事-愛-生活」

何よりも死が一番近く、
だからこそ必死で生きた。

今日、8月16日は、
佐伯祐三の亡くなった日。

ベラ・ルゴシ


8月16日に亡くなった人 ~ ベラ・ルゴシ

黒いマントと燕尾服。
オールバックに白い牙。

「魔人ドラキュラ」で一躍スターとなったベラ・ルゴシは、
その後、自ら作り上げたドラキュラ像から逃れられず、
B級俳優の烙印を押される。

彼は亡くなる直前こう言い残す。

 「埋葬するときには
 黒いマントを着せてほしい。」

最後までドラキュラでありつづけようとした彼が、
B級であるはずはない。

今日、8月16日は
ベラ・ルゴシの亡くなった日。

マーガレット・ミッチェル


8月16日に亡くなった人 ~ マーガレット・ミッチェル

自分を書くことはひどく勇気がいる。
偽善的にも偽悪的にもすぐなり下がるから。

作家、マーガレット・ミッチェルはその点、
正直すぎるほど正直に自分の人生を書いた。

「風と共に去りぬ」の主人公スカーレットは、
彼女そのもの。

結婚した男は粗暴で不埒で魅力的。
それでも昔の恋が忘れられずに傷つき別れる。

 「Tomorrow is anotherday.」

それはきっと彼女が
自分自身に言い聞かせ続けた言葉。

今日、8月16日は、
マーガレット・ミッチェルの
亡くなった日。

セルマン・ワクスマン


8月16日に亡くなった人 ~ セルマン・ワクスマン

正岡子規からショパンまで
世界中の才能を奪い続けた死の病、結核。

その特効薬を発見しノーベル賞を受賞した、
セルマン・ワクスマン。

しかし実際にこの抗生物質を発見したのは
彼の研究室にいた23歳の研究生だった。

部下の栄誉を横取りした非道な上司とみるか。
部下に資金と機会を与えた偉大な上司とみるか。

今日、8月16日は、
ワクスマンの亡くなった日。

送り火


8月16日の送り火

盆地を囲む五つの文字が
京都の空を赤く燃やす。

今夜、京都では
亡くなった人を偲ぶ、
大文字五山送り火が行われている。

今日、8月16日に亡くなった、
プレスリー、ミッチェル、佐伯祐三。

あぁ。
あなたたちの残したもののおかげで
こんなにも私たちは
泣いたり笑ったり驚いたりできます。

「人を思う」と書いて
「偲ぶ」。

さて、
あなたは今日、
誰を思いますか。

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海のむこう、広告のむこう。 〜 細田高広篇

もう本当にカンヌって何だっけ、
かもしれませんね。

こうなったら来年のカンヌまでやって
リアルタイムのフリをしたいです。

今回は少し趣向を変えまして。

前回、ホテルでばったり出くわした
ヤングカンヌ代表の古田組・細田さん。
日本代表。
ジャパン。
そんな貴重な話を聞かないなんて。
ということで、
その激戦の模様をつづっていただきました。
どうぞ、お楽しみください。

〜・〜・〜

カンヌのホテルで小山さんに出くわしたとき、
僕が「うわっ。何でここに!」と大げさに驚いてるのに、
小山さんたら「あ、ども。」と軽く会釈するだけ。
まるで渋谷あたりですれ違ったかのよう。
あまりの自然さに「まだ夢でも見てるのかな」と混乱したほどです。

それにしても、あのときの僕の姿と言ったら。
寝癖そのままの爆発ヘアーに、ださいパジャマ、
ひしゃげたメガネに、むくんだ顔。
あぁ、お恥ずかしい。

でも無理もないのです。
あの時は、コンペに負けた悔しさで
およそ1日半「ふて寝」した直後だったのですから。

そう。今回僕はカンヌでヤング・ライオンという若手(28歳以下)の
コンペに参加していました。
ヤング・ライオンにはフィルム、プレス、サイバー、メディアの
4部門があり、僕が出場したのはメディア部門。
雑誌とか、テレビCMとか、屋外広告とか、ウェブとか
メディアを自由に組み合わせてひとつのキャンペーンを提案します。

スケジュールは以下の通り。3日間にわたります。

1日目 16:00 オリエン(課題発表)
2日目 08:00−20:00 (制作作業)
3日目 プレゼン 各チーム5分 スライド10枚

今年のクライアントは、WFP(国連世界食料計画)。
世界の発展途上国の小学校に給食を送る活動を行っている団体です。
お題は、「先進国の子どもたちに活動の意義を伝え、自分ごと化させ、
寄付をさせるためのコミュニケーションを考えよ」というもの。
想定予算はおよそ5000万円。

25カ国の代表が一部屋に集まって話を聞くのですが、
みんな28歳以下に全然見えません。
「あの男強そう」とか「ケンカしたら負けるよね」とか
もうひとりのパートナーと、意味も無くブルブル怯えていました。

オリエンが終わると、皆、一斉に作戦会議を始めます。
会場の中で考えると煮詰まりそうだったので、
僕たちは会場側のカフェに移動し、とりあえず
お互いのアイデアを練ることにしました。

カンヌの心地よい風が眠気を誘います。
なんと仕事に向かない幸福な気候なのでしょう。
それをエスプレッソと日本から持ってきた
粉末ユンケルでやっつけながら、およそ2時間後。
2人のアイデアを元に議論開始。
徐々に日が落ち始めた頃、ようやく提案の筋が見え始めます。

僕はコンセプトやメッセージやらを詰め、
パートナーはキャンペーン展開をするメディアを考え、
再び持ち寄って・・・と繰り返しているうちに
あっという間に夜が明けました。

さぁ、2日目はいよいよ制作作業です。

皆さんなら、どんなキャンペーンを考えますか?

【つづく】

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海のむこう、広告のむこう。~vol.5

そろそろカンヌってなんだったっけってなっている頃かと思いますが。
めげずに書きます。
今のところ、ただ飛行機に乗り遅れて荷物をなくしただけの
間抜けな日本人ですものね。
広告の話まったくしてないし。
それにしてもこんな大仰なタイトルつけるんじゃなかった・・・。

ホテルについた翌朝、
そういえば広告祭を見にきたんだったとホテルのエレベーターを降りると
見た顔が。
Visionの細田さんです。
ヤングライオン日本代表だったという細田さん、すごいですね。
コンペの翌日だったそうで、その顔色が壮絶な戦いを物語っていました。
あと会場でも佐藤さん(事務局長)に会いました。
カンヌの光を浴びて、一層さわやかな佐藤さん。
さすがです。

Visionの人たちにはたくさん会ったんですが、
今年のカンヌはみなさんもご存知のとおり、本当に人が少なくて。
5年前に初めて来たときには、
日本人も外国人も外国人みたいな日本人も、みんなみんな
道端にあふれ返っていたし、
夜になると歓声や奇声があちこちのパーティーから聞こえていたのに、
今年は普通の観光客しかいなくて
あぁカンヌってリゾート地だったんだな、と改めて思いました。
会場内も、
スクリーニングの会場に3人しか見ている人がいなかったり、
地下のグラフィックが並んでるフロアも冷え切ってたりと
どうも様子が違います。

とはいえ、女子トイレに並ばなくても入れるし、
微妙に知ってるけど微妙にしか知らない会社の人とかに会って
まごついたりしなくてもいいので、
意外と悪くないです。
地味カンヌ。

フィルムのグランプリもインターネット、
やれ時代はサイバーだなんだといってるのに、
そんな流れとはまったく関係ないPRESS部門を真っ先に見にいきます。
英語がわからないので、ずいぶん時間がかかる。
好きだったのは、GOLDだったFIATの環境広告。
車の衝突実験でエアバッグがバーンって開いてるんだけど
運転席にいるのがパンダとか絶滅危惧種。
「Engineerd for a Lower Impact on the environment.」。
たしかフィルムでもSILVERだった気が。
あとは、
これもGOLDのMiller「High Life Innovation.」シリーズ。
「ミラーを飲むとき足を組まないようにしとく装置を開発しました」
「ミラーを飲むとき小指を立てないようにしとく装置を開発しました」
ばかばかしくっていいなぁ。
グランプリのWrangler「We are animals.」は
コピーがいい的なことを外人が言ってました。

その隣にはOUTDOOR部門やMEDIA部門のボードが並んでいます。
カテゴリーの違いが今いちよくわかりません。

目を引いたのは、
たしかOUTDOORのグランプリだった
「TRILLON DOLLAR BILLBORAD」っていうお札でできたポスター。
ジンバブエの新聞の広告で、
何万枚という本物のお札でできたポスターに
「こんなにたくさんのお金でもこの一枚のポスターが刷れません」
というようなことが書いてある。
ジンバブエは今ものすごいインフレで
1兆ジンバブエ・ドルとかになってるらしく。
この手の経済ネタは結構あって(夕張もそうですよね。)
「来年までは経済ものはイケるから、貧乏な街を探しにいこう」って
さっき打合せで古川さんが言ってました。

その日はほぼ一日、地下にいて
夜はブイヤベースをいただきました。
うまーい。
高崎さん、タダさん、阿部さん、ありがとうございます。
ようやく、わたしカンヌにいるんだと、実感。

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