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海のむこう、広告のむこう。~vol.4

みなさまあたたかいコメント、
本当にありがとうございます。
そして相変わらず一向に広告の話になっていません、
すみません。

カンヌに到着した午後。
3日ぶりくらいにシャワーを浴びます。
カンヌで買ったシャンプー「After Shampoo」ってシャンプーじゃなかったり、
リンスだと思ったら「After Dry」ってリンスじゃなかったり
そんなぐらいのことではもうめげません。

すっきりしたのかしなかったのだかわからないまま、
なんとか受付だけでも済ませようと会場に急ぎます。
通行手形みたいなパスをもらうのですが、
そのパス用の写真をその場で撮ってまぁびっくり。
死相とか悲壮感とかいっぺんに出ています。
受付のお姉さんも若干失笑。
これからのカンヌでこれをずっと提げていなくちゃいけないなんて。

ごはんを食べ終えると鬼のような眠気が襲ってきます。
なんといっても5時から起きてますから。
ホテルに戻るとフロントの女の人がにこやかに指差します。
なんと。
荷物が届いているではありませんか。
「エールフランスはロストバゲージに慣れてるから対応が早い」
のだそうです。
慣れる前に荷物なくすなよ。
でもよかった。
その日はあんまり疲れていたので、すぐに眠ってしまいました。

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海のむこう、広告のむこう。〜vol.3

シャトルバスに20分ほどゆられて
着いたホテルは薄暗いB&B。
玄関前にはアラブ人の若者たちが何かよくわからないものを吸いながら
うろうろしています。
こわごわフロントに行くと美人のお姉さんが、
4人部屋しか空いてないとにべもない態度。
絶対ウソだよ。
思いながらも、抵抗する気力もなく1人で4人部屋へ。
とにかくシャワーを浴びようとすると、
そこにはタオルもシャンプーも石けんすらない。
手荷物しかないんですけど、私。
仕方なくドロドロのままベッドで丸くなる。
あぁ日本が遠い。

翌朝5時。
全く疲れも取れないままホテルを出、
またどこをシャトルしているかわからないシャトルバスに乗り、
1時間前からゲートの前に座ってニース行きの飛行機に乗り、
ようやくカンヌだ、と思ったら甘かった。
ニース空港。
いくら待っても自分の荷物が回ってこない。

「ロストバゲージね。」

いま一番聞きたくない英単語を平然と言い放つ空港のお姉さん。
(何だってフランスの女の人はあんなに美人で
 あんなにぶっきらぼうなんでしょう。)
さすがにがまんしていた涙が頬をつたいます。

そのまま手荷物一つでカンヌに到着。
一番に行ったのは、
会場でもなく、ましてやビーチなんかでもなく、
下着を買うためのスーパーマーケットでした。

「サマータイムマジック。」
渡辺美里さんにぜひ歌ってほしい。
みなさん、カンヌに行かれる際はお気をつけください。

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小山佳奈 09年7月5日放送

1

ペリー

1953年。
黒船で浦賀に乗り込んだペリー。

彼は幕府の役人を船上に招き、
「土色をしておびただしく泡立つ酒」を、
大いにふるまった。

役人たちは、
この魅惑的な泡にすっかり飲まれ、
西洋万歳、われらは同士と肩を抱き、
その後、やすやすと不平等条約を
結んでしまった。

ビール。

いまもむかしも
絶望的にうまい。

ペリーは有能な
外交官だ。

2

蔦監督

日本の夏は、
高校生にとって
すこぶる不公平だ。

どんな部活も差し置いて、
野球部だけが脚光を浴びるなんて。

その原因の一つは、
高野連でもNHKでもなくて、
池田高校元監督、蔦監督に
あるのかもしれない。

彼は、
無名高校のたった11人の生徒が、
強豪校を打って打って打ちまかし、
ついには甲子園を制するという
あざやかな魔法を日本国民にかけた。

あぁ、蔦監督。

今年の夏もまた。
日本中の高校生が、
地団駄を踏んでいます。


3.5

高村光太郎

詩人、高村光太郎。

たいていの人がそうであるように。
彼の好きになる女性は、
みんな顔かたちがよく似ていた。

恋焦がれた若太夫に捨てられ、
智恵子と初めて出会ったとき、
つい、口走った。

「若太夫。」

言葉で生きる詩人ですら、
失言はある。

彼がベッドで思わず
前の彼女の名前を呼んでも
一回なら大目に見てあげよう。


4.5

ルイ・レアール

1946年、自動車工ルイ・レアールは
ある一つの水着を思いついた。

そのあまりにも大胆なデザインには、
それに見合う大胆なネーミングが必要だ。

そんな彼の耳に飛び込んできた、
「ビキニ環礁原爆実験成功」のニュース。

これだとヒザを打ったレアールは、
その水着を「ビキニ」と名づけた。

水着と原爆。

人間を狂わせるという意味では、
どちらも正しい。

今日はビキニスタイルの日。

5

エリック・ハイドシェック

ピアニストには、
もう一つ向いている職業がある。

エリック・ハイドシェック。

兵役でアルジェリア内戦におもむいた際、
軍の通信部に配属された。

そこで彼は、
その研ぎすまされた耳と自慢の指遣いで
モールス信号を自在に操り、
あっという間に伍長に昇格。

その時、
モーツァルト・コンツェルト大賞受賞の知らせを
受けていなかったら。

危うく私たちは、
20世紀最高の音楽を取り逃がす
ところだった。


6

夏目漱石

いまどきの子どもは物を知らない。
魚は切り身で泳いでいると思っている。

そんな紋切り型の大人の嘆きに辟易したら、
夏目漱石大先生に登場してもらおう。

彼は田んぼに生えている稲が
いつも食べている米だということを、
大人になるまで知らなかった。

百の知識より、
一のおいしさを
知っていればいい。

稲ぐらい、
とは思いますが。


7

トリュフォーと春樹とそんなようなこと

トリュフォーの映画みたいに、
家を飛び出してみたけど、
寂しくなって
夕飯の時間より前に
家に帰った。

村上春樹の小説みたいに、
昼間からビールを飲んで
ピーナッツの殻を
床に落として
母にものすごく叱られた。

平凡だから、
平凡じゃないことを楽しめる、
平凡な私の
平凡な喜び。


8

茨木のり子


 好きだった顎すじの匂い
 やわらかだった髪の毛
 皮脂なめららかな頬 
 水泳で鍛えた暑い胸廓

茨木のり子が
亡き夫を思って詠んだ詩、
「部分」。

曖昧な全体を無理に見ようとするから、
愛はむつかしくなる。

地球もきみも絶望もひまわりも、
全部、部分。

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海のむこう、広告のむこう。~vol.2

事件は、行きのパリ、シャルルドゴール空港で起こりました。

飛行機を降りる時に確認したトランジットは3時間。
携帯の時刻をパリ時間に合わせ、
飲めないエスプレッソを飲みながら、
優雅に時間をつぶしておりました。

ようやく出発の30分前になってカウンターまで行ってみると、
何か様子がおかしい。
乗るはずの飛行機は20時15分発ニース行き。
しかし見上げた掲示板に表示されているのは、
21時15分発のマドリッド行き。
おかしいなと思いつつ、
ゲートのお姉さんにチケットを見せます。
お姉さんは一ミリも眉を動かさずこう言いました。

「You missed.」

あぁなんということでしょう。
飛行機が出ています。

でも、なぜ?
私の携帯は19時40分ですよ?
掲示板の時計を見ると、
時刻は20時40分。
何度も目をこすりました。マンガみたく。
そして私はすべてを合点したのです。

サマータイム。

   「夏の季節だけ標準時刻を進めて、日照時間を有効に使おうとする制度。
    日本では昭和23年(1948)から昭和26年(1951)まで実施。
    夏時間。夏時刻。」(yahoo辞書)

くらくらしました。
平成21年の日本から来たのですから、
そんな単語を発音したのは中学の基礎英語以来です。

思えば、
「世界時刻自動補正機能」なんていう漢字だらけの機能に、
「サマータイム」なんていう舶来の思想が理解できるはずもない。
わざわざ成田空港で交換したソニーエリクソンを
心の底からうらみました。
(後から見たらちゃんとそういう機能はついてました。ぬれぎぬ。)

そうして飛行機に乗り遅れた私は、
死ぬほど美人で死ぬほど無愛想なフランス人の空港職員から渡された
ホテルのリストに片端から電話をかけ
10件以上断られた後ようやく取れたB&Bに
どこをシャトルしてるのかわからないシャトルバスで
半べそをかきながら向かったのでした。

                                           つづく。

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海のむこう、広告のむこう。~vol.1

2009カンヌ広告祭が終わって早や1週間。
カンヌから帰ってきた人もきちんと仕事に戻り、
そうでない人にはもはや何かそんなものあったかしらという頃合いでしょう。

そんなタイミングで、
カンヌ滞在記。
即時性の時代に10日以上遅れた日記。
もはや滞在記でもなんでもありませんし、
速報も何もありませんので、
おひまな方だけお付き合いください。
とりあえず名前だけそれっぽくして
ごまかしています。

そもそも。
なぜこんなことになったのかというと、
カンヌの広告も景色もトップレスも、
ちゃんと目に入ってきたのが、
広告祭も終わりかけのころだったのです。

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カンヌより。

「マイケルが死んだ」
というニュースはここカンヌでも衝撃で。
お店ではマイケルの歌やビデオが繰り返し流れ、
みな広告の話そっちのけで語らっています。
マイケルについて。
そしてマイケルと共にあった自分の青春について。
それらを話す時、みんな悲しいんだけど少し楽しそうなのは、
マイケルの曲が必ずその人の
ちょっと恥ずかしくて、でも、ちょっとまぶしかった記憶と共に
あるからなんでしょうか。

申し遅れましたが、
いまカンヌにいます、Team visionの小山です。
カンヌ滞在記を書かないか?
と言われてうっかりそのまま最終日を迎えてしまいました。
初回にして最終回。
かもしれない。
しかも全然レポートじゃない。
本当にすみません。

これからフィルムの表彰式。
そしてグランドフィナーレです。

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小山佳奈 09年6月14日放送

kyoto


湯川秀樹

いじわるな人のことを
京都の人は「いけず」という。

日本人で初めてノーベル賞を受賞した湯川秀樹。
京極小、京都一中、京大と根っから京都育ちの彼は、
科学者としての心得を聞かれて
こう答えた。

 科学者というものは、
 女の足の指を舐るようなところがなくては
 あかんのです

戸惑う相手に、
ほくそ笑む湯川。

なるほど彼は科学者の前に
「いけず」な京都人だった。

pisa


ボナンノ・ピサーノ

彼は焦っていた。
「大聖堂建築」という、
国家プロジェクトを担った矢先。
あろうことか、建物が傾き始めた。

欠陥工事の建築家。
世紀を超えた汚名を残すところ。

しかし彼には運があった。

その後の学者たちが
それぞれの時代のありったけの科学で傾いた塔を支え、
今では立派な世界遺産、
「ピサの斜塔」となった。

ボナンノ・ピサーノ。

歴史上もっとも、
幸運な建築家である。

hideyo


野口英世

偉大なる医学者、野口英世。
彼は、偉大なる借金王でもあった。

田舎から留学費だと
金を借りては毎夜の放蕩。
死後80年がたった今でも
未払いの督促状が舞い込むという。

彼はいま、
お金を貸してくれた人たちへ頭を下げに
日本中を飛び回っている。

1000円札になって。

ほら、
あなたのお財布にも
折り曲がった野口英世が。

citynewyork


ロバート・メープルソープ

 自分の名声を見届けるまでは死ねない。

ニューヨークのロングアイランドで生まれた
ロバート・メープルソープは、
カメラを右手に、野心を左手に、
70年代のアートシーンを
一気に駆け上った。

パトロンの金と人脈は
惜しみなく使う。
有名になりたくて何が悪い。

メープルソープの写真は、
だから今でも、
残酷で完璧だ。

degas


パティ・スミス

例えばある女の子に
憧れの人がいたとする。
愛人でもいいからその人に近づきたい、
匂いを嗅ぎたい。

パンクロックの女王、
パティ・スミス。

彼女は元々グルーピー。
ストーンズにあこがれ、
ボブ・ディランに恋をし、
ジミヘンを愛した。

そして、
少女は憧れの世界に愛され、
自ら憧れの人となった。

女の子って、
時々そういう生き物。

maruyama


丸山薫

梅雨。

空にのしかかる雨雲が
あなたの顔をそんなにもくもらせるなら
丸山薫の詩を読もう。

 汽車に乗って 
 あいるらんどのやうな田舎へ行かう

彼がアイルランドを訪れたことは
一度もない。

想像力だけで出来た言葉は、
新たな想像力を無限に呼べる。

 日が照りながら雨のふる
 あいるらんどのやうな田舎へ行かう

color


ディック・ブルーナ

赤、青、黄、緑、茶、グレー。
たった6色と単純な線で出来たうさぎが、
今日も世界中の子どもたちを虜にする。

ミッフィーを50年描き続ける
ディック・ブルーナは、
今でも1枚のミッフィーを描くのに
100枚のミッフィーを描くという。

単純が一番、難しい。

恋も人生もなんだって、
複雑にしたがるのが
人間だから。

lamo


中島らも

中島らもは、言う。

 僕は、楽園だなんて話は信じない。
 そこに好きな人たちがいるところ、
 守るべき人がいてくれるところ、
 戦う相手のいるところ。
 それが楽園なのだと思う。

つまり、
たいていの人にとって、
いま必死で生きているこの場所こそが、
楽園なのだ。

さぁ、明日からまたがんばろう。
おやすみなさい。

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小山佳奈 09年5月9日放送

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ちあきなおみ




 いつものように幕が開き
 恋の歌うたう私に 届いた報せは
 黒いふちどりがありました

ちあきなおみは「喝采」という曲で、
恋人を亡くしてもなお、
ステージに立ち続ける女の悲しみを歌い、
文字通り喝采を浴びた。

しかし20年後。
最愛の夫を亡くした時、彼女は歌うことをやめた。
現実は歌よりもはるかに悲しいものだったから。

歌は残酷だ。

それでも世界は、
歌を必要としている。




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内田百閒




 さわら刺身 生姜醤油
 たい刺身
 かじき刺身
 まぐろ 霜降りとろノぶつ切
 ふな刺身 芥子味噌

内田百閒の随筆の中に、
料理の名前だけを延々78品、
書き連ねたものがある。

戦時中食べるものが少なくなり、
せめて名前だけでもうまいものを、と百閒。

言葉は、
ごちそう。

ついでにビールも、
もらいますか。

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土方歳三




新撰組、土方歳三。

鬼の副長と呼ばれた、
彼の趣味は俳句だった。

昨日敵を斬り、今日味方を斬る。
明日生きているのかさえもわからない極限の毎日の中で、
人としての均衡を保つ、
たった一つの糸。

それが俳句だった。

 公用に 出て行く道や 春の月

5月生まれの土方は、
春の句が好きだったという。




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フランシス・コッポラ




 仕事と家族、どっちが大事なの

そう妻に言われて困ったら、
フランシス・コッポラを思い出そう。

映画「ゴッドファーザー」で彼は、
父を音楽監督にし、妹に大役を与え、
娘にヒロインの座をプレゼントした。

仕事と家族、
ではなく、
仕事が家族。

公私混同、
おおいに結構。

コッポラは、よくわかっている。




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小林一茶




小林一茶が初めて結婚したのは、
52歳のとき。

相手は24歳年下。
若い妻、新婚。
それはそれは、毎夜、
せっせと営みを重ねます。

しかしさすがの一茶も、寄る年波には勝てず。
自分を奮い立たせるためにひねり出したのが、
かの有名な一句。

 やせがえる 負けるな一茶 これにあり

200年後の小学生が
無邪気にそらんじる様子を見たら、
一茶はひっくり返るに違いない。




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志賀直哉




原節子を小津安二郎に薦めたのは、
作家、志賀直哉であった。

尊敬する志賀の一言で、小津は、
次回作「晩春」のヒロインに彼女を迎え、
そこから、
日本映画史上最も重要なコンビが生まれる。

これもまた、
作家、志賀直哉の
ひとつの作品である。




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友部正人




誰かにたとえられるということは、
時として名誉であり、
時として重荷でもある。

日本のボブディランと言われた、
友部正人。

彼はそんな肩書きを
むしろ楽しむかのように
軽やかに歌い続ける。

 ボブディランなんて知らない。
 知っているのは音楽好きの若いアメリカ人
 ぼくはその若さだけ信じてた

名誉か重荷かは、
本人が決めること。

 答えは風に吹かれている

ディランもそう言っている。




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小山佳奈 09年4月11日放送



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中原中也 十六歳


 おもしろいじゃないの。


長谷川泰子が中原中也に言った、そのひと言で
中也は恋に落ちる。


田舎から身ひとつで出てきて、
文学という魔物と対峙しようとしている少年にとっては、
誰かひとりでも
「おもしろい」と認めてくれる人がいれば、
人生は確かな輪郭を持つ。


 あゝ 恋が形とならない前、
 その時失恋をしとけばよかつたのです。



気づいたときには、もう遅い。
それが、恋。


中原中也、16歳の春。










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中原中也 十七歳

桜の咲く御所を横目に今出川通りを東へ進み、
河原町にぶつかるその角、
古びた木造アパートの二階に、
中原中也とその恋人、長谷川泰子は、
小さな居を構えていた。


 春風です。
 よろこびやがれ凡俗!
 アスフアルトの上は凡人がゆく。
  顔 顔 顔。



下宿の窓から春を見おろしていた
中原中也17歳。


恋人と初めて迎える春でした。





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中原中也 十八歳




その日は夕方から雨になった。
中原中也と長谷川泰子が暮らす高円寺の家に、
中也の親友、小林秀雄がやってきた。


 その人は傘を持たずぬれながら軒下に駆け込んでき ました。
 私はハッとしました。
 その人は雨の中から現れ出たようで、
 雨にぬれたその人は、とても新鮮に思えたのです。



すぐに二人は恋に落ち、
長谷川泰子は中原中也の元を去る。


その日に、雨さえ降っていなければ。
その日が、4月でなかったならば。


4月は案外と雨が多い。


中原中也、18歳の春。










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中原中也 十九歳




デビュー作というものすべてが、
一瞬の初期衝動で生み出されるものと思ったら、
ちょっとちがう。
どんな天才であっても、
デビュー作には特別な想いがあり、特別に骨を折る。


中原中也が、初めて文壇に発表した詩、「朝の歌」は
わずか14行に3ヶ月以上の月日をかけている。


 ひろごりて たいらかの空
 土手づたい きえてゆくかな
 うつくしき さまざまの夢



恋人は去った。
友人も去った。
故郷も去った。


それでも気がつけば、たったひとつ
詩、という名の夢が残った。


中原中也、19歳の春。





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中原中也 二十三歳




 僕が死んだらあいつに見せて欲しい


そう言って、中原中也が友人に渡した分厚い原稿用紙の束は
別れた恋人長谷川泰子への愛の詩だった。


 女よ、美しいものよ、私の許にやっておいで。
 どんなに私がおまえを愛するか、
 それはおまえにわかりはしない。



未練のある男は、女々しいが
未練のない女は、男らしく
気づいても気づかないふりをする。


中原中也、23歳の春。










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中原中也 二十八歳




今この瞬間を生きることしか考えてこなかった中原中也が、
未来というものの存在に気づいたのは
はじめての子供を持ってからだった。


 自分の未來と子供の未來を合わせれば
 何か大きな仕事ができそうだ



その子がたった2歳で急逝することを知らず….


喜びに満ちていた
中原中也28歳の春。





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中原中也の声




4月生まれの詩人、中原中也は、
亡くなる直前、こう言った。


 今に分かるときが来ますよ


喧嘩っ早くて、
酒を飲むとすぐ大声で、議論をふっかける。


中也は激しい気性ばかり注目されて
魂の底にある悲しみに気づいてもらえなかったことが
多かったけれど。


それでも死の翌年には
たった一人の理解者だった小林秀雄の手で
最後の詩集「在りし日の歌」が
出版されている。


 今にわかるときが来ますよ


中原中也の声が聞こえますか。





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小山佳奈





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