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小野麻利江 16年2月21日放送

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お酒のはなし 李白と杜甫

李自一斗詩百篇(りじはいっと、しひゃくへん)

中国・唐の時代の詩人、杜甫が詠んだ『飲中八仙歌』。
その中で最も有名なこの一行によって、
同じく唐の詩人・李白は
酒の仙人「酒仙」の名を欲しいままにしている。

しかし実は杜甫も、李白に負けず劣らず酒好きだったと言われている。
杜甫がつくった1400首の中で、酒にちなんだ詩は300首。
李白がつくった1000首の中で、酒の詩は170首。
計算してみると、李白よりも多い割合で、杜甫は酒を詠っている。

特に『曲江』という漢詩は、
杜甫が時の皇帝・粛宗に生真面目に進言して怒りに触れ、
朝廷に居場所を無くしかけた際に詠まれたとされる詩。

 朝回日日典春衣(ちょうよりかえって ひび しゅんいをてんす)
 毎日江頭盡酔歸(まいにちこうとう よいをつくしてかえる)

朝廷を退出すると、毎日春の着物を質に入れ、
そのお金で曲江の川のほとりで酒を飲んで帰ってくる。
酒で憂さを晴らすさまを、切々と詠う杜甫。
酒も詩も、生きる糧。
そう訴えているように見える。

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小野麻利江 16年1月24日放送

160124-04
Thermos 
北欧のはなし アルヴァ・アアルト

フィンランドの国民的建築家、アルヴァ・アアルト。
彼が設計した建築物や家具はいずれも、
フィンランドの自然の風景から
インスピレーションを得ていた。

たとえば、代表作の一つである、
ヘルシンキの「フィンランディアホール」。
トーロ湾を望むその白い大理石のホールは
フィンランドの海や湖に立つ波をイメージした、
ゆるやかなカーブを持つ窓が印象的。

自然の世界をたたえることで、
さらに人間味のある社会を創造することができる。
そんな信念を持っていたアアルト。

こんな言葉も、彼は残している。

 形には中身が伴っていなければいけないし、
 中身は自然に繋がっていなければいけない。

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小野麻利江 16年1月24日放送

160124-06

北欧のはなし オーディンの箴言

「オーディンの箴言(しんげん)」というものをご存知だろうか。
それは、中世の北欧の海を制していた
ヴァイキングが残したとされる名言たち。

164連からなるこれらの詩の内容は、
荒くれ者のヴァイキングらしく、酒にまつわるものが少なくない。

たとえば、

 人の子にとって、ビールは、そう言われるほど良いものではない。
 たくさん飲めば、それだけ性根を失うものだから。

と、ビールの飲みすぎをたしなめたり。

 酒杯を手に持ったきりにするな。酒はほどほどに飲め。
 必要なことだけ喋るか、そうでなかったら、口をつぐんでおけ。

と、酒気帯び状態でのおしゃべりに、注意を促したり。

 宴会場を飛び回るのは、忘却の青鷺といって、
 人の心の分別を盗むものだ。

と、酒の席で色々な人と話す危険性を諭したり。

新年会も、そろそろ打ち止め。
これらオーディンの箴言が身にしみている方も、
きっと多いことだろう。

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小野麻利江 15年12月27日放送

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掃除のはなし 掃除にまつわるロシアの風習

ロシアの風習の中に、
掃除にまつわる興味深いものがある。
それは、家に来た客が帰ったあと、
家に着くまで床掃除をしてはいけない。というもの。

この風習は、かつてお葬式の後、
井戸から汲んだ水で床を拭き、
「亡くなった人は二度とこの家に帰ってこない」
としたことに由来する。
それが転じて、旅立つ人を亡くなった人にしてはならないと
旅の間の床掃除が禁じられ、
さらには、帰ってゆく客に対しても
無事を祈って、床掃除を控えるのだという。

だから、お客さんが帰ったあと
すぐに床掃除を始めようとする人がいたら、
ロシアの人は、こうたしなめるそうだ。

 すべて洗ってしまうと、
 出て行った人に
 道がなくなってしまう。

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小野麻利江 15年12月27日放送

151227-02
Terry Johnston
掃除のはなし ある芸人のトイレ掃除

「トイレをきれいに掃除しろ」。
昔、とある若手芸人が、師匠にそう言われた。
以来その芸人は師匠の言いつけを守り、
どこに行ってもトイレをきれいに掃除した。
ロケ先の公園のトイレがどんなに汚くても、
自分が使ったあとは必ず掃除をし、
時には、隣のトイレまできれいにした。
トイレットペーパーが無いトイレだって、
手を使ってきれいにした。

トイレを借りるたびに、トイレをきれいにし続けて。
気づけば芸歴もトイレ掃除も、30年以上。
お笑い番組はもとより、
小説を書いても、映画をつくってももてはやされる、
大物芸人になっていた。

 自分は才能があるとは思わないのに、
 何をやっても評価を受けるのは、
 もしかして、トイレ掃除のせいかもしれない

そう語る大物芸人こそ、北野武である。

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小野麻利江 15年11月8日放送

151108-05
MacBeales
夫婦のはなし 2時間差で天に召された夫婦

94歳の夫と、92歳の妻。
そんな夫婦が、なんと、
2時間差で息を引き取った。

ニュージーランドで暮らしていた、
ヒュー・ニーズさんと、妻のジョアンさん。
67年ものあいだ連れ添った2人は
常日頃から、

私たちはお互いがいなければ生きていけない。

そう、口にし合っていたという。

ウェリントン郊外にある療養所に
夫婦そろって入ってから、じつに2ヶ月後。

闘病中だった夫・ヒューさんの死を看取った、
たった2時間後に
ジョアンさんは脳卒中で倒れ、
ヒューさんのあとを追うかのように
息を引き取ったという。

後日、地元紙の取材を受け、
ヒューさんとジョアンさんの
2人の子どもたちはこう語った。

両親を次々と喪って
私たちは喪失感と悲しみでいっぱいですが、
本人たちにとっては
幸せな旅立ちであったのだと思います。
奇跡としか言いようがありません。

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小野麻利江 15年11月8日放送

151108-06
Konstantin Leonov
夫婦のはなし 田辺聖子の「夫婦の幸福」

『人生は、だましだまし』というエッセイの中で、
作家の田辺聖子は、「夫婦の幸福」とはどういうものだろう
と思いを巡らせる。

「幸福」に相当する大阪弁は<エエ調子>。
夫婦がエエ調子でやっていくには、どうあればいいか。
そう考えて出した結論は、

 人生には<ナアナア>ですます、
 ということが時として必要であるが、
 その<ナアナア>度が一致するのが、仲のいい夫婦である。

というもの。

わざわざこんなアフォリズム・金言風にして
己の身に刻もうとしている時点で、
田辺自身も、まだまだ<ナアナアの度合い>が低い、と断じて
この考察は終わるが、
白黒つけようとせず、清濁を併せ呑む。
それが夫婦の幸福、という達観ぶり。

何年連れ添えば、
そんな境地になれるものやら。

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小野麻利江 15年10月18日放送

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日本語のはなし 秋の終わりの日本語

「雀大水に入り蛤となる(すずめ うみにいり はまぐりとなる)」。
そんな日本語をご存じだろうか。

これは、二十四節気(にじゅうしせっき)を3つに分けた
「七十二候(しちじゅうにこう)」の言葉で、
今で言う、10月半ば頃の時候の変化を示したもの。

雀たちが海に集まり鳴き騒ぐ。
それがあるときを境に、ぱたりといなくなる。
秋の終わりのそんな寂しさを、

 雀たちが海に入って、蛤になったからではなかろうか。

と解釈した、中国の言い伝えに由来するのだという。

雀の色合いを蛤に見立てた、ユーモラスなこの言葉。
俳句における最も長い「秋」の季語、という説もあるが、
15文字にもなる季語は、案の定つかい勝手が悪いようで。
小林一茶の句にも、蛤と雀のモチーフだけが残されている。

 蛤に なる苦も見えぬ 雀かな

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小野麻利江 15年9月27日放送

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お茶のはなし 東海道五十三次と街道の茶屋

江戸時代、宿場町を中心に
「水茶屋」などの名で、数多くの「茶屋」が営まれていた。
そんな茶屋の様子を描いた代表的なものといえば、
歌川広重の浮世絵、『東海道五十三次』。
広重は生涯のあいだに何度も五十三次シリーズを発表しているが、
天保年間に保永堂から出版された
全55図からなる最初のシリーズが、今でも最も人気が高い。

「こめや」という看板がかかる茶屋の軒下に
お伊勢参りの御一行の名札がかかる「戸塚 元町別道」。
「名物とろろ汁」の看板の隣で、客が椀をすする、
「丸子(まりこ)の名物茶屋」。
簡素な葦簀(よしず)掛けの小屋で飛脚が休息をとる
「袋井 出茶屋(でぢゃや)の図」。
鈴鹿川をへだて、岩根山をのぞむ見晴らしの良い峠に建つ、
「阪之下」の茶屋。
京都まであと少し、琵琶湖の南・大津宿の
有名な泉を持つ茶屋を描いた「大津 走井茶屋(はしりいちゃみせ)」。

500キロ近くにおよぶ東海道。普通の旅人は1日40キロずつ、
2週間ほどかけて歩いたという。
一服の茶が、旅の疲れをどれだけ癒したことだろう。

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小野麻利江 15年9月27日放送

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お茶のはなし へそで茶を沸かす

へそで茶を沸かす。
現代風にいえば「腹筋崩壊」といったところの、
このことわざ。

一説によると、「へそを茶化す」が
徐々にもじられていったらしい。

時は江戸時代。
人々は他人に素肌を見せる機会が少なく、
もし、へそまで見えるようなことがあれば、
まわりに馬鹿にされ、大笑いされたという。
それが、「へそを茶化す」。

へそが見えただけで、大笑いする。
江戸時代の人たちはみんな、
「箸が転んでもおかしいお年頃」だったのだろうか。

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