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川野康之 17年8月12日放送

170812-01
Copperdog ~ Diane
マーメイド号が太平洋を横断した日

高校のヨット部ではじめてヨットに乗った時、少年は感嘆した。
「風だけでよう走るもんや」
人が何かに魅了されるのは、シンプルな驚きによってである。
少年は魅了された。風だけを動力として海の上を自由に走る乗り物に。
この時の感動が、少年の人生に影響を与え、数年後には太平洋横断の冒険にまで連れ出すことになる。

太平洋を渡るための小さな船を作った時、堀江謙一は、わざわざ設計に手を加えて、船体にエンジンを乗せられないようにした。
風だけで走るのでなければ冒険の値打ちはないと考えたのである。

1962年、5月13日。
単独太平洋横断に向け、マーメイド号は出発した。
西宮港は無風だった。
エンジンのないヨットはピクリともしない。
防波堤を抜け出すまでに、1時間半もかかった。
翌日になってもまだ大阪湾の真ん中に浮かんでいた。
やっと冒険が始まったのに、肝心の風が吹いてくれないのだ。

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川野康之 17年8月12日放送

170812-02
Matthiasb
マーメイド号が太平洋を横断した日

三日めの朝になってようやく風が吹いた。
友ヶ島水道を通って大阪湾をやっと抜けた頃
雨が降り始めた。
しだいに風と雨が激しくなっていった。
気がつくと低気圧のど真ん中にいた。
風は強く、マストが折れるかと心配するほどだ。
大波が船体にぶちあたってくだけ、外板をばらばらにするかと思われた。
水がどっと入ってきた。
バケツで必死に汲み出した。
船酔いが苦しかった。

四日め。
どうやら紀伊水道をぬけた。
しかし夜に入ると、風がなくなった。
ヨットはまた推進力を失った。

堀江謙一、思うにまかせぬ風に苦しめられてばかり。
波に揺られながら、
「上を向いて歩こう」を歌った。
涙が出てきた。

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川野康之 17年8月12日放送

170812-04
Geran de Klerk
マーメイド号が太平洋を横断した日

マーメイド号に積み込んだもの。
米、45キロ。
缶詰め、278個。
水、68リットル。
水は、嵐に出会った時に3分の2以上を失った。
足りない分は雨水を現地調達。
「まあ、いいや。海には水がたくさんあるしな」
堀江謙一は楽天的だ。

携帯も衛星電話もない時代。
太平洋の上では、ほんとうのひとりぼっちである。
頼みの綱は風だけ。
そのさびしさを想像するのはむずかしい。
航海記の中で堀江は、こう記している。

「太平洋をひとりでわたるさびしさは、
出発の前に想像していたのとは、まるでちがう。
『さ・び・し・い』なんて、そんな単純なものではない。
あらゆるつらさがミックスしたのが、さびしさである。」

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川野康之 17年8月12日放送

170812-03

マーメイド号が太平洋を横断した日

堀江謙一はパスポートを持っていない。
当時の日本はまだ海外旅行が自由化されてなかった。
旅券を手に入れるのは簡単ではない。
まして冒険目的の航海とあっては、とうてい許可がおりるはずがなかった。
出発直前までいろいろな窓口を回って手をつくしたが、らちがあかない。
しゃあない。もう待てへんわい。
そういうわけで、密出国である。
もし見つかったら強制送還だ。
堀江は覚悟を決めた。
そのかわり途中ではつかまってやらない。
逮捕はシスコで。
と自分に言い聞かせた。

ひとりぼっちで太平洋にいる。
知っているのは家族と一握りの友人だけ。
世界中のほとんどの人はそれを知らない。
何かあっても助けに来てくれる人はいない。

装備の中にアメリカのお金で5ドル入っていた。
強制送還になったらせめてこれで散髪しろよ、
と出発前にある人がくれたものだ。

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川野康之 17年8月12日放送

170812-05

マーメイド号が太平洋を横断した日

ラジオのスイッチを入れたら、バンクーバーの放送が入った。
ジャズが聞こえてきた。

ゴールまであと1000マイルを切った頃から
「シケ凪」が続いた。
風はなくて、波だけが荒い。
まったく進まない苦しい日が何日も続いた。

北米大陸の手前では北風が吹くという。
その風を待ち続けた。

やっと待望の北風が吹いた。
帆をふくらませてマーメイド号はすべり始める。
ラジオからサンフランシスコがよく入ってきた。

1962年の今日、8月12日。
西宮出港から94日め。
ゴールデンゲートブリッジを通った。
サンフランシスコは快晴だった。

気になるパスポートについてだが
サンフランシスコ市長がこうコメントしたという話が伝えられている。
「コロンブスもパスポートは持っていなかった」
と。

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川野康之 17年4月22日放送

170422-01

百人一首の日その1 藤原定家

藤原定家は、友人の宇都宮入道から頼まれた。
日本の今までのすべての歌人の中から100人を選んで
一人一首ずつ収めたベストアルバムを作ってくれないかと。
今までと簡単に言うが万葉集の時代から現代までおよそ600年にも渡る。
この間数多くの歌人が現れて、無数の歌が歌われてきたのだ。

だが定家はひきうけた。
これまでに編んだ国家事業の大歌集の時とは違って、
一人の歌詠みとして、
今度は自分のほんとうに好きな歌だけを選んでみたいと思った。

こうして1235年5月27日、京都小倉山の別荘で百人一首は発表された。

選ばれた100人の歌びととその歌は、
日本人の心の中に生き続けることになった。

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川野康之 17年4月22日放送

170422-02

百人一首の日その2 右近

歌びと、右近。
歌のうまい、恋の噂が絶えない女流歌人。

男にもてもてで、たくさんの恋愛をした右近。
その彼女が、ふられたときにつくった歌がある。
心変わりをした恋人に向けて、プライドの高い彼女が送った歌。

ぜったいに忘れないと神さまに誓ったよね。バチがあたってあなた死ぬわよ。

 わすらるる身をば思はず誓いてし 人の命の惜しくもあるかな

このラブソング、何度も口ずさむと右近のいじらしい思いが伝わってきます。
ほんとに好きだったんだな。

藤原定家が選んだ100人とその歌、百人一首。

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川野康之 17年4月22日放送

170422-03

百人一首の日その3 権中納言敦忠

歌びと、権中納言敦忠。
歌人にして琵琶の名手。美貌の持ち主。

若き敦忠は恋というものがおもしろくてしかたない。
人はなぜ人を好きになると苦しいのか。
苦しいのになぜ恋をするのか。
恋は不思議。
人間って不思議。

ある朝、敦忠はこんな歌を作って、今逢ったばかりの恋人に送った。

やっと君を僕のものにしたというのになぜだろう。
苦しいんだ。君を得たいと苦しんでいたときよりももっと。

 逢ひ見ての後の心にくらぶれば 昔はものを思はざりけり

まるで初期のビートルズのように純情です。

藤原定家が選んだ100人とその歌、百人一首。

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川野康之 17年4月22日放送

170422-04
数楽者
百人一首の日その4 河原左大臣源融

歌びと、河原左大臣源融。
栄華を極めたハングリー貴族。

源融は家柄が良く才能があり、おまけに人よりも野心が強かった。
出世の道を登り詰め、権勢をほしいままにした。
京の六条に豪邸を建て陸奥の国の風物を再現したテーマパークまで造った。
その融が老いてから若い娘に恋をした。
一目惚れである。
心が乱れて、どうしていいかわからぬ。
歌を書いた。

 陸奥のしのぶもぢずり 誰ゆゑに 乱れそめにし 我ならなくに

この私をこんな風にきりきり舞いさせるなんて誰のせい。
みんなあなたのせいだよ。

そんな恋の歌もある。

藤原定家が選んだ100人とその歌、百人一首。

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川野康之 17年4月22日放送

170422-05
ひでわく
百人一首の日その5 左京太夫道雅

歌びと、左京太夫道雅。
没落貴族の家に生まれた青年歌人。

道雅は恋人と会うことを禁じられた
お相手は内親王という高い身分のかた。
こちらは没落貴族の息子。
世間に認められるはずがない恋だった。

道雅は恋人にひそかに文を送った。
そこにはこんな歌が綴られてあった。

 今はただ思ひたえなむとばかりを 人づてならでいふよしもがな

ぼくはこの恋をあきらめよう。
ただそれだけはせめて人づてではなくあなたに伝えたかった。

彼らの恋を、百人一首が今に伝えている。

藤原定家が選んだ100人とその歌、百人一首。

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