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村山覚 20年8月8日放送



ヒゲと時代

明治や大正の頃、立派な髭は男の勲章だった。
政治家も、経営者も、街の人々も、皆が当たり前のように髭をたくわえた。

昭和の後半、いわゆる高度経済成長の頃からバブルが弾けるまで
髭を生やす人はどんどん少数派になっていった。
髭なしスタイルは「安定・秩序・平和」の象徴とも言われた。

平成になり、男たちは再び髭を生やし始めた。
特に急成長を遂げたインターネット業界では髭率が高い印象。
安定や秩序よりも、変化を望んでいるという意思表示にも見える。

そして令和。
家で過ごす時間が増えて「コロナ髭」なんて言葉も生まれた。
この先、髭の経営者や政治家が増えるのだろうか?
それとも、さっぱりとした髭なしスタイルが好まれるのだろうか?

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村山覚 20年8月8日放送



ヒゲと選挙

リンカーン大統領。トレードマークは、立派なヒゲ。
しかし大統領選に出馬した当初は、生やしていなかったそうだ。

ニューヨークに住む一人の少女が、こんな手紙を書いた。
“あなたは頬がこけているから、髭を生やしたらきっとかっこよくなるわ!”
“女性はみんなヒゲが好き”

リンカーンはすぐに返事を書いた。
“今まで生やしたことがないんだ。おかしいと思われないかな?”

ヒゲの有り無しが選挙戦にどこまで影響したかは分からないが…
よくお似合いですよ、大統領。

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村山覚 20年5月23日放送


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亀の話 亀有の狛亀

亀は縁起がいい生き物として、古くから愛されている。
「亀」という字がつく地名もたくさんあるが
東京で有名なのは葛飾区の亀有だろうか。

現在の亀有のあたり、400年前までは「かめなし」という
地名だった。江戸幕府が地図をつくるときに
「なし」だと縁起がわるいと「あり」に変えたそうだ。

亀有のとある神社の入り口では、
狛犬ならぬ狛亀が出迎えてくれる。
手水舎にも亀。賽銭箱にも亀。

今は、亀のようにゆっくりと進もう。

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村山覚 20年5月23日放送


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亀の話 亀と散歩

近ごろ、亀と一緒に暮らす人が増えている。
意外と人懐っこく、騒音も立てず、
寿命も長いというのが人気の理由。

亀は自分で体温調整ができないので、
あたたかい場所を好む。
甲羅や骨の成長のためにも、
たまには紫外線にあてて
甲羅干しをした方がいいそうだ。

先月、イタリアの街中で亀と散歩していた女性が
400ユーロの罰金を払う羽目になった。
理由は外出禁止違反。担当の警察官によると
「亀はピザくらいの大きさだった」とのこと。

のんびりと日向ぼっこできる日が、待ち遠しい。

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村山覚 20年3月21日放送



カウントダウンの話 コンサートホール

3、2、1、おめでとう!

ある年、大晦日のコンサートホール。
年越しのおよそ15分前、
こんなリズムからカウントダウンが始まった。

♪〜
ラヴェル作曲「ボレロ」。最初から最後までずっと同じテンポ。
そして同じメロディが様々な楽器によって演奏される。

主役は小太鼓を叩くパーカッション・プレイヤー。
曲の最初から最後まで休みなく、叩く回数はなんと8200回以上。
時計のように正確に、そしてじわじわと音量を上げていくのは
どんな気分だろう。

15分かけて訪れる歓喜のフィナーレ。
安堵の表情を浮かべるパーカッション・プレイヤーには
ひときわ大きな拍手が送られた。

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村山覚 19年10月26日放送



球場の話  駒澤球場の暴れん坊

昭和30年代。
世田谷の駒沢に、プロ野球チームの本拠地があった。

プロ野球チームの名前は、フライヤーズ。
若くて威勢の良い選手たちは気性が荒く、
乱闘や野次も多かったため
駒沢の暴れん坊と呼ばれていた。

球場のすぐそばに選手寮があった。
スパイクを履いたまま帰っていく暴れん坊たちを
勝っても負けてもファンが取り囲んだ。

オリンピックの整備計画のために
10年も経たずに取り壊された幻の「駒澤球場」。
フライヤーズはファイターズと名前を変え、
東京から遠く離れた北海道で戦っている。

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村山覚 19年10月26日放送


Yasuoyamada
球場の話  川崎球場の流しそうめん

本来、プロ野球を観戦するためのスタンドで
流しそうめんや麻雀に興じる観客がいた。
今では考えられない話だが、
昭和のプロ野球のワンシーンとして今も語り継がれている。

京浜工業地帯の川崎市。
戦前から社会人野球が盛んだったこの街で、
多くの企業による共同出資でできたのが「川崎球場」だ。
戦後すぐにできた球場は老朽化が進み、
閑古鳥が鳴いている時期もあったが、
数々の記録が生まれ、優勝争いの舞台にもなった。

現在は改修され、主にアメフトの試合が行われている。
照明塔と外野フェンスが、野球場の面影として残っている。

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村山覚 19年10月26日放送


じぇにゅ
球場の話  横浜のナイトゲーム

日本における野球発祥の地は、横浜だ。

現在の「横浜スタジアム」がある辺りには
外国人の居留地があったため、
140年前からクリケットや野球、
ラグビーなどが盛んに行われていたそうだ。

昭和21年。
横浜でプロ野球初のナイトゲームが行われた。
現在のナイターは夜6時に始まることが多いが、
その試合は夜8時8分に始まった。

今のように明るい照明があるわけでもなく、
ボールも選手もよく見えず大変な試合だったそうだ。
しかしスタンドに詰めかけたお客さんは大喜び。
日本中の球場にナイター設備がつくきっかけとなった。

来年の夏。Y字の照明が輝く横浜スタジアムで
全世界が注目するナイトゲームが行われる。

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村山覚 19年10月26日放送


Rob Ketcherside
球場の話  後楽園スタヂアムの残像

昭和12年から昭和62年。
東京で50年の長きに渡り愛された球場といえば
後楽園球場。正式名称は「後楽園スタヂアム」。

5つのプロ野球球団が本拠地にしていたことも
あるそうで、一日に2試合行われることもしばしば。
50年間で行われた試合数は7172。
ホームランの数は、10416本にものぼる。

はるか昔には、大相撲やスキージャンプの大会が
行われたこともあるそうだ。
野外コンサートやクイズ番組の会場にも使われた。

何万人という人々が同時に目撃者となり、
当事者となった。キャンディーズの解散コンサートや
長嶋選手の引退セレモニーは今もなお、
そしてこの先も、永久の語りぐさだ。

球場は姿を消したが、鮮烈な思い出が消えることはない。

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村山覚 19年10月26日放送



球場の話  東京スタジアムの胴上げ

昭和37年。東京の下町・南千住に
巨大な野球場が、わずか10ヶ月で完成した。
遠くからもよく目立ち「光の球場」と呼ばれた。

正式名称は「東京スタジアム」。
サンフランシスコのスタジアムを参考にして
天然芝が敷き詰められ、水撒きも自動。
照明が明るく、座席はカラフル。画期的な野球場だった。

30億円もの私財を投じて球場をつくった
オリオンズのオーナーは、お披露目の日に絶叫した。
「皆さん、パ・リーグを愛してやってください!」

スタジアムができて9年目の秋。悲願のリーグ優勝。
約5000人のファンがグラウンドになだれ込んだ。
その中心には、監督や選手よりも先に胴上げされる
オーナーの姿があった。

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