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村山覚 16年7月16日放送

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APOLLO 11 ウォルター・クロンカイト

 月面着陸は、私を、興味深くも
 非常に感情的にさせた。
あの乗り物が月に着陸したとき、
 私はことばが出なかった。
本当に、私は、何も言えなかった。

CBSイブニングニュースのアンカーマン、
ウォルター・クロンカイトは
その落ち着いた語り口と
徹底的な取材に基づいた報道姿勢が評価され、
アメリカの良心、大統領よりも信頼できる男、
などと言われた大ベテランだ。

彼は宇宙を愛し、アポロ計画に賛同していた。
もちろんアポロ11号についても、
事前の入念な取材によって
数多くの言葉を準備していたはずである。

どんな時も、どんなニュースでも、
的確な言葉で流暢に話すクロンカイトが
月面着陸の直後、言葉につまった。

沈黙は、時に、なによりも雄弁だ。

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村山覚 16年4月9日放送

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Piero Sierra
たまごの話「ブランクーシの美しい卵」

今日も世界中の食卓に、卵料理が並んでいる。
その理由は、栄養バランスと手に取りやすい価格だろうか。
“卵は完全栄養食だ”などと言う人もいる。

ところで、卵の中身ではなく見た目に関して
完全であると言った男がいる。20世紀を代表する彫刻家、
ブランクーシだ。

装飾や無駄を削ぎ落としたミニマルな彫刻で知られる彼は
「卵以上の美しいフォルムをつくることはできない」
と言ったとか。

ブランクーシはルーマニアの農村出身。
彼の彫刻を見ると、田舎の広々とした大空や地平線、そして、
日々の生活で手にしたであろう「卵」を連想するフォルムが数多い。

この世に完全な物なんてないかもしれない。
しかし芸術家たちは今日も、
完全を目指して作品を生み出しつづける。

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村山覚 16年4月9日放送

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kimberlykv
たまごの話「テッド・クレイマーが割った卵」

1979年公開の映画「クレイマー、クレイマー」には
卵をうまく割れない男が登場する。

愛想を尽かした妻が家を出ていった翌朝、
5歳の息子が父にリクエストした朝食はフレンチトースト。
仕事一辺倒で料理などしたことがない父。
格好をつけて片手で卵を割り、殻が入ってしまうが
「少しパリパリした方が味がよくなる」とうそぶく。

フレンチトーストは英語名で、フランス語ではpain perdu、
失われたパンという名前だ。時間が経って新鮮さを失ったパンを
卵と牛乳にひたして甦らせる。

朝食づくりに失敗した父は息子に言う。
「心配ない、今度はうまくやるさ」

最近卵を割っていないというあなた。
明日の朝、フレンチトーストでも作ってみませんか。

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村山覚 15年12月12日放送

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Akane86
ケーキの話 ザッハトルテ

今から200年ほど前、オーストリア・ウィーンのお話。

16歳のフランツ・ザッハーは宮廷料理人の下で働いていた。
料理長が不在のある日、彼に転機が訪れる。
晩餐会のデザート担当という大役を任されたのだ。

16歳の若き料理人は、見事チャンスをものにする。

パリッとしたチョコレートにふんわりとしたスポンジ。
隠し味のアプリコットジャム。
ザッハーが考案したこのケーキは「ザッハトルテ」と呼ばれ
今や世界中で愛されるケーキになった。

オーストリアにはこんな諺がある。

「幸福は、小鳥のようなものだ」

ホリデーシーズン。あなたとあなたの大切な人が
小さくかわいい幸せに出会えますように。

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村山覚 15年8月22日放送

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あるオタクの話 アントニン・ドヴォルザーク

チェコを代表する作曲家、ドヴォルザーク。

彼が作った「ユーモレスク」のリズム。
汽車が走るガタンゴトンというリズムに
どこか似ていませんか?

実はドヴォルザーク、筋金入りの鉄道オタク。

作曲の合間に駅まで散歩して、
汽車を眺めたり、運転士と交流するのが趣味。
時刻表や車両のナンバーも丸暗記。
汽車の模型もよく作っていたそうだ。

友人のブラームスには
「もし新型の機関車が手に入るなら
 交響曲全部を投げ出してもいい」

と語ったという。

現在、オーストリアとチェコを結ぶ特急列車には
様々な作曲家の名前が付けられているが、
「ドヴォルザーク号」も走っている。
どうせ乗るなら鉄道オタクの名前が付いた列車に
乗ってみたいものだ。

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村山覚 15年7月18日放送

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Yasunari Goto
ホームランの話 バレンティン

「ホームランを打つときは、
 ボールがバスケットボールみたいにでかく見えるんだ」

ウラディミール・バレンティン。
カリブ海の小さな島から日本へやってきたその男は、
日本プロ野球のホームラン記録を更新しようとしていた。

それまでの記録は、王貞治・ローズ・カブレラの3人が持つ55号。
記録更新を阻むため相手ピッチャーに敬遠をされるのではないか?
と野球ファンやマスコミは囁いた。

それは杞憂に終わった。

日本のピッチャーたちは、バレンティンと真っ向勝負をし、
前代未聞の60号という記録が生まれた。

ホームランは野球の華、と言われるが、
男のプライドを賭けた真剣勝負こそ、野球の華である。

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村山覚 15年5月10日放送

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vander84
母を生きた人 アガサ・クリスティ

イギリスの推理作家アガサ・クリスティは、
結婚、出産の後に遅咲きでデビューした。

29歳の時に、娘・ロザリンドが誕生。
母になった当時の喜びが自伝で綴られている。

 ロザリンドは本当にとてもきれいな
 赤ん坊であったと言わざるを得ない。
 また、彼女はうんと小さい頃から陽気で、
 きっぱりしたところがあったと思う。

かの名探偵エルキュール・ポワロの生みの親は、
子煩悩な母親でもあった。

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村山覚 15年5月10日放送

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母を生きた人 アガサ・クリスティ

20世紀を代表する推理作家、アガサ・クリスティ。
彼女が生み出した数多くの小説は世界中で翻訳され、
今もなお読み継がれている。

彼女は晩年に自伝も執筆した。それを読むと、
巧みに構成された小説の印象とは異なり、
母として、妻としての愛情溢れる日々が生き生きと綴られている。
特に印象的なのは娘・ロザリンドとのエピソード。
アガサは幼い娘を寝かしつけるために、
くまのぬいぐるみの大冒険を創作して毎晩話してあげたそうだ。
希代の女流作家のストーリーを独り占めできるなんて、うらやましい限り。

娘が11歳になった頃、アガサは考古学者のマックス・マローワンと出会う。
マックスが14歳も年下だったこともあり、再婚するかどうか悩んでいたアガサ。
当時、娘に相談した時の会話が自伝にも登場する。

 「お母さんがまた結婚しても、あなたはかまわない?」
 「いつかそうすると思ってたわ」

そう答えたロザリンドは、アガサによれば
「あらゆる可能性をいつも考慮している人」のようだったという。
子供なのに名探偵さながらの冷静さだ。
そんな娘に背中を押されて、アガサは再婚を決意。
二度目の結婚生活はとてもうまくいき、
85歳で亡くなるまで家族に囲まれて幸せに暮らしたそうだ。

そういえば、彼女の自伝の冒頭にはこんな一節がある。

 人生の中で出会う最も幸福なことは、
 幸せな子供時代を持つことである。

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村山覚 15年4月11日放送

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小帽(Hat)
荒木経惟

1968年のとある日。
広告代理店の写真部で働いていた男が
同じ会社に勤める女性を撮影しながら言った。

 あ、笑わないで。
 さっきのムスーッとした表情の方がいい。

男の名は荒木経惟。当時27歳。
後に天才・アラーキーとして日本を代表する写真家になる男は、
ムスーッとした7つ年下の女性にひとめぼれした。

 私の人生は陽子との出会いからはじまった。

そこまで言い切った彼は、
妻・陽子との新婚旅行や日常を写した作品を発表しつづけた。
それは、ひとめぼれで始まった恋が愛に変わり、
別れの瞬間を迎えるまでのセンチメンタルな記録。

アラーキーは言う。

 「永遠」っていう言葉は好きじゃないけど、
 どれだけ相手と「愛ノ時間」をもてるか、
 そこだね、写真って。

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村山覚 15年3月21日放送

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Spring has come!  マイルス・デイヴィスの春

ジャズの帝王、マイルス・デイヴィス。
彼はある時こう言った。

「まず演奏するぞ、曲名は後で教える」

1954年に演奏されたこの曲の名は”Swing Spring”。
今この時期に聴きたくなるタイトル。

この曲が演奏される2、3年前は、
マイルスにとって冬の時代、低迷期だった。
演奏の予定をすっぽかしたり、
商売道具のトランペットを質に入れて
ドラッグのための金にするなど、
生活は荒れに荒れていた。

しかし、マイルスは第一線に返り咲いた。
この”Swing Spring”と同じ年の春に録音された
アルバムのジャケットには、青信号が灯っている。
タイトルは”WALKIN’”。

春は、はじまりの季節。
まず歩き出すことで、道はひらける。

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