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松岡康 13年4月20日放送



ももこの上京

国民的漫画「ちびまる子ちゃん」の作者、さくらももこ。

さくらももこが上京した日、母がいっしょにいた。
その日は狭いワンルームにふたりで寝て
翌日東京駅で母を見送った。

 わたしは今日からひとりになりました
 家に帰ってももうだれもいません

故郷の友人や家族と離れたさみしさ。
東京の街と生きていく、漠然とした不安。
そんな思いからこぼした言葉だった。

上京の日から30年がたつ。
今日もさくらももこは、東京に住み、ふるさとを描いている。

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松岡 康 13年3月24日放送



別れとアパート

東京都渋谷区神宮前4丁目、
ファッションの中心として栄える表参道沿い。
2003年、そこに建っていたある建物が、街に別れを告げた。
同潤会青山アパートメント。

つたに覆われた外観に、
ケヤキ並木の影がおちる。
75年ものあいだ、
街にノスタルジックな表情を与えつづけた。

2006年。その敷地に建築家安藤忠雄による
表参道ヒルズが竣工した。
ケヤキ並木の高さを越えないようにおさえられたボリューム。
ガラスとコンクリートで
シャープに表現された、現代的な建築だ。

その片隅に、
まるで迷子のようにぽつりと建つレトロな建物。

人々の記憶に刻まれた景観を、継承したい。
そんな安藤の思いから、
同潤会アパートメントが部分的に復元されたのだ。

解体から10年。
今日もそのアパートは、かつての記憶を伝え
お客が足をよく運んでくれる一画になっている。

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松岡 康 13年3月24日放送


suttonhoo
別れと家

緑の林の中に天井と床が浮かんでいる。
極限まで要素をそぎ落とした軽さ。
その家の名は、ファンズワース邸。
近代建築の巨匠ミース・ファン・デル・ローエによって、
1951年に設計された週末別荘だ。

設計を依頼したのは
女性外科医エディス・ファンズワース。
当時ミースとエディスは
施主と設計者との関係を越え、男女の愛を築いていた。

ファンズワース邸の設計が進むにつれて、
ミースは作品としての「家」に執着し、
のめり込んでいく。
そこに住むはずのエディスを、顧みることもなく。

当初の予算を大幅に上回った施工費を巡って、
エディスは訴訟を起こす。

ファンズワース邸の設計が終わると同時に、
二人は別れた。

二人の絆が消えた後に残ったのは、
世界中から愛される、近代建築を代表する作品だった。

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松岡康 13年2月9日放送



チョコと裁判

世界でもっとも有名な
チョコレートケーキ。
それは、ザッハトルテだ。

1832年。わずか16歳の
フランツ・ザッハがつくるケーキが
ウィーンじゅうの話題になった。
フランツの息子エドヴァルドは勢いに乗り
「ホテル・ザッハ」を開業。
ザッハトルテはそこでも大人気だった。

そして世界恐慌。
「ホテル・ザッハ」も財政難に陥る。
この危機を救ったのはウィーン王室御用達ケーキ店
「デメル」の女経営者アンナだった。
彼女が援助の条件にしたのは、ザッハトルテの販売権。
当時のホテルの経営者エドヴァルド・ザッハーと
アンナは恋仲だとも噂された。

二人の死後、ホテル・ザッハはデメルに対し
ザッハトルテの名称の使用を禁じる長い裁判を起こした。

1962年、長期にわたった裁判にやっと判決が下され
どちらもザッハトルテを生産販売できることになった。
この裁判を、vision人は「甘い戦争」と呼ぶ。

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