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松岡康 16年2月28日放送

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幕末のバカヤロー

2月28日。
今日はバカヤローの日。

幕末の志士吉田松陰。
彼は行動派だった。

ペリーが黒船に乗ってやってきたときも
「自分の目で海外を見てみたい」と弟子と共に小舟で漕ぎ出し
「自分をアメリカに連れて行け」と交渉に向かった。
当然船を追い出されてしまうが
後にペリーにその好奇心と知識欲を高く評価されたほどだ。

そんな松陰は次世代の者たちに向けて、
こんな言葉を残している。

 諸君、狂いたまえ。

現状に満足せず、
常識という壁をいつも自らの行動で壊す。
バカヤローともいうべき
ほとばしる熱い思いが、時代を変えるのだ。

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松岡康 15年12月20日放送

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Jyo81
家のような記念館

今日12月20日は伊丹十三の命日。

十三の父で映画監督の伊丹万作の出身地であり、
十三が高校時代を過ごした松山に、
伊丹十三記念館がある。

設計にあたって、十三の妻、宮本信子は
「伊丹の家みたいにしてほしい」と依頼した。

床は木で作られ、中庭の庇は低く、
記念館全体に家のような温かみがある。
信子は、記念館についてこう語っている。

 隅々まで伊丹十三が感じられる、あたたかくて、
 気さくで、見ごたえのある記念館になると思います

家のようなその記念館には、
今も伊丹十三という人間が住んでいるのだ。

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松岡康 15年11月15日放送

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龍馬と方言

旧暦の今日11月15日が
誕生日であり、命日とされている坂本龍馬。

龍馬が有名にしたと言ってもいい方言が、土佐弁だ。
土佐弁の語尾には、
猫とネズミと猿が住むと言う。

いいね、は「えいにゃあ!」
知ってる?、は「知っちゅう?」
行くからね、は「行くきね」
ちなみに
知ってるからね、は「知っちゅうきにゃ」
と、全部入りになる。

やけに耳に残るこの独特の方言が
龍馬という男の語る夢や未来に
多くの人が惹き寄せられる
きっかけになったのではないだろうか。

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松岡康 15年10月04日放送

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Andrea.Echeverria
逆引き広辞苑

日本を代表する辞書、広辞苑。
その編纂者は新村出(しんむらいづる)。
明治9年の今日生まれた言語学者である。

広辞苑の生みの親も、
おそらく考えもしなかったのが
“逆引き広辞苑”だ。

「イカ」という単語は逆の「カイ」で引く。
するめいか、もんごういか、ほたるいかなど、
様々な「イカ」が並ぶ。

逆引き広辞苑が生まれた理由は、
日本語の構成にある。

日本語では、言葉の意味が下にあり、
それを上で修飾することが多いため、
逆引きをすれば類縁関係にある言葉が一覧できるのだ。

なんでも検索してしまう今日、
たまには「逆引き」してみよう。
新しい日本語の魅力に出会えるはずだ。

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松岡康 15年10月04日放送

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厚さの秘密

日本を代表する辞書、広辞苑。
その編纂者は新村出(しんむらいづる)。
明治9年の今日生まれた言語学者である。

発売から50年以上経ち
初版本から約4万語、700ページ以上も増えているが、
なんと広辞苑の厚さは変わっていない。

その秘密は一枚一枚の紙にある。
ページが増えた分だけ、紙を薄くしているのだ。

紙を薄くすれば裏の文字が透けてしまう。
それを防ぐために最新の技術で、
光を散乱させる炭酸カルシウムや
二酸化チタンを紙に漉き込んでゆく。

50年かけて進化したのは、
日本語だけではないのだ。

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松岡康 15年8月16日放送

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クワトロ@JZA80
終戦の日の盆踊り

1945年8月15日。
天皇陛下の声で太平洋戦争の終戦が
全国民に告げられたその日に
開催された盆踊りがあった。

毎年岐阜県郡上八幡の郡上踊りだ。

夜の8時頃から、
空が明るくなるまで踊り続けることで有名な郡上踊り。

終戦日には官憲からの中止勧告があったが、
市民たちは自然と踊り始めたという。

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松岡康 15年8月16日放送

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東京五輪音頭

1964年10月に開催された
東京オリンピックのテーマソング「東京五輪音頭」。
東京五輪の前年、1963年に発表されたこの曲は、
当時の人気歌手であった三波春夫や橋幸夫、坂本九など
多くの歌手によってレコード化された。

その中で最も売り上げを伸ばしたのが
三波春夫の歌だった。
シベリアで捕虜となるなど、壮絶な戦争体験を持つ三波。
この曲への思い入れは強く、
どこでもいつでも一生懸命「東京五輪音頭」を歌った。

三波は語る。

日本は、日本人は、頑張って、こんなに戦後復興を遂げたんですよ、
ということを、戦後初めて世界に示すイベントである
東京五輪は、なんとしても成功してもらいたい。

オリンピックが終わった後も、
三波はこの歌を歌い続け、人々を笑顔にした。

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松岡康 15年6月20日放送

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オリンピックと釣り 松岡康

ご存知だろうか?
魚釣りがかつて、
オリンピック競技だったことを。

フランス人、ピエール・ド・クーベルタンの提唱に
世界の国々が賛同し、
古代オリンピックの終焉から1500年の時を経て、
1986年に近代オリンピックがスタート。

4年後の1900年に
クーベルタンの母国フランスで開催された
第2回パリ大会で、
魚釣りが公式競技として採用された。
選手たちは2日間セーヌ河で鯉などを釣り、
その総重量で勝敗を競った。

今年8月、
2020年東京オリンピックの追加競技が発表となる。
綱引きやウェイクボードなど意外な候補もある。
どんな魅力的な競技が採用されるか、
楽しみに待とう。

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松岡康 15年5月31日放送

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化学者の写真館

明日6月1日は、写真の日。

日本で最初に写真館を開いた上野彦馬。
坂本龍馬、高杉晋作、木戸孝允、伊藤博文といった
幕末の日本を動かした大物たちが
長崎にある彦馬の写真館を訪れ、写真を撮った。

彦馬が生きた明治時代。
当時の日本では感光材として必要な
薬品の入手さえままならず
写真を撮るためには、
自分で薬品を精製しなければならなかった。

若かりし頃、
オランダ人の医師の下で化学の知識を身に着けた彦馬。
その知識が写真撮影に活かされた。

彼が撮影手順を記した
「舎密(せいみ)局必携」は、
明治の学制改革まで
日本全国で化学の教科書として使われたという。

彦馬は写真家であると同時に、
化学者だったのだ

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松岡康 15年5月31日放送

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663highland
写真的建築

明日6月1日は、写真の日。

砂丘の中に人をオブジェの様に置く構図で知られる写真家、植田正治(うえだしょうじ)。
前衛的な演出写真は「植田調」として世界でも知られている。

そんな彼の作品を収める写真美術館が、
鳥取県大山のふもとにひっそりと建っている。

実はこの建築、植田の代表作「少女四態」をモチーフに設計された。

コンクリート打ちっぱなしの四角い展示室が4つあり、
それらが微妙に異なる間隔で並んでいる。

展示室から展示室へと移動する途中、
巨大な2枚の壁の間から雄大な大山を望むことができる。

コンクリートで切り取られた風景は
まるでフレームに収まる写真の様だ。

風景を切り取るという意味で、
建築と写真は、よく似ている。

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