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森由里佳 20年9月13日放送


NISSANEV
再会  ラジオでの再会

ラジオは、音楽との再会の場だ。

学校の帰り道に友達と歌った曲、
泣きたい替わりに叫んだ曲や、
好きだったあの人がよく聞いていた曲。

もちろん、
知らない曲にも出会えるけれど、
慣れ親しんだメロディに
耳と心が飛び上がるあの感覚は、
きっとラジオにしか創れない。

今この瞬間も、きっと誰かが再会している。
もしかしたら、あなたもその一人、だったりして。

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森由里佳 20年9月13日放送



再会  再会を願って

ONE OK ROCKのTakaと清水翔太を中心に、
事務所もレーベルも超えた8人の同世代のアーティストが集い、
リリースした楽曲、「もう一度」。

こんな時代だからこそと、
同じ志を持った彼らのハーモニーは、
まさに想いが共鳴することの美しさを私たちに教えてくれる。

大切な家族や友人に会うこと、好きだった場所に行くこと。
そんな喜びとの再会が、早く訪れますように。

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森由里佳 20年8月9日放送


Haags Uitburo
映画音楽  ヒドゥル・グドナドッティル

第92回アカデミー賞で、映画「ジョーカー」が作曲賞を受賞した。

作曲したのは、アイスランド人の女性チェリスト
ヒドゥル・グドナドッティル。
人間の複雑な内面を捉えたサウンドトラックは見事なもので、
主演のホアキン・フェニックスが、
役作りのターニングポイントになったと明言しているほどだ。

実は彼女は、撮影前にすべてのスコアを仕上げていた。
セットや衣装をまとった俳優たちを目にする前から、
彼女には、監督と同じ「ジョーカー」の世界が見えていたのだ。
ヒドゥルは受賞スピーチでこう語る。

映画作曲家の創造性は、監督との対話によってのみ生まれます。

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森由里佳 20年8月9日放送



映画音楽  ハートビート

映画音楽は、しばしば、映画よりも愛される。

その証拠に、音楽そのものは、
テレビやウェブでBGMとして登場することはもちろん、
街なかのカフェで流れたり、
フィギュアスケートやダンスなどの身体表現の創作を支えたり、
一人ひとりのスマートフォンに入っていることもある。

ジェームズキャメロン監督は、映画音楽についてこう話している。

映画音楽は、映画の鼓動なんだ。

時と共に、忘れられていく物語もある。
それでも、その映画音楽が脈うつ限り、
映画は生きつづけられるのだ。

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森由里佳 20年7月12日放送


nakimusi
涼をたのしむ 打ち水

暑い夏、アスファルトからたちのぼる熱気を鎮めるかのように、
優雅に動く柄杓ときらめく水しぶき。

パシャッ、パシャッと小気味いい音を立てて撒かれる”打ち水”は、
客人を茶室に招き入れる前、地面を清めるために行ったという、
茶の湯の文化が起源だそうだ。

家族や道行く人が、すこしでも涼やかに過ごせるように。

人に水がかからぬよう、手際よく打たれるそのきらめきは、
打つ人の心配りをそのまま映し出す。

うだるような暑さでも、心にすうっと涼しい風が吹く。
打ち水の効果は、そんなところにもあるようだ。

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森由里佳 20年7月12日放送



涼をたのしむ 水うちわ

透明なうちわがあるのをご存じだろうか。
骨が透けて見えるほどうすい和紙がはられ、
破れぬようにニスが塗られたこの美しい扇は、水うちわと呼ばれている。

うちわを水にひたしてから扇ぎ、その気化熱で涼む、明治時代のアイデアだ。

アイデアの故郷は、岐阜県。長良川が流れる水の街だ。
人々は、舟遊びの際に川の水に浸しては扇ぎ、涼をとっていたのだという。

一時は継承者が途絶えた水うちわ。
しかし、最近になって復刻し、今では毎年完売するほどの人気だそうだ。
電気も電波もない時代。
そのアイデアは、いつの時代にもやさしくフィットする。

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森由里佳 20年6月14日放送



危機一髪  上羽絵惣(うえばえそう)の仕事

1751年からつづく、上羽絵惣。
日本画に使う顔料の胡粉をあつかう京都の老舗だ。

10代目を継いだのは、石田結実さん。
実は、家業を継ぐと同時に多額の借金も引き継いでいた。
廃業も頭をよぎったが、職人たちの背中を見て心機一転。
胡粉の持つ1200色もの和の色をいかした、胡粉ネイルを売り出した。
日本ならではの美しいカラーをそろえた胡粉ネイルは瞬く間に大人気。

上羽絵惣の仕事は、絵具屋ではなく、世の中に色を提案する仕事。
そう捉え直したことで、彼女の世界は鮮やかに色づいたのだ。

危機一髪は乗り越えるためにある。

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森由里佳 20年6月14日放送


Rollofunk
危機一髪  21代目の苦戦

1625年創業の、埼玉のとある造り酒屋は、
昭和になってから、ウイスキー造りも始めていた。

しかし、21代目が家業を継いで間もなく、
経営は危機に直面する。蒸溜所は売却され、
20年物の原酒およそ400樽を破棄しなければならない状況にまで陥った。
21代目は奔走して樽を守り抜き、新たに蒸留所を設立する。

その名は秩父蒸溜所。
今や日本が世界に誇るシングルモルトウイスキー
イチローズモルトを生み出す新進気鋭の造り手だ。

肥土伊知郎社長の夢は、
秩父蒸溜所で造った30年物を飲むこと。
つまり、それまで事業を存続させること。

秩父の樽には今も、肥土の決意が眠っている。

危機一髪は乗り越えるためにある。

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森由里佳 20年5月10日放送



ナイチンゲール

「包帯と消毒液が足りないので、在庫を使いたい」
看護教育の母・ナイチンゲールはそう言って、軍医長官に詰め寄った。
しかし長官は、軍のルールを知らない彼女を笑い、
3週間後の委員会の決定がないとその箱は開けられない、と伝えた。

ナイチンゲールは、箱の蓋を叩き割った。
「開いたじゃないの。持って行きますからね」

いのちが失われようとしている瞬間に、
ハンコリレーに付き合ってはいられない。
いつの時代も医療現場の人びとは、
いのちのためにまっすぐ突き進む。

医療従事者への感謝を込めて。

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森由里佳 20年5月10日放送



ナイチンゲール

1853年、看護の世界が変わろうとしていた。

ナイチンゲールが、
ロンドンのある病院の看護監督に着任したのだ。

母や姉は大反対。
当時のイギリスでは、看護師は病人の単なる召使いとされ、
未亡人や職を失ったメイドが行き着く末のものとされていたからだ。

それでも彼女は
各地の病院の状況を調べて
専門教育を受けた看護師の必要性を訴え、
実際に従軍して兵士を救い、
時にはヴィクトリア女王まで味方にしながら、
着実に看護師の功績を内外に示していった。

看護教育の母と呼ばれる女性は、
看護師という職業に誇りを与えた女性でもある。

医療従事者への感謝を込めて。

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