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河田紗弥 19年8月4日放送



喉が渇いたなら。 〜ぶどうジュース〜

1869年、ニュージャージー州。
ひとりの医師が、教会で行われる聖餐式に
未発酵のワインを使うことはできないかと考えていた。

彼はある日、自宅のぶどう農園で、
絞った果汁を密閉した瓶に入れ、
発酵を防ぐために、瓶ごと沸騰したお湯の中へ入れ、
未発酵のワインづくりに挑戦。

数週間後に瓶をあけると
そこには、未発酵のワイン
つまり、ぶどうジュースが存在していたのだ。

そして彼は、牧師たちに聖餐式に使うことを薦め、
ニュージャージー州南部の教会へと販売を開始した。

その医師の名前は、
トーマス・ブラムウェル・ウェルチという。

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河田紗弥 19年8月4日放送



喉が渇いたなら。 〜ビール〜

紀元前4000年以上前。
メソポタミアで人類が農耕生活をはじめた頃、
放置してあった麦の粥に、酵母が入り込み、
自然に発酵したことで「ビール」は誕生したと言われている。

中世のヨーロッパでは、
「液体のパン」と考えられていたため、
キリスト教の修道士の間で盛んに作られていた。

当時の修道院は、知識と経験の宝庫。
彼らがつくるビールは、たちまち大人気!

醸造量も増え、
一般の人にも飲まれるほどに広まっていった。
そして、中世の末頃には、
民間でもビールづくりが開始されるようになっていったんだとか。

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河田紗弥 19年8月4日放送


foreverdigital
喉が渇いたなら。 〜ビール〜

1516年、
ドイツのバイエルン地方の君主
ウイルヘルム4世は
「ビール純粋令」を発令する。

修道院でつくられる美味しいビールを
見よう見まねでつくる民間企業が増え、
ビールの品質が全体的に低下したことが理由として言われている。

「ビール純粋令」の中身は、
「ビールは大麦とホップ、そして水以外のものを醸造してはならない。」
というものであった。

これにより、
その後のドイツビールの品質と人気の上昇はとどまることを知らなかった。

この「ビール純粋令」は、
ドイツでは今もなお、国内で製造される
下面発酵ビールにおいては守られている。

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河田紗弥 19年3月17日放送


shok
ちいさなフルコース

ご飯、メインのおかず、副菜に、デザート。
配置や彩り、栄養、旬も考えられた日本のお弁当は
まるでちいさなフルコース。

そんな「弁当」を日本に初めて確立させたのは、
あの織田信長だ。

安土城で働く大勢の軍勢に食事を配るとき、
箱にご飯とおかずを詰めれば、
配膳が楽になるのではと考えた。

そして、そのご飯とおかずを詰めた箱のことを、
「弁(そな)えて、用に当てる」という意味をこめ、
「弁当」と名付けたのだ。

織田信長が名付けた「弁当」という言葉。
今では、海外でもアルファベット表記で「BENTO」として記され、
立派な日本文化になっている。

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河田紗弥 19年3月17日放送



ちいさなフルコース 幕の内弁当

江戸時代、庶民の間で人気だったのが、芝居見物。

当時の芝居は、朝から晩までの長時間娯楽であった。
そのため、芝居の間の“幕の内”に食べるお弁当のことを
「幕の内弁当」と呼ぶようになった。

幕の内弁当のご飯に俵形のおにぎりが多いのも、
狭い場所でも、短時間で食べやすいようにという意味が込められている。

そう、歌舞伎見物の楽しみは
「か・べ・す」と言われていた。
菓子・弁当・寿司、のことだ。

歌舞伎をつまみに、飲んだり食べたり、
自由気ままに楽しんでいたんだとか。

そんな観客の様子を見て、
「なあに、客が飲んだり食べたりするのを忘れるくれえ、
うまい芝居をして見せてやらあ!」と
役者たちも張り切っていたようだ。

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河田紗弥 19年3月17日放送


Miguel Discart
ちいさなフルコース

海外でのBENTOブーム
火付け役になったのは、日本のアニメや漫画だ。

学校でお弁当を広げ、みんなで食べるシーンや
好きな人に手作り弁当を渡すシーン。
そして、そこで描かれるかわいくて、おいしそうな、
おにぎりや玉子焼き、タコさんウィンナーに
世界中が虜になったのだ。

真っ先にBENTOに目をつけたのは日本文化に関心の高いフランス。

元々フランスでは、
優雅にランチタイムを堪能しないのは
“かっこ悪い”という風潮があったのだ。
そのため、昼休みのランチに
2時間もの時間をかけてコース料理を楽しむのが普通だったとか。

しかし、リーマンショックの影響を受け、
フランスは不景気に見舞われた。
昼休憩が削られ、収入も減ってしまったフランス人は、
オフィスで簡単に食べられるサンドウィッチや携帯食を昼に食べることが増えた。

そんな生活に、どこか寂しさを感じていたフランス人の間で、
おいしそうな料理の数々が
色鮮やかに詰められた日本のBENTOが普及していくのに、
時間はかからなかった。

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河田紗弥 19年3月17日放送



ちいさなフルコース 駅弁

日本の鉄道の歴史は
1872年の新橋–横浜間の開業によって始まった。
しかし、その当時は、
「食まかりならず」との御触れが出されていて、
列車内での飲食が禁じられていた。

しかし、
1885年7月16日。
当時の日本鉄道が大宮–宇都宮間の開通と当時に歴史は変わった。

電車に乗っている時間が増えたため、
車内での食事が認められるようになり、
宇都宮の旅館 白木屋が駅で弁当を売り始めた。

白木屋の斎藤嘉平氏が販売したのは
梅干しいりのおにぎり2個に
ごま塩をふりかけ、
たくあん2切れと一緒に竹の皮に包んだもの。

それから132年、
現在は約4000もの種類の駅弁が販売され、
列車だけではなく、家で楽しむ人もいるんだとか。

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河田紗弥 19年3月17日放送



ちいさなフルコース 日の丸弁当

弁当箱いっぱいに詰められた白いご飯に、
アクセントとなる酸味と赤い色を添える梅干し。

平安時代から漢方薬として扱われてきた梅干しは
保存性に優れ、抗菌・防腐作用があり、
解熱や疲労回復にも効果があるとされる。

そして、日露戦争が始まったころには、
軍需用としても需要が高まり、
ご飯の真ん中に梅干しを埋めた
日本の国旗のデザインに似た日の丸弁当が食された。

今となっては、質素なお弁当のイメージである日の丸弁当だが、
当時は、貧しい家の子どもは、
ご飯に野菜屑などを混ぜて量を水増ししていた。
そのため、白いご飯に、良質な梅干しのお弁当を持参できる
豊かな家の子どもの弁当は
羨望や憎しみの対象になったんだとか。

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河田紗弥 19年3月17日放送



ちいさなフルコース 花見弁当

古くから、上流階級の貴族たちの間で楽しまれてきたお花見が
庶民のものになったのは江戸時代のこと。
徳川吉宗が、庶民の娯楽をつくるために、
隅田川堤や江戸の飛鳥山に桜を植えたことで普及していった。

当時のお弁当箱は、
提重(さげじゅう)と呼ばれる
今の重箱のようなもの。
食事を入れる塗り箱、
それと揃いで作られた取り皿、箸、酒器などを
コンパクトにまとめることができるものであった。

1801年に醍醐散人によって書かれた「料理早指南」には
花見弁当の献立が残されている。
玉子焼き、かまぼこ、蒸しかれい、さくら鯛、ひらめの刺身、
焼きおにぎり
さらには、そして椿餅やきんとんなども用意されていたんだとか。

鮮やかな料理とお酒を片手に、
桜を見上げ、楽しげに語らう姿は
今も昔も変わらない。

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河田紗弥 19年3月17日放送


Joe-Zachs
ちいさなフルコース インドのお弁当

インドの食事といえば、カレー。
もちろん、お弁当の中身もカレーが主流だ。

インドでは、温かく調理された食事を
三食きちんと食べる食文化を大切にしている。

そんなインドだからこそ生まれたシステム
「ダッバーワーラー」というものがある。

インドの最大都市ムンバイで100年以上前に誕生したシステムで、
毎朝ダッバーワーラーが各家を周り、
中身が入ったお弁当箱を回収し、
次々と他のスタッフに引き継いでいき。
お昼の希望時間に熱々のお弁当を届けるというもの。

携帯やGPSがない時代から現在もなお、
電車や自転車、徒歩を駆使し、
お弁当の回収から宅配まで、5〜6人の配達員を挟みながら、
時間通りにお弁当を届けているんだとか。

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