‘渋谷三紀’ タグのついている投稿

渋谷三紀 14年12月13日放送

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ハインリヒ・ハイネの人生

詩人ハインリヒ・ハイネ。

ユダヤ人の子としてドイツに生まれたハイネは、
幼い頃から「自分はよそ者だ」と感じていた。

叔父に憧れて、実業家を目指したものの、
ビジネスに興味が持てず、隠れて詩を書いた。

母に勧められ、大学では法律を学ぶが、
文学と哲学に没頭してしまう。

27歳でキリスト教に改宗し、
34歳でパリに亡命。

今いる場所に留まれないのが、ハイネ。
胸を打つ愛の言葉は、詩人の自由と孤独から生まれた。

今日はハイネが生まれた日。

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渋谷三紀 14年12月13日放送

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ハインリヒ・ハイネの友人

詩人ハインリヒ・ハイネ。

ハイネの親友だったのは、
マルクス経済学の祖カール・マルクス。

同時代に生きた天才同士は、
二十以上の年の差を越え、深く心を通わせる。

マルクスが理論的に取り組む諸問題を、
ハイネは鋭い直感で文学的に先取りしていった。

ふたりが出会わなかったら、
人類は二つの大きな光を失うところだった。

今日はハイネが生まれた日。

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渋谷三紀 14年12月13日放送

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ハインリヒ・ハイネの言葉

詩人ハインリヒ・ハイネ。

ハイネの著作物は、
メッテルニヒに弾圧され、
ビスマルクに発禁されたけれど。
実は、ふたりともハイネを愛読していた。

愛しているからこそ、知っていたのだ。
ハイネの言葉の力を。
民衆を奮い立たせ熱狂させる、言葉の力を。

厳しい時代を生き延びたハイネの詩。
ページをめくれば、今日もみずみずしいリズムで、
あなたの心に語りかける。

今日はハイネが生まれた日。

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渋谷三紀 14年8月24日放送

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江戸川乱歩が見た夢

 現世(うつしよ)は夢。夜の夢こそまこと。

数々の推理・怪奇小説を世に送り出した
作家、江戸川乱歩のことば。

子供のころから極度の人間嫌いだった。
生きることは妥協と言い放つほど厭世的だった乱歩は、
自作の出来を恥じて、人生で三度も休筆した。

五十を前に別人のように明るい性格になったというが、
「孤島の鬼」「陰獣」などの代表作を生み出したのは、
皮肉にもネガティブ全盛の時代。

内へ内へと向かう力こそが、
乱歩の創作を飛躍させる原動力だった。

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渋谷三紀 14年8月24日放送

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コナン・ドイルが見た夢

作家コナン・ドイルによって生み出された
探偵シャーロックホームズは、
シャーロキアンと呼ばれる
世界中の熱狂的ファンから支持されている。

最終回として書いた「最後の事件」で
ホームズを滝つぼにつき落としたドイルのもとには
悲嘆にくれるシャーロキアンたちから、
抗議の手紙が押し寄せたという。

根負けしたドイルは、
続編「バスカヴィル家の犬」で
ホームズを復活させる。
その瞬間、作家の意志をこえて、
ホームズは、一人歩きをはじめた。

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渋谷三紀 14年7月26日放送

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Nazir Amin
アツい人 さかなクン

カラフルなハコフグの帽子をかぶり、
魚に関する知識を、溢れんばかりの情熱で語る、
ご存知、さかなクン。

人気タレントとして活動する傍ら、
絶滅魚と考えられていたクニマスを再発見したことは
魚類学の世界で、歴史的業績と称えられている。

小学生の頃のさかなくんはといえば、
授業中も隠れて魚の絵ばかり描き続けていた。

成績の良くないさかなクンを見かねて
もっと勉強させるよう助言した担任に、
さかなクンのお母さんは、こう言い放った。

 この子は魚が好きだから、
 それでいいんです。

魚を愛するさかなクンのアツさは、
そのままぴたりと、
息子を愛する母親のアツさに、重なる。

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渋谷三紀 14年2月15日放送


h.morsel
料理する人 向田邦子

向田邦子は、自身のエッセイに
こんなことを書いている。

 今でも私は、
 客が小皿に残した醤油を捨てるとき、
 胸が痛む。

モノを大切にした昭和の暮らしが
育んだ感覚。

邦子は、
梅干しの赤じそや
昆布のくず、かつお節の粉を
捨てずに使ったという。

しかし、決してケチではない。
素材にはとことんこだわり、
忙しい中でも、友人たちが驚くほど
いいものを見つけてきた。

いいものを買い、とことん食べきる。
「ほんとうにおいしいもの」を
知っている人だった。

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渋谷三紀 14年2月15日放送



料理する人 栗原はるみ

レシピ本の累計発行部数2,000万部。
数多くの料理家の中で、
栗原はるみの人気はずばぬけて高い。

そもそもは、
夫の友人たちに料理をふるまううち
評判が評判を呼び、
料理番組の裏方の仕事を紹介されたのが、はじまり。

人気料理家になった今でも
彼女は自身を「ふつうの主婦」と名乗る。

家庭では、ジャガイモは常備野菜。
古くなったジャガイモを
いかにおいしく食べさせるかが大事。
あくまで主婦目線でレシピを開発している。

シェフだからプロで、
主婦だからアマチュアなのではない。
主婦は、生活に根差した料理のプロだ。

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渋谷三紀 13年10月26日放送


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千利休

千利休。
わび茶を完成させた、
茶の世界の巨人。

和泉国、堺の町で
魚問屋を営む有力な商人の家に生まれた。
若い日の利休は、
茶道だけに精進できない
家の財力を恥じていた。

ときに、
わび茶の根底にあるのは、
足りないさまを
肯定し楽しむこころもち。

茶人、利休も
人間、利休も
同じ場所をめざし、歩きはじめた。

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渋谷三紀 13年10月26日放送



千利休

利休が設計した
わずか二畳の茶室「待庵(たいあん)」。

入り口はせまく、低い位置にあった。
いったん頭を下げなければ、
中に入ることができない。
武士の誇りである刀を外さなければ、
通ることもできない。

それは天下人であっても同じこと。
茶室の中では、身分に上下はない。

茶室とは、
茶を楽しむためだけにつくられた
もうひとつの宇宙。

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