ハインリヒ・ハイネの人生
詩人ハインリヒ・ハイネ。
ユダヤ人の子としてドイツに生まれたハイネは、
幼い頃から「自分はよそ者だ」と感じていた。
叔父に憧れて、実業家を目指したものの、
ビジネスに興味が持てず、隠れて詩を書いた。
母に勧められ、大学では法律を学ぶが、
文学と哲学に没頭してしまう。
27歳でキリスト教に改宗し、
34歳でパリに亡命。
今いる場所に留まれないのが、ハイネ。
胸を打つ愛の言葉は、詩人の自由と孤独から生まれた。
今日はハイネが生まれた日。
ハインリヒ・ハイネの人生
詩人ハインリヒ・ハイネ。
ユダヤ人の子としてドイツに生まれたハイネは、
幼い頃から「自分はよそ者だ」と感じていた。
叔父に憧れて、実業家を目指したものの、
ビジネスに興味が持てず、隠れて詩を書いた。
母に勧められ、大学では法律を学ぶが、
文学と哲学に没頭してしまう。
27歳でキリスト教に改宗し、
34歳でパリに亡命。
今いる場所に留まれないのが、ハイネ。
胸を打つ愛の言葉は、詩人の自由と孤独から生まれた。
今日はハイネが生まれた日。
ハインリヒ・ハイネの友人
詩人ハインリヒ・ハイネ。
ハイネの親友だったのは、
マルクス経済学の祖カール・マルクス。
同時代に生きた天才同士は、
二十以上の年の差を越え、深く心を通わせる。
マルクスが理論的に取り組む諸問題を、
ハイネは鋭い直感で文学的に先取りしていった。
ふたりが出会わなかったら、
人類は二つの大きな光を失うところだった。
今日はハイネが生まれた日。
ハインリヒ・ハイネの言葉
詩人ハインリヒ・ハイネ。
ハイネの著作物は、
メッテルニヒに弾圧され、
ビスマルクに発禁されたけれど。
実は、ふたりともハイネを愛読していた。
愛しているからこそ、知っていたのだ。
ハイネの言葉の力を。
民衆を奮い立たせ熱狂させる、言葉の力を。
厳しい時代を生き延びたハイネの詩。
ページをめくれば、今日もみずみずしいリズムで、
あなたの心に語りかける。
今日はハイネが生まれた日。
江戸川乱歩が見た夢
現世(うつしよ)は夢。夜の夢こそまこと。
数々の推理・怪奇小説を世に送り出した
作家、江戸川乱歩のことば。
子供のころから極度の人間嫌いだった。
生きることは妥協と言い放つほど厭世的だった乱歩は、
自作の出来を恥じて、人生で三度も休筆した。
五十を前に別人のように明るい性格になったというが、
「孤島の鬼」「陰獣」などの代表作を生み出したのは、
皮肉にもネガティブ全盛の時代。
内へ内へと向かう力こそが、
乱歩の創作を飛躍させる原動力だった。
コナン・ドイルが見た夢
作家コナン・ドイルによって生み出された
探偵シャーロックホームズは、
シャーロキアンと呼ばれる
世界中の熱狂的ファンから支持されている。
最終回として書いた「最後の事件」で
ホームズを滝つぼにつき落としたドイルのもとには
悲嘆にくれるシャーロキアンたちから、
抗議の手紙が押し寄せたという。
根負けしたドイルは、
続編「バスカヴィル家の犬」で
ホームズを復活させる。
その瞬間、作家の意志をこえて、
ホームズは、一人歩きをはじめた。
Nazir Amin
アツい人 さかなクン
カラフルなハコフグの帽子をかぶり、
魚に関する知識を、溢れんばかりの情熱で語る、
ご存知、さかなクン。
人気タレントとして活動する傍ら、
絶滅魚と考えられていたクニマスを再発見したことは
魚類学の世界で、歴史的業績と称えられている。
小学生の頃のさかなくんはといえば、
授業中も隠れて魚の絵ばかり描き続けていた。
成績の良くないさかなクンを見かねて
もっと勉強させるよう助言した担任に、
さかなクンのお母さんは、こう言い放った。
この子は魚が好きだから、
それでいいんです。
魚を愛するさかなクンのアツさは、
そのままぴたりと、
息子を愛する母親のアツさに、重なる。
h.morsel
料理する人 向田邦子
向田邦子は、自身のエッセイに
こんなことを書いている。
今でも私は、
客が小皿に残した醤油を捨てるとき、
胸が痛む。
モノを大切にした昭和の暮らしが
育んだ感覚。
邦子は、
梅干しの赤じそや
昆布のくず、かつお節の粉を
捨てずに使ったという。
しかし、決してケチではない。
素材にはとことんこだわり、
忙しい中でも、友人たちが驚くほど
いいものを見つけてきた。
いいものを買い、とことん食べきる。
「ほんとうにおいしいもの」を
知っている人だった。
料理する人 栗原はるみ
レシピ本の累計発行部数2,000万部。
数多くの料理家の中で、
栗原はるみの人気はずばぬけて高い。
そもそもは、
夫の友人たちに料理をふるまううち
評判が評判を呼び、
料理番組の裏方の仕事を紹介されたのが、はじまり。
人気料理家になった今でも
彼女は自身を「ふつうの主婦」と名乗る。
家庭では、ジャガイモは常備野菜。
古くなったジャガイモを
いかにおいしく食べさせるかが大事。
あくまで主婦目線でレシピを開発している。
シェフだからプロで、
主婦だからアマチュアなのではない。
主婦は、生活に根差した料理のプロだ。
no_typographic_man
千利休
千利休。
わび茶を完成させた、
茶の世界の巨人。
和泉国、堺の町で
魚問屋を営む有力な商人の家に生まれた。
若い日の利休は、
茶道だけに精進できない
家の財力を恥じていた。
ときに、
わび茶の根底にあるのは、
足りないさまを
肯定し楽しむこころもち。
茶人、利休も
人間、利休も
同じ場所をめざし、歩きはじめた。
千利休
利休が設計した
わずか二畳の茶室「待庵(たいあん)」。
入り口はせまく、低い位置にあった。
いったん頭を下げなければ、
中に入ることができない。
武士の誇りである刀を外さなければ、
通ることもできない。
それは天下人であっても同じこと。
茶室の中では、身分に上下はない。
茶室とは、
茶を楽しむためだけにつくられた
もうひとつの宇宙。
Copyright ©2009 Vision All Rights Reserved.