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渋谷三紀 11年7月23日放送



闘うひと~レディー・ガガ~

奇抜なファッションで注目を集め、
アメリカ「タイム」誌で
世界一影響力のあるアーティストに選ばれた、
レディー・ガガ。

まだ25歳。
若くして世界の音楽シーンの頂点に立った彼女にも、
マドンナの真似にすぎないと評された時期があった。

そんな声に傷つくガガのもとに、一通のメールが届く。

“love you GAGA.”

メールの差出人は、マドンナ。
同じ階段を駆け上がってくる
若い才能を認め、あたたかい賞賛をおくった。

マドンナを誰より尊敬していると前置きした上で、
ガガも言う。

私は、第二のマドンナになりたくない。
私がなりたいのは、レディー・ガガよ。

ライバルとはつまり、同じ高みを目指す
もっとも親密な間柄をいうのかもしれない。



闘うひと~為末大~

努力は夢中に勝てないんですよ。
というのは、ハードル走者、為末大のことば。

ほら、子どもがよく駅の名前を全部覚えたりするけど、

大人がやると十何倍も労力と時間がかかるでしょう。
とつづける。

何かに打ち込むことが
苦しみになる人間と、楽しみになる人間。
はじめから勝負は見えている。

だから子どもには
がんばろう。でなく、楽しもう。
と声をかけよう。



闘うひと~秋元康とAKB48~

プロデューサーの秋元康がAKB48のメンバーに
よく言って聞かせる言葉がある。

夢というのは、
ぐーっと手を伸ばした1ミリ先に存在している。

つまり、夢はいくら追い続けたとしても、
届くことも、触れることもできない。

そのとき、
「1ミリ先に夢はある」と信じてつづけるか、
「何も近づいてない」とあきらめるか、
そこが分かれ道になるんだ、と。

すぐ目の前の出来事を
ポジティブに見るか、ネガティブに見るか、
人生はそこから変わりはじめるのかもしれない。

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渋谷三紀 11年5月28日放送



ある夫婦のおはなし「和田誠さんと平野レミさん」

一目惚れというものがあるとすれば、
一耳惚れというものがあっても、おかしくはない。

イラストレーターの和田誠さんは、
ラジオから聞こえてきた声の持ち主に、恋をした。
いちども姿も見ないうちに。

何とか約束をとり付け、初めて彼女に会いに行く途中、
「和田さん、どこに行くの?」
と聞かれ、
「僕のお嫁さんになる人に会いに行く。」
と答えたそうだ。

そのお嫁さんこそが、ご存じ料理愛好家の平野レミさん。

ちなみに和田さんは結婚して40年近くたった今でも
奥さんの絵を描いたことがない。

その理由を平野レミさんは笑ってこう答える。

「好きな人の絵は描けないんだって」



ある夫婦のおはなし「伊丹十三さんと宮本信子さん」

「一本でいから、映画を撮ってもらいたいの。」

妻で女優の宮本信子の言葉をきっかけに、
伊丹十三はメガホンをとった。

その後の伊丹映画すべてに主演した宮本。
それまでどちらかといえば脇役の女優だった彼女は、
夫の映画でその才能を大きく開花させた。

「タンポポ」では、寂れたラーメン屋の強くけなげな女主人。
「マルサの女」では、そばかすにおかっぱの憎めない女性。
スクリーンの中の愛くるしい宮本に、日本中が恋をした。

しかし伊丹の演技指導の厳しさはよくしられたところ。
妻だからといって容赦はしない。
いや妻だからこそ余計に容赦はしない。

監督としての厳しさ、夫としての愛情、
それに懸命に応えた女性の歴史は、
日本映画史に残る名作として、愛され続けていくはずだ。



ある夫婦のおはなし「まどみちおさんと奥さん」

まどみちおさんの詩「トンチンカン夫婦」。
そこに描かれているのは、
91歳のまどさん自身と84歳の妻の日常。

左右の靴下を同じ足に履く。
米を入れずに炊飯器のスイッチを入れる。
いわゆる認知症の症状も
まどさんにかかれば、こうだ。

おかげでさくばくたる老夫婦の暮らしに

笑いはたえずこれぞ天の恵みと

図にのって二人ははしゃぎ

夫婦が老いていくことを、
嘆くでもなく美化するでもなく
愛をもって受け入れてしまおうと、
その詩は語りかける。

 明日はまたどんな珍しいトンチンカンを

お恵みいただけるかと胸ふくらませている

厚かましくも天まで仰ぎ見て…



ある夫婦のおはなし「谷川俊太郎さんと佐野洋子さん」

詩人 谷川俊太郎さんと画家 佐野洋子さん夫婦。

「それでも彼を愛していたのよ」

そう前置きをして佐野さんが話すのは、
こんな結婚生活のエピソード。

ある日、谷川さんがこんなことを言って来た。

「僕がキミに書いた手紙、雑誌に載せていい?」

ふたりだけの思い出を世間に公開するなんて。
さすがに佐野さんも驚く。
でもそこは、アーティストどうし。
詩人の彼には、ラブレターもひとつの作品だからと
自分に言い聞かせ、うなづいた。

「いいわよ。じゃ、もって来る。」

谷川さんはさらに言う。

「大丈夫。もうコピーとってあるから。」

あなたが凡人なら、
天才をすべて理解しようと思わないほうがいいし、
あなたがおんななら、
おとこをすべて理解しようと思わないほうがいい。



ある夫婦のおはなし「お龍と松兵衛」

幕末のヒーロー坂本竜馬
そしてその妻お龍

ふたりが夫婦として暮らしたのはわずか3年だった。
龍馬の死後、お龍は35歳で西村松兵衛と再婚し
66歳で死ぬまで松兵衛の妻だった。

松兵衛は呉服の行商人で
龍馬に較べれば当然ながら平凡な男だっただろう。
お龍は晩年酒びたりになり、
竜馬の名をつぶやきながら亡くなったと言われる。

お龍の墓は横須賀の信楽寺(しんぎょうじ)にある。
墓石には「坂本龍馬の妻」と刻まれている。

再婚しても龍馬の妻でいたかったお龍と
その世話をした松兵衛。
これも一途な夫婦のありかたかもしれない。



ある夫婦のおはなし「岡本太郎さんと敏子さん」

いつまでも恋人のような夫婦でいたい。
たとえば、岡本太郎さんと敏子さんみたいに。

ある日、太郎さんが書いた「男女」という文字を見て、
敏子さんが尋ねた。

「やっぱり男が上なのね。」

その言葉に、太郎さんはにっこり笑って答えた。

「そうだよ、いつだって女が支えてるんだ。」

たいていの恋は長く続かないというけれど、
何度も恋してしまう相手となら、
きっとずっと恋していられる。



ある夫婦のおはなし「庵野秀明さんと安野モヨ子さん」

漫画界のWアンノこと、
「エヴァンゲリオン」の庵野秀明、
「働きマン」の安野モヨ子夫婦。

妻の描いたエッセイ漫画「監督不行届」には
人気漫画家どうしのユニークな日常がつづられている。

自他共に認めるオタクの夫は、
大人になった今でも戦隊ヒーローを愛してやまない。

結婚式ではウェディングドレスの妻の横に、
仮面ライダーのコスプレで立ち、
ウルトラマンの「シュワッチ」ポーズを
所かまわずくりかえす。

戸惑いながらも、そんな夫の習性を受け入れ、
自らもオタク的生活を楽しんでしまう妻の姿は、
笑いをこえて、感動をよぶ。
そんな妻に対して、夫はこんなコメントをよせている。

「嫁さんは気丈な女性だと思われてますが
ものすごく繊細で脆い女性なんです。
だから全力で守りたいですね。この先もずっとです。」

地球を救うヒーローにはなれないかもしれないけど、
愛する妻を救うヒーローにはなれそうですね、庵野さん。

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岡安徹 11年01月29日放送


水木しげるの妻/武良布枝

ゲゲゲの女房こと、
漫画家水木しげるの妻、武良布枝さん。

ふたりは見合いの席で出会い、5日で結婚。
売れない漫画家だった水木さんとの暮らしは、
食べものの心配と質屋通いが日課だった。

土手の野草をつんで食卓に並べたこともあれば、
ペンを握りアシスタントをこなしたこともあった。
お金はいつもなかったけれど、
夫の才能を疑ったことはいちどもなかった。

水木さんのとなりに布枝さんがいなかったら、
鬼太郎も悪魔くんも生まれていなかった。
というのも十分ありえるお話。

漫画を描くのが才能なら、
その才能を開花させるのもまた才能。

水木さんは言う。

家内は「生まれてきたから生きている」ような人間です。

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渋谷三紀 11年01月29日放送


文筆家・岡本太郎の母/岡本かの子

文筆家、そして岡本太郎の母、岡本かの子。
彼女は、恋多き女性、そして恋深き女性。

若い頃のかけ落ちに始まり、
夫と恋人とが同じ屋根の下で
生活した時期もあったという。

人一倍傷つきやすく
誤解もされやすかったが
相手と真正面から向き合う生き方を
曲げようとはしなかった。

人間は悟るのが目的ではない。
生きるのです。
人間は動物ですから。

その言葉通り、本能のまま生きる
かの子の子として生まれたことは、
太郎にとって大きな幸運だったに違いない。

だって、子どもも子どもの感受性も、
母親に産み落とされ、育まれるものだから。

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渋谷三紀 10年12月18日放送


日本人宇宙飛行士2 向井千秋

宇宙に行って感動したことはなんですか?

多くの宇宙飛行士が「宇宙から見た地球の美しさ」と答えるこの質問に
日本人初の女性宇宙飛行士、向井千秋は「地球の重力」と答える。

宇宙から戻った夜は、驚きの連続だった。
無重力に慣れたからだは、一枚の名刺にさえ重みを感じた。
上下左右のない空間では見られない
ものが落ちていく姿や描く放物線の美しさに目を奪われた。

彼女はいう。

 私たちは、物が落ちること、雨が降ることを
 当たり前だと思ってしまいますが、
 実は地球で起こるこの現象のほうが不思議なのです。

私たちが常識と呼んでいるものの多くは、
広い宇宙に浮かぶ小さな惑星でしか通用しない
ちっぽけな常識にすぎないのかもしれない。

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渋谷三紀 10年12月18日放送


日本人宇宙飛行士4 若田光一

宇宙飛行士、若田光一。

宇宙ステーションでの長期滞在を終えた若田は、
138日ぶりの地球の印象をこんなことばで表現した。

 スペースシャトルのハッチが開くと、
 草の香りが入ってきて、
 地球に優しく迎えられたようでした。

その瞬間、どんな詩人にも書けないような詩が
宇宙飛行士から生まれた。

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渋谷三紀 10年12月18日放送


日本人宇宙飛行士5 山崎直子

ママさん宇宙飛行士、山崎直子。

職業人として、女性として、
誰もがうらやむ幸せを手に入れた彼女を
メディアは華々しくとりあげた。

そんな中、一冊の本が出版される。
直子の夫、山崎大地の著書「宇宙主夫日記」。

そこには宇宙飛行士訓練にかかりきりの妻と
仕事に子育てにと苦悩しつづける夫の姿が
生々しく描かれていた。

この本をいったいどんな思いで直子は手に取るのだろう。
そんな心配も、「宇宙主夫日記」の隣りに
平積みされた本を見れば、吹き飛んでしまう。

そのタイトル「何とかなるさ!」。
著者は山崎直子その人だった。

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渋谷三紀 10年09月25日放送


ファッションことば①
  イヴ・サンローラン

蒸し暑い街の風景を涼しげに彩るシースルー・ファッションを
はじめて世に送り出したのは、イヴ・サンローラン。

1968年に発表した、モデルのからだが透けて見える黒いドレスは、
保守的なパリのファッション業界から激しい非難をあびた。

しかし彼は、
ヌード以上に女性らしい美しさを引き出すシースルーの魅力を
誰より早く見抜いていた。

ファッションとは生き方である。

と語ったサンローランは、
自分の意思でファッションを、そして生き方を選びとる自由を
女性たちに与えようとした。

それはつまり、女性が女性らしく、自分らしく生きる時代の幕開けだった。


ファッションことば②
  パリス・ヒルトン

アメリカの億万長者として名高い
ヒルトン一族の令嬢パリスは
お騒がせセレブとして知られている。

このパリスの発言が
イギリスの由緒正しい引用句辞典に掲載されたのは
去年のことだった。

 どこへ行くにもかわいらしく着飾りなさい。
 人生は短すぎてすべてを着られないんだから。

パリスの言葉は
オスカー・ワイルドやホーキング博士の言葉と並んで
堂々と胸を張って見える。

100年後、パリスのお騒がせ事件の数々を知らないまま
これを読む人は何を感じるだろう。
それが知りたい。


ファッションことば③
  ジバンシー

永遠の妖精、オードリー・ヘップバーン。
そのエレガントな美しさのいくらかは、
衣装を担当したジバンシーがつくりだした、
といっていいだろう。

ふたりの出会いは
ジバンシー26歳、オードリー24歳のとき。

約束の場所に現れたオードリーを見て、
ジバンシーは思った。

 ショートヘアで化粧っけのない、
 少年のようにやせっぽっちの女の子。

ジバンシーは、オードリーでなく
当時彼女より有名だった
キャサリン・ヘップバーンが来ると誤解していたのだ。

お互いの存在なしでは、
世界的女優と世界的デザイナーになれなかったふたりの歴史が
誤解と落胆からはじまったなんて、おもしろい。


ファッションことば④
  川久保玲

1982年、コムデギャルソン、
初めてのパリコレクション。

デザイナー川久保玲は、
喪服のような黒で
女性のからだのラインを覆い隠すスタイルを提案。
賛否両論の嵐を巻き起こし、
その事件は「東からの衝撃」と呼ばれた。

川久保はいう。

 新しいものは、半分の人がノーと言うし、
 そうでなくては新しくない。

強烈に求められるか、拒絶されるか。
決して無視できない、まったく新しい価値をつくることが
自分の仕事だと考えている。

それ以降、ファッションの世界で、
川久保は革命を起こしつづけている。
もっと正しく言えば、
川久保の存在自体が、革命でありつづけている。


ファッションことば⑤
  アナ・ウィンター

世界のあらゆるファッションショーで、
最前列を約束されている女性がいる。

金髪のボブカットにサングラスがトレードマークの
米国版「VOGUE」編集長、アナ・ウィンター。
映画「プラダを着た悪魔」のモデルとしてあまりに有名。

彼女のもうひとつの顔は
ファッションブランドに新しい才能を紹介するコーディネーター。

ルイ・ヴィトンに、マーク・ジェイコブスを。
クリスチャン・ディオールに、ジョン・ガリアーノを。

アナ・ウィンターはモードの流れを追うだけでなく
自らモードの未來をつくりだしている。
そして、アナ・ウィンターはこんな意見を言う。

 ファッションとは、先を見ること。


ファッションことば⑥
  ワダ・エミ

映画『乱』の衣装デザインで
日本人女性初のアカデミー賞を受賞した、ワダ・エミは、

 自分にとって、衣装はことばです。

と語る。

京都で育った子ども時代、何気なく見ていた
古い絵画、彫刻、建築、神社の鳥居の形が
自分のデザインの基本にあるという、ワダ。

衣装という世界共通語にのせて、
73歳になったいまも、
日本の文化の美しさ、奥深さを世界に伝えつづけている。


ファッションことば⑦
  キャリー from 「SEX AND THE CITY」

キャリー、サマンサ、ミランダ、シャーロット。
NYで生きる4人のキャリアウーマンの
友情を描いたSEX AND THE CITYは、
世界中の女性の心をつかみ、
2度も映画化された大ヒットドラマ。

中でも主人公キャリーのハイセンスな
ファッションは常にアツイ注目を集め、
彼女が身に着けたものから、
次々とトレンドが生まれていった。

オシャレは足元から、とばかりに、
クローゼットに入りきらないほど
お気に入りの靴を並べて、彼女はいう。

シングルウーマンの道は平坦ではないから、
歩くのが楽しくなるような靴が必要なの。

なるほど。
ファッションと同じように、
女心にも国境はないようです。

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渋谷三紀 10年07月25日放送



たとえばこんな映画監督~マイケル・ムーア

ほんとうに、こんな社会でいいのかい?
スクリーンから問いかけるのは、
映画監督マイケル・ムーア。

銃社会、テロ、医療問題・・・
得意のアポなし突撃取材で
アメリカが抱える闇に斬りこみ、
ドキュメンタリー映画を撮り続けている。

ある映画では大手スーパーの本社に乗り込んで
銃弾の販売中止を約束させた。
またある映画では大統領を次の選挙に落選させて
戦争をやめさせようとした。


 どんな馬鹿げた考えでも、
 行動を起こさないと世界は変わらない。

そう話すムーアにとって、
映画は単なる記録でも、一方的な告発でもなく、
目の前の現実を変えるための戦いなのかもしれない。



たとえばこんな映画監督~ウディ・アレン

映画監督としてのウディ・アレンは
批評家にけなされても、客が入らなくても
つくりたい映画をつくりたいように
つくりつづける、孤高の映画人だ。

その偏屈さは、おなじみのメガネとともに
ウディ・アレンのトレードマークになっている。
けれどある作品で彼はこんな台詞を書いた。


 ハートは弾力のある筋肉だよ。

だから凹んでも傷ついても大丈夫、という言葉からは、
ふだん見せない彼の優しさと弱さが見え隠れする。

ただ頭脳明晰なウディ・アレンのこと。
そうやってほろっとさせることさえ、
作戦なのかもしれないけれど。



たとえばこんな映画監督~是枝裕和


 自分の内面を表現するよりも
 自分のふれた世界が
 どれだけ豊かかであるかを記述したい。

そう語るのは、映画監督、是枝裕和。
テレビのドキュメンタリーから
経歴をスタートさせた是枝監督にとってカメラは
相手を見つめるための道具。

相手のこころを探って思い悩むのをやめて
相手をただ見つめ、受け入れる。
すると
見えなかったものが、見えてくるかもしれません。



たとえばこんな映画監督~チャップリン

喜劇王チャップリン。
彼の映画に登場する、ブカブカの靴をはく男は
チャップリン自身の記憶の中から生まれた

深深と雪がふりつもるクリスマス。
食べるものもなく、毛布にくるまるチャップリン親子に
鈴の音が聞こえてくる。
それは施しのスープを配る合図。

「スープをもらってきてちょうだい。」
と頼む母にチャップリンはいう。
「でも、ぼく靴がないんだ。」
母は自分の古い靴を取り出してはかせ、送り出した。

あの日温かいスープを求めて
脱げそうな靴で雪道を走った少年は、
スクリーンで笑いと涙を生み出すキャラクターに姿を変えた。

目の前の悲劇も、別の視点から見れば喜劇のタネになる。
チャプリンの喜劇を見て人が泣くのは
その笑いが悲しみから生まれたものだから。



たとえばこんな映画監督~宮崎駿

アニメーション映画監督、宮崎駿。

彼には忘れられないエピソードがある。

知り合いの子どもを車に乗せたときのこと。
サンルーフを開けたらよろこぶだろうと思ったのに、
雨が降ってきたからと、やめてしまった。

宮崎監督は後悔した。
子どもをよろこばせることを仕事にする自分が、
シートがぬれる。
そんな大人の事情を優先させるなんて。

たしかに。
いまこの瞬間を全力で楽しみたいとき、
身につけた理屈や経験は、ときどきじゃまになる。

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渋谷三紀 10年04月24日放送

03-1000

100回目の春

百歳にもなればその道が見えてくる。
人生も季節と同じで
過ぎてみてはじめて春夏秋冬があることがわかる。

こんなことをおっしゃっているのは
100歳のおばあちゃん、矢谷千歳さん、

終わらない冬はない。
けれど、春だって
いつまでも止まっていてはくれない。

ひとつひとつの季節を
噛み締め、味わって生きましょう。

04

与謝野晶子の春

こころが浮き立つのは
春だから。
理由なんて、それだけで十分。

歌人与謝野晶子の春の歌に
こんな一首がある。

清水へ祇園をよぎる桜月夜
こよひ逢ふ人みなうつくしき

月の美しさ、桜の美しさ
そして、夜桜を見に出て来た人まで美しく見えるのは
春だから、自分の心が浮き立っているから
そして、恋をしているから。

このとき、与謝野晶子は
大阪の老舗の和菓子屋の娘で
与謝野鉄幹の弟子のひとりに過ぎなかったけれど
心には消えることのない恋の灯がともっていた。

清水へ祇園をよぎる桜月夜
こよひ逢ふ人みなうつくしき

こころが華やぐのは
恋をしているから
理由なんて、それだけで十分。

京都は結婚前の与謝野鉄幹と晶子が
忍び逢った町でもあった。

05-sky

スヌーピーの春

世界一有名なビーグル犬、スヌーピー。

チャーリーブラウン少年の家に来るまえ、
別の飼い主に捨てられた過去があることは、
案外知られていない。

よく犬なんてやってられるね。
そんな問いにスヌーピーはこう答える。

配られたカードで勝負するしかないのさ。
それがどういう意味であれ。

現実から目をそらしたり、自分の境遇を嘆いたり、
人間みたいなことはしない。

上を向き続ける。それが人生のコツさ。

そうつぶやく犬小屋の上のスヌーピーみたいに、
空をながめてすごす春の一日も悪くない。

06-na

山村暮鳥の春

詩人山村暮鳥作、「風景」。
そこにはただただ同じことばが並ぶ。

いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな

そこにはただただ同じけしきが広がる。

いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな

ときにことばは、
どんなハイビジョンより
ほんものの春を映し出す。

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