日本美人史(平安時代)
平安時代、美人の条件は
切れ長の目、ひょうたん型の顔、長い髪・・・
中でも重要だったのが「知性」だ。
「和歌が詠めること」が美人の絶対条件で、
そうでなければ出会いもなかった。
ちなみに、美人と名高い小野小町の絵や彫像は現存せず、
後世に描かれた絵も後姿がほとんど。
素顔は謎に包まれている。
絶世の美女は妄想から生まれたのかもしれない。
日本美人史(平安時代)
平安時代、美人の条件は
切れ長の目、ひょうたん型の顔、長い髪・・・
中でも重要だったのが「知性」だ。
「和歌が詠めること」が美人の絶対条件で、
そうでなければ出会いもなかった。
ちなみに、美人と名高い小野小町の絵や彫像は現存せず、
後世に描かれた絵も後姿がほとんど。
素顔は謎に包まれている。
絶世の美女は妄想から生まれたのかもしれない。
日本美人史(平安末期)
武家の時代が訪れ、
雅な平安女性とは一線を画す女性たちが登場した。
中でも女武者の巴御前は
「色白く髪長く容顔まことに優れた」美人でありながら、
敵の首を素手で引き千切った、
なんてエピソードが残されている。
これは極端な例だけれど、
女性らしさなんて、時代と共に変わるものだ。
日本美人史(江戸時代)
江戸の街でモテるには、
流行に敏感でなければならなかった。
当時のファッションリーダーは「遊女」。
吉原などで名を馳せた美女「高尾太夫」の
浮世絵は大人気となった。
高尾太夫は11代まで続いたといい、
史実、創作ふくめさまざまな逸話が残っている。
乳母を従え、花魁道中を子連れでこなした「子持ち高尾」は、
ワーキングマザーのはしりといえそうだ。
日本美人史(明治時代)
日本でミスコンが始まったのは明治時代のこと。
一般人が参加した初のミスコンは、
明治41年の「令嬢美人写真募集」だ。
1等になった16歳の末弘ヒロ子さんは
退学処分を受けたが、学長の計らいで結婚した。
2等の金田ケン子さんは200通の結婚申し込みを受け取り、
3等の土屋ノブ子さんは化粧品会社の広告モデルとして活躍した。
選ばれるだけではで終わらない。
明治美人は未来を選び取る強さを持っていた。
deletio
山について「槍ヶ岳」
槍ヶ岳は日本で5番目に高い山だ。
標高は3180メートル。
名前の通り天に槍を衝くような形が特徴で、
「日本のマッターホルン」と呼ばれている。
1823年、初めて槍ヶ岳の登頂に成功したのは僧の播隆。
危険な山道に縄をかけ鎖をかけた。
一里塚に石仏を置き、
多くの人が安全に登れるよう山を開いた。
日本アルプスの麓、松本駅では、
播隆上人の銅像が今日も静かに鋭峰を見つめる。
Kirill Skorobogatov
山について「間ノ岳」
間ノ岳が日本で3番目に高い山になったのは、
2014年のこと。
国土地理院が最新の衛星システムで計測した結果、
標高を3190メートルに改定した。
測量技術の進化には目をみはるばかりだが、
近年活発化している
日本列島の地殻変動の影響もあると見られる。
1万年以上前の氷河期には、
間ノ岳が日本最高峰だったという説もあり、
ああ、山は生きているのだと、気づかされる。
山について「奥穂高岳」
「無垢の爾を、自分は絶愛する」
と山に叫んだのは、
1904年に槍ヶ岳から穂高岳を初縦走した鵜殿正雄。
日本で3番目に高い山「奥穂高岳」の名付け親である。
彼の紀行文を読むと、
奥穂山頂からの下降地点にある通称「間違い尾根」に、
当時の案内人たちも誤って踏み込んだとある。
まさに時代をこえた「間違い尾根」だ。
未知の岩稜をたどり、難所を乗り越え、
必死の思いでたどり着いた大景観。
鵜殿が震えた無垢な感動を、
私たちはもう味わうことができない。
Daisuke tashiro
山について「北岳」
その高さ3193メートル。
日本で2番目に高い山、北岳。
平安時代の「古今和歌集」や「後拾遺和歌集」、
鎌倉時代の「平家物語」、
最近でも高村薫の「マークスの山」で取り上げられるほど
古くから日本人の心を掴んできた名峰だ。
夏の降雨量が多いため、絶滅危惧種に数えられる
キタダケソウやタカネマンテマ、キタダケトリカブトなど
珍しく、さらに美しい植物が多く見られることで知られている。
富士山より険しいという厳しい顔。
その裏にある、華やかな顔。
北岳の持つ意外性に登山者は魅せられるのかもしれない。
山について「富士山」
標高3776メートル。
言わずと知れた日本一の山、富士山。
富士山は静岡県と山梨県の間にまたがっているが、
その山頂はどちらの県にあるだろう。
答えは・・・どちらでもない。
富士山本宮浅間大社の私有地だ。
八合目以上は境内で、頂上には奥座が鎮座している。
国のものでも誰かのものでもなく、神様のいる場所。
富士山は日本人の心の真ん中に高く高くそびえたっている。
白石准
絵本のひと かこさとし
絵本作家になる前の、
かこさとしさん。
自作の紙芝居で
子どもたちをよろこばせようと
意気込んでいた。
ところが、かこさんが話し始めると、
一人減り、二人減り、
ついには赤ちゃんをおんぶした
おばあさんだけになってしまった。
みんなザリガニを採りに行ったと聞かされ、
地団太を踏む、かこさん。
こんちくしょう。
なんて小憎たらしい!
でも・・・
小憎たらしいって、生きてる感じがするな。
かこさんの絵本に優等生は登場しない。
わがままで愛らしくて、
なによりいきいき生きている。
Copyright ©2009 Vision All Rights Reserved.