最後の記憶
終戦から75年。
長い長い時が過ぎた。
戦場での壮絶な記憶を持つ経験者も、
そう遠くない将来には、
この国から一人もいなくなってしまう。
その瞬間は刻一刻と近づいている。
悲惨な戦争の記憶を
知らないことは幸せなこと。
しかし同時にとても怖いことでもある。
情報が常にアップデートされ、
毎日のニュースにさえも
デマやフェイクが忍び込む時代。
最後の記憶が失われ、
過去の過ちが
再び起こらないようにするために…
今、私たちの未来が試されている。
最後の記憶
終戦から75年。
長い長い時が過ぎた。
戦場での壮絶な記憶を持つ経験者も、
そう遠くない将来には、
この国から一人もいなくなってしまう。
その瞬間は刻一刻と近づいている。
悲惨な戦争の記憶を
知らないことは幸せなこと。
しかし同時にとても怖いことでもある。
情報が常にアップデートされ、
毎日のニュースにさえも
デマやフェイクが忍び込む時代。
最後の記憶が失われ、
過去の過ちが
再び起こらないようにするために…
今、私たちの未来が試されている。
Kevin M. Gill
最後の惑星
豊かな海と緑と大気を持つ
地球のような星は
この宇宙にいくつあるのだろう。
ある研究によれば
地球のある天の川銀河系だけでも
100億個ほど似ている星があるという。
たとえそれが事実だとしても、
100年足らずの寿命しかない我々が
その星にたどり着いて移住し
子孫を繁栄させることは不可能だ。
つまり紛れもなく
この広大な宇宙空間の中で
この地球こそが
生命が幸せに暮らせる
最後の星だ、ということ。
そんな貴重な星にいながら
人類はその大切さに
いつになったら気づくのだろう。
最後の能力
火をおこしたり
われた茶碗を直したり
わらじを編んだり
1日に何キロも歩いたり…
江戸時代の人々が
当たり前のように持っていた能力で
今の私たちにできないことは、どれほどあるだろう。
侍たちの知恵を、農民や町人の技を
私たちはいくつ受け継いでいると言えるだろうか。
スマートフォンをなくしただけで
途方に暮れる私たちは、
祖先たちが、石油も電気も
ガスもインターネットもない
長い長い時代を生き延びるために
必要だったスキルのほとんどを、
失ってしまっている。
この先、自分一人では
何もできなくなった人類が
最後に守るべき能力とは、なんだろう。
今日一日、それを考えてみるのも
悪くないはずだ。
tokyoform
最後の仕事
プロ野球選手ならば
最後の試合の最後の打席が
ヒットだったか、凡打だったか
調べればちゃんとわかる。
記憶には残らなくても
記録には残るから。
けれどその他大勢の働く人々は、
最後の1日にどんな仕事をしたか、
記録に残ることはほとんどない。
きっと最後の日の仕事に
そう大きな意味はないのだ。
有終の美を飾るのではなく
1日1日を悔いなく働いてきたかどうか。
人生の意味は、そこに隠れている。
kontenten
火と死
今日は、送り盆。
お盆という風習が
日本で一般的になったのは
江戸時代だと言われている。
それまでは長い間
僧侶や貴族だけが行う
特別な行事だったお盆だが、
江戸時代に入ると、
ろうそくや提灯が大量生産され
民衆にも定着してゆく。
線香やろうそく、提灯や花火…
儚い炎の灯りは
長い長い間
あの世とこの世をつなぐ
道しるべになっていた。
家でも街中でも
危ないからと炎に触れる機会が
少なくなった現代。
死を想う時間からも
遠くなってしまっているとしたら
それはとても寂しいことだ。
サステイナブルな死
今日は、送り盆。
死んだらお墓に入るだけじゃ、
今はない。
多様化の時代、
人生の終わり方にも
様々な選択肢が用意されている。
縄文時代、
人は死ぬと姿形を変化させ、
様々な自然の一部に循環していくと
考えられていた。
鳥や花、木や獣など様々なものに
生まれ変わると。
自然を丁寧に観察することで
縄文人はその事実に気づいていた。
私たちは今、ようやく彼らの死生観に
近づくことができているのかもしれない。
Daveybot
見えざる手の原動力
幸せとは何か?
人類は常に、それを考え続けてきた。
圧倒的大部分が
貧困で惨めである社会は、
幸福な社会ではありえない。
と言ったのは「見えざる手」という概念を生んだ
経済学の父、アダム・スミス。
人間はいかに利己的であろうと、
本性の中には、他人の運命に関心を持ち、
他人の幸福をかけがえのないものにする
推進力が含まれている。
この人間の、共感の力こそ
見えざる手の原動力だとスミスは考えた。
未曾有の危機の中で
混迷する世界の経済。
見えざる手は今、私たちを
どこへ導こうとしているのか。
Teemu Eskola
厳しさと幸福
幸せとは何か?
人類は常に、それを考え続けてきた。
幸福度ランキングで
3年連続世界1位のフィンランドは、
一年の半分近くを太陽が昇らない寒い冬が占めている。
厳しさこそが幸福の母なのか。
「けれどもほんとうのさいわいは一体何だろう」ジョバンニが云いました。
「僕わからない」カムパネルラがぼんやり云いました。
銀河鉄道の夜では、幸せの答えは無数の星の中に消えていく。
世界を取り巻く厳しい状況は、
私たちがそこから幸せを生み出せるかどうかを
試しているのかもしれない。
答えはない。けれど、ほんとうの幸せはきっとある。
たぶん意外とすぐそばに。
お金以上の幸せとは
幸せとは何か?
人類は常に、それを考え続けてきた。
聴く人を幸せな気持ちで包み込む
古典落語の傑作「文七元結(ぶんしちもっとい)」。
娘が父を思い
身売りを覚悟して用立てた五十両もの大金を、
店の売上げ金をなくしてしまい
橋の上から身を投げようとする奉公人の文七に出会って
つい、あげてしまう江戸っ子の人情を描いた
笑いと涙の物語である。
見ず知らずの若者に
かけがえのない娘がつくった五十両をあげてしまう。
常識では「ありえない!」父親の行為が
最後に予想もつかない幸せを連れてくる。
お金は大切。
でもお金以上の幸せも必ずある。
そう信じたい人間の気持ちが、
この噺を、時代を超える傑作にした。
おじいさんの馬
幸せとは何か?
人類は常に、それを考え続けてきた。
中国に人生万事塞翁が馬
という故事がある。
塞翁とはお城の近くの
おじいさんという意味だ。
おじいさんの馬が逃げ出して
周りの人が気の毒がるが
おじいさんは気に留めない。
やがてその馬は立派な馬を連れてきた。
しかし今度はその馬から
落ちた息子が足の骨を折ってしまう。
それでもおじいさんは意に介さない。
おかげで戦争に取られることなく
おじいさんと息子は長生きして幸せに暮らす。
幸せとは人生の最後に
ようやくわかる…
そんなものなのかもしれない。
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