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田中真輝 19年11月16日放送


唐山健志郎
生きる座標

修験道とは、日本古来の山岳信仰が
仏教などの影響のもとに習合された
日本独特の宗教のこと。

自然の中で、極めて厳しい修行を通じて
自ら悟りに至る修験道。その厳しさは、
あえて極端な体験をすることによって、
「中道」つまり「真ん中」を知るため
であるという。

それは自らの体験を通して、
生きることの「座標」を手に入れること
なのかもしれない。

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田中真輝 19年11月16日放送


WolfgangMichel
死を体験する

奈良、吉野から和歌山、熊野にかけて
のびる「大峰奥駆道(おおみねおくがけみち)」は
修験道の修行の場。
その途上にある「山上ヶ岳」はその聖地である。
一般人も一日修行体験をすることができるこの山の
頂上には「西の覗き」と呼ばれる修行場がある。
両肩に紐をかけ急峻な崖からぶら下げられる捨て身行は
まさに死の疑似体験。
生きているという濃厚な実感が欲しいなら、
このショック療法を、一度体験してみることを
お勧めする。

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田中真輝 19年9月22日放送



DNAに刻まれた物語

世界中には、様々な文化、民族に
個別の神話が数多存在する。
しかし不思議なことに、それら別々の神話に
多くの共通性が見られることをご存じだろうか。

例えば、イザナギが死んだイザナミを求めて冥界に
赴くが、イザナミがタブーを犯したために二人は
引き裂かれるという日本神話にあるエピソード。

これに酷似したエピソードが、ギリシャ神話や
ゲルマン神話、メラネシアの神話にも存在する。

一体、これはなぜなのか。

一説には、人類は文化や環境が違っていても
無意識の深いところを共有しているからだという。

神話のルーツは固有の民族や文化が生まれるよりも
はるか昔、ヒトが進化する長い時間の中で
その濃度を増していった記憶の残像に違いない。

神話とは人間のDNAに刻まれた物語なのだ。

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田中真輝 19年9月22日放送



どこからきて、どこへいくのか。

神話はなぜ生まれたのか。
それは「我々はどこからきて、
どこへいくのか」
という問いへの答えを
求めたから、と言えるだろう。

例えば、アフリカのズールー族の神話では、
大きな葦から最初の人間、
ウンクルンクルが生まれ、万物を作った。
ウンクルンクルは新たに生み出した人間の元へ
カメレオンを使いに出し、
「人は決して死ぬことはない」と伝えよと命じた。
しかし、カメレオンはあまりに歩みが遅く、
しびれを切らしたウンクルンクルは新たな使者、
バッタに「人は死ぬ」というメッセージを託し、
後を追わせた。
結果、バッタはカメレオンを追い越し、
人は必ず死ぬ存在となった。

古代の人々は、神話に大いなる謎に対する
答えと慰めを見出していた。
非科学的なほら話、と笑うだろうか。
しかし、そうした神話をもたないわたしたちが
彼らより幸せかどうかは、疑わしい。

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田中真輝 19年9月22日放送



現代の神話

神話は、その時代を生きる人々の行動規範として機能した。
その意味において、現代最も機能している神話は
「資本主義経済」かもしれない。

資本主義経済とは、
「今日よりも明日がより豊かになる」というある種の
楽観論を信じることによって成り立っている。
資本主義社会が生まれる前までは、誰もそんな楽観論を
信じてはいなかったのだ。

世界は、4頭のゾウに支えられた巨大な亀の上に存在している。
かつては信じられていたそんな神話を、今、信じる人はいないだろう。
しかし一方で、昔の人々からしてみれば「資本主義」もまた、
疑わしい神話に見えるに違いない。

現代人にとっても、その神話はやや
疑わしさを増しているかもしれないが。

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田中真輝 19年9月22日放送



科学による世界創生神話

はじめに、エネルギーありき。
エネルギーはやがて素粒子を生み出し、
素粒子から、原子が生まれた。
原子は集まって星となり、星からさらに
新しい原子が生まれた。
新しい原子は宇宙に散らばってゆき、
また集まり地球が生まれ、大地が生まれた。
やがて原子同士が組み合わさって、生命が
誕生した。生命は進化し、複雑化し、やがて
人類を生み出した。

これが、近代科学による世界創生の神話。
信じるも信じないも、あなた次第。

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田中真輝 19年7月21日放送



世界最低気温

暑い夏こそ、寒い話。

今日7月21日は、1983年、南極のボストーク基地で
史上最低気温である-89.2度を記録した日。
気温ではなく、地表面温度の最低記録は、2010年に
地球観測衛星が南極で観測した―93.2度である。
これは人間が数回呼吸しただけで、肺から出血し
即死するレベルだという。

これほどの低気温を記録するためには、
まず太陽が昇らない真冬の南極であること、
空が完全に晴れ渡り、ほぼ無風であること。
加えて湿度も極めて低い、といった条件がすべて
揃わなければならない。

これらの条件が揃った場所をイメージしてみる。
極めて死に近い過酷な環境にも関わらず、どこか
静謐な美しさを想像してしまうのは、わたしだけ
だろうか。

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田中真輝 19年7月21日放送



宇宙空間、寒い?暑い?

暑い夏こそ、寒い話。

宇宙空間の温度は、-270度。
さぞかし寒いだろうと想像しがちだが、
実はそうでもないらしい。
その証拠に、宇宙服には、冷房装置こそついているが、
暖房装置はついていない。

人が寒さを感じるのは、周囲の空気が体の熱を奪うから。
つまり、周囲に空気がなければ、熱は逃げていかない。
宇宙服を着ていると、人の体が発する熱が内部にとどまり、
空気のない外部へと逃げていかないため、ほっておくと、
とめどなく温度が上昇してしまうのだ。

だから、宇宙服には冷房装置こそ必須。
―270度という極寒の中で作業する宇宙飛行士、
実は、クーラーがないと暑くてやってられない、
ということらしい。

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田中真輝 19年5月19日放送



津田梅子の志

五千円札の新しい顔になるのは
日本の高等女子教育に尽力した津田梅子。

1871年、岩倉具視をリーダーに欧米先進国視察のため
結成された岩倉使節団に満6歳という若さで参加。
アメリカで初等、中等教育を受け、11年後に帰国。
その後、伊藤博文の勧めで華族女学校で教鞭をとる一方、
ヘレン・ケラーを訪問したり、ナイチンゲールと会見するなど
精力的に活躍。
1900年、津田梅子は、国際的教養のある女性の育成を目指し、
「女子英学塾」を創設する。
開校の式辞で彼女は、学生に向けて、英語の専門家になろうと
するだけではなく、まったき婦人、すなわち、all-round womenに
なるよう心掛けねばならないと語ったという。

彼女が作ったその学校は「津田塾大学」と名を変えて
100年以上経った今も、彼女の志を受け継いでいる。

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田中真輝 19年5月19日放送



梅の花

五千円札の新しい顔になるのは
日本の高等女子教育に尽力した津田梅子。

日本初の高等女子教育を目指して津田が
創設した「女子英学塾」、後の「津田塾大学」だったが、
彼女が現場への介入を嫌って外部からの資金援助をほとんど
断ったため、その経営は困難を極めた。

しかし、津田は実学重視の教育方針を貫き通す。
授業中の津田は、突進するように動き回り、
机をバンバンと叩きながら討論し、また
ときには豪快にハハハと大笑いすることも
あったという。

第1期の卒業生8名は、卒業にあたって
津田にある歌を送っている。

雪霜のうちに さきがけ匂ふ 梅の花の そのみさをこそ いとゆかしけれ  

津田梅子の凛とした美しさを称えた歌には、
深い感謝の気持ちが宿っている。

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