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石橋涼子 12年12月23日放送



愛のはなし トゥリア・タラゴーナ

ルネッサンス時代に生きた女性、
トゥリア・ダラゴーナはこう語る。

 「愛する」とはある意味で受け入れることです。
 私の考えでは、愛されるということばの方が、
 受動的ではなくて、能動的だと言えるでしょう。

彼女の職業は、芸術家や貴族を顧客とする高級遊女だった。
軽々しく愛を語る男の本心を試すような
魅惑的な女性だったのだろう。

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石橋涼子 12年11月04日放送


gorgeoux
空のはなし エリノア・ホロウィッツの空

紫やオレンジが混じり合った夕暮れの空を見つけて
怖いけれどワクワクするような
不思議な気分になったことはないだろうか。

アメリカの作家エリノア・ホロウィッツは
そんな空の下に現れる世界を絵本にした。
物語は、こう始まる。

 ビムロスって知ってる?
 きれいなもやみたいな雲のこと
 ビムロスの夜は 空がレースにみえる
 そんな空見たことある?

ビムロスの夜は、
女の子が大好きなナイショの約束ごとで満ちている。

ビムロスの夜は
うさぎとおしゃべりをしちゃいけないし、
かわうそにうたを教えなくちゃいけない。
パイナップルソースをかけてスパゲッティを食べなくちゃいけないし、
オレンジ色のほかは着ちゃいけない。もちろんパンティも。

ビムロスの夜は、
ヘンテコなルールを楽しめる子どもたちのための時間だ。

さて、大人になったあなたは、
レースみたいな空を見つけることができるだろうか。

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石橋涼子 12年11月04日放送



空のはなし ボードレールの空

詩人ボードレールは、「旅への誘い」という詩で
夕焼け空の色をこう表現している。

 D’hyacinthe et d’or
 ヒヤシンス色と金色と。

翻訳によっては赤紫やあかね色と訳されている
ヒヤシンス色の夕焼け空、
あなたはどんな色を思い浮かべますか?

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石橋涼子 12年10月7日放送


カノープス
色のはなし 志村ふくみの色

紬(つむぎ)の重要無形文化財保持者でもある
染織(せんしょく)作家、志村ふくみ。

染めるという行為は植物から色を「いただく」ことだと
彼女は考える。
植物が、花を咲かせ芽を吹くために体内に蓄える、
その命の色を「いただく」のだと考えている。

例えばピンク色は桜の木の皮から煮出してつくるのだが、
9月の桜の木と、
3月の花が咲く直前の桜の木からいただく色は
まったく違うと彼女は言う。
3月のピンクは、花を咲かせるために
樹木に蓄えられた命の色が匂い立つのだ、と。

志村ふくみが
自然から色をいただく姿勢は、
謙虚で厳粛であると同時に、激しく情熱的だ。

90歳を目前にした今も
染織作家として活動し続ける彼女はこう語る。

 植物から色が抽出され、媒染されるのも、
 人間がさまざまの事象に出会い、苦しみを受け、
 自身の色に染めあげられていくのも、
 根源は一つであり、光の旅ではないだろうか。

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石橋涼子 12年9月2日放送


Fernando Stankuns
果物のはなし 古賀稔と渥美清のバナナ

独特の節回しと愉快な口上で人々を楽しませる
バナナのたたき売りにプロがいることは、あまり知られていない。
そのひとり、古賀稔は、50年以上前から
九州・中国地方を渡り歩いてバナナのたたき売りをしている。

遠い昔のある日、古賀の前にひとりの男がふらりと現れた。
ちょいと教えてくれよ。
と声をかけてきたので、ちょいと教えてやったのだと言う。

その男は、フーテンの寅さんこと、若き日の渥美清だった。


new-york-city
果物のはなし 世界一有名なリンゴ

1700年代後半、
ひとりの若者がカナダの開拓地に移住した。
彼は、森で見つけた野性のリンゴの木を
庭に植えかえて育てることにした。

若者はやがて父になり祖父になり、
たった一本だったリンゴの木もていねいな接ぎ木によって
一族を増やしていった。
いつしかそのリンゴはアメリカでもっともポピュラーな品種になった。

そして1980年、
ひとりのエンジニアが開発中のマシンに
好物のリンゴの名前をつけた。

リンゴの名前は
最初の一本を育てた若者にちなんで
マッキントッシュという。
2012年の今、世界でもっとも有名なリンゴだ。

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石橋涼子 12年8月19日放送



部活の話 山口良治の涙

無名の工業高校ラグビー部を
全国屈指の強豪校へと育て上げた
ラグビー部顧問、山口良治(よしはる)。
ドラマ「スクールウォーズ」のモデルと言ったほうがわかりやすい。

彼のモットーは
 99%信じても、1%の不安があったらその通りになる。
 100%信じきる事が大切。

信じることが力になる。そんな熱血先生の
もうひとつのあだなは、泣き虫先生だった。



部活の話 千田(ちだ)健一の五輪

千田(ちだ)健一は、
1980年モスクワオリンピックで
フェンシング代表に内定していたが、
日本が五輪をボイコットしたため、
幻の代表となってしまった。
その後、高校でフェンシング部顧問となり
何度も全国制覇を成し遂げたが、
五輪には複雑な感情を抱き続けた。

そんな千田(ちだ)の前にひとりの選手が現れた。
長男の健太だった。
部活の顧問と選手として、徹底的に鍛えた。
そして2008年、健太が北京五輪に出場したとき、
ようやくこう思えたという。

 来られて良かった。

千田の自宅には、今でも幻となった
五輪代表認定証が飾られている。

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石橋涼子 12年7月8日放送



2. 冒険の話 柳田國男

本を読むということは、大抵の場合において冒険である。
だから又、冒険の魅力がある。

こう語ったのは、
日本民俗学の祖として知られる柳田國男。
彼は子どもの頃から
膨大な量の書物に囲まれて育ち、
読書とともに大人になった。

そして、大人になるにつれて痛感するようになったのは、
書物だけで学ぼうとしたら一生かかっても足りない、
という事実だった。

柳田國男は、若干44歳でエリート官僚の道を退いた。
日本中の民間伝承を自分の足で探す冒険に出るためだった。

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石橋涼子 12年7月8日放送



6. 冒険の話 ソーントン・ワイルダー

冒険をしたいなあと思っているのは、
家にいて何事もないときである。
いざ冒険している時には、家にいたいなあと思う

こう語ったのは、アメリカの劇作家ソーントン・ワイルダー。
派手で社会的な演劇が流行した1930年代のアメリカで、
彼は、平凡な人々の平凡な日常を描き続けた。

しかし、そこでワイルダーが描いているのは、
私たちが平凡だと思っている日常が
いつもそばにあるものではなくて、
今ここにしかないものである、という事実だ。

今ラジオを聴いているあなたの日常も
今ここにしかないのと同様に。

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石橋涼子 12年6月17日放送


Saperaud
夫婦のはなし 辻邦生と辻佐保子

辻邦生(つじくにお)は学生時代に恋をして、

後の佐保子(さほこ)夫人と結婚した。



夫婦でパリに留学したのち、

夫は文学賞を受賞して小説家となった。

妻は美術史を研究し、学者になった。



辻邦生の小説が、独自の世界観を持ちながらも

歴史的背景がしっかりしているのは

妻・佐保子の存在あってこそだった。

ふたりで作り上げた小説は、夫婦にとって

子どものようなものだったのかもしれない。



なにしろ、辻邦生の代表作「反教者ユリアヌス」などは

夫婦の間で「ユリちゃん」と呼ばれ
愛されていたというのだから。

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石橋涼子 12年5月20日放送



植物のはなし 牧野富太郎の情熱

最終学歴、小学校中退。
独学で研究を続け、
植物学の父と呼ばれるまでになった牧野富太郎。

東京帝国大学の講師になっても、
理学博士号を授かっても、
野山をかけずり回って標本採集をするのが趣味だった。

どんなに貧しくても、珍しい植物を求めては旅に出た。
借金取りが押しかけて来ても、平然と植物の標本をつくっていた。

95歳で亡くなるまで少年でありつづけた植物博士の残した言葉。

草をしとねに 木の根をまくら 花に恋して90年



植物のはなし 牧野富太郎の感謝

植物博士、牧野富太郎の名付けは明快だ。
どこにでも生える図太い植物だから、ワルナスビ。
むじなの尻尾に似ているから、ムジナモ。
わかりやすさこそが、学問に必要なこと。

ただ一度だけ、例外がある。
貧しい生活を支え続けてくれた妻が亡くなったとき、
発見した笹にこの名を付けずにはいられなかった。
命名、スエコザサ。

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