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石橋涼子 15年11月8日放送

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matsukawa1971
夫婦のはなし 小津安二郎が描いた夫婦

小津安二郎の映画「お茶漬けの味」は
裕福だけれど、かみ合わない夫婦の物語だ。

真面目で努力家で無口な夫と
派手好きでお嬢様育ちの妻。
味噌汁かけごはんが好きな夫と
それを下品だと言って怒る妻。

育った環境も価値観もまるで違うふたりは、
話し合うことも歩み寄ることもせず
互いに距離を置く。
そんな夫婦の関係が変わるのが、
深夜にお茶漬けを食べる場面だ。

家事が苦手な妻と夫でたどたどしく準備をし、
ふたりで食卓につく。
夫が美味い。というと、
妻も美味しいわ。とつぶやく。
ひとりごとのような会話から、
わだかまりが溶け、ふたりの本音がこぼれ始める。

食卓を囲む風景が仲直りの象徴となるのは、
恋人ではなく、夫婦の物語ならではだ。

最後に夫がぽそりと言う。
これだよ、夫婦はお茶漬けの味なのさ

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石橋涼子 15年11月8日放送

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夫婦のはなし 前島密の家の顔

郵便制度の創始者であり一円切手の肖像・前島密は
先見の明を持ち行動力に溢れる一方、
自他ともに厳しく、真面目で質素な性格だった。

なにしろ、ある時期にテレビ局が
前島密を題材にドラマをつくろうとしたが、
面白みや華やかさが足りないという理由で
企画が途中で没になったのだという。

ところが夫婦で過ごす時間はまた別の印象だ。
歳を重ねても夫婦水入らずで旅行を楽しみ、
家では得意の尺八を妻の三味線と合奏する。
夫婦で映っている記念写真は
一円切手の肖像とは対極の、目じりの下がった笑顔だった。

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石橋涼子 15年10月18日放送

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モリッティオ
日本語のはなし 食卓の日本語

朝昼晩の食事のたび無意識に口にする
「いただきます」「ごちそうさま」。
この言葉は日本語ならではで、
外国語に訳すのは難しいと言われている。

四季に恵まれ、食材豊かなこの国には、
日本語ならではの食の表現が多い。

刻々と変化する四季に合わせて
季節の食材も「はしり」「旬」「名残」と区別される。
「おすそわけ」も日本語ならではだ。

新米のおいしいこの季節でいうと、
炊き立てのつやつやのごはんを、よそう。

装うとは、整える、飾る、風情を添える、と言う意味。

食材に敬意を払いながら
見た目にも豊かな気分でいただこうという気分は
きっと他の国にもあるけれど、
しっかり言葉になっているのは
うれしいことだと思う。

今日もおいしいごはんをよそって、
さあ、いただきます。

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石橋涼子 15年10月18日放送

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樹/Tatsuru
日本語のはなし 雨を表現する日本語

雨が多い日本には、
雨を表現する日本語も多い。

突然降り出す激しい雨は、驟雨(しゅうう)。
しとしとと降り続く雨は、地雨(じあめ)。
秋の長雨は、秋霖(しゅうりん)。
同じ長雨でも、すすき梅雨と呼ぶとお月見のころかと思う。

急に降り出した雨は肘でよけるから肘傘雨(ひじかさあめ)
庭に打ち水をするのも人工的な雨ととらえて作り雨。
木の葉からしたたる水滴は樹の雨と書いて,樹雨(きさめ)

季節によって、降り方によって、
また、雨がもたらす物語によって、
意味ある名前がつけられているのは日本語ならではだ。

日本語は、おもしろくて、難しくて、美しい。

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石橋涼子 15年9月27日放送

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班大貓
お茶のはなし お茶にまつわることわざ

いつものお茶を、ちょっと良いお茶に変える。
小さいけれど確かな幸福を感じる方法のひとつだ。

高級茶といっても、昔ながらの老舗の玉露もあれば
ワインボトルに入った一風変わった水出し緑茶もある。

古いことわざに うどんで茶を食う という言葉がある。
つゆではなくお茶でうどんを食べるということだが、
ただ変わったことをするという意味ではない。
贅沢の限りを味わい尽くした人が、
あえて風変りなことを楽しもうとするという意味だ。

良いお茶はおいしいし、うれしい。
うどんをお茶につけるところまで極めるかどうかは、
あなた次第。

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石橋涼子 15年9月27日放送

150927-07

お茶のはなし ふたつのカフェー

日本の喫茶店文化の始まりは、
1911年、銀座にオープンしたふたつのカフェだった。

カフェー・プランタンは
パリの最先端を取り入れた文化人のための店。
カフェー・パウリスタは低価格で
誰でもコーヒーを楽しめる庶民派カフェ。

まったく異なるふたつの店が同時に開店したことで、
多様な人と価値が集う喫茶店文化が花開いたのだった。

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石橋涼子 15年8月30日放送

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涼菓の話 藤原定家のかき氷

現在も夏の甘味の代表であるかき氷が、
平安時代に存在していたことはご存知だろうか。

当時のかき氷は、天然の氷を刀で削ったもので、
枕草子や源氏物語にも登場する。
夏、貴重な氷を口にすることができたのは、
一部の限られた貴族だけ。
暑さ対策であると同時に、特権階級のステイタスでもあったのだ。

新古今和歌集の編纂で知られる鎌倉時代の歌人
藤原定家は、56年に渡って日記を書き続けた。
後鳥羽上皇に召し上げられた絶頂期の日記には

氷を頂いたので、自ら削って涼を楽しんだ。

と言った内容が上機嫌に綴られている。
その後、後鳥羽院との関係は険悪になり
謹慎を言い渡されるまでに至る。
しかし、院の失脚により再び返り咲く。
60代半ばの、ある夏の日の日記はこんな内容だ。

久しぶりに氷を贈られた。
昔は宮中に上がるたびに氷を味わったものだ。

公家社会の中で浮き沈みを繰り返し
酸いも甘いも味わい尽くしたであろう定家は、
貴重な夏の涼を口にして、何を思ったのだろうか。

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石橋涼子 15年8月30日放送

150830-06

涼菓の話 カルメンの氷菓子

カルメンと言えば、
すべての男を惑わせる危険な女の代名詞だ。

カルメンの原作は、
スペインを訪れたフランス人学者の一人称で語られている。
語り手である学者もカルメンの魅力に惹かれたが、
ドン・ホセのように破滅するほどには溺れなかった。
それは、カルメンとの出会いが
灼熱のスペインの太陽の下ではなく日没時だったからかもしれない。
ふたりで食べたのが肉料理ではなく氷菓子だったからかもしれない。
学者はこう語る。

 今日は一つ、悪魔の侍女とひざをつきあわせて
 氷菓子を食べてやれ。
 旅先ではどんなことでもやって見なくては。

いやいや、冷たい氷菓子で心身ともに涼んだおかげで
カルメンの熱に囚われずに済んだのではないでしょうか、先生。

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石橋涼子 15年6月28日放送

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お米の話 大阪の飯炊き仙人

大阪の大衆食堂で50年にわたり
ぴかぴかの銀シャリを炊き続けた村島孟(つとむ)は
人々から愛情をこめて「飯炊き仙人」と呼ばれた。

少年時代に終戦を迎え、食べるもののない時代を経験した。
もともとは料理人になりたかったという村島は、
大人になり名店と呼ばれる店をひたすら食べ歩き、
そして気づいた。
「一流の料亭でも、ご飯の味はイマイチじゃないか」と。

東京五輪の年に一念発起、脱サラして食堂を始めた。
おかずづくりはすべて妻にまかせ
自分は飯炊きに専念した。
毎朝4時になるとかまどに火を入れ、
上半身裸になり、ひたすら米を炊きつづけた。

仙人は、「匂いがつく」と言って魚も肉も包丁も触らない。
長年飯炊きにつかい続けた木しゃもじには
彼の手形がくっきり残っているという。

 出来の悪いのが飯(めし)
 まあまあなのがご飯、
 最高に炊けたんが銀シャリや

そう語る飯炊き仙人の銀シャリを食べるために
1日500人もの人が店を訪れ、
かつて仙人が憧れた料亭の料理人たちも
その味を学ぶために通ったという。

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石橋涼子 15年6月28日放送

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お米の話 芦屋雁之助のおにぎり

山下清と言えば、ランニングシャツに短パン姿で
おむすびをおいしそうに頬張る姿だ。
そこで思い浮かべるのは、画伯本人ではなく
芦屋雁之助(がんのすけ)演じるドラマの中の
裸の大将ではないだろうか。

実は、晩年の芦屋雁之助は糖尿病を患っていた。
お米は食事制限の筆頭だ。
それでも笑顔でもりもりおむすびを食べ、
ファンからの差し入れのおむすびも
がっかりさせたくなくてきちんと食べたという。

彼が食べる素朴な塩むすびはなんとも美味しそうに見える。
闘病のつらさなど微塵も感じさせない
人としての魅力が味付けになっていたのかもしれない。

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