Okinawa Soba (Rob)
あいさつの話 鈴木健二の挨拶
挨拶という言葉はふたつの漢字でできている。
どちらの漢字も「押す」という意味を持っているが、
もちろん、押し合うだけでは挨拶にならない。
元NHKアナウンサーの鈴木健二氏はこう語る。
挨拶とはなにか?
それは、心を開いて相手に迫る
ということである。
相手に向かって踏み出す前に、
自分の心も開いて準備しよう。
Okinawa Soba (Rob)
あいさつの話 鈴木健二の挨拶
挨拶という言葉はふたつの漢字でできている。
どちらの漢字も「押す」という意味を持っているが、
もちろん、押し合うだけでは挨拶にならない。
元NHKアナウンサーの鈴木健二氏はこう語る。
挨拶とはなにか?
それは、心を開いて相手に迫る
ということである。
相手に向かって踏み出す前に、
自分の心も開いて準備しよう。
Akitoshi Iio
あいさつの話 阿久悠のさよなら論
さようならを英語で言うと「see you」
また会いましょうであったり、
「good luck」のように健康や幸運を祈る言葉になる。
世界のほとんどの言語で、
別れには希望や祈りが添えられている。
一方、日本語の「さようなら」は
もともとは「さようであるならば」であり、
ありのままを受け入れるという意味になる。
別れの事実だけを静かに受け止める言葉なのだ。
作詞家の阿久悠は「さようなら」を使う人が減っている、
つまり別れを自覚する人が減っていると嘆いた。
彼は言う。
人生の中で、別れということに無自覚なら、
感性をヒリヒリ磨くことも、感傷をジワッとひろげることも、
それに耐えることも出来ない。
なぜ、さよならを言わなくなったのであろうか。
人間はたぶん、さよなら史がどれくらいぶ厚いかによって、
いい人生かどうか決まる。
あなたが「またね」でも「お元気で」でもなく、
純粋な「さようなら」を最後に言ったのは
いつだろうか。
Aline Ávila
ねむりのはなし プーシキンと眠りの効能
近ごろ、
睡眠の科学的効能がよく語られる。
成長ホルモン分泌や大脳の疲労回復、免疫力の向上などなど。
そういった実利的なメリットも良いけれど、
ロシアの詩人プーシキンが語る効能も捨てがたい。
決定をあせってはいけない。
ひと晩眠れば良い知恵が出るものだ。
山積みの仕事で焦る手を止めて
一旦寝ようかな、という気分になる。
GetHiroshima
ねむりのはなし 水木しげるの睡眠至上主義
睡眠を削って頑張るのを
良しとする風潮が日本を覆っている。
嘆かわしい。
こう語るのは、漫画家の水木しげる。
睡眠至上主義を標榜する水木氏は、
どんな怪我も病気も
睡眠で癒すことができると豪語する。
朝、妻がこどもたちを起こそうとすると、
寝ているのを無理に起こすのは
体に悪いと言って止めに入るほどだ。
好きなだけ眠らずして、何が幸福だ
と言って、仕事を減らしたともいう。
そこまでいくと、
睡眠もほどほどが良いのではと思ってしまうが、
休日の午後、
誰も起きてこないで家の中がシーンとしていると
満ち足りた幸福感を感じる
という水木氏の言葉を聞くと、
すこしひんやりした家の空気と
かすかな家族の寝息が感じられて
つい睡眠至上主義に賛同したくなる。
旅のはなし メンデルスゾーンの旅する人生
作曲家のメンデルスゾーンは、
19世紀初頭、ドイツの裕福な家に生まれた。
幼いころから才能を開花させ
モーツァルトの再来と言われた。
20歳になると、実家の援助の元、旅に出る。
イングランド、ウィーン、フィレンツェ、ミラノ。
行く先々で刺激を受け、多くの名曲をつくった。
すべてに恵まれているように見えるメンデルスゾーンだが、
ひとつだけ、大きな不安を抱えていた。
彼の一族は突然死する人間が、とても多いのだ。
彼はこんな言葉を残している。
旅を思い出すことは、人生を二度楽しむことだ。
彼は、38年という短い生涯の割に
多くの作品が残っている。
一日をいかに濃密に生きるかに賭けていたからではないだろうか。
Dakiny
旅のはなし 星野佳路がすすめる旅
日本のある地方では、十五夜に綱引きをする。
ある地方では、ぜんざいを注文するとかき氷が出てくるし、
ある地方では、こどもたちが近所をねり歩いてお菓子をもらうのは
ハロウィンではなく七夕のイベントだ。
たとえ日本で暮らしていても、知らない日本はたくさんある。
星野リゾート社長の星野佳路(よしはる)は言う。
日本の文化を知るには、
旅をするのが最も味のある方法です。
ガイドブックと同じ景色を観るだけではつまらない。
からだ全部をつかって、旅しませんか。
誕生にまつわる話 ウィリアム・サローヤン
アメリカの作家、ウィリアム・サローヤン。
彼は貧しい移民の子として生まれ、
幼くして父を亡くし、
大恐慌時代に職を転々としながら青春期を過ごした。
恵まれた環境で育ったとは言い難い彼だが、
作品では庶民の生活を温かくユーモアたっぷりに描いた。
底抜けに明るくて、ときにセンチメンタルなストーリーは
大人からこどもまで多くの人に愛された。
彼はこんな言葉を残している。
自分の誕生に我々は関与できないのであるから、
生まれたということ自体、
すでに「生きよ」という運命の結末なのである。
サローヤンは、
人が生まれや育ちを選べないことをよく知っていた。
「どう生きるか」を選べるのは自分だけ、ということも。
苦労を重ねた作家は、苦労をそのまま描かない。
ただ、人生は幸せばかりではないけれど、不幸ばかりでもない。
そんなささやかな日常を描き、
人々に明日への夢と希望を抱かせるのだ。
大きな夢ばかりが、アメリカンドリームではない。
誕生にまつわる話 谷川俊太郎
芥川龍之介が描いた河童の世界では、
お腹の中の赤ちゃんに
この世に生まれたいかを問いかけ、選ばせる。
私たち人間はもちろん選べない。けれど
自分なりの答えを考えることができる。
10歳のこどもの質問
「人は、なにをしに生まれてくるのですか?」
に、詩人の谷川俊太郎さんはこう答えた。
人は何かをしに生まれてくるわけではありません。
生きているのが楽しくて
幸せだと思えるように生きる、
そのために生まれて、生きているんです。
さて、あなたの答えはどのようなものでしょう。
おやつのはなし ジョージ・ハリスン
ビートルズに「サヴォイ・トラッフル」という曲がある。
ジョージ・ハリスンによる作詞・作曲で
親友のエリック・クラプトンへ捧げた曲だという。
と言っても友情を歌っているわけではなく。
大の甘党で虫歯になったクラプトンをからかい、
チョコレートの名前をたっぷり歌いこんだ後に、歌詞はこう続く。
what is sweet now, turns so sour
今は甘いものが、あとで酸っぱくなるぞ
親友だから言える、甘い皮肉。
山のはなし 山本周五郎の歩く道
運は、運命だろうか。
ちがう。
運は、自分の手で呼びよせるものだ。
そう信じてひたすら努力を続けた男がいる。
作家・山本周五郎。
彼は23歳で文壇デビューを果たすが、
評価は思ったほど得られなかった。
学歴もない、師匠もいない、派閥にも属さない。
しかし、彼は書くことを選んだ。
もがき苦しみながら、ひとり、ひたすら書き続け、
自らの努力で作家・山本周五郎という存在に登り詰めた。
「ながい坂」という小説の中に
こんな一節がある。
一足跳びに山の頂点へあがるのも、
一歩、一歩としっかり登ってゆくのも、
結局は同じこと。
むしろ、一歩ずつ登るほうが
途中の草木や風物を見ることができるし、
一歩一歩を確かめてきたという
自信をつかむことができる。
努力。
それは泥臭くて、カッコ悪くて、
素晴らしい人生の喜びなのかもしれない。
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