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石橋涼子 13年8月18日放送



山のはなし 平櫛田中の人生観

人生は山登りに例えられることがよくある。
楽しむコツは、頂上ばかり見ないで
いま歩いている場所を大事にすること。

彫刻家の平櫛田中(ひらくしでんちゅう)は
100歳の誕生日を前に
今後30年分の彫刻の材料を買い求めたという。

 六十・七十は鼻たれ小僧。
 男盛りは百から、百から。

そう語る彼は、
今という場所の輝きを知っている人だ。

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石橋涼子 13年7月14日放送


dw_globalideas
海のはなし ミクロネシアの言葉

ミクロネシア連邦をご存知だろうか。
ギリシャ語で「小さな島々」を意味するこの国は、
文字通り、赤道沿いに浮かぶ607の小さな島で構成される。

ミクロネシアは約500年前に
欧米によって発見された。
もちろん、発見だなんて、よそ者の勝手な言い分で
それ以前から島の人々は平和に暮らしていたのだ。

以来、自然豊かなミクロネシアの島々は
多くの植民地戦争に巻き込まれ
歴史という名の嵐に翻弄され続けた。

ようやく独立を果たしたのは1986年。

ミクロネシアの人々が、
ミクロネシアの過去と未来のためにつくった
憲法の前文にはこう書かれている。

 戦争を知ったが故に、我々は平和を望む
 分割させられたが故に、我々は統一を望む
 支配されたが故に、我々は自由を求める

そして、その中の一文、

 海はわれわれを分かつのではなく一つにしてくれる。

彼らの切なる言葉は、なぜだろう、詩のように美しい。

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石橋涼子 13年7月14日放送


John-Morgan
海のはなし あるカヌー乗りの言葉

ハワイの海で伝統的なアウトリガーカヌーには、
神様がすわるシートが用意されている。
人々ははるか昔から
海の恵みも、試練も、神様とともに分かち合った。

 ある年配のカヌー乗りはこう語る。
 カヌーに一緒に乗れば、たとえ初めて会った人間でも
 その日から仲間であり家族になるんだ。

ということは、神様も家族。
苦楽を共にする存在は、それくらい近しい方がいい。
南国は、海も神様も人の心も、広々としている。

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石橋涼子 13年6月30日放送



プレゼントのはなし グレン・ミラーとプレゼント

ジャズのビッグ・バンド黄金時代を築いたと言われる
アメリカのミュージシャン、グレン・ミラー。
20代で主催したバンドの解散と破産を経験し、
第二のバンドは、妻の実家まで担保にして資金をつくった。

グレン・ミラーは、天才的に判断がはやく、主張を曲げない。
しかも周囲があきれるくらいの完璧主義。
バンドメンバーのなかには、グレンを尊敬するものと同じくらい
嫌うものが多くいた。

しかし全員が知っていることもあった。
貧しいバンドのためにグレンがいつも奔走していること。
時には自分のお金を出していること。
そして、必ずこのバンドが成功すると信じていること。

ようやくバンドが軌道に乗り始めた1940年のクリスマスイブ。
コンサートを終えたメンバー全員からバンド・リーダーに
プレゼントがあった。

 グレンへ。楽団員より。

それだけ書かれたクリスマスカードが添えられた、ビュイックの新車。

その瞬間、
一部のメンバーに冷血漢とまで言われたバンド・リーダーが
人目もはばからずに涙を流したのだった。

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石橋涼子 13年6月30日放送


jijis
プレゼントのはなし 完璧なプレゼントとは

コージーミステリーという小説ジャンルをご存知だろうか。
コージーは「居心地の良い」という意味。
タフな探偵も派手なアクションも無いけれど、
人生経験豊かな女性たちがおいしい料理とともに
日常を楽しむヒントを教えてくれる。

アメリカで人気のコージーミステリー作家
ローラ・チャイルズの作品には、こんな言葉が。

 抱擁は完ぺきな贈り物である。
 ひとつのサイズで誰にでも合うし、
 もらったものを返しても怒る人はいない。

温もりのある言葉とアツアツの紅茶は、
殺伐としがちなミステリーに、意外と合う。
一冊、自分に贈ってみてはいかがだろうか。

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石橋涼子 13年5月19日放送


きんちゃん
緑のはなし 室生犀星の感じた緑

新緑が芽吹き若葉の香り漂う五月は、生命力溢れる季節。
しかし一方で、五月病というものにかかる人もいる。

新しい季節が発するハツラツとしたエネルギーに、
すこし腰が引けてしまうのかもしれない。

そんなときは、室生犀星の
「五月」という詩を口ずさんでみよう。

 悲しめるもののために
 みどりかがやく
 くるしみ生きむとするもののために
 ああ みどりは輝く

緑の持つエネルギーは、きっと、あなたの糧になる。

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石橋涼子 13年5月19日放送


かずっち
緑のはなし フォーチュンの求めた緑

19世紀イギリスは、大航海時代とともに
庭園ブームがピークを迎えていた。
プラントハンターと呼ばれる人々が
まだ見ぬ植物を求め、はるか極東へやってきた。

アジサイやツツジなど色鮮やかな花に加え
彼らが求めたのは、「緑」だ。
冬の寒さ厳しいイギリスでは
一年中緑を絶やさない常緑樹が好まれたのだ。

アオキの苗を求めて日本へ上陸したプラントハンター
ロバート・フォーチュンは、こんな感想を記した。

 いや、まったく、
 これらの島々は庭園の趣というより
 むしろ自然の庭園そのものであった。

彼らにとって日本は
黄金の国よりもはるかに魅力的な、緑の国だった。

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0歳11カ月の育児のお話し。

10カ月の回で「熱出し過ぎ!」と書きましたが
今回は、「熱出るたびに成長し過ぎ!」という話しです。

本当にこどもは熱を出して寝込むたびに
すくすくと成長するのです。

体調が悪い間はこどもの機嫌も悪いので
親が成長に気づく余裕が無いだけだった、
ということなのかもしれませんが。

しかし事実として成長するのです。
サイヤ人並に(図参照)。

いきなり「あかんべえ」を覚えたり
ストローで吸えるようになったり
踊ったり離乳食おかわりしたり
おかあさんのパンツかぶったり…。

そして!
とある発熱の後、すーさんは「たっち」をしたのです。
二本の足で立ったんですよ!!
もう赤ちゃんじゃない!!
すごい!

その一回だけでしたが。
同じ月齢の子に比べると、だいぶのんびりしたペースですが。
それでも確実に成長しています。

この調子であっという間に立って歩いて走って母の元を飛び出して
恋して青春して盗んだバイクで走りだしてだめだなんか泣けてきた。
一瞬一瞬の成長は輝かしいんですが、
遠い未来まで想像すると、かあさん良くも悪くも泣いちゃう。
ずっと赤ちゃんでいろ!と思っちゃう。
それはそれで大変だけど。

そんなすーさんも、来月には1歳。
かあさんやっぱり泣いちゃう。

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石橋涼子 13年4月21日放送



出会いのはなし ロダンと花子

66歳のオーギュスト・ロダンは、
マルセイユの博覧会で
花子という日本人女優に出会った。
彼女の苦しみや怒りの演技に衝撃を受け、
楽屋に押し掛けてモデルになるよう頼んだという。

一方の花子はというと、
日本で二度の結婚に失敗し、頼る家もお金もなく
34歳、単身死ぬ気で海を超えた。
必死に芝居を続けたある日、
有名な芸術家が自分を求めて現れたのだった。

多くの評論家が運命の出会いと語るこの瞬間、
彼女はこう思ったという。

 なんだか汚いじいさまだな。

思い出は見る角度によって違うけれど、
どんな出会いも限りない可能性を秘めている。

花子はモデルの依頼を引きうけ、
ロダンから家族同様に愛された。
ロダンは、毎日のように花子を招き、
58点もの作品をつくりつづけた。

この春、あなたにいい出会いがありますように。

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石橋涼子 13年3月10日放送



出発のはなし5 広岡浅子の推進力

大阪屈指の両替商、加島屋の若旦那の花嫁は、
京都の豪商三井家のお嬢さんだった。
広岡浅子、17歳。

世が世なら、坊ちゃん育ちの夫と一緒に
おかみさんとして優雅に暮らしたのかもしれない。
しかし、時は明治維新まっただなか。
幕末の混乱とともに両替商は軒並み倒産した時代だ。

数字に強く、時代を読む能力にもたけ、
なによりも負けず嫌いな浅子は、
のんびり屋の夫に代わり店を切り盛りした。
借金を踏み倒そうとする大名や武家には
武士道を説いて諭し、
事業拡大した炭鉱経営では護身用のピストル二丁を手に
荒くれ男たちと寝食をともにしたという。

歴史の中で潰れる運命にあった加島屋は、
浅子によって銀行・商社・保険業まで手がける
大企業へと成長した。

波乱の時代に臆することなく前進し続けた彼女の、
出発に対する持論。

 何でも初めから無理と思うたら、
 結果もそのようになります。
 無理でも目的を立てて、どないしたら完遂でけるか、
 焦点を絞っていくことが大切どす。

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