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石橋涼子 17年11月26日放送

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JeepersMedia
香りの話 香りと味の関係

料理の味は、8割近くが香りだという。
香ばしい醤油の匂い、肉の脂が焼ける匂い、
爽やかな柑橘の匂い、温かい煮込みの匂い。
美味しい匂いは、私たちの食欲を刺激する。

その一方で、こどもが苦手なピーマンに代表されるように、
体に良いものが、いい香りとは限らない。

アメリカのコラムニスト、ダグ・ラーソンの言葉。

 緑の野菜がもしベーコンのような匂いだったら、
 人間の平均寿命は格段に長くなっていただろう。

すっかり深まった食欲の秋。
栄養バランスも、大切に。

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石橋涼子 17年11月26日放送

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Dovima-2010
香りの話 ジバンシィのつくった香り

デザイナーのジバンシィは、
女優オードリー・ヘップバーンを
ファッションの面で支えた存在でもある。
『ティファニーで朝食を』と聞いて
誰もが思い浮かべる黒のドレスも、彼の作品だ。

ジバンシィはオードリーのために
ドレスだけでなく、香りもデザインした。
香水の名前は、ランテルディ。
「禁止」を意味するフランス語で、
この香りを気に入ったオードリーがジバンシィに
私以外に使わせてはダメよ
と言ったことから命名されたのだとか。

オリジナルのレシピは、
清楚でフローラルな中に芯の強さが感じられる、
ジバンシィのミューズにふさわしい香りだったという。

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石橋涼子 17年10月29日放送

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写真のはなし カメロンの理想の美

写真技術が誕生して間もない時代に活躍した
ジュリア・マーガレット・カメロン。

彼女のキャリアは始まりが遅く、48歳から。
娘夫婦から写真機を贈られたのがきっかけだったという。
しかし、それからは周囲が驚くほどの熱意で写真術を学び、
精力的に制作活動を展開し始めた。

特に彼女が没頭したのが、
ラファエルの描く天使やアーサー王物語を題材にした、
芸術性の強い写真作品だった。

当時、写真は記録のための手段として認識されていたため
彼女の作品には厳しい評価が多かったが
カメロンは自分が理想とする「美」を写真で描くことに
多大な情熱を注ぎ続けた。

写真との出会いを、彼女はこう語る。

 私は先人たちの美をすべて捉えたいと切望していました。
 そして、ついに、願いが叶ったのです。

カメロンが生まれた家庭は、裕福であると同時に
美人揃いでも有名だったという。
そのなかで比較的地味な娘として育ったからこそ、
彼女の中には独創的で芸術性の高い
「理想の美」が生まれたのかもしれない。

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石橋涼子 17年10月29日放送

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写真のはなし 多彩なナダール

19世紀ヨーロッパでは、写真技術が確立し、
ポートレートを撮ることが大流行した。
そのなかで有名な肖像写真家が、フェリックス・ナダール。

彼は、ボードレールやドラクロワを始めとする
当時の文化人を多く撮影したが、
決して友人たちのおかげで名を残したわけではない。

ナダール自身が多彩な才能を持っており
ジャーナリストや風刺画家としても活躍しつつ、
熱気球を飛ばして史上初の空中撮影を成功させたり、
人工照明を用いた地下での撮影に挑戦したりと、
様々な試みでパリ市民の注目を集めた人気者だったのだ。

その縦横無尽な活躍ぶりを、ボードレールはこう評している。

 ナダールこそ、生命力の最も驚くべき現れだ。

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石橋涼子 17年9月24日放送

namida

涙のはなし 渥美清の泣いてたまるか

昭和41年に放送されたドラマ「泣いてたまるか」。
俳優の渥美清が、毎回違う役柄を演じる、
一話完結型の人情ドラマだ。

主題歌は、良池(よしいけ)まもるが詞を書き
渥美清が歌った。

天(そら)が泣いたら雨になる
山が泣くときゃ 水が出る
俺が泣いても 何にも出ない

だから、泣いてたまるか、と歌う渥美清が演じる主人公は、
毎回、異なる設定で異なる人生を背負っているけれど、
誰もがみんな不器用で真っ直ぐで、生きることに全力だ。
見ている方は、泣けるし、笑える。

庶民を演じて庶民を応援する、
渥美清らしさを味わうドラマ「泣いてたまるか」は、
「男はつらいよ」のルーツになったことでも有名だ。

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石橋涼子 17年9月24日放送

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涙のはなし バイロン卿の言葉

夜が怖くて泣いた子どもも、
お菓子を落として泣いた子どもも、
大人になると、なかなか涙を流さなくなる。
それは、心が強くなったということだろうか。

イギリスの詩人・バイロン卿の、こんな言葉がある。

忙しい人間は、涙のための時間を持たない。

大人が泣かないのはただ忙しいから、
と考えるのは少々寂しいものがある。

だからたまには泣こう、と言うのも極端だ。
たまに、子どもの頃に流した涙を思い出す
そんな時間を持ってみるのは、どうだろうか。

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石橋涼子 17年7月30日放送

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yoppy
青のはなし ブルーハワイの青い色

夏の定番と言えば、かき氷。
なかでも、夏らしいイメージで子供たちに人気のフレーバーが、
ブルーハワイ。

その由来は、1980年代に日本で流行したカクテルの名前だ。
遠い国の海を連想させる不思議な色あいの酒に
トロピカルな果物がたっぷりトッピングされたカクテルは、
大人のハートをがっちり掴んだのだろう。

色彩の心理学上では、青は、遠い地の象徴だとか。

ブルーハワイ。
大人心も子ども心もくすぐる、夏の青い色。

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石橋涼子 17年7月30日放送

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青のはなし 山口誓子の七月の青

現代的な俳句を数多く残した昭和の俳人、山口誓子。
彼が北九州の八幡製鉄所を訊ねた際に残した、夏の一句がある。

 七月の青嶺(あおね)まぢかく溶鉱炉

青嶺(あおね)とは、夏の青々とした木々に覆われた山のこと。
真っ赤に燃える溶鉱炉の熱気から逃れるように外へ出て、
製鉄所の周囲を包み込む夏の青さに心を奪われたのだという。

山口誓子は、自らの句の解説でこう語った。

 その「青嶺」は、夏の真盛りの青嶺であったから、
 私はそれを「七月の青嶺」と表現せずにはいられなかった。
 「七月」は伊達(だて)ではない。
 六月でもない、八月でもない「七月」である。

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石橋涼子 17年6月25日放送

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日記のはなし 意外と自由な土佐日記

日本文学史上初の日記文学と言われる「土佐日記」。
その内容は、フィクションありダジャレあり、
人情に歌、旅情もあり、なんとも自由なスタイルの日記であった。

何しろ最初の一文からして、自由だ。

 男もすなる日記といふものを、
 女もしてみむとて、するなり。

作者の紀貫之は男性だが、
女性としてこの日記を書いているのだ。

日記をつけようと思うと、面倒になることもある。
そんなときは、この偉大な日記を思い出して
自由な気持ちになってみよう。

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石橋涼子 17年6月25日放送

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日記のはなし 斎藤茂太の日記のススメ

モタさんという愛称で親しまれた
精神科医にして随筆家の斎藤茂太(しげた)。

父は斎藤茂吉、弟は北杜夫。
当然のように文才に恵まれたモタさんは、
医者として、人を元気にするために
「言葉の力」を使い続けた。

モタさんは、自分の言葉を伝えるだけではなく、
一人ひとりが自分自身の悩みや考えを
自らの言葉としてカタチにすることを大事にしていた。

そんな彼による、日記のススメ。

 日記は、誰も応援してくれる人がいないときにも、
 自分のための唯一の応援歌になる。

励ますでも諭すでもない、モタさんらしい薦め方。
未来の自分のために、今日、言葉を綴ろう。

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