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石橋涼子 17年5月28日放送

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beaufour
ダンスのはなし フランツ中佐のタンゴ論

映画「セント・オブ・ウーマン」は
アル・パチーノ演じる気難し屋のフランツ中佐と
苦学生チャーリーの、心の交流を描いた物語だ。

劇中、フランツ中佐が
女性をダンスに誘う有名なセリフがある。

 タンゴに間違いはない。
 人生と違って。
 足が絡まっても踊り続ければいい。

自分の間違いだらけの人生を嘲笑う気分だったのだろう。
それでも躍ればいいじゃないかと思えるこの台詞は、
物語の終盤、救いの言葉としてフランツ中佐の元に戻ってくる。

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石橋涼子 17年5月28日放送

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ダンスのはなし 妖精マリ・タリオーニ

バレエの歴史は、
ダンサーでもあった太陽王ルイ14世の時代に
大いに発展したと言われる。

当時、女性ダンサーは一般的なドレスとヒールで
踊るのが一般的だった。
そこに、つま先立ちで踊る技法、ポワント・ワークで
妖精のような軽やかな表現とともに現れたのが、
マリ・タリオーニだ。

詩人ゴーチエは彼女の踊りを
いかにも詩的に賛美した。

 天上の花の上を
 花びらをたわめることなく
 バラ色の爪先で歩く幸福な魂

痩せぎすでひょろりと手足の長い彼女は、
ひとたび踊り始めると
重力をまったく感じさせない優美な動きで
人々を魅了したと言う。

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石橋涼子 17年4月30日放送

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図書館の話  マルクスの図書館通い

カール・マルクスの「資本論」は、
大英博物館の図書室で書かれたと言われている。

祖国を追われ、貧しかったこともあるが
当時、世界で最も情報が集まる図書館という場が、
経済学者の思索を手助けしたとも考えられる。

30年の間、毎日のように図書館に通い続けた
マルクスが、資本論序文に書いた言葉。

 学問の急峻な山路をよじ登るのに
 疲労困憊をいとわない者だけが、
 輝かしい絶頂をきわめる希望をもつ

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石橋涼子 17年4月30日放送

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Damien
図書館の話  図書館の父、岡田健蔵

北方郷土資料の宝庫として有名な函館図書館には、
父と呼ばれる人がいる。
日本にまだ図書館がほとんどなかった明治42年、
私財を投じ、自宅を開放して図書館をつくった、岡田健蔵だ。

生活のすべてを図書館の活動と
資料の収集・保存に注ぎ込んだ。
貴重で高価な資料を買い集めるのも
財界人と親しくなって寄付を求めるのも、図書館のため。
岡田の家庭は、毎日の食事にも困るほど貧しかった。

そんな彼の遺言は、妻にたった一言。

 誰が来ても、生前の俺のことを絶対にシャベんなよ

多くの人に慕われ、評価されながらも、
地位や名声を一切求めなかった彼らしい言葉だった。
岡田健蔵の葬儀は、彼の愛した図書館で盛大に行われた。

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石橋涼子 17年3月26日放送

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風の話 ウォードの例え

アメリカで教育に多くたずさわった作家
ウィリアム・アーサー・ウォードが残した、こんな言葉がある。

 悲観主義車は、風にうらみを言う。
 楽観主義者は風が変わるのを待つ。
 現実主義者は帆を動かす。

そろそろ春らしい風を感じる季節。
心地いい追い風もあれば、
厳しい向かい風もある。

この春、あなたはどんな風を捉えるだろうか。

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石橋涼子 17年3月26日放送

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風の話 マーガレット・ミッチェルの風

「風と共に去りぬ」は、南北戦争時代のアメリカを舞台に
激動の人生を歩んだスカーレット・オハラの物語だ。

当初、出版社が想定していたタイトルは違うものだったという。
作者のマーガレット・ミッチェルは、
「風と共に去りぬ」が良いと思う理由をこう書き送った。

 去年の雪のように消え去った時代、
 戦争という風に吹かれて滅び去ったもの、
 風に立ち向かうのではなく、
 風と共に去った人々を象徴できると思うのです。

作者自身がモデルと言われている主人公は、
時代の風に翻弄されながら、
それでも明日に向かって生きることを、自ら選んだ。

どの時代も風は吹いているけれど、常に立ち向かわなくてもいい。
吹き飛ばされても、立ち上がればいいのだから。

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石橋涼子 17年2月26日放送

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hktang
手のはなし 西岡常一

「最後の宮大工」と呼ばれ、
法隆寺の大修理を手掛けたことでも知られる、西岡常一(つねかず)。

材料となる木を探すところから始め、
より良い仕上がりを求めて道具づくりから手がけ、
人を育てることも棟梁の役目と考える、彼の言葉。

 手でものを作りあげていく仕事の者にとっては、
 量じゃありません。
 いいもん作らなあ、腕の悪い大工で終わりでんがな。

西岡の手は、素晴らしい建築物だけでなく、
素晴らしい弟子や道具を、多数残した。

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石橋涼子 17年2月26日放送

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手のはなし 羽海野チカ

人は迷い、悩むとき、
つい、身動きがとれなくなることがある。

そんなときは、漫画化・羽海野チカが
作品を通じて語った言葉を思い出してみよう。
陶芸を学ぶ学生に老教授が言う。
答えが出ない時は手を動かすのが一番だ、と。

 家で頭を抱えても誰かに答えを聞いても
 わからん時にはわからんもんじゃ。
 じゃが不思議なもんで、一心不乱に手を動かし続ければ、
 出来上がった100枚目の皿の上に、
 答えが乗ってることもある。

メモ書きでも、料理でも、じゃんけんでも。
先生の教えにならって、悩んだときは
まず手を動かしてみませんか。

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石橋涼子 17年1月29日放送

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宇宙のはなし スルタン・ビン・サルマン

あまりにも近くにあると、
その存在の大切さに気づかないことが多い。

なんて言うと、恋愛の格言や仕事の秘訣みたいだけれど、
距離があるからこそ見える価値というものはある。
たとえば宇宙スケールの距離で。

1985年に、スペースシャトル・ディスカバリー号に乗った
サウジアラビア初の宇宙飛行士、
スルタン・ビン・サルマンはこんな言葉を残した。

 最初の一日か二日は、みんなが自分の国を指さした。
 三日目、四日目は、それぞれ自分の大陸を指さした。
 五日目、私たちの目にうつっているのは
 たったひとつの地球しかないことがわかった。

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石橋涼子 17年1月29日放送

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宇宙のはなし バズ・オルドリン

宇宙飛行士バズ・オルドリンの名を
知っている人は、あまり多くないかもしれない。
人類史上初めて月面に降り立ったアームストロング船長に続いて、
二番目に足跡を残した人物だ。

と言ってもやっぱり記憶に残りにくいだろうか。
では、もうひとつ。
バズ・オルドリンは、一本のボールペンで
月面からの帰還を成功させた人物、でもある。

どういうことかというと、
月着陸船イーグルの離陸スイッチが
アポロ11号に戻る前に壊れてしまったのだった。
オルドリンがとっさの機転で、
ボールペンを機械にさして代用しなかったら。
ほら、ちょっと忘れられない人物でしょう。

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