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石橋涼子 16年12月25日放送

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ことばの贈りもの ヘンリー・ファン・ダイク

今日はクリスマス。
ここ日本でも、家族へ、恋人へ、友人へ、
様々な贈り物が行き交う日。

今もまだ、大切な人へのプレゼントで悩んでいる人には
アメリカの聖職者であり教育者でもあった
ヘンリー・ファン・ダイクの言葉を。

 最高のクリスマスプレゼントは
 一番お金をかけたものではなく、
 一番多くの愛がこもっているもの。

もしも、プレゼント選びでへとへとになってしまったら、
それも贈りものの一部だと考えてみませんか。
メリークリスマス。

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石橋涼子 16年12月25日放送

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ことばの贈りもの ギャリソン・キーラー

ことしは三連休だったクリスマス。
もちろん、まだクリスマス気分がやってこない
という人もいるでしょう。

アメリカの作家であり
ラジオ番組の人気司会者でもある
ギャリソン・キーラーはクリスマスについて
こう語っている。

 クリスマスの素晴らしいところは、
 強制なことです。
 雷のように、みんな一緒に乗り切ります。

まだ今日という日は十分残っている。
嵐のような勢いでクリスマスがくるかもしれません。
おたのしみに。

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石橋涼子 16年11月27日放送

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のりものの話 仲津英治と新幹線500系

日本を代表するのりもの、新幹線。
英語でもshinkansenそのままで通じるという。

最先端技術の結晶のようなイメージがある新幹線だが、
開発当時に世界最速記録を打ち立てた500系は、
設計上の様々なヒントを、空を飛ぶ鳥からもらったという。

空気抵抗による騒音の原因だったパンタグラフは、
もっとも静かに空を飛ぶと言われている
フクロウの羽を研究し、改良のヒントとした。

高速でもなめらかに水面に飛び込むカワセミは、
水の抵抗を軽減するするどいクチバシが
新幹線の先頭デザインのヒントとなった。

当時の開発責任者だった仲津英治氏は言う。

人間は自然に学ぶべきだ。
自然に勝とう、自然を克服しようという考えがまちがっている。

自然の造形からたくさんのヒントを得た500系は、
静かさと速さを兼ね備えた新幹線となり、
奇しくも「近未来的なデザイン」という評価で
多くのファンを獲得した。

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石橋涼子 16年11月27日放送

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のりものの話 パスカルと公共バス

現代でもおなじみの移動手段のひとつ、公共バス。
その起源は、17世紀パリに遡る。

当時、馬車を所有できるのは裕福な貴族だけだった。
それを定められた路線と、定められた時間に運行することで
乗合馬車として誰でも使える移動手段にしたのだった。

アイデアを生み出したのは、あなたも知っているあの偉人。

 人間は考える葦である。

という言葉で有名な哲学者のパスカルだ。
パスカルの定理やパスカルの原理も偉大な業績だが、
公共バスだって負けないくらい偉大だ。

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石橋涼子 16年10月30日放送

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お風呂のはなし マリー・アントワネットの入浴習慣

18世紀のフランス王妃、マリー・アントワネットは
様々な流行を生み出したことでも有名だ。
彼女のファッションや習慣、好物などは
貴族の間で常に大流行した。

ルイ16世が民衆の飢餓対策のために
ジャガイモの栽培を広めようとした際には、
王妃がジャガイモの花飾りをつけたことで
普及に貢献したとも言われている。

ブームメイカーの王妃がもうひとつ
フランス社会に広めたものがある。

それは、清潔であること。

当時のフランスには入浴の習慣がなく、
香水は、体の臭いを隠すためのものだった。
お風呂好きのマリー・アントワネットは体臭を消す必要がなく、
爽やかで自然な香りを楽しんだという。

パリに下水道設備が整って入浴文化が定着するには
その後半世紀を必要としたが、
不衛生からくる伝染病に怯え続けた人々に
「清潔ブーム」をもたらした王妃の功績は、
意外と大きいのではないだろうか。

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石橋涼子 16年10月30日放送

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お風呂のはなし 貝原益軒の温泉療法

江戸時代の学者である貝原益軒が
健康にまつわる教えを書いた「養生訓」には
温泉の効果効能や正しい入り方が細かく記されている。

 温泉は、諸州に多し。
 入浴して宜しき症あり。あしき症あり。
 よくもなく、あしくもなき症有。

と、現代の温泉療法にも通じる知識から始まる内容は、
江戸の庶民に温泉ブームをもたらしたという。

実は、夫婦そろって病弱だったという貝原夫妻。
一方で仲はとても良く、夫婦で温泉療養にでかけたりしながら
お互いに長寿を全うした。
そんなほほえましいエピソードも、
効果効能に一役買っているような気がしませんか。

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石橋涼子 16年9月25日放送

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服のはなし イーディス・ヘッドの衣装デザイン

きらびやかで派手な衣装が主流だった
1900年代半ばのハリウッド映画界で、
女優ひとりひとりの魅力に合ったファッションを手がけたのが、
映画衣装デザイナーのイーディス・ヘッドだ。

自分のスタイルにコンプレックスを持っていたという
エリザベス・テイラーには、自慢のウエストを際立たせたドレスで
女優らしい魅力と自信を創り出し、
スリムなスタイルを活かしたオードリー・ヘップバーンの衣装では
「ローマの休日」の清楚なフレアスカート、
「麗しのサブリナ」のサブリナルックと
たてつづけに一世を風靡する流行を生み出した。

誰しも、その人の魅力を際立たせる服があると考え、
ひとつひとつの衣装を手がけたイーディス・ヘッドは
自分のブランドや店を持つことには興味を示さなかった。

ファッション・ビジネスから距離を置き
生涯、映画の裏方として衣装デザインを続けた彼女の言葉。

 私は流行を作り出したいのではない。
 ただ、女優たちの美しさを引き出したいだけ。

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石橋涼子 16年9月25日放送

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服のはなし 田島隆夫のきもの造り

白洲正子が銀座で染織工芸の店を営んでいたころ、
知人から紹介され、才能を見出したのが、
織司(おりし)の田島隆夫だ。

糸にこだわり、いざり機(ばた)という古い織り機で織る
彼の着物について、白洲正子はエッセーの中で
一度でもその着心地のよさ、ふっくらした糸の感触を知った人々は
もはや離れることはできないのだ。
と評している。

田島隆夫が織るのは、ほとんど無地か縞だ。色も多くを使わない。
自分の技巧を披露することもしないし、展覧会にも興味がない。
なぜなら彼の目的は織物ではないから。
彼はしきりに言った。

 自分はきものを造っているのだ、と。

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石橋涼子 16年7月31日放送

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記録のはなし 織田幹雄

1928年のアムステルダムオリンピックで
アジア初となる金メダルを獲得したのが織田幹雄だ。

種目は陸上、三段跳び。
織田は著書の中で
私はオリンピックの穴を狙った
と語っている。

この一見すると戦略家のような言葉は、
織田幹雄にはしっくりこない。
なぜなら、なかなか記録が伸びずに
オリンピック出場も危ぶまれ、
周囲から引退をほのめかされながらも
黙々とフォームの改良や基礎の徹底を続けた
織田の愚直なまでの努力を、多くの人が知っているからだ。

今、陸上の神さまと呼ばれている彼の言葉として
しっくりくるのは、こちらだろう。

 僕は「精進」という言葉を信条にやってきた。
 これは自分なりの解釈で
 「精を出せば、必ず進歩する」という意味です。

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石橋涼子 16年7月31日放送

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記録のはなし 前畑秀子

水泳選手の前畑秀子は幼いころから数々の記録を残し、
若干18歳でロサンゼルオリンピック日本代表に選ばれた。

結果は0.1秒差での銀メダル。金は逃したが、
自分が持つ日本記録を6秒も縮めた結果に、秀子は満足したという。

ところが、日本に戻った秀子を待っていたのは、
多くの人々からの「残念だ」という反応。
4年後のベルリンオリンピックに向けての重圧はすさまじく、
何度も何度も水泳を辞めようと考えたという。
それでも彼女を引き止めたのは、亡き母の教え
「やりかけたことは最後まで」の想いだった。

そんな前畑秀子が、五輪直前を振り返った時の言葉が残っている。

 優勝できなかったら、帰りの船から飛び込んで死ぬしかない。
 しかし自分は泳げる。
 さて、どうやって死ぬか。

何事も最後までやりとげる信念を持つ彼女は、
無事、ベルリンオリンピックで優勝し、
日本人女性初の金メダリストとなった。

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