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礒部建多 17年12月24日放送

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2人を繋ぐ贈り物

贈り物は、時に、
離れた2人を繋ぐ絆となる。

坂本龍馬は家に妻のおりょうを残し、
長く家を空けることが多かった。

寂しさを募らせるおりょうに、
龍馬は大きな贈り物を渡した。
長さ2尺もの月琴。添えられた手紙には
「我が身と思うて、膝に抱かれたく。」と記されていた。

龍馬の約束を信じ、おりょうは一人稽古を続けた。
しかし、1867年11月15日、龍馬は暗殺されてしまう。

本当に離れ離れになってしまった2人。
おりょうにとって、その月琴は、
かけがえのない龍馬そのものだったことだろう。

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礒部建多 17年10月15日放送

171015-07

ニーチェ 孤独と創作

173年前の今日は、
哲学者ニーチェが生まれた日。

「私の一切の努力は、
 理想的な屋根裏部屋の孤独を実現することだ。」

ニーチェは、自ら孤独をつくりあげることで、創作に励んできた。

「ツァラトゥストラ」の全篇は、
孤独に捧げられた熱烈な賛歌だと述べている。

しかし、一人の人間としてのニーチェは、
孤独についてこう語る。

「孤独な人間がよく笑う理由を、多分私は最もよく知っている。
 孤独な人はあまりに深く苦しんだために
 笑いを発明しなくてはならなかったのだ。」

数え切れないほどの孤独を、
ニーチェは創作にぶつけるしかなかったのかもしれない。

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礒部建多 17年10月15日放送

171015-08

ニーチェ 音楽と幸福

173年前の今日は、
哲学者ニーチェが生まれた日。

ニーチェは音楽をこよなく愛していたことでも有名だ。
自身で作曲もしていたし、
音楽の存在が、思索にも影響を与えた。

音楽の与える力を哲学化し、
他の芸術ジャンルに対する優位性を、
声高に主張したのが、「悲劇の誕生」であった。
ショーペンハウアーとヴァーグナーの芸術観の影響を
色濃く引き継いだものでもある。

「音楽がなければ、人生は誤謬であろう。」

ここまで言い切るニーチェは、さらにこうも述べる。

「幸福に必要なものは、ほんのわずかなものでいい。
 例えば、一つの風笛の音色でいいのだ。」

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礒部建多 17年8月27日放送

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陽気な王様

最も歴史あるフラの競技会、
「メリー・モナーク・フェスティバル」

「メリー・モナーク」とは英語で、「陽気な王様」という意味。
19世紀のハワイ王国時代のデビッド・カラカウア王の愛称である。

彼は、「ハワイの言語」を復活させるなど、
積極的に文化の保護を進めた。

そして国王の力を使い、伝統フラを復活させ、
新たに西洋音楽を導入したフラを奨励するなど、
フラを消滅の危機から救ったのだ。

「フラは心の言葉、すなわちハワイ人民の鼓動そのものなのです。」

デビッド・カラカウアの陽気さは、
フラを通じて、今もハワイアンの心に継承されている。

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礒部建多 17年8月27日放送

170827-04

伝説的ウォーターマン

サーフィンのメッカ・ハワイにおいて、
最も権威ある大会と位置付けられているのが、
「Memory of Eddie AIkau(メモリーオブエディーアイカウ)」

エディーとは、伝説的なライフガードである。
ワイメアベイという世界有数のサーフスポットで、
何百人もの命を救った英雄。

ジェットスキーも足ヒレもない時代。波はビルのような高さ。
それでも臆せず、エディーは溺れたサーファーを助けに向かったのだ。

そんなエディーを讃えるように、
サーファーたちが日常的に使う言葉がある。

「Eddie would go.(エディーウッドゴー)」

「どんな困難も、きっとエディーなら立ち向かっていたよ。」
その精神は、今もハワイアンたちを鼓舞し続けている。

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礒部建多 17年6月11日放送

170611-07
Phototravelography
レゲエの神様と雨

レゲエの神様、ボブ・マーリー。

生まれ育ったジャマイカには、
年に数ヶ月の雨季が訪れる。
ハリケーンが多いことでも有名な土地である。

ミュージシャンにとって
雨は歓迎すべきものではない。
特に野外ライブなどにとっては、大敵である。

しかし、ボブ・マーリーは、
雨そのものを疎まない。

雨を感じられる人間もいるし、
ただ濡れるだけの奴らもいる。
 (Some people feel the rain. Others just get wet.)

森羅万象に研ぎ澄まされた目を向ける。
そんな心の豊かさが、
「神様」とまで崇められる、
一つの理由なのかもしれない。

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礒部建多 17年6月11日放送

170611-08

チャップリンと雨

チャーリー・チャップリン。
「喜劇王」と呼ばれた男の幼少期は、
辛く、厳しいものであった。

非常に貧しい家庭に生まれ、
わずか7歳にして救貧院に預けられる。
幾つもの救貧院を転々とする間に、
母は心の病を患い、精神病院へと運ばれてしまう。

人前では明るく振る舞いながら、
ただ一人、悲しみに耐えていた。

いつでも雨の中を歩くのが好きでした、
雨の中なら誰も僕の涙は見えません。

チャップリンらしい「ユーモア」や、
時折現れる、「哀愁」や「怒り」。
そのすべての秘密は、幼少期の体験にあるのだろう。

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礒部建多 17年4月16日放送

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天才的音楽家

今日はクラーク博士が
「ボーイズ ビー アンビシャス」
の言葉を残した日。

稀代の音楽家、ヨハン・セバスチャン・バッハ。
彼の才能は、幼い頃から光り輝いていた。

ヨハン少年が11歳の時のこと。
初めてオルガンに触れたのにも関わらず、彼は完璧に演奏してしまったのだ。

有名な音楽一家に生まれたが、
その家族全員からも一目置かれた存在だった。
音楽の先生であった兄は教育のために、
ヨハンにあえて楽譜を一切見せないようにした。
下手に他の音楽家の癖や影響を受けて、創造性を損なわせないためだ。
ヨハン少年は、誰よりも純粋に自分の音楽と向き合っていった。

そうして後に、「近代音楽の父」と呼ばれるまでに成功を収めることになる。
音楽の境地へと辿り着いたヨハンは、こう述べたと言う。

 「音楽の究極的な目的は、神の栄光と魂の浄化に他ならない。」

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礒部建多 17年2月19日放送

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悪役の素顔

今日、2月19日は、プロレスの日。

悪役は、リングを降りても悪役でなければならない。
ただ、素顔はどうか。

190cm、120kgという大柄な体格。
「狂える虎」と呼ばれ、悪役として一世を風靡した、
タイガー・ジェット・シン。

プライベートで移動していたときのこと。
シンは、握手を求めてきたファンを蹴り倒したのだ。

バスに乗り込んでからのシンは俯き、無口のまま。
しかし少しして、スタッフにこう話しかけたと言う。

「さっきの彼、怪我しなかったかな。」

「稀代の悪役」であったことは、間違いない。
ただ、人の痛みが分かる人間であったことも、また事実なのだ。

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礒部建多 17年2月19日放送

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NWharry
プロレスのテーマ

今日、2月19日は、プロレスの日。

ザ・ファンクスであれば、「スピニング・トーホールド」、
ジャイアント馬場であれば、「王者の魂」。

プロレスにとって欠かせない、
「選手のテーマ曲」という演出も、
最初からあったわけではない。

1977年2月、
仮面貴族と呼ばれたミル・マスラカスのテーマ曲として、
全日本プロレス中継のディレクター・板垣進が
「スカイハイ」を流したのが、
テーマ曲が注目されるきっかけとなった。

曲がかかれば、
観客から拍手と大歓声が生まれ、
選手の闘志に火がつく。
板垣のひょんなアイデアが、
会場の一体感を強固なものにした。

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