‘礒部建多’ タグのついている投稿

礒部建多 16年2月28日放送

160228-06

バカヤローの曲作り

2月28日。
今日はバカヤローの日。

“何てモノを作っちゃったんだ。これで俺の人生は終わりだ”
若い頃、アルバムを完成させる度に
こう嘆いていたのは山下達郎。

「Ride on time」、「Melodies」
アルバムに収録された名曲たちに、
山下は一度もOKを出したことはない。
常に最後の1秒まであがいて、
タイムアップと同時に曲ができる。

ライブにおいても、
楽しんで演奏したことなど一度もないと言う。
バンドマスターとして、完璧に演奏がなされているか
気になって仕方ないのだ。

そんな職人気質で、バカがつくほどの生真面目さが、
山下の愛される理由でもある。

topへ

礒部建多 15年12月20日放送

151220-04
pellaea
十三と音楽

 音楽がわからない、という状態が
 ずいぶん永く続いたように思う。

あるエッセイを、伊丹十三はこのような書き出しで始める。
その理由は幼少期の環境にあった。

小中学生の頃、伊丹の周りには、
音楽的教養の高い子どもばかりだった。
自分だけ例外なことに、コンプレックスを抱いていた。

21歳の時、伊丹は初めてヴァイオリンと出会う。
独学で練習を始めると、ひたすらのめり込んでいった。
そして後にこんな言葉を残す。

 楽器とはその人の終生の友である。
 決して裏切ることのない友である。

好きになれる天才。
それが、伊丹の多彩な才能の原点かもしれない。

topへ

礒部建多 15年12月20日放送

151220-06

脚本の書き方

伊丹十三は、何者か。
多彩な才能を持っていたが、
やはり映画監督・脚本家の顔が有名だ。

とある番組で、
伊丹は脚本を考える際のテクニックを説明した。

 「絶対にクライマックスを設定して書くこと。」
 「クライマックスを主人公が乗り切って終わること。」
 「セリフは最後に書くこと。」

それは意外にも、
教科書に載っているような平凡な内容だった。
しかし伊丹は、こう付け加える。

 まあ、脚本というのはゴールではなくて、
 そこからどこまで飛ぶかというスタート台だからね。

伊丹十三は、何者だったのか。
誰も真似のできない天才でしかなかったのか。

topへ

礒部建多 15年8月16日放送

150816-02
DBduo Photography
炭坑節

「月が出た出た月が出た」
日本中の盆踊りで、最も親しまれているのが炭坑節。
もとは福岡県田川市の小さな炭坑で生まれた
地方民謡だった。

炭坑節の流行は
戦後に発売されたレコードが次々にヒットしたことによるが
その皮切りとなったのが、
1948年に発売された芸者歌手赤坂小梅の炭坑節だった。

4拍子の軽快なリズム、快活な旋律に、力強い歌声。
日本の復興を信じ、
日夜労働に励む人々にとって、
大きな励みになった歌だった。

topへ

礒部建多 15年8月16日放送

150816-07
hanapapa
福島の盆踊り

「先祖の霊を迎え慰め、彼岸に送り返す仏教行事」
というのが盆踊りの由来。

「あまちゃん」などで知られる音楽家の大友良英が主催する
福島復興のための「プロジェクトFUKUSHIMA」では、
メインイベントとして、盆踊りが取り入れられている。

昔も今も、
人々の心に安らぎをもたらしてくれる盆踊り。
「ドドンがドン」の掛け声に合わせて
老若男女誰しもが、不思議と笑顔になっていく。

topへ

礒部建多 15年5月31日放送

150531-01

明治のパパラッチ

明日6月1日は、写真の日。

明治天皇は、極度の写真嫌いで有名だった。
しかし、そんな明治天皇を初めて写した写真がある。
写したのは、オーストリア出身の写真家、スティルフリード。

艦隊に随行する形で日本にやって来たスティルフリードは、
1872年、横須賀造船所を訪れた天皇一行を無断で撮影。
明治政府の没収を逃れ、国外に持ち出された。

公式に残る明治天皇の写真は、たった2枚のみ。
大きな波紋を呼んだその「パパラッチ写真」も、
後に貴重な歴史的資料となった。

topへ

礒部建多 15年5月31日放送

150531-04

リアリズムと写真

明日6月1日は、写真の日。

「写真は絵画の代替物である。」
第二次世界大戦以前の日本では、写真に対する評価は低く、
浮世絵の模造品のごとく、
シンプルな風景を撮影したものがほとんどだった。
土門拳は、そんな日本写真の呪縛を打ち破りたかった。

対象物を性格に描写するようなリアリズム。
真実を追求し、現在を撮る。
写真は肉眼を遥かに越えることを、土門は証明していった。

 実物がそこにあっても、実物を何度見ていても、
 実物以上に実物に見える。そんな写真が、本物である。

土門の鋭い眼差しは、
被写体を見つめているのではない。
被写体を暴いているのだ。

topへ

礒部建多 15年4月19日放送

150419-01

シュバイツァーと猫

4月19日、今日は飼育の日。

医師アルベルト・シュバイツァー。
暗黒大陸と呼ばれていたアフリカへ旅立ち、
病める人々への治療に人生を捧げた。
1952年、彼の献身的な活動にノーベル平和賞が贈られた。

そんなシュバイツァーは、無類の猫好きだった。
仕事机には常に猫が乗り、資料の上になりふり構わずのけぞり返る。
過酷な状況で働くシュバイツァーにとって、
猫の純粋無垢な姿こそ、心の支えだった。

 「人生の惨めさから抜け出す唯一の方法は、音楽と猫だ。」

のんきに生きていた彼の猫は、
いつしか世界平和に貢献していたのだ。

topへ

礒部建多 15年4月19日放送

150419-02

犬を愛した藩主
 
播磨姫路藩第2代藩主 酒井忠以(さかい ただざね)。
生類憐れみの令の影響もあり
特に犬を溺愛することで有名だった。

ある時、幕府から重要な命を受け、
京都に出向く事になった忠以。
出発の朝、飼い犬は玄関まで出てくると、駕籠から離れようとしなかった。
その姿に心打たれ、やむなく京都まで愛犬を連れて行く。
以後も参勤交代の際には、忠以は常に犬を連れていった。

後に、このエピソードが世に広まると、
この犬には貴族と同じ六位の位を与えられた。

「犬は自分を人間だと思っている」と言われるが、
この時代には人間以上の犬が、たくさんいたのだ。

topへ

礒部建多 15年3月8日放送

150308-01
yto
水木しげるとジャンクフード

今日は、漫画家水木しげるの誕生日。

93歳になる今でもハンバーガーや、牛丼、
スナック菓子など、ジャンクフードを好んで食べる。
彼には、一切の健康法はないと言う。

 何が体にいい、悪いなど気にせず、
 おいしいものをおいしく食べる。

思うままに、楽しみ尽くそうとする。
水木は人生に、希望しか見いだしていない。

topへ


login