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茂木彩海 15年9月27日放送

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border.garaku
お茶のはなし カフェは自己表現

カフェにとって
おいしいコーヒーや紅茶と同じくらい重要なのが
居心地の良い空間作り。

90年代半ばに起こったカフェブームの渦中、
鎌倉にカフェをオープンし、以来
観光客からも地元の人からも愛されている店、
カフェ・ヴィヴモン・ディモンシュ。

生豆から焙煎するコーヒーはもちろん、
ブラジルまで足を運んで選ぶボサノバのレコードに
こだわり抜いたインテリア。お茶の味を邪魔しないお菓子。

マスターの堀内隆志さんはいう。
「アーティストが絵を描くように、
僕にとってカフェは自己表現のひとつでした」

そのこだわり、ひとつひとつが集まれば、
お茶はもっとおいしくなれる。

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茂木彩海 15年8月30日放送

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jasonlam
涼菓の話  スイカのようなコーヒーゼリー

東京、南千住駅から徒歩7分。
東浅草二丁目の交差点近くにある喫茶店、『カフェ・バッハ』。

ここに昭和43年の創業から作られているコーヒーゼリーがある。

コーヒーゼリーはふつう、ミルクを掛けたり、
シロップを掛けたりして食べるものだが
『バッハ』のコーヒーゼリーはひと味違う。

ガラス製のコンポートに流し固められたゼリーの上に、
どっしりと濃厚なブラマンジェが重なっているのだ。

スプーンですくいあげ、黒と白のコントラストを楽しみながら
口へ運べば、2つの味わいが口の中で溶けあって
贅沢この上ない。

このコーヒーゼリー。
実は、メニューに並ぶのは夏の間だけ。
その理由を店長の山田康一さんはこう語る。

ゼリーに旬があるかどうかはまた別にしても、年中あると、
なんとなく感動が薄れてしまいますので。
やっぱり、スイカみたいな感じで、夏本番になるとなんとなく食べたくなる。

ほろ苦い大人の思い出で夏を締めくくるのも
悪くないかもしれない。

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茂木彩海 15年8月30日放送

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オーイシ
涼菓の話  わらび餅のわらび

わらび餅の歴史は古く、
寛永20年に書かれた「料理物語」にはこんな記載がある。

粉一升に水一升五合もいれ、よく溶きてこねそうらいてよし

簡単なレシピだが、実はわらび粉は
10kgのわらび根からわずか70gほどしか採れない貴重品。

いまはサツマイモなど、別のデンプンで代用するのが主流になっている。

本物のわらび餅はねずみ色をしているというが、はたして。
夏が終わる前にお目にかかりたいものだ。

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茂木彩海 15年6月28日放送

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お米の話 雲水のお粥

行く雲と流れる水のようにその地にとどまらず
修行をする行脚僧を、雲水という。

その雲水たちが欠かさず食べるのが、お粥。
その功徳は「粥有十利(しゅうゆうじり)」と言い、10個にものぼると言われている。

一、肌つやがよくなる
二、気力・体力が湧いてくる
三、老化を防ぎ若さを保つ
四、食欲を抑え、食べ過ぎない

…などなど。

お米をいただくのに一番シンプルな方法は
心とからだに一番シンプルで大事なことを教えてくれる。

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茂木彩海 15年6月28日放送

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cyclonebill
お米の話 隆慶一郎の握り飯

脚本家である隆慶一郎は小学生のころ、
夏休みになると毎年一人で長野市の祖父の家へ帰郷していた。

滞在中よく山へ登っていたのだが
道なりに登るのも飽きてしまい、大胆に林を分け入ってしまったある日。

ふと気づけばあたりはうっそうと茂る森の中で、
帰り道などまったくわからない。焦る少年に雨まで打ち付け、不安をあおる。

ポケットを漁ると昼に食べ残した握り飯がひとつ。
一口だけ噛み締め、もったいないので何度も噛んでいると、
米が甘いことをはじめて知った。落ち着きを取り戻し、
なんとか知っている道にたどり着いたのは夜も深くなったころ。

隆は言う。

 うまい米とうまい味噌汁があれば何もいらない。
 これはこの時の迷子の後遺症にちがいない。

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茂木彩海 15年5月24日放送

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arch-hiroshima
あいさつの話 野村謙二郎、最後の挨拶

入団3年目に一度、その後は優勝と縁がないまま引退した
元広島カープの野村謙二郎。
低迷が続き、客席もまばらだった球場が
自分の引退試合で満員となった。

球場に駆けつけたファンに向かって、野村は最後にこんな挨拶を残している。

 こんなにたくさんお客さんが入ってくれると楽しくないですか、皆さん!
 僕は引退しますが、カープは新しい一歩を踏み出した気がします。
 今日集まっている子供たち! 野球はいいもんだぞ! 野球は楽しいぞ!

未来のカープを担う子供たちにストレートに投げかけた最後の挨拶は、
会場にいた子供たちに届き、その家族に届き、
いまや球場を連日満員にする新生カープの誕生に繋がっている。

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茂木彩海 15年5月24日放送

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carlota
あいさつの話 フラワーカンパニーズの挨拶の歌

1998年10月、とあるロックバンドが解散の危機を迎えていた。
フラワーカンパニーズ。男4人、名古屋で結成されたバンドだ。

結成後、トントン拍子で東京へ進出。
CDデビューを果たし、人気もそれなりに出ていたが
それなり、故に煮詰まってしまい
バンドのコンセプトも定まらないまま、演奏が悪い、歌詞が悪いと
メンバーの間でお互いの評価を下げ合っていた。

ギスギスした関係の中で迎えた日比谷野外音楽堂でのライブ。

そこで歌われた10枚目のシングル、「元気ですか」。
未来の自分に向かってこんな挨拶を贈る歌だ。

 お元気ですか お元気ですか 未来の俺 未来の君は
 ほがらかですか すこやかですか 未来の風 未来の日々は
 笑ってますか 夢見てますか 未来の俺 未来の君は

ボーカルの鈴木圭介は後のインタビューで
このライブが終わったら解散しようと思っていた、と語っている。

それを思い止めたのは、歌う途中、未来の自分から
「元気ですよ」と小さくとも、確かな挨拶が
聞こえたから、なのかもしれない。

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茂木彩海 15年4月26日放送

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stardust69
ねむりのはなし 滝本淳助の夢

夢を見ると、なにかと解釈をつけたくなってしまうもの。

しかし、いい夢には、理由なしに納得させられてしまう
強い情景があるものだ。

そんな夢の一例として、カメラマンであり
長年、眠りの中で見た夢を記録し続けている滝本淳助の夢を
ひとつ、ご紹介したい。

 街で僕の前を歩く、女性の靴のかかとを支える部分が
 水槽になっていて、それぞれ金魚が泳いでいる。
 今年の夏の流行りなのか、と思う。

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茂木彩海 15年4月26日放送

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colindunn
ねむりのはなし ラリー・ペイジの夢

夢は見るものではなく、叶えるもの。
とはよく言うが、実際に寝ている間に見た夢を
そのまま叶えた強者がいる。

Google創設者、ラリー・ペイジ。

23歳のとき、夢か現実か分からないような生々しい夢を見て、
その途中で、こんなアイデアを思いつく。

すべてのウェブサイトをダウンロードできて、
そのリンク先を記憶しておけたら、どうなるだろう。

のちの検索エンジン、Google誕生の瞬間だ。

母校の卒業式でゲストとして招かれたラリーは、スピーチの中で
後輩達にこんな言葉を残している。

 壮大な夢を実現しようとする人たちの世界は、そんなに競争が激しくない。
 なぜか。同じことをやろうとする人がほとんどいないからです。

夢が目の前に現れたら、迷わずつかむ。
今日から、眠っている間も気が抜けない。

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茂木彩海 15年3月15日放送

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旅のはなし 日本人の旅

庭は限られたスペースに自然を創造し、
盆栽は鉢の上で大木を再現する。

日本の弁当は美しい食卓の縮小であり
俳句はわずか17の文字で森羅万象を表現する。

縮めることや細工することを好む日本人の性質には
「旅」が関係しているという。

他の大陸のように馬車を使わなかった日本人は、
荷物を背負い、山を越え川を渡って歩き続ける、という
原始的な旅をしていた。

そのため
物を縮め、小さくすることに大変な価値があったというわけだ。

細工してないものは「不細工」と非難し、
詰め込まないものは「詰まらない奴」と侮辱した。

見回してみれば当たり前に存在する日本らしさの中に、
旅好きの精神が現れる。

はるか昔から旅の趣を理解し、小さい荷物で出かけた
先人たちの背中を想うと
つい、旅の計画を練りたくなってしまう。

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