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茂木彩海 14年1月19日放送


しで
誕生にまつわる話 幸田文の種

 心の中にはもの種がぎっしりと詰っていると、
 私は思っているのである。
 ものの種が芽に起き上がる時のちからは、
 土を押し破るほど強い。

幸田文、「崩れ」の一節。

40代で「種」を見つけた彼女は、
父の露伴を看取ったのち、文壇デビューを果たす。

種から発芽し、土を押し上げる誕生の瞬間に、
人は新しい自分を見る。

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茂木彩海 14年1月19日放送


poi beltran
誕生にまつわる話 ピクサー

1986年、スティーブ・ジョブスによって設立されたピクサー。

コンピューターで人間性のある動きを再現できるはずがない。
当時はその可能性に懐疑的なアニメーターがほとんどだった。

ところがその後、「トイ・ストーリー」の発表で世間は肝を抜かれる。

スティーブ・ジョブスという革命児と
ストーリー作りの天才、ジョン・ラセターの力で、
ピクサーは見事にコンピューターをアーティストの鉛筆にすげかえてみせた。

アカデミー賞を4度受賞し、「ウォレスとグルミット」に代表される
クレイアニメーションの第一人者、ニック・パークこう語る。

 ピクサーの映画は
 アートとテクノロジーの幸福な結婚から生まれた子供なんだ。

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茂木彩海 13年11月17日放送


quicheisinsane
アーティストの話 アニエス・ヴェルダ

フランス初の女性映画監督として知られる
アニエス・ヴェルダ。85歳。

ベルギーで幼少時代を過ごし、
第二次世界大戦に逃れて家族でフランスに渡った。

写真家として活動したのち、26歳で映画をつくり、
さらに2003年からはコンテンポラリーアーティストとしても活躍。

80歳半ばにして、3つ目の人生を歩みはじめた。

自分にしか撮れない写真を撮った。
監督した映画が話題になった。
新しい作風にチャレンジした。

誰が聞いてもアーティストらしい人生を送っている彼女だが、
自分の作品をアートと呼ばれるのは、あまり好きではないようだ。

 私は自分の作品を見てもらうのは嬉しいけれど、
 “芸術作品”なんて強制するのは大嫌い。
 重すぎるわ。ケーキに乗るさくらんぼのようなものよ。

無くても大丈夫だけれど、あったらもっと嬉しいもの。

自分の作品をそんな風に気楽に感じられたとき
アーティストはもっと自由になれるのかもしれない。

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茂木彩海 13年11月17日放送



アーティストの話 紫舟

社会人3年目で、夢を追いかけることを決意した
書道家、紫舟。

筆を運んだ痕跡をそのまま鉄のオブジェにしてみたり、
3Dのデジタル処理をしてみたり。
書道家として新しい試みをし続ける彼女には、ある夢がある。

 100年後に見ても新しいと感じさせる何かを持った書を書きたい。

アーティストとしての決意を込め、今日も筆を運んでいる。

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茂木彩海 13年10月27日放送


jordanmit09
おやつのはなし 川端康成のクッキー

日本を代表する小説家、川端康成。
小さなお弁当を4回に分けて食べるほど食が細かったが、
どうも甘いものは別腹だったよう。
急性糖尿病にかかるほどの甘いもの好きだった。

そんな川端が「フランスでも滅多に味わへない本格的な良心的な作品」
と絶賛し、幾度となくおやつにした東京駒込の洋菓子店、カドのクッキー。

初代店主の高田壮一郎は、
日本人としてフランスへの菓子留学を果たした第一号生。
当時から珍しいお菓子がある店として有名だったという。

店内には川端直筆の推薦状が、いまでも額に入って飾られている。

 洋菓子のほんとうを同好の人びとに知ってもらへるのは、
 私の自慢でもある。

この「同好の人びと」の一人は、川端と師弟関係だった三島由紀夫。
彼もまた、カドの洋菓子をよくおやつに食べていたという。

おやつの好みが合えば、2人の絆はずっと深い。

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茂木彩海 13年10月27日放送



おやつのはなし 手塚治虫の漫画

手塚治虫は生前、こんな言葉を残している。

 将来、漫画が子供の”おやつ”から”主食”になって、
 そのうち空気のように偏在する時代がくる。

予想は的中。今や漫画は世界に誇れる文化になった。

手塚先生、
あなたが愛したおやつはちゃんと、日本を支える主食になっています。

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茂木彩海 13年8月18日放送



山のはなし 梅原龍三郎

日本美術界の重鎮。梅原龍三郎。

彼が描いた富士山を見ると、
ただならぬ存在感に思わず後ずさりしそうになる。

紫の山肌、緑の空、赤い雲。
そこには愛が無ければ描けない、山の頑固さと豪快さが描かれている。

そんな彼が富士山を描く時につぶやいた言葉。

 富士はでっかいからはね返されるが、いつかねじ伏せてやる。

キャンバスに描かれているのは絵ではない。
言葉にならない、梅原と富士山との愛ある戦いなのだ。

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茂木彩海 13年8月18日放送



山のはなし 植村直己

日本人初のエベレスト登頂を果たした植村直己。
彼はこんな言葉を残している。

 あきらめないこと、どんな事態に直面してもあきらめないこと。
 結局、私のしたことは、ただそれだけだったのかもしれない。

夢という目標を決め、人生の山をひたすら進む。
生きることは、それくらいシンプルでいい。

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茂木彩海 13年7月14日放送



海のはなし 海の住人

海は、人の住めない別世界。
そこには別の哲学があり、別の暮らしがある。

ダイオウイカを世界で初めてカメラに収めた
撮影班のディレクター、小山靖弘はその瞬間をこう振り返る。

 向こうもこっちを、見ていたのではないかな。
 人間というものを見ている、そんな気がしました。

この夏、海に入る時には、おじゃましますの挨拶を。

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茂木彩海 13年7月14日放送



海のはなし ドビュッシーの海

音楽家、坂本龍一が
「人生でもっとも影響を受けた音楽家」と語るドビュッシー。

彼が生み出す曲は、長調と短調が入り交じる不思議な旋律で
その瞬間、その場で感じた印象をそのまま残す
印象派の音楽だと言われている。

30代のころ書き上げた最高傑作。
交響詩、「海」。
目を閉じれば穏やかに、時に激しく荒れる海が浮かぶ。

彼は言う。

 音楽の本質は形式にあるのではなく色とリズムを持った時間なのだ

そうか。海が訳もなく心地良いのは、
波がつくる音楽の時間が流れているからなんだ。

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