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薄 景子 11年7月30日放送



子どもの時間 まど・みちお

詩人まど・みちおさんの目の上にはイボがある。
そのせいで、ものが二重に見えることを
まどさんは世界の見え方に
バリエーションがふえてうれしいという。

児童文学界のノーベル賞といわれる、
国際アンデルセン賞を日本人で初受賞。
100歳にして新たな詩集も出した
まどさんは、自身のことをこう語る。

 私は人間の大人ですが、
 この途方もない宇宙の前では
 何も知らない小さな子どもです。 

その天真爛漫な言葉は、
なんにだって不思議がれる、
まど少年の好奇心から生まれている。



子どもの時間 中川李枝子

子どものころ大好きだった「ぐりとぐら」。
くいしんぼうのぐりとぐらが
巨大なカステラをつくるページは
いま思い出してもワクワクする。

おはなしを書いたのは中川李枝子さん。
保育士の経験もあり、お母さんでもあった彼女は
子どもたちがびっくりする顔が見たくて
数々の名作絵本を生みだした。

 子どもはみんな問題児。

そう中川さんは言う。
それを個性と伸ばしてあげられるのは
むかし子どもだった大人の役目。

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薄 景子 11年6月19日放送



2 友達について 糸井重里

わざわざ口にはしないけれど、
記憶のどこかにしまってある。
そういうことを、糸井重里さんは
風がふくように、さらりとついてくる。

彼のつぶやき本から、
こんな言葉を見つけた。

冬の教室の、日だまりでのむだ話を、
いまの時代でも、
中学生や高校生たちはやっているのだろうか?

オレンジ色の光につつまれた放課後、
なんであんなに話すことがあったんだろうと
不思議なくらい、毎日だらだらしゃべっていた
あの頃がよみがえった。

糸井さんは言う。

大事なことは、ただひとつなのだ。
それは、「ともだちであること」だけなのだ。

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薄 景子 11年6月19日放送



7 友達について ゲーテ

ドイツの文豪、ゲーテは言った。

空気と光と、そして友達の愛。
これだけが残っていれば、気を落とすことはない。

気づけばみんな、カタチがない。
気づけばみんな、お金で買えない。

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薄 景子 11年5月14日放送



希望のことば ルイ・アラゴン

フランスの詩人、ルイ・アラゴンは言った。

教えるとは希望を語ること
学ぶとは真実を胸に刻むこと

大人が希望を語りつづければ、
子どもたちの希望は育つ。
大人が真実にもとづいて行動すれば
子どもたちは真実を胸に刻める。

未来に希望を連鎖していく、
そんなひとりになりたいと思う。

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薄 景子 11年02月20日放送


あの人の詩 柴田トヨ

柴田トヨさんが詩を書きはじめたのは、
90歳を超えてから。
趣味の日本舞踊が踊れなくなり、
新聞の詩の投稿欄に応募したのがはじまりだった。

その詩は、たちまち読者をひきつけ、
処女作品集はベストセラーとなる。

 98歳でも
 恋はするのよ
 夢だってみるわ
 雲にだって乗りたいわ

もうすぐ100歳になるトヨさんの中には
永遠の少女が生きている。

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薄 景子 11年02月20日放送


あの人の詩 佐藤初女

悩みを抱える人が彼女のおむすびを食べると、
自然と自分を取り戻していく。

「森のイスキア」主催、佐藤初女さん。

10代で胸を患い、30代まで闘病生活。
治りたい。でも、だめかもしれない。
若き日に、祈る思いで歩いた海辺に、
87歳の初女さんが立ったとき。
色も模様もちがう貝殻を見つめてこう言った。

 神様でしょうか、これを作ったのは。

佐藤初女さん。
その言葉にも、おむすびにも、
命の詩(うた)が流れている。

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薄景子 11年01月15日放送


女優の素顔 岸恵子

どんな女優になりたいか。
若いころ、記者たちに聞かれると
岸恵子は言った。

私は、私になる。

海外旅行がまだ自由化されていない時代に、
トップ女優の座を捨てて、パリに移住。

フランス人の映画監督との結婚は18年で終わり、
その後も、政情が不安定な国をめぐっては
民族紛争や人種差別と向き合った。

危うく刑務所に入れられそうになったことも、
過激派に襲われたこともある。
そんな事態に遭遇しても、彼女は度胸を据えて、
世界の現実から目をそむけることはなかった。

そこに知るべき何かがあるかぎり、
岸恵子の旅に終わりはない。
拠点はどこかと聞かれれば、

国は関係ありません。
魂の在り処は自分です。


女優の素顔 江波杏子

何かあったら、この人に相談したい。
女優、江波杏子にはすべての女性を包み込む
姉御的なオーラがある。

一番苦しかったのは、仕事と男だと公言し、
苦しんだ人は、あとで絶対幸せになれると断言する。

感情を抑制することに慣れた現代女性に、江波は言う。

泣きなさい。
涙だって血なんだから。

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薄景子 10年11月21日放送



あの人の暮らし チャールズ・M・シュルツ

世界中で愛されているスヌーピーの生みの親、
チャールズ・モンロー・シュルツ。
彼の作品に、幸せとは何かを綴った絵本がある。


 しあわせは落ち葉の山。
 しあわせは自分のベッドで眠ること。

30にわたる幸せの定義は、
何気ない毎日の中の、ささやかなことばかり。

小さな幸せは、
気づいてあげると
かけがえのないものになってくれる。



あの人の暮らし 松浦弥太郎1

今日のランチはどこへ行く?
将来はどっちの道に進む?
人生は選択の連続といってもいい。

大切なのは、そのときどき、
自分の判断を信じられるか。

暮らしの手帖の編集長、松浦弥太郎さんは
日々、選ぶ訓練を続けているという。

電車に乗れば、あたりを見回して考える。


 この車両で一人友だちをつくるとしたら誰がいいだろう?

あのおばあさんの話をじっくりききたい。
この男性とは映画の趣味があいそうだ。

毎日、選ぶ訓練をかさねると、
直感力と想像力がきたえられ、
数ある中から、コレというお宝が
瞬時に見つけられるという。

さっそく、野菜売り場で考える。
今晩は、舞茸をてんぷらにするのと
大根をおでんにするのは、
果たしてどっちが幸せだろう。

選ぶ訓練は、
暮らしを楽しくする訓練でもある。



あの人の暮らし 松浦弥太郎2

雑誌編集長であり、
古本屋を営む松浦弥太郎さん。
彼のエッセイを読んで、
ハッとしたことがある。


 いつくしむ方法は、1日1回、さわること。

松浦さんはお店の商品や椅子の脚に
毎日一度さわるという。
家でも、さわれる量以上の服や本は
できるだけもたない。

たしかに、何年も着ていないスーツには生気がない。
人の行かない別荘はすぐに悪くなる
という話もよく耳にする。

ものに命を吹き込むのは人。
ていねいに暮らす人は、
もちすぎない豊かさを知っている。

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薄景子 10年10月17日放送



本のはなし 五味太郎

読むというより、中に入っていっしょに遊ぶ。
そんな絵本を次々生みだす五味太郎。
彼のエッセイが名門私立中学の
国語の試験に出たことがあるという。

作者の意図を次の4つから選びなさい。
全体の論旨を50字以内でまとめなさい。
出題はぜんぶ五味さんの文章がらみだった。

試しにそのテストをやってみたという五味さん。
当然100点かと思いきや、フタをあければ68点。
85点が合格ラインの入試に、
不合格という結果になってしまった。

作者本人だぜ、たのむよ、中学に入れてくれよ。
とこぼしつつ、
この気分を50字以内にまとめてみよう!
と洒落で流すユーモアセンス。

どんなことでも面白がれる、五味さんの器は無限大。

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薄景子 10年05月16日放送



走る人 小出義男監督

走ることが、好きで好きでたまらなかった。
高校卒業後、農業の道を歩んだものの、
マラソンへの思いは断ちきれず。
苦学の末、走りつづけるために大学に入った。

小出義男。
その名は、陸上選手としてよりも
高橋尚子や有森裕子をメダリストに育て上げた
名監督として知られる。

選手をのばす言葉を知り尽くした小出監督には、
こんな名言がある。


 牛乳を飲む人より牛乳を配る人のほうがよっぽど丈夫だ。

薬やサプリメントに頼るより、
移りかわる空の下を走ることで
健康を手にいれる人をふやしたい。

小出監督が夢みた「銀座マラソン」は
のちに都知事によって「東京マラソン」として実現した。



走る人 間寛平

マラソンとヨットで
地球を一周する、アースマラソン。
この、人類初のとてつもない試みに、
ひとりのコメディアンがチャレンジしている。

寛平ちゃんこと、間寛平、60歳。

心臓疾患を克服するために走りはじめ、
陸上選手並みの強靭な心臓を手にいれた。
世界中のマラソン大会に出場すること70回以上。
いまや3万6千kmの地球一周をめざす男だ。

しかしスタートから約1年、トルコで癌が判明する。
治療しながらマラソンは継続できる、と医師に告げられ、
「めっちゃ嬉しい」と語った寛平ちゃん。

その後、このアースマラソンを必ず完走するために
2か月間治療に専念することを決意。
現在アメリカで療養にはげんでいる。

そんな寛平ちゃんの言葉は、
いつも前を向いている。


 走らんでも、毎日、歩けばいい。

きのうより、気持ちが1㎜でも前進していれば
いつかゴールにたどり着く。

天性のボケでお茶の間を笑わせた一芸人は
いま、自分と地球と向き合うことで
日本に勇気を送りつづけている。

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